忘れ得ぬことども

米軍のイラク攻撃

I

 2003年3月20日、米軍によるイラク攻撃が始まりました。
 関係各国の懸命の努力にもかかわらず、開戦を止めることができなかったのは残念でした。
 日本政府も努力はしたと思いますよ。「武力行使を支持する」ということを言っていたため、なんだか焚きつけたとか、一緒に戦争したがっているとか思っている人が居るようですが、開戦が不本意なものだったという雰囲気は、首相の声明にも、与党幹部の声明にも充分感じられました。
 現状としては「支持」以外の声明を出しようがないのも事実で、その辺の苦しい立場を国民としてはわかってやるべきなのではないかと思う次第です。野党側の反対声明は、それをあえてわからないふりをして政府攻撃のネタにしているようにしか見えず、かえって見苦しい気がいたしました。彼らが政権の座にあればなんと言うつもりなのでしょう。
 政府として「不支持」を言えば、おそらくアメリカとの関係は切れるでしょう。そうなれば隣国の脅威に独力で立ち向かう必要が出てきます。
 昔は「ソ連は脅威ではない」と主張する向きもけっこうありましたが、現時点で「北朝鮮は脅威ではない」と言い切れる人は極度に少数派と思われます。そして、「話し合い」でその脅威をなくせると信じている人も少ないでしょう。行使するしないは別として、軍事的なプレッシャーをかけるしかないだろうということは多くの人が感じているところです。アメリカにその役割を期待できなくなるとすれば、日本が独自武装するしかなくなります。民主党や共産党はそこまでにらんだ上で発言しているのかどうか、すこぶる心許ないものがあります。
 表では「支持」を言いつつ、なるべく悲劇的な事態にならないように裏で動く、というのが現実的というか、おそらく日本が現状で唯一とりうる道だろうと思われ、実際政府はそうしているわけです。もちろんこういう動き方では、よほどの事情通以外はどこからも感謝はされません。イラクやその友好国からは敵視され、アメリカからは言行不一致を責められるおそれもあります。しかし、どうやってもプラスにはならないのならば、マイナスの度合いを極小にとどめるためにはこれしかないのではありますまいか。

 日本の立場はそういうこととして、アメリカの行動は、やはりおいおいと言いたくなるものがあります。
 国連決議を待たずに始めたというのも困ったものですが、それはまあ、実は日本人が感じているほどの非道ではありません。国連決議を経て始められた戦争というのは湾岸戦争だけで、その他はどの国だって国連決議など求めもしていませんでした。
 アメリカの失策はそのことではなく、純粋に戦略的な問題です。
 戦争というのはいろんな要素がありますが、いつかは終わらせなければならないものであることは確かです。
 その「終わらせ方」を考えると、どうにもうまくありません。
 米軍は戦闘(バトル)では疑いなく勝利するでしょう。
 しかし、戦闘における勝利は必ずしも戦争(ウォー)の勝利を意味しません。
 日露戦争で日本は、戦闘における勝利を即座に戦争の勝利へと結びつける仕組みをあらかじめ作っておいたおかげで勝つことができました。しかし第二次大戦では、中国軍相手に小気味よいほどの連戦連勝を重ねつつ、ついに勝つことができませんでした。
 逆に、第二次大戦(というか大東亜戦争)における真の勝者は日本だったのだと言う人もいます。日本の戦争目的のひとつに「アジア各国の白人支配からの解放」というものが(それがどの程度本気であったかは別として)あったのは事実で、戦争が終わってみると、アジアの国々は実際ことごとく独立してしまっていた、つまり日本の戦争目的は完全に果たされたのだから、実は日本の勝ちだったのだ、というわけです。むろんこれはうがった見方に過ぎませんが、戦争の勝利というものをどう位置づけるかということについて考えさせられる論ではあります。
 さて、そこで今回のことについて考えると、アメリカの戦争目的は

