「ソナタ」について考えたときに、「協奏曲」についても少し触れました。大バッハ(ヨハン・ゼバスティアン)の息子たち、ヨハン・クリストフとかカール・フィリップ・エマヌエルとかが、バロック・ソナタの形から離れた古典派的なソナタの形を作り上げるにあたって、協奏曲のスタイルを参考にしたのではないかという考察をしてみたのでした。
もういちど確認してみますと、バロック・ソナタというのは基本的に四楽章を持ち、それぞれの楽章は緩・急・緩・急という速度構成になっており、第一楽章は序曲風で堂々としつつもそれほど長くなく、むしろ第二楽章に重みが来る感じで、さらにアリア風の第三楽章、華やかで常動的な第四楽章という性格を持っていました。 これに対し、古典派ソナタは基本的に三楽章で(ベートーヴェン以前)、急・緩・急という速度構成であり、第一楽章に重みがきてここが徐々にソナタ形式になってゆきます。第二楽章はシンプルな伴奏の上にのびやかに歌われる旋律というものが多く、第三楽章はバロック・ソナタの第四楽章に似て華々しいフィナーレという性格です。 この楽章構成は、バロック・ソナタよりはむしろ協奏曲に近いように思えます。 協奏曲というのもずいぶんと長い歴史を持つ曲種で、交響曲などよりだいぶ古くからあります。いや、シンフォニアという名前の曲はだいぶ古くからありますが、バロック期のシンフォニアというのはいまで言う交響曲とは違う概念です。バッハは三声のインヴェンションのことをシンフォニアと呼びましたし、そうでなくとも単に「合奏」というほどの意味で、大規模なオーケストラによる楽曲というわけではありませんでした。 まあそれを言えば、協奏曲(コンチェルト)というのも、最初からいまと同じ概念であったわけでもなさそうです。「演奏会(コンサート)」という言葉とごく似た綴りであることでわかるとおり、おそらく当初は、お客を集めて音楽を聴かせること自体をコンチェルトと呼んでいたのではないでしょうか。 ルネサンス期には、無伴奏が基本であった合唱に、オルガンなどが伴奏として加わる形態をコンチェルトと称していたようです。声楽と器楽の「協奏」であり「競争」だったわけですね。 しかしその後、バロック期になると、合唱はともかく、独唱や重唱に器楽が伴奏としてつくのは普通になります。 私はルネサンス期とバロック期のこの差を、三十年戦争などの影響による人口減が原因であろうと考えています。三十年戦争ではドイツの人口が3分の1になってしまったとも言われるほどで、それは戦死者というよりも、戦いで荒廃した街や村が放置されることでペストなどの伝染病の温床となったためでしょう。死者の屍も、弔う人もなく野ざらしになっていたのでしょうから、それは病気も蔓延するはずです。 こういう状況なので、もはや大人数を一箇所に集めなければならない合唱音楽を続けることは困難になっていたと思われます。また合唱音楽のスポンサーであったカトリック教会の凋落もはじまっていました。 音楽にしても、少人数で聴くに足る演奏であることが要求されたことでしょう。教会に代わって音楽のパトロンとなった諸侯の城館などでは、まだ教会が集めたような大人数を揃えることはできなかったはずです。そもそも揃えようにも人口が減って、それどころではありませんでした。 バロック期に至って、独唱曲(モノディー)が急に発達しはじめたのはそのためでしょうし、器楽曲の隆盛も同じ理由からであったと思います。声楽よりも器楽のほうが、少ない人数で充実した音響を得ることが容易であるからです。 そんな中から、かつての声楽コンチェルトと同じように、「独奏者」もしくは「重奏者」を「他の楽器奏者たち」が「伴奏する」という形態が生まれたと考えても不思議ではありません。そしてそういう形態のものを、同じく「コンチェルト」と呼んだのでしょう。 ヴィヴァルディの『四季』やバッハのブランデンブルク協奏曲などのような形に整理されたのは、バロックも末期近くのことであったでしょうが、ともかく17世紀を通して、だんだんに形が定まってきたと考えるのが妥当です。 バロック協奏曲の特徴的な概念としては、形態のひとつとしての「合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)」、それから楽章の形式のひとつとしての「リトルネッロ形式」というのがあります。
