「ロンド形式」を考える

 音楽における形式というのはいろいろあって、よく「楽式論」といったような本に上げられているのはたとえば次のようなものです。

 一部形式
 二部形式
 三部形式
 複合三部形式
 ロンド形式
 ソナタ形式
 フーガ形式
 変奏形式

 このうち、最後のフーガと変奏は、楽曲全体の構造というよりも、モティーフの取り扱いかたというカテゴリーに属しますので、他のものとは少々違った意味合いを持っています。
 一部・二部・三部形式と複合三部形式、それにロンドとソナタ……というのが、主な形式構造であり、古典派〜ロマン派あたりの音楽は、ほとんどの作品がこのいずれかに分類されると言って良いでしょう。

 一部形式というのは、「大楽節」がひとつだけで構成される形式のことです。大楽節は楽想のひとまとまりを成すいちばん基本的なフレーズで、それ以上細かくなるとあまり「まとまった」印象を持ち得ません。
 普通は8小節くらいを持ちます。「春が来た」とか「赤とんぼ」とか、ごく短い唱歌や歌曲などがこの形式になります。わらべ唄や戯れ歌になるともっと短い、4小節とか6小節とかいうのも無いではありませんが、そういうのもたいていは圧縮されたり省略されたりした大楽節と分析できます。逆にワルツのような速いテンポを持つ曲の場合は、16小節とか32小節とかでひとつの大楽節を構成しているという場合もあります。
 大楽節にも内部構造があって、たいていは「小楽節」ふたつ(稀に3つ以上)に分けられます。しかし、たいていの場合、小楽節ひとつだけでは音楽がまとまった感じはしません。「春が来た」の前半と後半を考えるとわかりやすいでしょう。
 さらに小楽節にも内部構造があります。「動機」というのがそれです。普通、これが音楽の最小構造とされ、2小節くらいより成っています。ただし、さらに「部分動機」という細かい構造に分けられることがあります。「春が来た」で言えば、冒頭の「春が来た、春が来た」のところは部分動機が2つ連なった動機になっており、次の「どこに来た」のところは部分動機に分割できない動機になっています。いずれにしろ、動機を繰り返したり発展させたりすることで、音楽というものは作り上げられていると考えて良いでしょう。

 二部形式というのは、大楽節がふたつ連なることでできている構造で、「春の小川」「故郷」「紅葉」「冬景色」等々、実例はきわめて豊富です。そこらの歌集でも音楽の教科書でも開けば、いくらでも発見することができるでしょう。
 ふたつの大楽節は、まるで違う形のものであることもありますが、多くの場合、多少の共通点を持っています。例えば各大楽節の後半が同一の形を持っているとか、ひとつめの大楽節の前半がふたつめの大楽節の後半と一致しているとか。
 音楽(のみならず表現一般)の構造は、基本的には「対照」と「統一」によって成り立っています。対照を際立たせようとすればまったく違った楽想を導入すればよく、統一を際立たせようとすれば同じ楽想を繰り返すのが早道です。起承転結とも少し似ていて、転のところで違う要素を入れ、結のところで起承の要素を回想するという構造は容易に思いつくことでしょう。
 「春の小川」がわかりやすいと思います。「春の小川はさらさら流る」「岸のすみれやれんげの花に」のところはほとんど繰り返しで、「匂ひやさしく色美しく」で違ったメロディラインとなり、「咲いてゐるねとささやくごとく」で再び「岸のすみれ」のところと同じメロディが戻ってきます(なおこの歌詞、旧ヴァージョンなので、「習ったのと違う」という向きもあるかもしれません)。A(a・a')B(b・a')という形ですね。
 このように、後半に前半のフレーズが再現される形の二部形式を、「潜伏三部形式」などと呼ぶこともあります。