 ──サダム・フセインの独裁政権を崩壊させる。

 という点にあることを繰り返し強調しているのはご存じの通り。
 言い換えるならば、どれほど戦闘に勝ちまくろうが、フセインを退陣させることができなければ戦争自体はアメリカの敗けということになります。
 これは、勝利条件としてはかなり厳しいものではないでしょうか。
 湾岸戦争でも、その後の空爆の時も、戦闘には負けながら、フセイン体制は微動だにしませんでした。それを考えると、イラク国民はフセインに対し、別に軍事的勝利を求めてはいないのだとも考えられます。湾岸戦争後、かえってフセインは「アラブの英雄」視されました。アメリカに「屈しない」ことが大切なのであって、「勝つ」必要はないのです。
 これでは、フセインが屈する可能性は限りなくゼロに近いでしょう。
 アメリカが「フセインの退陣」という戦争目的を達するためには、
 1)フセインその人を殺害する。
 2)一般市民にとてつもない被害を与えて厭戦気分を高め、フセインを支持させなくさせる。
 3)イラク国内の反体制派と結んで強引に新政権を作らせ、フセインを追放する。
 くらいしか手段はなさそうです。
 1)は手っ取り早いですが、現実的な方法としては暗殺ということになるでしょう。戦争に暗殺を持ち込むのは、有効ではあっても非常に嫌われる方法で、以後のアメリカの評判はがた落ちです。
 2)は非戦闘員を大量に殺傷することになり、これまた国際世論が黙っていないでしょう。
 そうすると3)ということになりますが、はたして反体制派はアメリカと結ぶだろうか。

 実は、「反体制派と結んで現政権を倒させ、以後新政権を思い通りに操る」という謀略は、アメリカが繰り返し中東で試みてきたことです。
 アフガニスタンでかつてタリバーンと結んでいたというのは、今となっては信じがたい想いですが、厳然たる事実です。
 ところが、そのタリバーンが非常に典型的な例証になっているのですが、思い通りに操れるはずの「新政権」に、アメリカはその後ことごとく裏切られてきています。新政権はアメリカの力を利用したものの、別にアメリカに感謝の念など持っておらず、干渉してくればすぐに抵抗を始めるのです。中東の親米政権は、10年後には必ず反米政権になっていると言っても過言ではありません。
 要するによその国を思い通りに操ろうなどと本気で考えるアメリカの方が悪いので、いい加減学習しろよと言いたくなりますが、第二次大戦後の日本という成功体験があるせいか、やめようとしません。
 今回も、

 ──フセインを打倒したのち、民主的な政権を起ち上げる。

 などと言っておりますが、第二次大戦後の日本でやったことをイラクでもやろうとしていると思われます。とても成功するとは思えません。
 たとえ一時的に親米的な「民主」政権が生まれたところで、10年後にはおそらくアメリカを歯がみさせていることになるでしょう。
 過去の中東におけるアメリカのこの種の工作がすべて失敗していることに、ブッシュは気づいているでしょうか。
 というわけで、今回のアメリカの行動は、「戦争目的を達せられる可能性がかなり低い」「達せられたとしても得るものは非常に少ない」という点において非常に稚拙であったと思います。その稚拙な行動を「支持」せざるを得ない日本は、どうにもつらいところですね。

(2003.3.21.)


II

 イラクの戦争は、最初の数日間米英連合軍が破竹の快進撃を続けているように見えましたが、どうやら膠着状態に陥ってしまったようです。もともと兵力において劣るイラク側は、守りづらい国境近くの街やら砂漠地域やらははなから棄てて、首都防衛に専念する予定だったようで、破竹の快進撃と見えたのはいわば「勝たされている」状態だったと思われます。
 快進撃を続けている間は、テレビでもどこのチャンネルをつけても戦争の話題でもちきりでしたが、この頃は当初の緊張感はメディアからすっかりなくなりました。
 以下、「お客様の声」でのお客様の書き込みやそれに対する私のレスなどと重複する内容になると思いますが、開戦十日あまりを経た現在、もう一度考えてみたいと思います。