合奏協奏曲は、ソリストが複数居る協奏曲で、普通はそのソリストたちだけでもひとまとまりの音楽体(コンチェルティーノ)を形作れるようになっています。上に書いた「重奏者とその伴奏」という形のなごりですね。例えばヴァイオリン2本とヴィオラというような組み合わせで、この3挺だけによって演奏される部分と、他のオーケストラが一緒に加わる部分が交互に来たりします。この「交互にくる」のがリトルネッロ形式で、ロンド形式と少し似ていますが、主題の対照であるとかそういったことが考慮されているわけではないので、似て非なるものというところでしょうか。 ちなみに『四季』も合奏協奏曲と呼ばれることがありますが、ヴィヴァルディ自身が単に協奏曲と記しているので、これは誤りと言って良さそうです。もっとも独奏ヴァイオリンでない、オーケストラの中のヴァイオリンがソロ楽器風に扱われることもあり、そういうところを見て合奏協奏曲であると判断されるのも、まあ無理はないのですが。 『四季』はどれもヴァイオリン協奏曲という形をとっていますが、これがブランデンブルク協奏曲になると、各曲が全部違う形態と言っても良いような多様性を見せています。いろんな機会に書いた作品なのでしょう。 第1番ヘ長調は、弦楽合奏とオーボエ3本、ホルン2本という編成を持っており、どの楽器が独奏またはコンチェルティーノにあたるのかよくわからない曲です。楽章数も、通常の三楽章のあとにメヌエットを加えた四楽章になっており、他の5曲とは区別して考えるべきだという研究者も居ます。 第2番ヘ長調は、トランペット・フルート・オーボエ・ヴァイオリンの4楽器がコンチェルティーノを形成している合唱協奏曲です。第二楽章はトランペットを欠いた3楽器と通奏低音だけによって書かれ、オーケストラは参加しません。 第3番ト長調はブランデンブルク協奏曲のうちでは演奏機会の多い有名な曲ですが、不思議な編成を持っています。3挺ずつのヴァイオリン・ヴィオラ・チェロが、時にはコンチェルティーノのようになり、時にはオーケストラのようになりつつ進行してゆくというものです。こういうのをコンチェルト・シンフォニアと呼んだりすることもあるようです。また、楽譜上の第二楽章が、和音が2つ並ぶだけで終わっているというのも特異で、おそらくハープシコード奏者が即興演奏をおこなったのだろうと考えられています。 第4番ト長調はヴァイオリン協奏曲ですが、オーケストラに2本のフルートが加わっており、このフルートもときおりソロ楽器のように振る舞うので、合奏協奏曲風でもあります。 第5番ニ長調も有名な曲で、形態としてはヴァイオリンとフルート・トラヴェルソ(縦笛)をコンチェルティーノとする合奏協奏曲のようですが、実は普通の協奏曲では通奏低音に基づいて和音を補強しているだけの、縁の下の力持ち的な存在であるハープシコードが大活躍する、ハープシコード協奏曲と呼んでも良いような内容になっています。この曲に関してはバッハ自身がハープシコードを弾いたらしく、そのため通常バッハが務めていた第二ヴァイオリンを弾く人が居なくなり、従ってこの曲のオーケストラには第二ヴァイオリンのパートがありません。オーケストラと言っても、この頃のは各パートせいぜいひとりかふたりに過ぎなかったことがわかります。 第6番変ロ長調は、ヴァイオリンを用いず、この頃すでに時代遅れとなりつつあったヴィオラ・ダ・ブラッチオとヴィオラ・ダ・ガンバを2挺ずつ使う編成となっています。ソロ楽器と呼べるほど独立しているパートは見当たらず、要するに「合奏曲」であるようです。 