「営業日誌」のページでは日記のようなことを書き綴っているわけですが、何を隠そう、私は本物の日記も長いことつけています。
小学校の時は半ば強制的に親につけさせられていて、しかも時々点検されるというとんでもねー状態だったもので、中学に入った頃からはしばらくやめていましたが、高校を卒業する年の正月から、また書き始めて、そのまま今に至っています。
実はそれまでも、何度か正月が来るたびに書き始めたこともあったのですが、大体3日坊主で終わりました。
その時の教訓。日記を続けようと思ったら、大学ノートなどに書いてはいけない。なるべく高い日記帳を買って始めること。やめたら損だという気になります。誰にでも通用する教訓ではないと思いますが、私の場合はそれが当たりました。
従って、かれこれ15年書き続けていることになります。
B6判、300ページ内外くらいの、製本のしっかりした日記帳に書いていますが、すでに50冊を数えています。日記帳は表紙が無地で、中身も罫線だけというシンプルなのが好みなのですが、これが意外と入手しずらかったりします。たいていの文房具屋に置いてあるのは、余計な意匠が多すぎて気に入りません。好みの日記帳を手に入れるため、半日歩き回ったことさえあります。この頃は、気に入ったタイプのものを見つけると少し多めに買っておくようにしています。大体一冊1600円くらいして、たかが日記帳にそんなに費すのは馬鹿なようでもありますが、上述の通り、立派な日記帳を買ってこそ書く気になるというわけです。
15年間、ほぼ欠けた日はありません。当日のうちに書けなくても、必ず後日書くようにしています。
ただ、数ヶ月に及ぶ大きなブランクが2回だけあります。やはり、サボり癖がついてしまうといけないようです。
その第2回目は、実はつい先月までのことで、今月1日から再開したばかり。欠けていた時期は、ちょうどHPを作った頃からのことです。「営業日誌」のような、「インターネット上の公開日記」をつけ始めたので、なんだか書く気になれなかったのかもしれません。
15年で、300ページ内外の日記帳が50冊、というので知れる通り、私の日記はやたらと長いので、ひとたび面倒になるとどこまでも限りなく面倒になってしまうおそれがあるのですね。
出来事だけでなく、その出来事に対する考えとかを事細かに書いてしまうのでいけないわけです。特に何もなかった日には、普段気にかかっていることをだらだら考察したり。
だから、過去の日記を読むのはなかなか面白いものがあります。
この頃はこんな考えを持っていたのかとか、この頃はすでにこう考えていたのかとか。
羞しいものもないではありませんが、それはそれで仕方ないでしょう。
私が将来偉くなって、伝記でも書かれるような人になれば、これらの日記は第一級資料になるわけです。しかし、読み通すだけで容易ではありませんね。まあ、そんなに偉くはなりそうもないし、膨大な紙の無駄遣いになる公算の方が大きいですけれど。
しかし、私というごく平々凡々たる一庶民が、20世紀末という時代に、こんなことを思って生きていたという証にはなるかもしれません。
そんなことを思うせいか、多少読者の存在を意識した書き方になることもあります。今のところ実際には、未来の自分自身が読者になるわけです。
私はこれからも日記を書き続けるでしょう。多分一生続けるのではないかと思っています
(1998.4.4.)
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