現代音楽では、いわゆるノイズ(噪《そう》音……「騒音」ではない)を使うこともありますし、打楽器の多くは決まった音程がなかったりしますが、メロディーや和音を作るためには「楽音(トーン)」が必要です。これは西洋音楽だけではなく、世界中どこの民族でも同様です。 インド音楽、アラブ音楽、ガムラン、アフリカ音楽、インディアンの音楽、太平洋の島々の音楽など、それぞれに特徴がありますが、太鼓だけによったりする一部の音楽を除いては、どれも特有の楽音を用います。 その中でオクターブという概念は、だいたいどこにでもあるようです。管の長さや弦の長さを半分にすることで得られる音が、元の音と高さは違えど同質のものだという感覚は普遍的なのでしょう。 そのオクターブの中をどのように分割するかというところで、民族的な特徴が出てきます。 西洋音楽、それから中国文明圏の音楽では、オクターブを12に分割します。 わが日本は中国文明圏とは別個の独立した文明圏だという考えかたもありますが、文化的なことで多大な影響をこうむっていることは否定できません。音楽にしても、自然発生的なわらべ歌や民謡はともかくとして、ある程度システマティックなことについては、唐から伝わった楽器や楽曲がその原型になっています。 従って、日本の音楽も、基本的にはオクターブを12に分けた音組織によって構成されていると考えて差し支えありません。西洋音楽をわりにあっさり受容できたのも、そういう根本的なところが似ていたからでしょう。アラブ音楽などではオクターブを7等分したり9等分したりした音組織が使われているので、われわれの耳にはどうも馴染みにくいようです。つまり、「なんだか調律が狂っているように感じてしまう」わけです。そういう音楽はそれなりに面白いのですが、私たちが気軽に口ずさんだりするのには向きません。
それで馴染み深い12等分の音の話に限定しますが、西洋音楽にしろ東洋音楽にしろ、その12の音を全部使うわけではありません。いや、近代になって、12の音を均等に使おうではないかという十二音技法というのが出てはきましたが、それはあくまで理論先行で、やってみたら案外面白かったというだけの話です。自然発生的に出てきたというものではありません。 西洋音楽では、12の音のうちから、7つを使って「音階」を作るという方式が採られました。採られた、と言っても誰かが「採用した」わけではなくて、何百年もの時をかけてだんだんそうなって行ったということです。 同様に、東洋音楽(この場合は東南アジアや中東などを含まず、主に中国文明圏の音楽を指すことにします)では5つが使われるのが標準です。これも「音階」なのですが、「旋法」という呼びかたをすることが多いようです。 西洋音楽の「7音階」の代表は言うまでもなく「ドレミファソラシ」で、ピアノの白鍵になっている音です。これを長音階、その中でもハ調長音階(略称「ハ長調」)と呼びます。 一方東洋音楽の「5音階」の代表は、「宮商角徴羽」の5音で作られる律音階です。この5音はドレミに翻訳すると「ドレミソラ」、いわゆる「ヨナ抜き音階」です。ただこれだけだと色彩的変化に乏しいので、「変宮」と「変徴」を加えた7音の音階になることもあります。変宮はシ、変徴はファ#に相当します。順番に並べると「ドレミファ#ソラシ」で、あとで触れるリディア旋法と一致します。
さて、長音階というのは、基準となる音(主音)を1番とした場合、1・3・5・6・8・10・12番の音を選んで構成される音階です。この1番の音をどれにするかによって、ト長調、変ホ長調などと名前が変わりますが、これらの順番の音が使われることには違いがありません。ト長調は正式には「ト調長音階」、変ホ長調は「変ホ調長音階」となります。つまり、基準となる音によって変わってくるのは「調」ということです。カラオケなどで、元の歌よりも下げたり上げたりすることを「キーを変える」と言いますが、この「キー」が「調」にあたる英語です。ピアノやオルガンの鍵盤(キー、キーボード)からの言葉でしょう。 これに対し、短音階というのもあります。これはキーが違うだけではなくて、音階を構成する音の順番が異なっています。上の言いかたであれば、1・3・4・6・8・9・11番の音を使うわけで、長音階とは質的に異なっていることがわかります。長音階は英語ではメジャー(major)、短音階はマイナー(minor)と言います。