前回は、日本最古のCMソングについて書いたので、欧州のことについても触れておいた方がいいだろう。
16世紀後半、トルコからヨーロッパに紹介された新しい飲料「コーヒー」は、たちまち一世を風靡した。当時はもちろん、豆を挽いてそれに熱湯を注いだトルコ式コーヒーである。ドリップ式のコーヒーが飲まれるようになったのは19世紀からだ。トルコ式コーヒーはよく知られるように、豆の挽きかすが水面にやたらと浮いている。これをよけて飲むために、カップの下にソーサーがおかれるようになった。かすをコーヒーと混ぜないようにそっとソーサーに落としてから飲んだのである。だからコーヒーカップのソーサーには歴史的な意味があるが、ティーカップのソーサーはそれを真似しただけのことと言える。
さて、1652年、パスクァ・ロッセという男が、ロンドンにコーヒー・テントを開き、手軽な社交場として流行になった。後発のコーヒー店も次々と開店し、ロンドンは一躍、コーヒーの香る町となった。これらのコーヒー店は、基本的にあらゆる階級の人間に開かれていた。そのため、革命の温床になりはしないかとおそれた国王チャールズ2世は禁止令を出して弾圧した。かくて、コーヒー普及の中心は大陸に移り、フランスからドイツへと拡がっていった。英国はといえば、今や圧倒的に紅茶の国になっているのはご存じの通り。
当時、ヨーロッパ屈指の商業都市であったライプツィヒでは、すぐにこの流行の飲料を受け入れた。すでに1697年という時期に、市の評議会ではコーヒー店への課税をどうするかが議題になっていたそうだ。
ライプツィヒの商人ツィメルマンは、2軒のコーヒー・ハウスを経営していた。彼の店の売り物は、金曜の夜に開かれる音楽会であった。バウムクーヘンを食べ、コーヒーを飲みながら、いい音楽を聴くという、現在の名曲喫茶の原点のようなことをしていたわけだ。
経営者が考えたのか、常連であった詩人のピカンダーが考えたのか知らないが、この音楽会に、コーヒーそのものを扱った曲をのせることになった。コーヒー思想の普及という意味では、まさにコマーシャルをもくろんだのである。ピカンダーは短い戯曲形式の詩を書くと、これまでも多くの詩を作曲してもらっていた、友人の作曲家に渡した。この作曲家こそ誰あろう、かのヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)その人である。
バッハの音楽は現在でもよくCMのBGMとして使われている。コーヒーのCMでも使われていたが、実はバッハ自身が、コーヒーのCMソングを書いていたのである。
この曲は、カンタータ第211番「おしゃべりはやめて、お静かに」で、「コーヒー・カンタータ」として知られる。
バッハはオペラを1曲も書かなかったが、この曲は、旧弊な親父とその娘、それに語り手という登場人物があって、演技こそないものの、滅法愉快なオペラのようである。
娘が、流行の飲み物であるコーヒーに夢中になっているので、親父はなんとかそれをやめさせようとして、脅したりすかしたりするのだが、全く効果がない。「コーヒーのおいしさったら、千のキスよりまだ甘く、マスカットワインよりなおソフト」とうそぶく娘のアリアは、そのまま卓越したCMソングである。親父は、コーヒーをやめないなら散歩にも行かせない、流行のスカートも買ってやらん、帽子にリボンもつけちゃいかん、等々と並べ立てるが、娘は平気な顔で、コーヒーさえ飲めればそれで結構と言い張る。
そこで親父は、ついに、コーヒーをやめないなら結婚させないと言い出すのである。女性の幸せは結婚以外にはないと考えられていた時代だから、さすがに娘もこれで屈服し、コーヒーはやめるから、いい花婿を捜してきて下さいと言う。
ところが、親父が出て行くや否や、娘は舌を出して、「コーヒーを好きなだけ飲ませてくれる人でなきゃ、結婚なんてするもんですか」と独言するのであった。
「二幸お茶の間ショッピング」の下手糞な演出に較べて、実にハイソでゴージャスなコマーシャル・ドラマと言える。しかも作曲者は「音楽の父」と来ては、もっとも古くかつもっとも豪華なCMなのではあるまいか。
|