謎の温泉魔人・湯長氏が妻子を置き捨て(子はまだない──と思う──けど、語呂の関係で(^_^;;)、生まれ育った北海道をあとに東京に移り住んでかれこれ半年近くが経とうとしています。内地の温泉も次々と制覇する予定だったようですが、時間がとれずなかなか思うに任せないようで。近場でどこかないかと相談されましたので、昨日今日と、連れ立って奥多摩温泉に行って来ました。
探してみると、東京都内にもずいぶん温泉というものはあるようです。23区内にもあって、黒湯という独特の温泉が涌いているらしい。かつての海水が地下に閉じこめられていわば化石化したお湯なんだそうで。
しかし、せっかくウィークデイに連れ立って行くのに、23区内というのもあんまりですので、東京のいちばん奥地にある奥多摩に出かけたのでした。
そんなところに温泉があること自体、私も知らなかったのですが、10年ほど前に発見されたのだそうです。温泉旅館もあちこちに建っていますが、さすがに都心から至近の観光地だけあって、宿泊料はやや高め。交通費とのかね合いをどう考えるかですが、ともあれ国民宿舎「鳩ノ巣山荘」を予約しました。国民宿舎だけあって、中ではリーズナブルだったのです。
13日の水曜日は生徒が拙宅にレッスンに来て、わりとあわただしかったのですが、15時少し前に家を出ました。クルマで、青梅街道をひたすら行こうと思ったので、環七と青梅街道の交点に近い中央線の高円寺駅で湯長氏を拾うことにしていたのでした。もっとも、環七がどのくらい混んでいるかわからなかったので少々不安。ガソリンも入れなければならなかったし。
しかし幸い、内回りはそれほど混雑しておらず、待ち合わせ数分前に高円寺駅に到着。湯長氏もその直前に着いていたようだったのでいいタイミングでした。
湯長氏はこちらでとある音楽事務所に勤めており、この月曜に急な仕事が入って、一旦はキャンセルかという話にもなりかけたのですが、すぐにそのキャンセルをキャンセルする連絡が来ました。仕事の進行を犠牲にしても、この一泊の温泉旅行をとることにしたそうで、
──温泉道に反する行為、申し訳ありませんでした。
とのこと。
しかし、2日目の予定は少々切り詰めた方がよさそうです。私の立てたドライブプランだと、鳩ノ巣山荘に泊まって翌朝、私は去年も行った日原鍾乳洞を訪れ、それから奥多摩温泉の源泉と言われる「もえぎの湯」で一風呂浴び、奥多摩湖で休憩したのち、奥多摩湖周遊道路を経て上野原から中央高速に乗って帰ってくるつもりでした。このうち鍾乳洞へは単純な往復に過ぎないので、ここをカットすれば昼過ぎには帰れるだろうと判断したのでした。
走り出しても、湯長氏は携帯電話で何やら仕事関係の話をしています。忙しそうですが、最近暇な私から見るとうらやましいくらい。
青梅街道という道はさまざまに雰囲気を変えるのがなかなか楽しいので、柳沢の先で新青梅街道の方へは行かずに旧道を走ることにしました。田無市、いや現在は西東京市の田無市街に入ると、まるで脇道のような一車線道路になり、急に武蔵野情緒が高まってきます。私は小学生の頃田無に住んでいたので、なんとなくノスタルジーも感じます。小平市を通り過ぎて東大和市に入れば、もうすっかりローカルな街道の雰囲気になります。
実は奥多摩温泉を選んだのは、都心しか知らない湯長氏に、さまざまな顔の「東京都」を見せてさしあげたかったからでもありました。東京都は区部・市部・郡部がほぼ3分の1ずつくらいを占め、それぞれ低湿地・台地・山岳地帯に大体相当しています。山岳地帯は、知らない人が見ればたいてい「これでも都内?」と驚くほどに山深いのですが、湯長氏にもその驚きを味わっていただきたかったのでした。
親の運転するクルマに乗るのも不安だと常々言っておられる湯長氏のこと、私の運転ではさぞかし肝を冷やしたに違いありませんが、私のクルマの保険は本人限定なのでやむを得ません。ほぼ予定通りに走って、青梅市街を抜け、いよいよ山岳地帯に入ります。
宿のホームページに載っていた地図をプリントアウトしてくるのをうっかり忘れてしまっていて、曲がる場所を間違えたら困るなと思っていましたが、幸い直前に案内看板が出ていて、18時ちょっと過ぎに鳩ノ巣山荘に到着。18時頃に着くだろうと予測していたので、自分の読みの確かさにいささか自己満足。「ちょっと過ぎ」になったのは、途中で湯長氏が夏用の靴を買うためクルマを停めたからだったので、ほぼドンピシャの読みだったわけです。
宿は、多摩川の流域でも絶景のひとつに数えられる鳩ノ巣渓谷のほとりに建っていました。部屋は渓谷に面しており、幽翠な雰囲気です。まったく、都内とは信じられないような山奥なのでした。とはいえ交通の便がよいだけに、こんなオフシーズンのウィークデイでも、私たちを含め6組のお客が入っていたので驚き。
国民宿舎というのはなぜか夕食がかなり早いところが多く、鳩ノ巣山荘も「17:30〜19:00」となっていました。だから着いたときにはもう準備されていたわけですが、私たちとしてはとりあえずお風呂へ。