というよりメジャー・マイナーを訳して長音階・短音階と言っているわけです。どこがメジャーでありマイナーであるかと言えば、音階の3番目の音の番号を較べると、長調は5、短調は4となっており、数字が多いほうをメジャー、少ないほうをマイナーと呼んだだけのことです。 長音階と短音階は、構成する音の配置が違っており、これを「旋法が異なる」という言いかたで表します。旋法(モード)というのは、詳しく定義しようとするとまた大変なのですが、簡単に言えば、オクターブの12の音のうち、どの配置の音を選ぶかによって決まると考えて良いでしょう。 バロック期から古典派・ロマン派の時代を経て確立された「機能調性」のシステムでは、長音階と短音階の2種類の旋法しか使われませんが、実際の音楽ではもっといろいろな旋法が現れます。 中世の教会で、オルガンの鍵盤をいじることで、いくつかの名前のついた旋法が発見されました。基本的には、白鍵を順番に叩くことで得られます。どの音から開始するかによって、上記の数字の「1番違い」、すなわち「半音」がどの位置に入るかが変わってきます。白鍵だけの音階であれば、ミとファ、シとドのあいだが半音になっていますが、普通にハ長調であれば、3番目の音と4番目の音、7番目の音と1オクターブ上の1番目の音のあいだが半音になります。 これをレからはじめれば、「レミファソラシド」という音階になるわけで、2番目の音と3番目の音、6番目の音と7番目の音のあいだが半音になります。同様に、ミカらはじめれば、ファからはじめれば……と動かしてみることで、同じ配置になることはまったく無いので、7つの旋法が得られることになります。これらを「教会旋法」と呼ぶこともあります。ただ、実際の楽曲で教会旋法がすべて使われたかどうかはわかりません。 教会旋法の名前については、音楽学校の楽典の授業で憶えさせられます。
・ドリア旋法……レミファソラシド ・フリギア旋法……ミファソラシドレ ・リディア旋法……ファソラシドレミ ・ミクソリディア旋法……ソラシドレミファ ・エオリア旋法……ラシドレミファソ ・ロクリア旋法……シドレミファソラ ・イオニア旋法……ドレミファソラシ
音名のうち、太字になっているのが半音のところです。 このうち、エオリア旋法はのちの短音階に、イオニア旋法はのちの長音階に一致します。これらの旋法の名前は古代ギリシャの都市国家の名を借りていますが、別に名前の元になった国々とは関係ありません。古代ギリシャで使われていた音階にそういう名前がついていたのを借用しただけで、しかもギリシャの音階と同じものではありません。例えばギリシャでドリア調と言っていたのは、教会旋法で言えばフリギア旋法にあたります。 ロクリア旋法というのは、主音から完全5度が作れないために、おそらく実際には使われなかったろうと言われています。理論上だけの旋法というわけです。 ドリア旋法は、短音階のうち第6音が半音上がっただけの形なので、わりと使いやすかったでしょう。終止のときは第7音が半音上がることが多く、そうなると実際には「旋律的短音階の上行形」と同じものになります。 フリギア旋法はちょっと癖のある旋法で、全曲がこれで作られた楽曲というのはそう多くないと思われます。ただ終止形として援用されることはよくありました。実は私が高校時代に書いた習作で、かなり長いのにほぼ全面的にフリギア旋法を用いた曲があります。 リディア旋法とミクソリディア旋法は、ややエキゾチックな響きをもたらします。ショパンのマズルカなどでリディア旋法を用いた曲がありますが、ベートーヴェンもわずかながら使ったことがあります。東欧あたりの民謡と親和性が高かったのだと思われます。 ミクソリディアのほうは、著名な楽曲の例としてはグリークのピアノ協奏曲終楽章のコーダで使われています。中間部で使われた主題が、ミクソリディア旋法に変換されて登場するのですが、ここを聴いたリストはべた褒めしたそうです。確かに、このコーダのおかげで、この曲の北欧らしさみたいなものが強調されている気がします。リディアは東欧風、ミクソリディアは北欧風、などと言い切って良いものやら。 イングランド民謡「グリーンスリーブス」は、ドリア旋法のヴァージョンとエオリア旋法のヴァージョンがあります。私はエオリア版が好きなのですが、よく耳にするのはドリア版のようです。
