忘れ得ぬことども

会津磐梯小旅行

 指導している板橋アルモニーという合唱団の親睦旅行で、会津方面へ出かけました。この合唱団は比較的年配の人たちが中心となっているため、演奏の上達という点では悠然としたものですが、歌っていることが楽しそうだという点にかけては、Chorus STなど足許にも寄れないようなところがあります。そして、2年に一遍くらいおこなわれるこの種のレクリエーションでも、かなり贅沢な旅行をやっています。
 今回は、30人足らずの参加者でしたが、大型のバスを借り切って出かけました。

 秋の週末ということで、渋滞になる前に行くところまで行ってしまおうというわけで、出発は8時15分という早さ。私の家から集合場所までは1時間近くかかります。7時半頃に家を出るなど、私の生活の中では滅多に起こり得ない事態です。仕事柄、普通の会社員などに較べると2〜3時間サイクルが遅いので、こういう時には苦労します。
 それでも大体、起きるべき時には起きられる方ではあるのですけれど、うっかり出発時刻を8時半と勘違いしていて、それにしては早めに着いたのですが本来の集合には遅れ、面目を逸しました。
 バスガイド付きで、真っ赤な制服を着た女の子が一生懸命しゃべり続けていましたが、少々混乱気味。言葉がうまく続かず、同じことを何度も繰り返したりしていました。通過する場所の歴史について話すのはよいのですが、敬語がもつれてしまって、「敵のかたがたが押し寄せて来られまして」などと妙なことをおっしゃる。2日間、ひそかにツッコミを入れて楽しませていただきました。

 バスは東北自動車道を順調に走って、宇都宮から日光方面へ向かい、杉並木の旧街道を経て鬼怒川温泉郷を抜け、龍王峡まで行って昼食となりました。予定よりはるかにスムーズだったので、少々早く着きすぎてしまったようでもあります。
 このあたりは紅葉のきれいな場所ではありますが、今年はずいぶん遅くまで暑い日が続き、まったく色がついておりません。道路はスムーズでしたが、駐車場は混んでいて、人もたくさんいました。そのあたりを簡単にひと巡りして、キノコうどんを食べました。

 さらに北上して福島県に入り、奇勝・塔のへつりを見物します。「へつり」というのは山カンムリの下に弗という字を書きます。いまATOK13で検索したら一応ありましたが、HPのエディタに移そうとしたら表示されませんでした。多分ネットでは見えないことが多いでしょう。
 広辞苑で引いたら、「東日本で、山中の岨道(そばみち)、絶壁や川岸などの険阻な路などをいう」とありましたが、この塔のへつり以外にこの言葉を使った例を私は知りません。
 「塔」の方は、塔のような形に風化した巨大な岩が10本あまりも突き立っているからであるようです。無数の地層が水平に積み重なり、そのうち柔らかいところは削れ、五重塔、七重塔のような形となって残っているのです。まるで名工の手にかかったような緻密な造形です。
 思いっきり内陸部なのに、昔は海の中だったことがあるそうで、地層の中に貝殻の化石がたくさん混じっていました。実に奇妙な景観でした。

 それから大内宿を訪ねました。旧会津街道の宿場町で、500メートルほどの一角に、茅葺き屋根などの古い建物が保存されています。
 以前に訪れたことのある人が何人かいましたが、口々に違和感を語っていました。前に来たときはもっと落ち着いた、まさにひなびた雰囲気だったというのです。
 ほとんどすべての家が土産物屋や食堂などの店になってしまっていたのが原因のようで、どうやら数年前にテレビで扱われて以来、すっかりメジャーになって、現地の人たちも商魂たくましくなったらしい。
 寂しい話ですが、今どき古い街並みを保存するなどというのはおそろしく金のかかることで、こうでもしなければやってられないという事情があるのでしょう。とは言っても、あまりにあからさまに観光地化して、生活の匂いのようなものが全くなくなってしまうのはどうかと思います。前に日誌でも取り上げた川越の良さは、蔵屋敷などの古い建物が、今なお住民の生活の場になっているところにあるのであって、なんでも保存すればよいというものではありません。