 三部形式は当然大楽節が3つという形式ですが、ただしその3つのありかたには決まりがあります。
 ABA、という形を持っていなければなりません。
 3つの要素の組み合わせかたとしては、このほかAAB、ABB、ABCという形がありますけれども、AABとABBは、二部形式の前半もしくは後半が繰り返されたものと見なされます。多少の変化がついてAA'BやABB'になっていても同様です。この種の曲は確かに3つの部分から成ってはいますが、三部形式とは呼ばれません。またABCという、同じフレーズが二度と戻ってこない曲が無いわけではありませんけれども、実例は非常に少なく、まあ例外と考えて良さそうです。
 三部形式と言われるのは、最初のフレーズが、対照的なフレーズを経て、もういちど再現されるというABAの形にほぼ限られると言えるでしょう。ひとつにはこのABAという形が、より複雑な形式を構成するための基本構造になっているからでもあります。
 三部形式の楽曲は、日本の唱歌などには少ないのですが、外国の民謡などにはわりとよく見受けられます。

 以上の一部・二部・三部形式は、大楽節が1〜3個ということもあって、基本的には短く、それこそ唱歌や民謡などに用いられる形式です。そのためひっくるめてリート(ドイツ歌曲)形式などと呼ばれることもあります。
 もっと大きなサイズの楽曲を作ろうとする時は、このリート形式を基礎に置いて、それをさまざまな形で組み合わせてゆくという方法がとられます。
 まず複合三部形式
 これも三部形式の一種ですからABAという形をとっています。ただし、そのAやB自体が二部形式や三部形式になっていたり、時にはもっと複雑な形式になっていたりします。
 いちばん典型的なのは、古典的なソナタや交響曲の第3楽章あたりに置かれていることが多いメヌエットです。
 この種のメヌエットは、たいていの場合、トリオという部分を伴っています。メヌエットもトリオも、それぞれ二部形式とか三部形式を持っているのですが、それらが通して演奏されたあと、D.C.(ダ・カーポ=最初に戻る)という記号が置かれて、もういちどメヌエットを演奏して終わるということになっています。これがもっともわかりやすい複合三部形式です。
 ハイドンモーツァルトのメヌエットはほとんどこの形になっており、ベートーヴェンはメヌエットの代わりにスケルツォを導入しましたがやはりこの形を踏襲しました。ダ・カーポにしないで、戻ってきた「A部分」を多少変奏するといった程度の工夫はおこなっていますが、基本構造は変わりません。
 「第九」のスケルツォなどは全部で1000小節近いという厖大な曲になっていますが、それでも複合三部形式です。この曲の主要部分(A)は、なんとそれ自体がソナタ形式になっています。要するにAやBの中にはどんな形式を代入しても構わないわけです。
 ソナタ形式そのものも、複合三部形式の変形と考えて差し支えないかもしれません。ただその内部構造に特別な定型のようなものがあり、その点で単なる複合三部形式とは区別されるのだと言えば妥当でしょう。

 さて、ロンド形式というのは、本来は舞曲から来ています。漢字で「輪舞」と書いたところに「ロンド」とルビを振っているのを見たことがあるかもしれません。
 正確に言えば輪舞と呼ばれるのは「ロンドーRondeaux」という舞曲です。形式のほうのロンドはRondoなので、概念としては少し違うようです。
 「ロンドー」はある決まったフレーズが何度も繰り返されるあいだに、次々と違う楽想がはさみこまれてゆくという形を持つ舞曲です。こう言うとややこしそうですが、リフレインがずっと一緒で、それ以外のところが変わってゆくと考えればわかりやすいでしょう。ただ冒頭にリフレインが1度登場するので、形としては

 ABACADAEAFA……

 となります。リフレイン、つまりAが狭義のロンドーであり、次々挿入されるB、C、D、E……はクプレとかエピソードとか呼ばれます。
 クープランラモの曲にはしばしば見られますし、バッハなら『パルティータ』第2番のロンドーを見れば構造がわかりやすいと思います。
 バロック期までは、クプレは次々と新しいものが導入されるのが普通でしたが、古典期に入って、少し整理されます。もう少し形を調えようという機運が高まったわけです。
 その結果、第二のフレーズである「B」をまた登場させるというアイディアが出てきました。つまり、