教会旋法の他にも、西洋音楽で使われている旋法はいろいろあります。半音になっているところが多いジプシー音階やブルーノート、あるいはドビュッシーが好んだ全音音階なども旋法の一種です。メシアンはもっと意識的に旋法を扱いました。彼の言う「移調の限られた旋法」というのは、要するに何音かごとにパターン化されていて、半音ずつずらしてゆくと何回めかに元のものと一致してしまうものを指しますが、この第二種に挙げられている、半音と全音を交互に並べた8音音階は私も好きでよく使っている旋法です。
日本で使われている音階もいろいろあって、なかなか憶えづらいなと思っていたのですが、大学で、テトラコードという概念で説明できると教わり、なるほどと思いました。小泉文夫先生の提唱した考えかたです。 テトラコードというのは上記の古代ギリシャの音楽理論で出てくる概念で、4つの音の配置方法です。例えば長音階はリディア・テトラコード(教会旋法のリディアとは異なり、第3音と第4音が半音になっている配置のこと)をふたつ並べた形になっています。ドレミファとソラシドはいずれもリディア・テトラコードで、これを重ねることで長音階になります。 テトラコードの考えかたは日本の音階(旋法)にも応用できますが、日本、というか東洋では、「4つの音」ではなく、「4度の音程」の中に3つの音を配置するという考えかたになるのだそうです。テトラというのは海に置く消波器具のテトラポッドや牛乳などのテトラパックでわかるとおり「4」のことですが、音の数を表していたギリシャの理論から、音程を示すように換骨奪胎したのでした。 両端の音が4度(完全4度)を作るので、これは動かせません。そのあいだの音(中音)をどこに置くかが肝となります。両端の音を仮にドとファだとすると、
・都節のテトラコード……基音と中音が1半音(ドレ♭ファ) ・律のテトラコード……基音と中音が2半音(ドレファ) ・民謡のテトラコード……基音と中音が3半音(ドミ♭ファ) ・琉球のテトラコード……基音と中音が4半音(ドミファ)
という4種類が考えられます。そして、このテトラコードを重ねると、都節音階(ドレ♭ファソラ♭ド)、律音階(ドレファソラド)、民謡音階(ドミ♭ファソシ♭ド)、琉球音階(ドミファソシド)となるわけです。 それまでは、陽旋法・陰旋法というのが日本の主な旋法だと考えられており、私も小学校などでそう教わりましたが、それだけでは説明のつかない楽曲も多く、この小泉説でだいぶすっきりしました。陽旋法・陰旋法という考えかただと、実際の楽曲に当たった場合、例外的な音がやたら多いケースがしばしば見られたのです。 陽旋法は律音階と一致することもありますが、半音の含まれない律のテトラコード・民謡のテトラコードを任意に組み合わせた形と考えたほうが妥当と思われます。陰旋法は都節のテトラコードの上に、都節・民謡のいずれかのテトラコードが乗っている(民謡のテトラコードのことが多い)と考えればわかりやすくなります。琉球のテトラコードだけは独特の響きがあって、琉球音階にしか使われないと思います。 演歌などは、和音は西洋音楽的ですが、メロディーは都節・律・民謡のいずれかの旋法を用いていることが多くなっています。それが日本人にとっていちばん歌いやすい音組織なのです。 それがヨナ抜き音階(第4音、第7音を使わない)であるわけですが、面白いことに、ヨナ抜き音階を使っているのは日本だけではなく、スコットランド民謡である「蛍の光」やら「麦畑」やらもそうなっています。また、アメリカ・インディアンの音楽もヨナ抜きであるようです。西洋音楽の概念としては「メジャー・ペンタトニック」と呼ばれています。民謡の旋法としてはあちこちの国で見ることができるようです。
ヨーロッパと中国で、オクターブを12分割するという同じ方式に辿り着いたことも偶然とは思えませんし、律音階とメジャー・ペンタトニックの一致も驚きます。相互にまったく独立しているのか、それともなんらかの影響が及ぼされているのか、それもわかりません。 理論的に考えてゆけば自然とそうなるのだ、とも思えません。インドやアラブではなぜ7分割や9分割になったのか、何が違ってそういう音組織の違いに結びついて行ったのか、深く考えはじめるときりがなくなりそうです。
(2020.1.11.)
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