 メディアがだれてきたのは、あまり新情報がないからであろうとは思います。
 ヴェトナム戦争の時に、アメリカ当局は従軍記者による自由な取材を許しました。当時はまだ、アメリカは「自由の庇護者」であるという矜持があり、なんでもオープンにするのが良しとされていたのでした。
 ところがそのために、戦場の悲惨なありさまが、数多くの映像つきでどんどん流されてしまいました。
 当時のアメリカ人ジャーナリストたちの気骨は評価しなければならないでしょう。彼らは公平な報道を目指し、自国に不利になりそうなことでも敢然と公表したのです(自国をおとしめることを使命と心得ていたかのごとき戦後日本のジャーナリズムとは筋が違います)。
 焼かれた村、炭になった屍体、地に伏してうめく傷病者。
 ダイレクトに飛び込んできたそれらの映像は、陽気だが単純だったアメリカの若者たちの心を打ちのめし、国内には深刻な厭戦気分が蔓延しました。「共産主義者たちを撃退する正義の戦争」だったはずのものが、これほど「カッコ悪い」ことであったとは。
 アメリカはなんら得るところもなくヴェトナムから撤退せざるを得ませんでしたが、その一因は厭戦気分が高まって、人々の士気が限りなく低下したことに求められます。いや、少なくともアメリカの為政者たちはそう考えました。
 これを教訓として、アメリカ政府はその後、戦争の自由取材を拒否する方向へと進みました。グレナダ侵攻の際も、湾岸戦争の時も、ジャーナリストが取材を許されるのは、すっかり戦闘が終わって、屍体も流血の跡もきれいに片づけられたのちのことになりました。現地人へのインタビューも厳しく制限され、アメリカに好意的でない発言はすべて消されました。
 つまりは、「大本営発表」だけになってしまったのです。
 日本人は、第二次大戦の際の大本営発表が、いかに欺瞞に満ちたものであったかを、戦後になって他ならぬアメリカの手により、これでもかというくらい思い知らされました。だから大本営発表というもののいかがわしさを骨身にしみて知っていると言えるでしょう。情報一般を「とりあえず疑ってみる」という習慣がつくところまではゆかなかったのが惜しいところでしたが、ともあれ戦争において政府の出す声明は大体きれいごとばかりであるという認識はできていると思います。
 しかし、そういう経験のないアメリカの一般市民が、「大本営発表」を懐疑的な眼で受け止められるかどうか、甚だ疑問です。
 今回にしても、イラク軍兵士が大量に投降してきたとか、大した抵抗もなく街を制圧したとか、きれいごとの報道が相次ぎましたが、実際のところはわかったものではありません。
 そして、膠着状態になってしまうと、もう発表できることが種切れになってしまったと考えられます。
 独自取材が許されない状況では、新情報など出るべくもありません。

 ブッシュは短期決戦を呼号していたのに、埒があかない戦況となりました。米軍がおそれていた砂嵐もだいぶ舞い始めたようです。
 バグダッドを包囲しつつ、あいかわらず空爆ばかり繰り返しているようですが、イラク側も馬鹿ではありませんから、湾岸戦争や98年の空爆の経験を活かして、空爆くらいでは中枢機能が麻痺しないようなシステムを造り上げているに違いありません。
 バグダッドを制圧するためには、やはり陸戦部隊が乗り込むしかないと思われますが、それをやると否応なく市街戦となります。フセインはおそらくそれをもくろんでいるのでしょう。
 市街戦となると、遮蔽物が至る所にありますので、迎撃側はきわめて有利になります。どこのビルの窓から銃撃されるかわかったものではありません。迎撃側は土地を知り尽くしていますから、予想もしないところから忽然と出現して侵入軍を攻撃することができます。
 さらに、便衣隊が活動し始めると手がつけられません。
 便衣隊というのは正規の軍服を身につけていない戦闘員、つまりゲリラのことです。
 女性や子供が加わっている、もしくは利用されていることもざらで、道端の靴磨きの少年に近づいたらいきなり爆弾を投げつけられる、などという事態も頻繁に起こり得ます。一般市民とゲリラの区別はつかなくなります。
 当然ながら、侵入側は疑心暗鬼にかられます。街の住人すべてが敵であるように思えてきます。一瞬たりとも気の休まることがありません。隊列を組んでいれば襲われることはないでしょうが、人間ですから休憩もすれば用足しもします。ひとり乃至少人数になったところを狙撃されればどうしようもありません。
 この恐怖から逃れるためには、一般市民だろうとゲリラだろうとお構いなしに皆殺し(ジェノサイド)にしてしまうしかないのです。ヴェトナムで初めてこのゲリラ戦に遭遇したアメリカ兵たちは恐慌にかられ、いくつもの村々でジェノサイドを実行しました。
 こうなると、たとえ最終的に勝ったとしても泥沼で、ジェノサイドの実行者たちは生涯トラウマに悩まされることになります。むしろ士気が限りなく落ち、撤退を余儀なくされる可能性が高いでしょう。
 ゲリラ戦というのは、一般市民を盾として巻き込み、ジェノサイドを誘発しやすいという点から見て、戦争において決してやるべきでないことなのですが、劣勢な側の起死回生の策であることも事実です。一般市民の生命にあまり頓着しない戦争指導者であれば、躊躇なく採用するでしょう。そしてフセインは、どうもそれに該当しそうです。
 なお、国際法上、戦争捕虜の扱いは厳密に定められており、虐待などは論外です。捕虜の米兵に心尽くしのキンピラゴボウを作ってふるまった日本軍の収容所長が、戦後「捕虜に雑草を食わせて虐待した」かどで告発され処刑されてしまったという有名な話がありますが、そのくらい捕虜の扱いはデリケートなものなのです。
 ところが、便衣隊(ゲリラ)は正規の交戦者とは認められておらず、従って捕虜になる資格(捕虜としての待遇を受ける資格)がありません。ということは、もし敵に捕まれば、煮て食おうが焼いて食おうが相手の思うまま、であるわけです。むごたらしく拷問されようが、問答無用で銃殺されようが、妙な人体実験の実験台にされようが、文句は言えません。
 以前、わが国の非武装論者が、万が一外国が侵略してきたらどうするんだと問われ、
「その時はゲリラ戦をすればよい」
などと答えていたことがありますが、とんでもない話なのでした。

