忘れ得ぬことども

南北朝鮮首脳会談に寄せて

 衆院選の選挙戦が始まったようですが、南北朝鮮の首脳会談の話題の方が大きくなってしまって、いまいち有権者の反応がよろしくないようです。
 よその国のこととは言っても、朝鮮半島の帰趨は日本にも影響が大きいので、関心を持つ人も多いようで。何しろ明治以来、日本の対外行動(愚行も含めて)のほとんどが朝鮮半島に端を発していると言ってよいくらいですから、注目せざるを得ません。
 あちらにとって見れば、日本との関わりというのは日帝三十六年の絶対悪ということで簡単に割り切れてしまうことなのかもしれませんが、少なくとも日本にとってはそう単純な話ではなく、朝鮮半島の状態によって自分たちの死命が決せられるというぎりぎりの気持ちを持ち続けていたと言ってよいでしょう。

 朝鮮半島は実に500年以上の長きにわたって李氏の支配下にあり、19世紀後半にはすでに体制の動脈硬化で末期症状を呈していました。王朝上層部は不毛な権力闘争に明け暮れ、統治者能力をほとんど失っていた状態でした。時あたかも列強による世界分割時代であり、長年宗主として仰いできた中国清朝も内憂外患でガタガタになっていました。
 日本は明治維新を成し遂げ、曲がりなりにも近代国家としての歩みを始めていましたが、その近代国家の眼で見ると、朝鮮半島は実に危ない状態であったわけです。しっかりして貰わないと、日本の敵性国家が半島に影響力を及ぼしでもしたら、たちまち日本海の制海権が奪われ、マナイタの上の鯉みたいなことになってしまいます。そして実際、ロシアという強敵が狙っているのは明らかでした。
 日本と同じように、なんとか改革をやり遂げて、近代国家としての政権をしっかり樹立して貰わないと、いずれは日本もろともロシアに併呑されてしまうのは目に見えていたのです。
 そういうわけで、明治初期の指導者たちは、必死で李氏朝鮮の開国・近代化を求めましたが、朝鮮側はけんもほろろな状態でした。焦った日本側が、次第に恫喝や策謀に走ったのも、当時の情勢としては無理のないところだったと言わなければなりません。
 ともかく独立国家にだけはなって貰わないと困りますので、そのための工作をいろいろとやったわけですが、そうすると当然ながら朝鮮に対する宗主権を主張する清国と衝突せざるを得ません。で、日清戦争
 これにより一応清国の影響を排除し、朝鮮国王は史上初めて「皇帝」を名乗り、大韓帝国が成立しました。「LAST EMPERORS」でたびたび触れたように、王と皇帝は東洋では全くレベルの違う存在です。それまで、朝鮮国王はどんなに皇帝を名乗りたくても名乗れなかったのでした。そんなことをすると中国に対する反逆ととられ、征伐されてしまいます。
 日本がほっとしたのも束の間、今度はいよいよロシアが乗り込んできました。清国などとは較べものにならない強さですから、日本の朝野は震駭しました。しかし座視してはいられません。末期症状の李氏王朝は常にふらふらしていて、ロシアにすり寄る気配も充分にあったのです。で、日露戦争
 なんとかロシアを撃退したものの、朝鮮はあいかわらず変化の兆しを見せません。このままではいずれまた別の強国が浸透して来かねず、日本としては枕を高くして寝られない想いがあり、とうとう日韓併合の挙に出てしまったわけでした。

 戯画化して言うと、
 「頼むから、しっかりしてくれよ〜〜」と、朝鮮の尻を叩き続ける日本。
 「痛えじゃねえか畜生」と、聴く耳を持たず単に尻を叩かれたことを怒っている朝鮮。
 という感じだったように思われます。
 「えーい、口で言ってわからんやつは……」と、自宅に相手を連れ込んでビシバシしごいたのが日韓併合ですね。
 部活などで先輩にしごかれた後輩が、先輩に結果的に感謝するということは起こり得ます。かつての英国の植民地だった国々が、現在さほど英国に対して悪感情を抱いていないというのはその伝でしょう。
 が、ただただいじめられたというイヤな想い出ばかり残って、その先輩を憎み続ける後輩も時々いるわけで、日韓関係というのは残念ながらこちらのタイプになってしまったようです。朝鮮半島の人たちはどういう根拠からか、自分たちが「兄」で、日本が「弟」である、という根強いイメージを持ち続けているようなので、つまり
 ──ダブってるうちに追い抜かされた「年下の先輩」にしごかれた。
 みたいな屈折した感覚となったのでしょう。これは腹が立つでしょうな、実際。