 宿は、二岐(ふたまた)温泉。いい加減田舎である会津鉄道湯野上温泉駅からさらに車で30分以上入り込んだ秘境と言ってよい温泉郷で、7軒ほどの温泉宿があるに過ぎません。道は舗装もされていない細いもので、暗い林のなかを蜿蜒と続きます。あやうく崖の上に脱輪しかかったことさえあり、バスの運転手のドライブテクが試されるようなすごい所でした。もっとも、新しく開通したもっと安全な道路が他にあることが、あとで判明しましたが……
 そんな山奥ですが、泊まった宿はペンション風の洒落た宿でした。「ガストハオス二岐」といいます。ドイツ語のGasthaus(宿屋)であるのはわかりますが、hausをハウスでなくハオスと表記するあたりに、経営者のこだわりを感じました。
 食事はドイツ風かというとフランス料理だったりしましたが、当地で穫れる野菜や山菜をふんだんに使っています。

 ──山中の温泉宿でフランス料理かぁ?

 と、来る前はちょっとうんざりしていたのですが、予想を裏切って味も大変良好。少なくとも山中の温泉宿でマグロの刺身が出てくるのに較べると、はるかに満足すべきものでした。
 ここの奥さんが東京の音大出で、デザートタイムになると生ピアノを弾くというのが売り物のひとつらしいのですが、私や、同行していた清水雅彦さんの素性を、その前に知ってしまったので、えらくびびっていた模様でした。
 また、合唱団のオバサマ方ときたら遠慮がないので、
「MICセンセイの方がずっとお上手ですよね」とか、
「早くピアノを使わせてくれればいいのに」とか、
あやうく聞こえそうな声で話しているものだから、私は奥さん以上に居たたまれない気分でした。
 そのあとで、ピアノを貸して貰って、合唱団員たちがあれこれ歌いまくるのを伴奏しましたが、ご主人と奥さんがずっと聴いているので、プレッシャーを感じましたねえ。(^_^;;
 そのうち奥さんと連弾をしたりして、私も楽しいことは楽しかったのですが。

 2日間を通じて、基本的には曇り空でしたが、夕方からしばらく晴れ間が見えて、露天風呂に漬かって星空を見ることができました。
 ここの露天風呂は、横になって寝ころんで漬かれるような設計になっていて、枕代わりの丸太まで据えられています。そこに頭を乗せてぼんやり上を見ていると、だんだん立ち上がる気もしなくなってくるのでした。
 私は3回入りましたが、私が温泉魔人というあだ名をつけた団員のSさんは、出立までに実に5回、出たり入ったりしていたそうです。

 日曜は、まず会津若松の街を抜け、鶴ヶ城飯盛山の脇をかすめて裏磐梯に入り、五色沼へ。20年前、中学生の頃に友達と来たことのある曽遊の地で、再訪を楽しみにしていました。
 天気が良いとはいいきれない空模様なので、さまざまな色の効果はいまひとつでしたが、それでも毘沙門沼弁天沼瑠璃沼などの色合いは実にきれいでした。観光客が少なければもっと良かったと思いますが、これは人のことを言えません。
 さらに磐梯吾妻道路で山を越えます。さすがにこのあたりになると山々が色づいています。ここ数日でかなり冷え込んだのがよかったので、あと一週間もすれば見事な紅葉になるだろうと思われました。まだ緑の部分は多いものの、黄色や赤がほどよく配合された感じで、悪くありません。
 吾妻小富士の頂上まで登ってみましたが、すさまじい強風のため、火口の周囲を一周するということはできませんでした。火口まわりの細い道を歩いたりしたら、本当に崖の下へ吹き落とされそうな勢いだったのです。

 福島西インターから東北自動車道に乗り、帰ってきました。帰りは最後の部分でややもたついたものの、やはり渋滞というほどのことはなくて助かりました。連休の次の週末だったせいもあるでしょう。
 自分の土産物以外、ほとんどお金を使わずに済む旅行で、ありがたいことだと思います。今度はどこに行きましょうか?(^o^)

(1999.10.18..)

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