 米英軍が動きを止めているのは、増援部隊を待っているためだと言われますが、兵力的にはすでに圧倒的に大軍であるはずであり、それで埒があかないものが、もっと人数が増えたところで埒があくようになるのかどうかは疑問です。
 もしも内実が実は圧倒的ではなく、本当は米英軍にもだいぶ被害が出ているための増援待ちなのだとしたら、これはこれで古来戦術として最低の下策とされる「兵力の逐次投入」に他ならず、どちらにしてもぱっとしない話です。
 ともあれ、「大軍でイラク領内に侵攻すれば、フセイン体制はたちまち自壊する」というブッシュとその周辺の大甘な希望的観測は、すでについえたようです。フセインは独裁者で暴君であるかもしれませんが、総大将としての器量はブッシュとは比較にならないと思われます。さらに、「人民は独裁者を憎むはずだ」というアメリカ的価値観も一方的に過ぎたと言えるでしょう。
 今後、八方手詰まりになった時に、アメリカが暴発しないかどうかが不安です。
 バグダッドに核兵器を落としたいという誘惑に、いささか思考の短絡的なブッシュは抗しきることができるのか。
 広島と長崎に原爆が落とされたのは、沖縄戦での被害の大きさにトルーマン大統領が仰天したからだとも言われています。沖縄戦では米軍に約1万2千人の死傷者が発生したそうで、47都道府県の一県に過ぎない沖縄だけでそれだけの被害が出てしまうのでは、日本本土に上陸したらどうなることやら、おそらく47倍つまり50万人から60万人の犠牲が出てしまうのではないか、と単純計算して慄え上がり、そのくらいなら原爆で度肝を抜いてやろうと思ったらしい。もちろん、できたばかりの原爆の威力を試してみようという意図もあったと思われますが、アメリカという国は意外と想像上の脅威に対して過敏であり、突如として無茶な行動に出てしまうという前例と言えます。
 イラクの大量破壊兵器を撲滅するための侵攻が、アメリカの大量破壊兵器によって結末がつけられるとしたら、これほどの皮肉はないでしょう。いや、皮肉と言うにはあまりに悲惨な結末ですが。
 アメリカの行動を「支持」した日本政府としては、持ちうる全力を投入してアメリカの暴発を抑えていただきたいところです。
 「暴発を抑えるために『支持』を表明したのだ」
ということになれば、国際的に申し訳も立つというものではありませんか。   

(2003.3.31.)