バッハはこの他にハープシコード協奏曲なども書いていますが、注目すべきは、「ひとりで演奏する協奏曲」も書いているという点でしょう。 ヴィヴァルディの作品を編曲した「オルガン協奏曲」は、オルガンとオーケストラという編成によるものではなく、オルガン奏者がひとりで演奏します。そしてハープシコードのためには、有名な「イタリア協奏曲」が書かれています。 「イタリア協奏曲」の譜面には随所に「forte」「piano」という指示が書かれていて、ハープシコードはピアノと違って奏法による強弱はつけられない楽器ですので、この指示は「フォルテ鍵盤」と「ピアノ鍵盤」という2種類の鍵盤を意味します。フォルテ鍵盤のキーを叩くと、2本の弦が同時に鳴るようになっており、ピアノ鍵盤のほうは1本の弦だけが鳴る仕組みです。2倍の大きさの音になるわけではありませんが、聴いた感じだいぶ音の拡がりが違います。つまりフォルテ鍵盤をオーケストラに、ピアノ鍵盤をコンチェルティーノになぞらえた「協奏曲」であるわけです。 「ひとりで演奏する協奏曲」の存在は、バッハの時代になってもまだ、コンチェルトという言葉が必ずしも今日的な概念と一致するものではなかったということを意味しています。 そしてたぶん、この種の「ひとりで演奏する協奏曲」が、その後の古典派的ソナタの萌芽となって行ったのではないかと私は推測しています。 はたして今日的意味のコンチェルト──独奏楽器とオーケストラが「協調」し「競争」する音楽で、ある決まった形式を備えたもの──が確立されたのはいつ頃でしょうか。 ハイドンはすでにピアノ協奏曲をたくさん書いていますし、モーツァルトに至っては27曲のピアノ協奏曲と、ピアノソナタよりも多い数を書いています。 たぶんこのあたりも、バッハの息子たちが中心となって整備して行ったのでしょうが、彼らの作品の全貌はまだよくわかっていないため、正確に道筋をたどることは難しいかもしれません。 とにかくハイドンやモーツァルトの後期の協奏曲になると、ほぼ定型と言って良い「古典派型協奏曲」が出来上がっていることがわかります。 まず楽章構成は、バロック期と同様、三楽章を持ちます。交響曲や室内楽曲が四楽章になって行ったのに対し、協奏曲は三楽章制を保持しました。「協奏曲といえば三楽章」という固定観念が抜きがたくあったのかもしれません。 第一楽章は、バロック期に多用されたリトルネッロ形式ではなく、古典派らしくソナタ形式ということになりましたが、一種独特のソナタ形式で、わざわざ「協奏曲的ソナタ形式」と呼び分けることもあります。普通のソナタ形式と異なるところを挙げると、まず呈示部がふたつあるところでしょう。最初の呈示部はオーケストラだけで演奏され、普通のソナタ形式であれば別の調によって提示される第二主題も、転調せずに最初の調で登場します。 それで一旦呈示部が完結してから、独奏楽器が颯爽と登場します。当時は独奏者が指揮者を兼ねることが多かったので、最初はオーケストラを指揮していて、ひと段落ついたところでみずから演奏しはじめるというのが基本スタイルだったのでしょう。 独奏楽器を交えての第二呈示部は、しばしば華麗な変奏を伴ったりしつつ、今度はしっかり転調して第二主題を迎えます。 こういう構造であるため、古典派時代のソナタや交響曲の第一楽章によく見られる、呈示部をリピート記号でまるごと繰り返すということは、協奏曲の場合にはほとんど見られません。 このあと展開部から再現部にかけては、普通のソナタ形式とあまり変わりません。 しかし、再現部の後半、もうそろそろ終わりにかかるかというあたりで、一旦オーケストラが休止し、独奏者が自分のテクニックを誇示するかのように弾きまくる部分が出てきます。オペラのアリアなどでも見られますが、この部分をカデンツァと呼びます。本来は譜面には書かれず、独奏者が即興演奏していました。