手塚治虫のマンガの中で、「鉄腕アトム」の生まれた日は2003年の4月7日ということになっているそうです。そんな設定があったとは私は全然憶えていませんでした。 手塚の作ったアニメスタジオ「虫プロ」から近かった高田馬場駅では、そのしばらく前から発車ベルがアトムのメロディーになりました。長いこと、宝塚の手塚記念館のカプセルの中に眠っていたアトムの人形も、その日に起き上がったそうです。その他あちこちでイベントがあったようですし、新作のアニメ「Astro
Boy鉄腕アトム」もフジテレビ系で始まりました。 「鉄腕アトム」が日本のマンガ文化における「古典」であることは論を待ちませんが、それ以上に戦後日本人の科学技術に対するメンタリティを方向づけた重要な作品であることは、唐津一氏とか加藤寛氏とかいった老練な論客たちでも認めています。 諸外国では、「ロボット」という存在に対する価値観は、もともと決して積極的なものとは言えませんでした。
ロボットという言葉が初めてお目見えしたのは、チェコの作家カレル・チャペック(1890ー1938)が1920年に発表した戯曲「RUR(ロッサム社の万能ロボット)」です。チェコ語で「労働」を意味する言葉からチャペックが造語したと言われる「ロボット」は、本来「人造労働者」ということなのでした。 この戯曲におけるロボットは、機械ではなくて、ある学者によって作り出された原形質培養による一種の人工生命です。外見は人間と変わらないけれども、苦痛や感情、恐怖というものを欠いた存在という設定になっています。ロッサム社という企業がこれを大量生産し、人間の労働をすべて肩代わりさせ、人間の方はいつしか生活を愉しむだけの存在となってしまいます。 チャペックは明らかに、労働を放棄することによる人間性の喪失を描こうとしており、限りなく増殖してゆく人工生命「ロボット」はその尖兵として、不気味な存在感を持って読む者に迫ってきます。 現代の眼で見ると、「RUR」はむしろバイオホラーに近い筋書きなのでした。 こういう物語で「ロボット」に接した欧米の人々が、「ロボット」にどこかうさんくさい、不気味なイメージを持ってしまったのも無理はありません。
この「ロボット」という言葉を、人工生命ではなく機械の名称として応用したのが誰だったのかはよくわかりません。日本では当初から「主に金属などの素材で作られた機械仕掛けの自動人形」というイメージの方が強かった気がします。ロボットの概念が日本に持ち込まれるまでのどこかで、イメージの変容があったように思われるのですが……。このあたり、ご存じのかたがおられたらぜひご教示願います。 1950年(昭和25年)にアイザック・アシモフが「わたしはロボット」を書いており、この中で有名なロボット三原則──1.ロボットは人間に危害を加えてはならない 2.ロボットは第1条に反しない範囲で人間の命令に従わなければならない 3.ロボットは第1条・第2条にに反しない範囲でみずからの身を護らなければならない──を提唱しています。この小説では、アシモフはすでにチャペック流のバイオ的なロボットではなく、メカニカルなものをイメージしているらしいのですが、「RUR」から「わたしはロボット」までの30年間に変容があったのは確かなようです。20世紀前半のアメリカでは粗悪なSF雑誌がだいぶ出版されたようなので、そういう場で徐々に「ロボット」の扱いも変化したのかもしれません。 「わたしはロボット」が発表された翌年、手塚治虫は「アトム大使」を描いており、さらに翌1952年(昭和27年)、いよいよ鉄腕アトムが登場します。手塚が発表されたばかりのアシモフの作品を読んだかどうかはわかりませんが、人間のパートナーとしてロボットを位置づけるという視点は両者に共通しており、なんらかの影響があったということは考えられます。
