2008年末にちょっと旅行をして参りました。年末けっこう忙しくて、旅行どころではない感じでもあったのですが、だからこそ少し落ち着いて、日々の多忙から距離を置いたひとときを過ごしたいとも思いました。 とはいえ、あまり日程も余裕をとれません。一昨年(2007年)は3泊3日(帰りが寝台列車)というスケジュールで、青森の嶽温泉まで湯治に行って参りましたが、今回は1泊2日がせいぜいで、30日31日と出かけてきました。 マダムの父方のお墓が前橋市にありまして、前からお参りに行こうと言っていたのですが、なかなか時間がとれずにいました。この夏には、お墓参りにひっかけて1泊の旅行のプランを立ててみましたが、それも実現することなく、計画を書いたメモだけがパソコンの「マイドキュメント」の中に眠っていました。 この際、それを実行しようではないかということになり、あらためて手配を始めました。 お墓は前橋市内ですが、最寄り駅は上毛電鉄の心臓血管センターです。マダムは今まで、お墓参りの時は必ず義父の運転するクルマで行っていたため、電車での行き方は知りませんでした。前橋までJRで、それから上毛電鉄の中央前橋まで移動して電車に乗り、心臓血管センターで下りて霊園へ行くことにします。そのあたりで昼食をとってから、上毛電鉄の終点である西桐生(にしきりゅう)まで乗り潰し、すぐ近くの桐生からわたらせ渓谷鐵道に乗って足尾へ、そして足尾温泉で一泊。翌日は銅山観光をしてから日光へ抜け、JR直通の特急で帰ってくる、という計画でした。 足尾温泉にはいくつかの宿がありますが、最初考えていた国民宿舎かじか荘はなぜか満室で、その近くの一軒宿「亀村別館」がとれました。かじか荘にあるような露天風呂やサウナルームなどはありませんが、やむを得ません。 帰りの特急「日光8号」は全席指定ですので、これをとれないと仕方がないところでしたが、幸いえきねっとで無事入手。しかし往きに予定していた「草津3号」は指定席が売り切れてしまっていました。とはいえこちらは自由席もあるし、まあ坐れないということはなかろうと思いました。たとえ坐れなくても、さほど苦痛を感じるほどの距離ではありません。特急など乗らずに、快速などでも良いところでしたが、マダムが185系(「草津」「水上」「あかぎ」など、かつて「新特急」と呼ばれたわりとお手軽な特急車輌)に前から乗りたがっていたので、特急券を奮発することにした次第。前橋まで行くのですから本当は「あかぎ」に乗ったほうが都合が良いところだったのですが、あいにく下りの「あかぎ」は夕方しか走りません。朝に出ようとすると「草津」か「水上」に乗るしかないのでした。 指定席が売り切れだった「草津3号」ですが、赤羽から自由席に乗ってみると、しっかり二人掛けの座席がいくつか空いていました。年末の列車では坐れないと思った人々が、早々と指定をとってしまったというわけでしょう。 新前橋で列車を下り、両毛線の電車に乗り換えてひと駅、11時46分に前橋に到着しました。 中央前橋までは1キロちょっと離れています。30分近く余裕をとっておいたので、普通に歩けば充分間に合うはずだったのですが、生憎とお墓参りに必要な、線香やら仏花やらを用意してくることができず、ここで調達しなければなりませんでした。駅前のイトーヨーカドーで簡単に入手できたものの、15分ほどを要してしまい、歩いて間に合うか間に合わないか、実に微妙なタイミングになってしまいました。バスターミナルには何台かバスが停まっていましたが、いずれも中央前橋駅には寄らないそうです。 仕方なく、タクシーで移動することにしました。何しろ上毛電鉄は、30分おきの運転なので、一本逃すとあとのスケジュールに大いに差し支えることになります。この際やむを得ません。 1キロちょっとですから、たちまち到着します。井の頭線そのままの上毛電車に、楽々と乗り込みました。 