 8月15日の終戦の日を韓国では独立記念日(光復節)として祝っているそうですが、実は独立はこの日ではありません。
 戦争に負けた日本は多くの領土を取り上げられ、その中に朝鮮半島もあったわけですが、朝鮮はアメリカの手に管理が移管されました。ただし、北半分にはすでに旧満州から南下したソ連軍が進駐しており、この時から分断が始まっていたわけです。日本が早く降伏しなかったから分断されてしまったのだと、分断の責任まで日本に押しつける向きがありますが、ソ連の進駐は日本の降伏後のことであり、これは言いがかりというものでしょう。
 2年後、国連で朝鮮をどうするかという問題が議題となり、アメリカがソ連の反対を押し切って、翌年大韓民国を成立させました。だから韓国は実は日本から独立したのではなく、アメリカから独立したというのが正しいのです。一方ソ連は対抗上、勢力下にあった半島北部で朝鮮民主主義人民共和国を成立させたのでした。
 日本に進駐していた米軍の総司令官マッカーサーは、この期に及んで、
 ──朝鮮半島が安定していないと、日本としてははすっごく怖い。
 という事実に気づいたのでした。彼は帰国後、
 ──日本の大陸進出は、自衛のためであったのだ。
 と明言しています。実際に日本の国土に身を置いて、つくづくそれを実感したのでしょう。朝鮮戦争の時、マッカーサーはトルーマン大統領に、原爆の使用を提言して退けられましたが、実感に基づく提案であったに違いありません。
 原爆こそ使われませんでしたが、朝鮮戦争によって、日本に軍隊がないのはどう考えてもまずいということをアメリカが悟ったのでしょう。かくして自衛隊が作られました。朝鮮半島の火種が存在しなかったら、自衛隊も作られなかったことと思われます、半島の安定は、戦後に至っても、やはり日本の方向性を左右するほどの重要事項だったのです。

 そんなわけですから、南北朝鮮首脳会談に多くの日本人が関心を寄せるのは当然の話で、これに較べれば、主張の違いもよくわからない、あいも変わらずおんなじようなことばかり言っている選挙戦などが霞んでしまったのも、また当然の話であったでしょう。
 空港に着いた金大中大統領を、金正日総書記自ら出迎えたことについて、驚きの声が上がったようでしたが、これはまあメンツを立てたというところなのでしょう。
 金大中大統領という人は、これまでの振る舞いを見ても、比較的柔軟で現実的な行動のできる政治家であるようです。
 一方金正日総書記というのは謎に包まれているだけにいろいろな噂がささやかれている人物ですが、推測することは可能かもしれません。
 北朝鮮は社会主義国と考えるより、一種の中華帝国(実際李朝では自らを「小中華」と称していたわけで)という補助線を引いて考えた方が理解しやすいような気がしています。
 空港での歓迎の様子を見ても、なんとなく、ジャーンとドラが鳴って管弦の調べが響き、袖をはためかせた踊り子たちが一糸乱れぬ舞いを見せる、かつての中華帝国の宮廷の歓迎式典という印象が拭えませんでした。
 イデオロギーのいかんにかかわらず、先代の金日成が築き上げた権力の形というのは、中華皇帝的なあり方と相同的であったと考えられます。
 金正日氏個人の資質はなんとも言えませんが、その振る舞いは
 ──「皇帝」だったらどうするのか。
 というアプローチで予測できるのではないでしょうか。
 ともあれ、会談がうまく進んでいただきたいものだと思います。

(2000.6.13.)

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことども」目次に戻る