ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の崩御で、次期教皇の選挙などが話題になっていますが、2005年4月6日、またひとりの「王様」が亡くなりました。モナコのレーニエ三世です。映画女優グレース・ケリーとの結婚で「世紀のロマンス」などと騒がれた当人ですね。 ヨーロッパにはまだかなりの数の「王国」が残っています。英国はもちろんですが、大きなところではスペインも王国です。長年君臨してきた独裁者フランコが臨終にあたって、現カルロス国王への政権返上を遺言したのでした。それから北欧のスウェーデン、ノルウェー、デンマーク。オランダとベルギーも王国です。王国(キングダム)は以上7つ。 モナコが入っていないじゃないかと思われる向きもありましょうが、実はこれら王国の他に、大公国(グランド・デューキー)がひとつと、公国(デューキー)が3つ存在します。大公国は「大公」が治める国のことで、ルクセンブルクがこれ。神奈川県くらいの面積しかない小さな国です。公国は「公爵」が治める国で、領域はさらに小さく、アンドラ、モナコ、リヒテンシュタインがいまなおこの体制をとっています。いずれもせいぜいひとつの市町村程度の面積しか持ちません。 ですからモナコ国王というのは実際には王(キング)ではなくて公爵(デューク)であるわけです。ああややこしい。
日本で公爵とか伯爵とかいうと、明治時代になって旧大名家とか、維新の功労者などに与えられたただの「称号」に過ぎないので、同じ言い方なのがかえってわかりづらいのですが、ヨーロッパの爵位はちゃんと実体を伴っています。いや、少なくとも近世までは伴っていました。 公・侯・伯・子・男の爵位があったのはよく知られていますが、いずれも「公領」「侯領」「伯領」などといった領地を持つ存在です。複数の領地を持っている場合もあって、その場合は複数の称号を持つことになります。 王というのはこれらの封建諸侯たちより格上の存在ではありましたが、それでも封建諸侯の大きなものでしかありません。ちょうど、江戸時代の徳川幕府みたいなもので、直接統治できるのは天領、この場合は王領のみで、他の公領や伯領などの内部に干渉することはできませんでした。 例えばジャンヌ・ダルクが活躍した頃、フランス王と、フランス国内にあるはずのオルレアンの大公とがいがみ合っていましたけれども、オルレアン大公というのは別にフランス王の家来なのではなく、格下とはいえ同じ諸侯仲間に過ぎません。徳川家に対する加賀前田家みたいなものです。
シャーロック・ホームズ物語の最初の短編「ボヘミアのスキャンダル」には、ボヘミア(チェコ)の王様が依頼人として登場します。この当時ボヘミアには実際には王様など居なかったので、この人物は本当は誰なのかという詮索がシャーロッキアン諸氏のあいだで蜿蜒と続けられていますが、架空の称号とはいえヨーロッパの爵位というものがどういう趣きのものなのかがわかりやすいと思いますので、ホームズが依頼人の正体を見抜いた時のセリフを引用してみましょう。
──「陛下がひとこともおおせになられぬうちより、私がお目にかかっているのは、ボヘミア世襲君主、カッセル・ファルシュタイン大公、ヴィルヘルム・ゴットシュライヒ・ジギスムント・フォン・オルムシュタイン陛下であると存じ上げておりました」──
つまりこの王様はボヘミアという「王領」の君主であり、カッセル・ファルシュタインという「大公領」の領主でもある存在であったことになります。王族や貴族は結婚などで複雑に結ばれており、ひとりの人間にこういう複数の称号が冠せられるようになるのはそのためでした。ちなみにこの王様は「スカンディナヴィア国王第二王女、ザクセン・メニンゲン公女」であるクロティルド・ロスマンなる女性との結婚を控えており、この結婚がおこなわれればおそらくクロティルド王女は持参金としてなにがしかの領地を与えられるはずで、ボヘミア王はその領地の領主としての第三の称号(ナントカ伯爵といった)をも得ることになったはずです。
ただ、フランスなどでは近世に至って事情が変わるので、これまたややこしくなります。 フランスの国王は16世紀くらいから、徐々に版図(領土ではない)に含まれる諸侯の領地への支配力を強め、経済力および軍事力において彼らを圧倒するに至ります。諸侯はついに自分の領地を維持できなくなり、土地を国王に献上して自分は宮廷官僚のような存在になってゆきます。こうして「王」と、公爵以下の諸侯とのあいだに絶対的な格差がついてしまった状態が、いわゆる絶対王政なのです。絶対王政というものを単なる専制君主制と同一視するのは間違いで、近世ヨーロッパ特有の概念と言わなければなりません。絶対王政下の公爵や伯爵は、ちょうど明治時代の華族と同じようなもので、自ら支配し統治する領地は持たずに、栄誉と富裕さだけを持つ「宮廷貴族」です。 その後ナポレオンの進出によって、ヨーロッパの他の地域でも、広域の「国民国家」を形成しなければならないという気運が高まり、数多くの小さな王国や公領、伯領が分立していたドイツやイタリアなどで、統一の動きが見られるようになってゆきます。ドイツではプロイセン王国が他の国々(例えばバイエルン王国とか)を併合してドイツ帝国を起ち上げました。この「帝」というのは王を含めた諸侯の上に立つ存在にほかなりません。 他の国々でも統合が進み始めますが、それと並行して、王政そのものを廃止して共和国になってしまう地域も出始めるので、これまたややこしいことになります。19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパは、まさに混乱状態で、第一次世界大戦はその中から起こったのでした。
現在は多くの地域が統合されて、それぞれ適正な規模の国家ができていますが、その中でも統一に抵抗、あるいは取りこぼされた部分が残っており、それらが「大公国」や「公国」であるわけです。サンマリーノのように、共和国でも統合に加わらなかったような国もあります。 これらは小なりといえどもれっきとした独立国家ですが、外交権などは近くの大国に委ねていることが多いようです。 当のモナコは外交権をフランスに委任していますが、国家財政などはもちろん自力で切り盛りしています。言うまでもなく、国を挙げて大規模なカジノを経営したり、F1グランプリを開催したりして、訪れる観光客が落としてゆくカネが主要な収入源。そのため国民からは一切税金をとっていません。となると当然ながらモナコ国籍をとりたがる人々が引きも切らないわけですが、そのためには非常に厳しい審査があり、おいそれとは国籍がとれません。 モナコ国籍はそういう意味で一種の特権であり、その特権意識を持った国民に支えられて、モナコの君主制はまず崩れることはないでしょう。 ただ、フランスとの間に取り決めがあり、モナコ君主が跡継ぎ無くして死亡した場合は、国そのものがフランスに併合されることになっているそうです。今回は幸い、アルベール王子(本当は公子)が順当に跡を継ぐことになります。 レーニエ三世の在位は56年に及び、現存の「王様」の中ではタイのプミポン国王に次ぐ長さでした。
(2005.4.6.)
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