切符には「中央前橋→赤坂・心臓血管」と書かれていました。「センター」を省略しているのはわかるのですが、目的地が「心臓血管」では、ちょっとギョッとします。 心臓血管センター駅は、もともとは行き違いのための信号所に過ぎず、1994年に循環器病センターという駅になり、病院の名称変更に伴って今の駅名になりました。従って、全線単線の上毛電鉄としては数少ない複線を持つ駅であるわけですが、本来信号所に過ぎなかっただけあって、駅前には商店ひとつありません。近所の住人と、駅名になっている病院に行く人以外は、たぶん霊園を訪れる人くらいしか乗降客は居ないのではありますまいか。 霊園への道は決してわかりやすくありませんが、懇切に道案内の矢印が出ているので、迷う気遣いはありません。ほどなく霊園に着きました。ただし裏側から入ったことになるようです。 マダムはいつもクルマで来ているため、肝心のお墓へは、駐車場のある正門からの道しか憶えていないと言います。そこはたぶん、私の祖父母のお墓などでも、いつもと違う入口から入ったりしたらわけがわからないと思われますので、無理はありません。見当をつけて正門へ向かいました。 幸い、裏門のほうへ戻ることなく、ゆえにさほど効率の悪いこともなく、お墓に辿り着きました。 少し草むしりや掃除をしてからお参りしましたが、意外と時間がかかり、昼食時間にあまり余裕が無くなりました。 昼食は、このあたりをYahooの地図で調べている時に、マダムが 「ここがいい」 と主張した店で食べる予定でしたが、少し急がないと、西桐生へ向かう電車に間に合いません。一本あとの、つまり30分後の電車に乗るとどうなるかと調べてみると、桐生ではもちろん狙った列車に乗れず、次の列車は1時間45分後であることがわかりました。そうすると陽が暮れてしまって、わたらせ渓谷鐵道の車窓がほとんど見えませんし、宿に着いてからもあわただしいことになります。ローカル線を舐めてはいけないのでした。 とはいえ、店に着いて、早そうなランチセットを注文し、メインのスパゲティが来た頃には、5分で食べ終わって店を出なければ電車に乗り損ねるというタイミングになってしまいました。 仕方がありません。ゆっくり行くことにしましょう。 もっとも、多少あがいてはみました。というのは、上毛電鉄からわたらせ渓谷鐵道に乗り換える方法は、必ずしも西桐生──桐生の接続だけではないからです。東武桐生線というのがあって、上毛電鉄とは赤城で、わたらせ渓谷鐵道とは相老(あいおい)で連絡しています。東武線の電車がうまいタイミングであれば、一本あとの電車から、狙ったわたらせ渓谷鐵道の列車への乗り継ぎが可能かもしれません。 手持ちの時刻表では東武の時刻がわかりませんでしたが、携帯電話の乗り換え案内サービスで調べることができました。結果は……残念でした。一本あとの電車が赤城に到着する10分ほど前に東武の電車は発車してしまいます。東武の次の電車はどうかというと、それが相老に着く2分前にわたらせ渓谷鐵道の列車が出てしまう上に、この東武の電車というのは実は特急「りょうもう」で、赤城から相老までのひと駅のために特急料金を払うのはさすがにアホらしいと言わざるを得ません。 明るいうちに足尾へ着くのは諦めるしかないようです。 ゆっくり昼食を済ませて、心臓血管センターよりひとつ前橋寄りの赤坂駅まで歩きました。心臓血管センターに戻るより、そのほうが近かったのです。 赤坂は片面駅で、中央前橋行きも西桐生行きも同じプラットフォームに発着します。ほどなく西桐生へ向かう電車が到着しましたが、行き先表示に「中央前橋」と書いてあったので面食らいました。進行方向は間違いなく西桐生行きなのですが、マダムが信用せず、 「ホントにこれでいいの?」 と訊いてきました。 「いいはずだが」 何度か問答していると、運転士が痺れを切らして 「どこに行きますか」 と訊ねました。 