III

 バグダッドは陥落しましたが、これからどうなることやら、全く混沌とした状態になっているようです。
 そもそも陥落すること自体は、あれだけ兵力差があった以上、容易に予想されたことでした。私はフセインがもう少し粘るかな、と思っていたのですが、虎の子の共和国防衛隊6個師団中、作戦ミスで半分以上を喪っていたとのことなので、薄い防衛ラインを敷くよりは、一旦バグダッドを棄て、全面的にゲリラ戦を展開することにした方が効果的と判断したのかもしれません。
 前にも書いた通りゲリラ戦となると泥沼化する可能性が高く、1万数千人の防衛隊残党が全土に散ってしまうと、今後はモグラ叩きの様相を呈することになるのではありますまいか。実際すでに自爆攻撃で米軍に死傷者が出ているようですし、米軍に協力を呼びかけたシーア派の坊さんは暗殺されました。
 フセイン体制は一応崩壊したと見られますが、政府要人がことごとく消息を絶っているというのが不気味です。アメリカとしては政府要人の寝返りを期待し、寝返った要人に暫定的な傀儡政権を作らせて操るという見通しを立てていたらしいのですが、ついにひとりも寝返りがありませんでした。これはフセイン側にまだまだ戦意があることを示しているのか、微妙なところです。野に潜んで米軍を脅かしつつ、捲土重来を期しているのかもしれません。
 すでに要人がみんな死亡している可能性もないとは言えませんが、それならそれなりの情報は入っているはずです。
 暫定政権の首脳として名前が挙がっている人物は、いずれも問題が多いようです。ずっと前に国外亡命して、国民に名前も知られていない人物だったり、カネに汚いので有名な人物だったり、あまりにも高齢だったり、などなど。
 当面アメリカが軍政を敷いて直接統治に当たらなければならないでしょうが、バグダッドの市民の様子を見ると、フセイン政権が倒れたことにはホッとしながらも、アメリカ万歳を叫ぶ気分にはまるでなっていないのは明らかです。表立って抵抗はしないまでも、「消極的な非協力」が蔓延する空気は充分にあるように思えます。
 しばらく経つうちに、

 ──フセイン時代の方がまだマシだった。

 という声が起こってこないとは言えず、そうなった時にフセインが厳かに姿を現したとしたらどうでしょう。
 こう考えると、まだまだ勝負がついたなどとは結論できないのではないでしょうか。

 アメリカとしては日本でやったようなGHQ式の統治を目論んでいるわけですが、1945年の日本と現在のイラクとでは、まるっきり条件が違っていることに気がついているでしょうか。
 日本は、政府として降伏を受け容れました。そして国民統合の象徴たる天皇陛下が、みずからのお言葉として、敗北を受け容れるべく国民にアナウンスされました。つまり、形の上でも戦争終結ははっきりと示されたのです。
 当時の米軍は、日本人によるゲリラ戦を心配していたようで、それゆえ初期にはかなり強圧的な態度で臨んできましたが、心配したような事件は一件も発生しませんでした。
 これは日本人が不甲斐なかったからとか、心の底ではアメリカを解放者として歓迎していたからとかいう理由によるものでは断じてありません。本当の理由は、「政府によって正式に戦争の終結が宣言された以上、その後の戦闘行為は違法であるということをみんなが知っていたから」です。言い換えれば日本人が大変に遵法精神に富んでいたからこそ、GHQはそんなに苦労もなく目的を果たし得たのでした。
 しかも、当時の日本とアメリカには、言うほどの価値観の相違はありませんでした。ファシズムとかデモクラシーとか言っても、堺屋太一氏が言っているように、近代工業社会という同じ枠組みの中での差違にすぎなかったのです。片方がダメになれば、容易にもう片方に乗り換えられるたぐいのものでしかありませんでした。それを言えば社会主義も同様で、社会主義を棄てたロシアや東欧諸国は、経済的混乱こそありましたが、さしたる政治的混乱もなく資本主義体制に合流することができました。かつてあれほどまでに世界を揺るがせた体制の相違は、いわば手法の相違に過ぎず、根本的な価値観の相違というほどのものではなかったようです。
 責任を取れる政府による正式な敗戦承認、国民の動揺をある程度抑えられる天皇という存在、遵法精神に富み理解力の高い国民性、さほどに違わなかった価値観……日本での成功は、そういう、アメリカにとってはきわめて幸運ないくつかのお膳立てがあったからこそのことでした。
 しかしどうも、アメリカはそれを幸運とは思わず、実力と思っているふしがあります。