浴室は普通のお風呂という造りで、露天などはありませんでしたが、久しぶりの温泉に漬かってのんびりします。奥多摩温泉はフッ素泉だそうで、お湯は無色透明ですが、入っていると肌が少しぬるぬるして来ます。アルカリ温泉の特色です。白濁した硫黄泉などの方がありがたみはある感じですが、何しろ都内というロケーションを考えれば御の字と言うべきでしょう。
食事は国民宿舎としてはなかなかレベルが高い気がしました。3段階の献立があり、それによって宿泊料も3段階設定されているのですが、中をとっておいたのでした。いちばん下のランクのものに較べると、2皿ほど多くなるようです。そのうちのひと皿にあったイワナの刺身がけっこう当たりでした。川魚特有の臭みもなくて、身には弾力もあり、おいしくいただきました。
湯長氏は、
「酒呑むの久しぶりなんですよ」
とか言いながら、夕食と共に缶ビールを2本、食後に日本酒の小壜を3本もあけていました。私はご存じの通りほとんど飲めませんから、ビールをコップ半杯ほどと、お酒をお猪口一杯お相伴しただけです。それでもなんとなく頭が痛くなったのですからどうしようもありませんね。
夜中に何度か眼が醒めたり、何やら絶え間なく夢を見ていたりした感じで、あまりよく寝られた気がしなかったのですが、7時半頃に起床。外を見ると篠つくような雨です。クルマだからいいようなものの、いささかがっかり。まあ、この季節ではやむを得ませんが。
早起きして鍾乳洞へ行ってしまおうかという話もあったのですが、起きた時間がこれでは無理そうです。それに朝食はなぜか意外と遅く、8時にならないと食べられないのでした。
鍾乳洞の次に行く予定の「もえぎの湯」は10時にならないと開かないというし、少し時間をもてあまします。
仕方がないので、9時半近くなってチェックアウトし、傘を差して渓谷の川縁まで往復してみました。
夜来の雨で水量が増し、それが激流となってすごい速さで流れています。両岸はおそろしく高い絶壁。湯長氏もこの景観にはすっかり満足された様子でした。
「もえぎの湯」には露天風呂があり、渓谷美を堪能しました。源泉近くだけに、フッ素も鳩ノ巣より強いようでした。
あまり長湯して湯当たりでもしてしまうと、これからまだ運転が長いのに大変ですから、ちょっと心を残す程度のところで上がります。
日原鍾乳洞への道を分ける交差点を、やや未練の残る気分で通り過ぎ、奥多摩湖へ。ここは去年も同じルートを走ったことがあります。「水と緑のふれあい館」は小学生の遠足とかち合ってしまって賑やかでした。こんな雨の中を遠足とはご苦労なことで。
「この湖の底には、3000人くらい住んでいた村が沈んでるんですよ」
と説明したら、湯長氏はびっくりしていたようでした。考えてみれば北海道では、ダムを造るためといってそんなにたくさんの人を移住させる必要もなさそうです。奥多摩湖は東京に近いだけに、ダム建設のために立ち退かせた人口が、日本でいちばんとは言わないまでも、相当多い方なのではないでしょうか。
青梅街道のなれの果てをさらに湖に沿って走り、三頭橋(みやまばし)から奥多摩湖周遊道路に入ります。昔は有料だったのか、料金所の残骸のようなものがありました。
オフシーズンの平日とあって、行き交うクルマもほとんどありません。それで走りやすいのはありがたかったのですが、坂を登ってゆくにつれ、ガスがひどくなってきました。ガードレールを突き破ればはるかな崖下へ真っさかさまというような道で、こうガスがひどいのは剣呑というほかありません。ライトを点灯しておそるおそる走りました。
奥多摩町から檜原村へ入ると、こちらにも温泉らしき宿がいくつもあるようでした。今度はこっち側に来てみようかと思いました。
そのまま行けばあきる野市を経由して帰れるのですが、高速に乗るため、もうひとつ峠を越えて山梨県に入ります。山梨県に入ると、道路の中央線がない部分が多くなり、一方霧がまた濃くなり、いよいよ走りづらくなりました。
どこまで行ってもうねくねと曲がりくねった道ばかりなので、湯長氏はうんざりしたようです。
「一生、山梨県には住まないことにしよう」
「どうして?」
「道が曲がりくねってるから」
北海道の一直線道路に馴れている彼からすると、こういう道は非常に苦手なようで、そういえば一昨年草津温泉へ行った時も、湯長氏自身が運転していたにもかかわらず、途中ヘアピンカーブの連続で気分が悪くなり、かなりの大休止をとっていたっけ。
上野原の市街地に近づいてくると、さすがに霧は晴れましたが、雨はいよいよ激しくなりました。
最初の予定を変更したため、昼食をとるタイミングがうまく合わず、結局高速に乗ってから、石川サービスエリアのレストランに入りました。もう13時半くらいになっています。
幸い、高井戸まではスムーズに流れており、14時ちょっと過ぎくらいに、小田急の千歳船橋駅で湯長氏を下ろすことができました。これから帰って大忙しで仕事をすることでしょう。
私はそこからまた1時間かけて帰宅。さすがに疲れていて、帰り道眠くなるのをこらえるのに苦労しました。
それにしても、そんなに遠くへ行かずとも、旅行気分というのは味わえるものだとあらためて思います。
(2001.6.14.)
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