「西桐生」 「じゃあこれで行きますよ」 「いや、表示が中央前橋になってたもんで」 「ありゃ、ほんとですか」 運転室に同乗していたもうひとりの職員が、あわてて確認に走ってゆきました。赤坂は中央前橋から6つめの駅ですが、ここまで誰も表示の間違いを指摘しなかったのかと思うとなんとなく可笑しく、のんびりしているなあと思いました。 さて、この電車で西桐生に行くと、わたらせ渓谷鐵道の列車に乗るまで1時間半近くあります。そんなに待つのなら、いっそその時間に、マダムの亡祖父母が住んでいたあたりを散策してみようかという話になりました。駅としては相老がいちばん近いらしく、それならやはり赤城で下りて、東武でひと駅移動して相老へ行き、そこでわたらせ渓谷鐵道を待てば良いと思われます。 咄嗟の決断でしたが、赤城で下車しました。東武の普通電車が出るまではしばらく時間があるので、辺りをちょっとうろうろしてみました。 すると、この一帯の地図が眼に止まりました。 ふと見てみると、この赤城駅と、わたらせ渓谷鐵道の大間々駅は、きわめて近いようです。縮尺がいい加減な地図だったので、どのくらい近いかはわかりませんが、どうも歩いても行ける程度の距離のように思われました。 時刻表を確認すると、このまま大間々に直行すれば、本来狙っていた列車に乗れそうです。 駅前にはタクシーが一台だけ停まっていました。再び、咄嗟の決断で、タクシーに乗り込みました。 大間々駅までは、1キロあるかないかで、前橋から中央前橋よりも近いくらいでした。時刻表の索引地図だけ見ていると思いつかないルートでした。費用のほうも、2人であることを考えると、実は西桐生廻りとそんなに差はなかったようです。私ひとりなら余分な出費でしたが。 マダムの懐かしの土地を散策するというプランは潰えましたが、よく聞くと、相老駅からどうやって亡祖父母の住んでいたあたりまで行くのか、あまり憶えていないとのことでした。ほとんどクルマで行っていたと思われるので無理もありません。 思いもかけず、最初の計画に復帰できたのは嬉しい限りでした。ただ、一本あとのにすると、季節限定の「イルミネーショントレイン」というのが来て、各駅でLEDで飾り付けたイルミネーションを見ることができるということを、大間々駅に着いてから知り、それもまた良かったかなと思いましたが、まあ宿に着いてからの時間的余裕があるほうが助かります。 やがて大間々駅に入ってきたわたらせ渓谷鐵道の単行ディーゼルカーは、かなりの乗車率で、最初はふたり並んで坐れなかったほどでした。ふたつ先の水沼で、並びの席が空いたので移りました。 この水沼駅、温泉施設が附属していることで有名でしたが、なんとこの12月29日で温泉施設は無期限休館となってしまったようなのでびっくりしました。駅の告示には、いま引き受け手を探しているところだとか。どうも営業成績が芳しくなかったようです。当初は物珍しさで、多くの人が訪れていましたが、似たような趣向の駅が各地に増えて、上諏訪のようにプラットフォームそのものに露天の温泉があるようなのまでできてしまうと、さほど新味もなくなってしまい、最近は利用者が減っていたと思われます。引き受け手が現れなければ、このまま閉鎖となってしまうのでしょう。残念な話ですが、これも時の流れというものでしょうか。 代わって最近アピールしているのが、神戸(ごうど)駅にできた「清流」というレストラン。昔の東武特急の車輌をリサイクルした食堂で、まさに食堂車風のレイアウトが自慢のようです。ただしこの日はすでに年末年始休みに入っていて、オープンしていませんでした。 終点からふたつ手前の通洞(つうどう)で下車します。足尾町の中心です。駅としてはひとつ奧の足尾のほうが、複線のプラットフォームと広い貨物ヤードを備えていて大きく、かつての殷賑ぶりを偲べるのですが、銅山が閉鎖されてからは街の中心が通洞側に移ってきたようです。 