 ABACABA

 というような形です。
 こうすると、CをはさんでABAという形が繰り返されるわけです。そうすると、

 A(ABA)-B(C)-A(ABA)

 といったように、複合三部形式のAの部分に「ABA」を代入したみたいな形になりました。むしろ複合三部形式との区別がよくわからないようなことにさえなっています。
 そこで、主にベートーヴェンですが、この形のロンド形式に、ソナタ形式の要素を加味するということを思いついたのでした。
 つまり、Aを第一主題と見なし、Bを第二主題と見なします。そうすると、AとBは対照的な楽想を持ち、何より調性が異なるという顕著な特性を持つことになります。そしてこれが再現される時には、ソナタ形式の場合と同じく、Bの調性がAのそれに統一されます。こうすれば複合三部形式のような単純な繰り返しではなく、変化を持たせることができます。AとBの調関係が提示部と再現部で異なるとなれば、そのふたつの主題をつなぐブリッジ(推移)の部分も当然変わってきますから、だいぶ多様な変化を与えられます。
 このように処理したロンド形式を、特にロンドソナタ形式と呼んでいます。ベートーヴェンがソナタなどの終楽章に好んで用いた形式です。
 ロンドソナタ形式にも2種類あり、ベートーヴェンが用いた初期のものは、Cの部分がAともBとも異なる「中間部」となっていましたが、中期に入ろうとするあたりから、Cの部分はAやBの要素をさまざまに展開させて構成する「展開部」であることが多くなりました。こうなると、ソナタ形式との違いは、提示部や再現部において、第二主題のあとに第一主題がもう一度置かれているかどうか、それだけということになります。再現部の最後のAは省略されたりコーダと一体化したりすることも多いので、事実上は提示部の形だけにかかってくるとも言えます。
 ヴェーバー「華麗なるロンド」なども、この究極的な形のロンドソナタ形式と考えられます。ただしこれは、提示部におけるAの再現がかなり鮮やかなので、聴いた印象はソナタ形式というよりやはりロンドであろうと思われます。

 このようにソナタ形式寄りになっていったロンド形式がある一方、もっとシンプルなものも作られました。

 ABACA

 とか、もっと要素を節約して

 ABABA

 というのもあります。
 ハイドンのロンドには、ABABAというものもちょくちょく見受けられます。ただし、AもBも2度目以降は変奏されることが多いようです。ベートーヴェンで言えば「第九」の第3楽章などがこの形式と言えるでしょう。
 ショパンのピアノソナタ第3番の終楽章は、ABABAというもっともシンプルなロンド形式を用いつつ、とてつもない迫力と昂揚感を備えた名曲です。もちろん単純な繰り返しではなく、調性をその都度変えてゆくという工夫を加え、またAの部分なども出てくるたびに伴奏型を違えてどんどんテンションを上げていますが、それにしてもこんな単純な形式でよくここまで盛り上げられたものだと感心するばかりです。
 構成の明快さではショパンに一歩を譲りますが、メンデルスゾーン「ロンド・カプリチオーゾ」も同様です。
 一方ABACAという形はモーツァルトがよく使っています。Bに較べてCの独立性がより鮮やかで、より長いということが多いようです。

 私がいちばん遅くまで理解が届かなかった形式はロンドソナタ形式でした。ロンドソナタ形式で書いたつもりが、ただのロンド形式だったということもあります。調性関係が自分の中で整理できていなかったのでした。子供の頃から座右の書としていた石桁真礼生先生の「楽式論」に、ロンドソナタ形式の明快な解説がなかったせいでもあります。ちゃんと理解し納得したのは30を過ぎてからではなかったかと思います。
 それはそれとして、自分の作品の中でソナタ形式を援用することはわりとよくあるのに、考えてみるとロンド形式というのはあんまり使っていないような気がします。現代において型どおりのロンド形式にはさほど魅力が無いのかもしれませんが、「幾度も繰り返されるモティーフ」という考えかたに拡張すれば、いろいろ使い道もありそうです。いずれ試してみようかと思います。

(2015.3.7.)


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