ベートーヴェンの途中まではそういう形でしたが、わりと大同小異なものになってしまったり、逆にふくらませすぎて収拾がつかなくなるようなことが頻出したためか、やがて作曲者が最初から譜面に書いておくようになりました。また、古典の協奏曲のカデンツァを、後世の作曲家が作るということもおこなわれています。 即興演奏であるので、カデンツァはいつ終わるのかわかりません。オーケストラはどうやって再開のときを知ったのかと言えば、独奏者によってあるサインが示されるのでした。それはたいてい、派手なトリルであることが多く、ある決まった場所でトリルがはじまったら、オーケストラ再開の合図ということになっています。 第二楽章はいろんなスタイルが用いられましたが、オーケストラはわりと控えめで、独奏楽器が主に活躍するというものが多かったようです。 第三楽章は伝統どおり華やかなフィナーレといった曲想のものが多くなっています。形式としてはロンド形式やロンドソナタ形式が多く使われ、その割合はソナタや交響曲の場合よりも多いかもしれません。ソナタや交響曲では、終楽章にもソナタ形式を用いるということがしばしば見られるのですが、協奏曲の終楽章にソナタ形式が用いられた例はあまり見当たらないのでした。 なお、第三楽章の終わり近くにもカデンツァが置かれることがあります。 以上が、古典派時代に確立した協奏曲特有の構造であり、基本的には近現代まで受け継がれています。 この協奏曲というジャンルも、ベートーヴェンによってさらなる発展を遂げたと言って良いでしょう。 ベートーヴェンは交響曲の数も、ハイドンやモーツァルトに較べるとだいぶ少ないのですが、協奏曲もかなり数を減らしています。ピアノ協奏曲が5曲、ヴァイオリン協奏曲が1曲、それにピアノ・ヴァイオリン・チェロのための三重協奏曲と、ピアノと合唱とオーケストラによる「合唱幻想曲」くらいしか書いていません。やはりいろいろと考えるところがあって、モーツァルトのようには書き飛ばせなかったと思われます。 ピアノ協奏曲第4番あたりから、どうやら新境地を開拓したようです。まず、オーケストラだけによる第一呈示部というものが無くなり、冒頭から独奏楽器であるピアノが登場します。ひとつにはそろそろ「作曲者」と「独奏者」と「指揮者」とが分離するようになってきたという事情があったかもしれません。この曲の初演状況はいまひとつはっきりしませんが、ベートーヴェンは耳が聞こえづらくなってきた時期ですし、自分でピアノを弾いたり指揮をしたりはしなかったのではないでしょうか。 また、それまでの協奏曲では、独奏楽器が入ると、オーケストラは控えめに伴奏にまわることが普通だったのですが、この協奏曲ではピアノが鳴っている部分でもオーケストラがかなり活躍し、時にはピアノが「オーケストラの中の楽器」みたいに扱われているところも出てきました。真の意味で「オーケストラの中の楽器としてのピアノ」という存在が現れたのは20世紀に入ってからですが、この第4番にはその萌芽が見られます。 そして第5番「皇帝」。この曲は「ふたつの呈示部」の形式に戻りましたが、その前の序奏で、独奏ピアノが爆発的な勢いで入ります。この「序奏カデンツァ」的なピアノの入りかたはよほど印象的だったようで、のちにシューマンやグリークが自分のピアノ協奏曲で真似をしています。 ともあれ、ベートーヴェンは第4番・第5番によって、協奏曲というものを交響曲に比肩する地位まで引き上げたと言っても過言ではありません。 ピアノ協奏曲をたくさん書いていても良さそうなのに書いた形跡が無いのが、クレメンティとシューベルトのふたりです。クレメンティはみずから卓越したピアニストであり、ピアノソナタも交響曲もずいぶん書いたのに、なぜかピアノ協奏曲は書いていないようです。 またベートーヴェン大好きなシューベルトがこのジャンルに手を染めていないのも不思議ですが、自分自身があまりピアノが上手でなかったせいでもあるでしょう。 