宿まではバス路線などが無く、送迎車が来ていました。 渡良瀬川に沿った国道を少し下ります。足尾はこれまで数回来ていて、今回はじめて気がついたのですが、この国道は122号線で、私の家の近くを通っている岩槻街道由来の国道に他なりません。つまり、家の近くの国道をひたすら進めばこの足尾、そして日光へと辿り着けることになり、なんだか不思議な気がしました。岩槻街道は、裏日光街道といった位置と役割を持っていたのかもしれません。 庚申川という支流に沿った山道に分け入ります。数日前雪が降ったようで、だいぶアイスバーンができており、ひやひやしました。この庚申川の上流に、国民宿舎かじか荘、それに今回私たちが泊まった亀村別館があります。ちなみに亀村「本館」は足尾の街中にあり、温泉宿ではありません。 宿の建物は、渓谷の上に突き出したような造りになっており、風の強い日などは不安があるのではないかと思いました。部屋は、一旦中庭に出て、離れのような位置にありました。 客はもうひと組居るようでしたが、男性客は私ひとりだったようで、風呂はいつ入っても独占状態でした。透明なアルカリ単純泉でしたが湯はたっぷりとして、気持ちよく入れましたけれども、湯温がかなり高くて、最初は閉口しました。本来の泉温はあまり高くなく、沸かし湯をしているらしいのですが、ここまで熱くしなくてもと思いました。 夕食後ロビーでくつろいでいると、宿の奥さんが来て、 「野生のタヌキが来てますが、見ませんか」 と言いました。そういえばさっき奥さんが、残飯を土鍋に入れて中庭へ持ってゆくのを見ましたが、タヌキの餌であったようです。このあたりはタヌキやらカモシカやらがよく現れるとのことでした。 中庭に通じるガラス戸から見ると、なるほどかなり大きなタヌキが2匹、黙々と土鍋から餌を食べていました。こちらの気配を感じたか一瞬ひるんだ様子でしたが、しばらくするとまた戻って食べ始めました。 数時間後にもう一度風呂に入ろうと思って中庭を通った時、さっきのと同じヤツかどうかわかりませんが、まだ一匹食べていました。野生ですから、もちろん私が通るとササッと逃げていきましたけれども、あとで土鍋を見るとすっかり空になっていました。 動物を見ていると、なごみますね。 翌朝は9時に宿の亭主がクルマを出してくれました。一晩中雪が降っていて、路面もだいぶ積もっていました。慎重運転で足尾の街中へ下りてゆきます。 銅山観光がもう開いているので、入口まで直接送って貰いました。入場券を買い、小さなトロッコ列車に乗って坑道へ向かいます。 このトロッコ列車、最初はこれまた小さな機関車に牽引されていますが、途中の「ステーション」と称する場所でなぜか切り離します。それからは無動力で坑道まで行けるのかと思ったのですが、そうだとすると回送の時にはまた機関車が来てひっぱってゆかなければなりません。しかし、私たちを坑道に下ろしたトロッコは、そのまま自力で折り返してゆきました。トロッコが自走できるのであれば、機関車はなんのためについているのでしょう。雰囲気を出すだけのためものなのでしょうか。足尾銅山観光にはこれで3回目ですが、急に気になりました。 外は雪がちらつく寒さでしたが、坑道に入るとかえって空気が温んだ感じでした。トンネルの中というのは、一年中あんまり温度が変わらないので、夏は涼しく、冬は暖かいのです。マダムは 「ここに住みたい」 などと言っていましたが、ただ湿気はすごく多くて、この坑道も今なお大量の地下水が湧出しており、天井には波板の屋根が張られて上からの水滴を流していました。 3回目にもなると、展示内容は大体憶えてしまっていて、初めて来たマダムを案内するのがメインみたいになります。 足尾銅山は世界遺産登録を目指しているらしいのですが、さてどんなものでしょうか。1200キロメートル、東京──博多間に相当する長さの坑道は確かにすごいものがありますけれども、一般人の目に触れるのは数百メートルの展示部分だけです。