 イラクでは、フセイン政権は決して敗戦を認めていませんし、代わって責任を取れる政府はできていません。従って法的に見れば、まだ交戦状態は終わっていません。今後何が起こっても不思議ではありません。
 国民の動揺を抑えるほどに権威のある人物は居ません。イスラム教の指導者さえ暗殺される実情です。同じイスラム教でも、イラクではシーア派スンニー派がかなり拮抗しており、双方に影響力を及ぼせる宗教的指導者が存在しないばかりか、両派の指導者がアメリカに協力的である保証は全くありません。
 イラク人の遵法精神や法の理解度がどの程度のものなのか私はよく存じませんが、日本人ほどではないような気がしますし、何より、世俗の法よりはイスラムの法に従う点は確かなところです。
 そしてそのイスラム教。これこそ、アメリカ的価値観とは根本的に相容れないものがあり、相互乗り入れはほぼ不可能と思われます。
 こう見てくると、日本での統治を成功に導いた要素が、現在のイラクにただのひとつも存在していないことには驚くほどです。

 ──日本ですらうまく行ったのだから、イラクのような小国を再建するのなど簡単だろう。

 などと思っているとすれば、甚だしい認識不足と言えます。日本だからこそうまく行ったことに気づくべきでしょう。
 なんにせよ、これからが大変です。日本政府も、あわてて火中の栗を拾うはめにならないよう念ずるばかりです。

(2003.4.11.)


IV

 サダム・フセイン元大統領が見つかって逮捕されました。死亡説も出ていましたがやはり生きていたらしい。7ヶ月の潜伏で、髪もヒゲもぼうぼうになって、ずいぶん老い込んだ感じではあります。
 アメリカ当局は、捕まった時のみじめったらしい様子をわざと撮影して地上波テレビで放映したそうですが、はたしてそれが得策であったかどうかは微妙です。根が単純なアメリカ人なら、例えば自分らの大統領のそんな姿を見せられれば幻滅して見放すかもしれませんが、アラブ人の場合どんなものでしょう。すでに、

 ──仮にもアラブの指導者だった者のあんな姿をさらさせるとはけしからん。

 という意見も出ているようで、かえってアメリカに対する敵愾心をかき立てられるのではあるまいかという気もいたします。
 実際のところ、祝砲を上げた市民たちにしても(祝砲を上げて喜び合う姿自体がかなりヤラセなのではないかという疑念も残るのだけれど)、

 ──フセインも捕まったことだし、そろそろ米軍にも出て行って貰いたい。

 というあたりが最大公約数的な意見のようです。米軍を「圧政からの解放者」だなどと思っているイラク人はほとんど居なさそうです。
 アメリカの振る舞いには、どうも第二次大戦後の日本での成功体験が大きく影響していると思わざるを得ないのですが、前にも書いたように、日本とイラクとでは条件がまるっきり違います。また、日本で試みた財閥解体や農地解放が怖いくらいスムーズに進んだのは、それらの政策が日本の役所自体が戦前から目論んでいたことで、アメリカの圧力という追い風を得て一挙にことを進めてしまったからであるに過ぎません。アメリカの善導によって開眼・改心したなどというわけではなかったのです。日本は被占領国としては優等生的な態度でしたが、それがアメリカに変な自信を受け付けてしまったようでもあります。

 フセインの逮捕の瞬間を全世界に放映してしまった以上、彼を裁く過程も公開しなければならなくなったのは理の当然です。その中でどんな発言が飛び出すものか、おそらくアメリカにとってどうにも都合の悪い話も出てくるのではありますまいか。それを隠蔽することは世の中が許さないでしょう。アメリカ人お得意の「司法取引」(被疑者が捜査側にとって必要な情報を提供する代わりに罪状を軽減される制度、日本では認められていない)的な方法をとるのも難しいのではありますまいか。
 まだ勝負は終わっていないようです。サダム・フセインもおそらくそう思っているに違いありません。

(2003.12.16.)


V

 イラク連合軍暫定当局(CPA)が、急に主権を暫定政府に委譲しました。
 本来は30日に予定されていたのが、突如として2日前倒しされ、ひそかに式典がおこなわれたわけです。
 このところイラクの治安は悪化する一方で、あちこちの武装勢力が外国人を人質にとったりしてやりたい放題やっています。主権委譲の日を期して政府を混乱させようという意図が見えていたようでもあり、今回の挙はそれらに肩すかしを食わせるという作戦だったのではありますまいか。
 ともあれこれでイラク人に主権が戻ったわけです。そのこと自体は喜ばしいかもしれませんが、これから大変だろうとも思います。
 はたして暫定政府は、全土を実効統治できるのでしょうか。
 イラクという国は、根本的にはいまだ部族社会です。利害も異なれば価値観も異なる諸部族が合従連衡している地域に他なりません。フセインはその強権でもって、諸部族を無理矢理束ねていましたが、彼が居なくなった今、部族同士の対立などが一気に高まっているようです。
 彼らは、中央政府の指示など鼻もひっかけない可能性があります。いまだ、成熟した「国民」はあまり生まれていないのではないでしょうか。バグダッド周辺はなんとかなるでしょうが、日本の約1倍半に及ぶ広大な国土をちゃんと統治下に置けるのかどうか、なかなか難しいのではないかと思います。
 迂遠な道ですが、「部族民」を「国民」にするべく、徐々に教育してゆくしかなさそうです。それだけの余裕が暫定政権にあるかどうか。