メンデルスゾーンはヴァイオリンやピアノの協奏曲をいくつも書いていますが、少年時代の作品であるピアノ協奏曲イ短調やヴァイオリン協奏曲第2番以外は、すでに「協奏曲的ソナタ形式」は棄てられており、独奏楽器は最初から登場するようになっています。一方ショパンのピアノ協奏曲2曲は、若い頃の作品であるせいもありますが、まだ協奏曲的ソナタ形式が適用されています。オーケストラの扱いが控えめであるのも、若書きであるせいでしょう。有名なほうの第1番には、「ピアノ七重奏ヴァージョン」というものがあり、オーケストラの部分が弦楽六重奏の形に編曲されています。ショパン自身が編曲したという説と、後年誰かが編曲したのだという説がありますが、いずれにしろずいぶんシンプルになっていると思いきや、 「これで充分なんじゃないか?」 と言われてしまうほどなのでした。それくらい、ショパンの協奏曲におけるオーケストラは内容が薄いということになりそうです。 ショパンにはもうひとつ、「ピアノとオーケストラのためのアンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」という「協奏的作品」がありますが、こちらに至ってはしばしばオーケストラを省略してピアノだけで弾かれるほどで、やはり彼はオーケストラ使いには馴れていなかったと考えて良さそうです。 上に出た「協奏的作品」というのもロマン派時代には書かれるようになりました。ブルッフのスコットランド幻想曲とか、フランクの交響的変奏曲、それにラフマニノフの「パガニーニ・ラプソディ」などが好例でしょう。ソナタ構造を持たない、独立した楽曲として書かれた、独奏楽器とオーケストラのための作品です。交響曲に対する交響詩のようなものと説明しても良いかもしれません。ただし交響詩というのは文学的あるいは絵画的な内容を込められていることが多く、標題を持つことが普通であるのに対し、協奏的作品は上の例を見てわかるとおり、むしろさほどの標題性を持たないことが多いようです。むしろ現代の範囲に入ってから、「ピアノとオーケストラのための○○○」といった、標題的タイトルの曲が増えたようでもあります。私の師である八村義夫先生の『錯乱の論理』などももちろん協奏的作品のひとつということになります。 これに対し、古典的な意味での協奏曲もいまでも書かれており、「交響曲」とか「ソナタ」とかより多いくらいですが、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」となるとよくわからなくなります。それって交響曲ということじゃないの、と問いたくなります。 バルトークはUSAに渡って以来創作力が極端に落ち、ほとんど作曲をしていませんでしたが、クーゼヴィツキの委嘱によりこの曲を書き、それがいわば復活ののろしとなりました。彼は知人から、 「ブランデンブルク協奏曲みたいなものを書いたらどうだい」 と奨められたという話があります。「管弦楽のための協奏曲」における楽器の使いかたは、確かにブランデンブルク協奏曲のひそみに倣ったように思われるところもあります。特定の独奏楽器を持たないブランデンブルク第1番や第3番のような様式をモダンな響きの中に込めたのかもしれません。その意味では確かに「協奏曲」であったのでしょう。管弦楽の響きの総和としての「交響的(シンフォニック)な」音よりも、各楽器の「独奏的(ソリスティック)な」用いかたを優先させたというところでしょうか。 作曲家の心情からしても、「交響曲」とか「ソナタ」と名乗る曲を書くのは、ある種の覚悟というかハードルみたいなものが感じられるのに対し、「○○協奏曲」「○○とオーケストラのための云々」といったタイトルは、わりと名乗るのに抵抗が少ないような気がしてなりません。 そう考えてみると、協奏曲という音楽形態は、もしかしたらもっとも生命力の長い曲種ということになるのかもしれません。
(2017.2.21.)
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