世界遺産としては、その意味ではやや規模が小さすぎる気がします。せめて数層分くらいの坑道を整備して開放し、採掘にあたって結集されたさまざまな叡智を、説明板だけでなく眼に見える形で展示しないと、なかなか国際的な納得を得るのは難しいように思えます。 すでに世界遺産になっているポーランドのヴィエリチカ塩坑などと比較してみるとわかります。ヴィエリチカは開放されている部分も足尾に較べてきわめて大規模なのですが、それ以上に、地下の塩脈を掘り抜いて壮大な礼拝堂まで作ってしまったという、その視覚的効果が人々を感嘆させるわけです。坑道の長さを単純に較べれば、ヴィエリチカは足尾の4分の1くらいだと思いますが、そういう、教えられる数値だけでは、感動というのは生まれにくいものがあります。 今回も数十分で坑内の展示はほぼ見終わり、別館の貨幣鋳造の展示もさほど時間をかけずに見終わり、やや時間をもて余す仕儀となりました。 15時20分くらいのバスで日光へ抜けるつもりでしたが、まだ11時前です。帰りの「日光8号」の指定券はとってありますから、いっそのこと早いバスで日光へ行ってしまい、久しぶりの(私にとっては小学6年の修学旅行以来の)日光見物でもしようかと思いました。 ところが、15時20分頃のバスの一本前はというと、なんと10時10分頃で、これはすでに出てしまっています。足尾町は少し前から日光市と併合して、今ではここも日光市の中なのですが、市の中心部への交通機関が、日中5時間以上存在しないというのは、いかがなものでしょうか。僻村というわけではなく、それなりの規模の町なのですが。 そんなわけで、4時間半ばかり足尾で過ごすはめになりました。足尾のミュージアム的な施設としては他に「足尾歴史館」と「古河掛水倶楽部」というのがありますが、いずれも年末は開いていません。 仕方なく、街中をぶらぶらと歩いてみました。商店なども閉まっているところが多いようです。単に年末だからなのか、それとも水沼の温泉センターのように無期限休業状態なのか、判断しづらいところです。 マダムが、宿の朝食の残りでおにぎりを作ってきていましたので、一軒だけあったコンビニエンスストアで多少の追加の食糧を買い込み、通洞駅の待合室で昼食をとりました。椅子にはカラフルな敷物が置かれていて板の冷たさがなく、テーブルも据えられていて、日当たりも良く、これはこれで何やらのんびりした良い雰囲気です。 それから銅山観光の中の食堂に戻って、ホットココアでしばらく粘り、いよいよすることが無くなってまた通洞駅へ。15時09分に、わたらせ渓谷鐵道の間藤行きが来ます。せっかくなので終点まで乗って、そこでバスを待つことにしました。実は間藤までは歩いても充分行ける程度の距離しかなく、実際私は2度ほどこの区間を歩いたことがありますが、今回は荷物も多いし、連れもあることなので歩くのはやめました。 間藤駅の様子は前回来た時からそう変わっていませんでしたが、宮脇俊三氏のファンの「聖地」となっていたことを初めて知りました。壁に宮脇氏の年譜と、氏の処女作にして代表作である「時刻表2万キロ」の終章のコピーが掲示されています。「時刻表2万キロ」は宮脇氏の国鉄全路線完乗記ですが、その完乗が成立したのが、当時国鉄足尾線の終着駅であったこの間藤駅なのでした。私はもちろん読んだことがあったはずなのですが、足尾線〜わたらせ渓谷鐵道をそういう感覚で捉えたことはありませんでした。謹んで、そこに置かれていたノートに一筆書き込んで、鉄道好きの先達に敬意を表しました。 バスは定刻に訪れ、無事乗り込んで東武日光駅へ。「日光8号」は残念ながら東武のスペーシアではなくJR車輌でしたが、18時過ぎには大宮へ帰ってきました。あわただしい毎日の中で、妙にのんびりとした2日間でした。 (2009.1.1.) |