忘れ得ぬことども

「子供」と「子ども」

I

 最近は「子供」と書くと怒るセンセイ方が居るようです。「子ども」と表記しなくてはいけないのだそうで、学生のレポートなども「子供」と表記していると書き直させられたりするとか。
 言葉狩りはもう日常茶飯事となっていますが、文字狩りまで始まっているのかと暗澹たる気分にさせられます。そういえばしばらく前にどこかの自治体で、

 ──「婦人」の「婦」の字はホウキを持った女性のことであるから、差別的である。今後「婦」の字は使わないことにしたい。

 などという決議がされて、作家の陳舜臣氏が大いに憤慨していたことがありました。「婦」という文字の歴史的経緯も知らないで何を言っているのだというわけです。ちなみにこのツクリの「帚」はただのホウキではなく、神殿を浄める幣(ぬさ)のことで、「婦」というのは本来、高位の巫女だったのでした。古代中国の朝では、爵位の最高位が「婦爵」で、おそらく王の妻の中で特に寵愛が深いとか、当時のことだから巫女的能力が高いとかいう女性に与えられたものであろうとされています。
 かように由緒正しい文字を、なんとなくの字面だけで排斥されてはたまったものではありません。それにたとえ帚が現在の意味でのホウキであろうと、それを持っている女性である「婦」の字が差別的などと見るのは、そもそも掃除をする仕事の人を低く見ている証拠ではありませんか。差別的だと言い出した人の心根こそ差別的になっていると言えましょう。
 しかし、
「それもそうだ」
と同調する愚かな手合いが多かったらしく、今や「看護婦」も「助産婦」も公式名称としては使えなくなりました。男性も進出してきているので、という口実はあるものの、「婦」の字を嫌う一派が居たに違いないと私は睨んでいます。
 「子供」がいかんというのもほとんど同じようなものだとしか考えられません。

 「こども」という言葉は、もともとは「子」の複数です。このサイトの「忘れ得ぬことども」というコーナー名に使われている「ども」ですが、現在では人間に使った場合、「者ども」「野郎ども」といった感じであまり柄の良い言葉とは言えません。
 山上憶良「貧窮問答歌」の中に

 ──妻(め)子どもは 吟(によ)び泣くらむ

 という一節がありますが、ここでは妻と一緒にされていますけれども「子ども」という言葉がすでに使われています。この場合明らかに「妻と子供たち」という意味でしょう。
 「ひとりでも『子ども』」になったのはいつのことからか、よくわかりませんが、たぶん明治になってからではないかと思います。「子」という一音節が言いづらくなって、複数形であった「子ども」が連用されたのでしょうが、最初の頃は「子共」という表記も見え、複数形由来であったことがわかります。
 「子ども」という表記が複数、すなわちchildrenを意味するつもりであるならば私も異存はありません。ただ上に書いたように、あんまり柄の良くない言葉だな、と思うばかりです。
 しかしそうではないでしょう。「供」という文字が「お供」という具合に使われ、それが「従者」の意味であることから、

 ──childは従者ではない。「子供」という表記は彼らを従属物と見なしている差別的表現だ。

 などとふざけたことを言い出したセンセイ方、もしくはお役人が居たに決まっています。
 ちゃんと辞典を調べてから言って貰いたいもので、「供」という文字における「従者」という意味はごく一部でしかありません。「供応」はお客をもてなすこと、「供進」は神様や皇帝に食事や幣帛を差し上げること、「供養」は仏法僧の三宝を敬い香や花・食物などを捧げることです。「供」という文字の基本の意味は「うやうやしく捧げ奉ること」に他なりません。どちらかというと雅字というべき文字であって、一体どこが差別的だというのでしょう。
 「お供」という言葉は、どちらかと言えば「お伴」と表記すべきもので、訓読みが同じところから転化したのであろうと思われます。
 「子供」の表記は、もとの「子共」にニンベンをつけて、childをより人間として扱おうという優しさが感じられるではありませんか。それを「子ども」としては、「野郎ども」のニュアンスに逆戻りです。
 いや、人の考えることは自由ですから、「供」の文字を見て「お供」のイメージしか湧かない想像力貧困な人たちが
「『供』の字をやめて『子ども』と書こうじゃないか」
と主張すること自体は、別に構いません。勝手にやってくれと言いたいところです。
 しかしそれを人に強制して欲しくはありません。
 それが、こんな根拠薄弱な主張を、教育界のセンセイ方が
「それもそうだ」
とあっさり受け容れてしまったのですから救いがたいと思います。そういう人々が「差別的」という言葉に弱いのはわかりますが、あまりといえば情けない話です。
 学生のレポートをそのために書き直させるなど、言語道断という観があります。

 ともあれ私は誰がなんと言っても、断乎として「子供」と表記し続けたいと考える次第です。

(2003.7.31.)


II

 「『子供』と『子ども』」の話題は、「お客様の声」などでかなり反響がありました。皆さんいろいろ調べてくださったりして、私の事実誤認もいくつかわかりましたし、他の人の意見にも接することができ、大変ありがたいと思います。
 自分の書いたことには責任を持つべきでしょうから、いくつか訂正などしておきます。

 まず「子ども」表記の発端ですが、だーこちゃんの調べてくださったところによると、私の推測した「従者のイメージ」から差別語視する人々が生まれたというのはハズレで、ある小学生が
「子供の『供』って字、『お供え物』みたい」
と言ったところから、その担任の先生が問題提起したのだとか。
 しかしこの縁起、なんだか眉唾な気がするのは私だけでしょうか。
 小学生が本当に「お供え物」みたいだから「イヤだ」などということを言い出すものなのか、どうも疑わしいような気がしてなりません。
 たとえそういう児童が居たとしても、それが小学生の多数意見になるとはとても思えません。もし発端の学校でアンケートなどをとって、それが多数意見だったということであれば、アンケートの設問自体がとてつもなく誘導的であったことが想像されます。
 しかも、「お供え物」であれば、「従者」よりもますます「差別表現」の根拠がなくなるではありませんか。まともな先生なら、もし
「『供』の字は『お供え物』みたいでイヤだ」
という児童が居ても、
「お供え物は、神様や仏様に差し上げるんだから、いちばんいいものなんだよ。君たちはいわば『最高のもの』なんだ」
とでもたしなめそうなものですが、いかがでしょう。差別表現どころか、尊敬表現と言ってよいくらいです。
 教育学界の大勢が、この根拠薄弱な差別語視をおおむね認めてしまったというのが、不思議でなりません。

 それから、childの意味で、単数でも「こども」という言い方を始めたのは明治時代くらいからではないか、と言うことを書きましたが、吉会芸術活動促進部主任代行さんが文献を調べてくださり、この言い方は江戸時代からあって、「子供」表記も同様であったとご教示いただきました。大体19世紀はじめ頃から「子供」という表記が始まったようです。その前が「子共」表記だったのは私が書いた通りで、ただ「子共」が複数形であったのかどうかは微妙です。いずれにしろ、18世紀末から19世紀はじめ頃の誰かがニンベンをつけたわけで、その動機はやはり
「こどもは人間なのだから……」
ということだったのではないかと私は推測します。「供」という文字自体の意味をとったというよりも、その字形を借用したと見るべきではないでしょうか。この文字を最初に宛てた人は子供好きの素敵な人だったと思いますし、その表記を受け容れて広めた人々も、きっと心優しい人たちだったに違いありません。
 代行ちゃんのおかげで、「子供」という漢字に対する愛着がますます強まりました。
 ふたたび宣言します。私は誰がなんと言っても、断乎として「子供」と表記し続けたいと考える次第です。

(2003.8.2.)

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