欧米における「ロボット」は皮肉な文明批評家チャペックの作品の中でお目見えし、低俗なパルプ・マガジンの中で市民権を得てゆきました。ロボットのイメージを作ってきたのはいずれも大人の読む本であり、従っていくらアシモフが「人間のパートナーとしてのロボット」を描いても、人々はロボットに対して無条件な親近感を覚えるということにはなりませんでした。 一方日本では、大人たちが「ロボット」の概念をちゃんと把握するより先に、子供の読み物として、「人間の友達」である鉄腕アトムが登場したのです。この差は甚大でした。 子供の頃に親近感を覚えてしまった存在というのは、大人になってもそこから脱することは困難です。鉄腕アトムの活躍に胸躍らせた子供たちは、ロボットへの親近感を抱いたまま大人になり、アトムのようなロボットが居たらいいのにな、という想いを抱き続けます。その中で理科が得意な連中は、アトムのようなロボットが居ないのなら自分たちが作ってやろうと考えはじめるでしょう。 日本の戦後の科学技術の発展、ことにロボット関連技術の世界最先端の発展は、こうしたメンタリティを抜きにしては絶対に語れないと思います。「鉄腕アトムは、日本を変えた」のです。 高校生による「ロボット・コンテスト(略称ロボコン)」が毎年開催されるような国は、日本だけでしょう。技術がどうだ、理科系の成績がどうだと言う以前に、まず「好き」でなければこんなことは続けられません。 アジア諸国の追い上げで、日本の技術力の優位にかげりが見えてきたとの論をなす人もおり、また若者の理系離れを嘆く声もしばしば聞かれます。しかし、いくら国家が総力を挙げて科学技術を奨励しようと、まず人々がそれを「好き」でない限り、長続きはしないのが現実ではないかと私は思います。子供向け娯楽作品にロボットが登場している限り、そして「ロボコン」が存続している限り、日本の技術力は衰退を心配するほどの事態には至らないと信じています。
むろん、手塚治虫の真意は単純な科学技術賛美にあったわけではなく、科学技術というものの限界や、その暴走への警鐘といった内容も、「鉄腕アトム」の中には充分に描かれていました。 そして、そのメッセージはちゃんと子供たちに伝わってきたと思います。どの時代でも、 「科学技術の進展によって人間性を喪っては元も子もないんだよ」 ということを警告する人たちは必ずおり、その警告がどのように受け取られるにせよ、一種の制動作用となってきたのは疑いようがありません。日本の科学技術が、ブレーキの壊れたクルマに喩えられたこともありますけれども、私はそうは思いません。ちゃんと高性能のブレーキとハンドルを備えた高級車だと考えます。その仕様を決定づけたのもやはり「アトム」であったのです。
現実のロボットは、まだまだアトムにはほど遠いものでしかありません。というより、ロボットが人間型である必然性があるのかどうか、よくわかりません。すでに多くの工場では、人間の姿とは似ても似つかない産業用ロボットが大量に稼働していますが、はじめて産業用ロボットを見た人はたいていがっかりするようです。 「人間の単純作業や危険な作業を代行するための道具」としてのロボットであれば、それは確かに人間型をしている必要はないわけですが、それにもかかわらず、多くのロボット工学者の理想はというと、やっぱり人間型ロボットであるらしい。ロボットに二足歩行させるのは非常に難しいそうですが、二足歩行などという、安定度においてきわめて不利な、道具としてほとんど意味のないことをさせようと躍起になっていること自体、人間の「道具」ではなく「パートナー」としての人間型ロボットを究極目標にしている工学者たちの執念を感じます。 AIBOなどのペット型ロボットが登場し、かなりの値段にもかかわらず飛ぶように売れたというのも、「パートナーとしてのロボット」を期待する人がいかに多いかを示しています。 日本人のメンタリティの中では、ロボットは究極的には決して「道具」などではなく、「友達」であるとしか言いようがありません。アトムによって植えつけられ、ドラえもんなど数多くの後続作品によってはぐくまれてきたこのメンタリティこそは、今後とも日本人の進む道を拓き続けてゆくことでしょう。
(2003.4.7.)
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