 アメリカの軍政下に置かれた国として、どうしても日本と比較したくなるのですが、前にも書いた通り、あまりに条件が異なっています。もういちど整理してみましょう。

 ●日本は責任の取れる政府が終戦時まで存在し、その政府が正式に降伏を受け容れた。イラクは政府が崩壊し、責任を持って降伏を受け容れられる者が誰も居なかった。

 ●政府が降伏を受け容れた以上、その後の戦闘行為は違法だと日本人はみんなが知っていた。イラク人にそういう認識があるかどうかはきわめて疑問である。

 ●一旦負けを認めたからには、見苦しくじたばたしないというのが日本人の美意識である。マナイタの上の鯉として腹を決めるのが潔いと思っている。これに対して砂漠の民は、たとえたったひとりになっても敵に食らいつき復讐を遂げることに美を感じるのである。

 ●日本では「統合の象徴」である天皇が健在だった。天皇を断罪しないことに決めたマッカーサーの認識力は褒められて良い。イラクには、フセインが消息不明になったあと、全国民に対して権威を持って呼びかけられる者が、政治家にも宗教家にも居なかった。

 ●当時の日本はすでに近代工業国であり、成熟してはいないまでも資本主義が根付いていた。その点、アメリカとそれほど価値観が異なっていたわけではない。少なくともイスラム世界ほどには。

 そして上述の、「国民」としての練度なども考えると、はっきり言ってアメリカの軍政統治は、日本だからこそうまく行ったのであり、おそらく日本でなければうまく行きようもなかったのではないかと思われます。
 にもかかわらず、日本での成功例がアメリカの「原体験」となってしまいました。他国を統治するのが簡単でないことは、たいていの国は過去の征服したりされたりした歴史の教訓として知っているものですが、アメリカという国にはそういう経験がそれまでなかったと言えます。せいぜいハワイフィリピンを支配下に置いたくらいで、そんなのは統治経験とも言えますまい。本格的な占領統治は日本が初めてでした。
 日本人はまるで教則本のようにアメリカに親切だったと言えましょう。いわば初級教則本をクリアしたところで、免許皆伝を得たと勘違いしたのがアメリカの悲劇です。
 日本のGHQによる統治は12年間近く続きました。今回のCPAが1年で撤退してしまうのは、それに較べると何やら「お手上げなので放り出す」みたいな趣きがあります。

 今後は多国籍軍が「暫定政府の要請によって駐留する」という形になるそうですが、おそらくそのことに対する暫定政府への突き上げは激しいものとなるでしょう。と言って暫定政府には、自力で全土の治安を維持する能力は当分備わりそうにありません。にっちもさっちも行かなくなるのが眼に見えるようです。
 ともあれ、来年1月までに実施されるとされている総選挙と、それに基づく移行政府がどういうことになるかを注目している必要がありそうです。
 そしてひとつ確実に予想できることは、新政権ができたとしても、全土を制圧した途端、アメリカの言うことは聞かなくなるであろうという一点です。中東で幾度となく繰り返された図式で、アメリカを力としては利用しても、決して心服することはありません。かつてアフガニスタン戦争の時にアメリカはアルカイダを援助し、イラン・イラク戦争の時にはフセインを援助していたという事実を思い出しましょう。中東に親米政権を作らせようというアメリカの目論見は、今までひとつの例外もなく裏切られてきています。
 要するに他国の政争に介入して、自分らに都合の良い政権を作らせようなどと皮算用するのがそもそも間違いなのであって、現代においては、他国との関係は是々非々の大人の付き合いであるべきだということに、ホワイトハウスはいつになったら気がつくのでしょうか。

(2004.6.28.)

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