組曲というのは、いくつかの曲がまとまって、ひとつの作品として成立しているものを指します。邦楽で言う「組歌」というのも似たようなものでしょう。 基本的には、ソナタなどと同じく、全曲を通して演奏されるのが正式と考えられています。その点で、むしろピックアップして演奏することの多い「曲集」とは異なっています。 ただし、「曲集」と「組曲」の中間のようなものも無いではありません。たとえばショパンの『練習曲集』作品25などは、もちろん1曲1曲が独立した目的を持つ練習曲を集めた本ではあるのですが、なんとなく1番を弾くとそのまま2番が弾きたくなり、続いて3番も……という具合に、全体の流れのようなものがあるように思えてなりません。同じくショパンの『前奏曲集』などもそうでしょう。これがドビュッシーの前奏曲集になると、組曲というイメージはほとんど無く、おそらく作曲者も通奏することを意識していたわけではなさそうに思われます。 いくつかの曲を、通奏することを前提として組み合わせるというやりかたは、ルネサンス期以前から見られます。特に声楽においては、教会での典礼のためにミサ曲などが作られていますので、組形式として作られるのはほとんど必然だったと言えます。いちばんポピュラーなのはキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイを取りそろえた荘厳ミサという形です。その他、式次第に応じてレクイエムその他の大規模な組形式の声楽曲が作られました。 器楽曲が組形式になったのはいつからかわかりませんが、複数の種類の舞曲をまとめてひと組にして演奏するというようなことは、かなり古くからおこなわれていたようです。器楽曲全盛のバロック時代に入って、この形は「世俗ソナタ」と呼ばれるようになりました。J.S.バッハやヘンデルなどが書いた組曲の原型が、この世俗ソナタであると思われます。基本的には舞曲をまとめたものになっています。 バッハたちの先輩にあたるフレスコバルディとかクーナウなどもこの種の組曲を書いていますが、いちおう最終的にバッハによって整理された組曲の形としては、まず4種類の舞曲を定番とします。その4種類とは、
・アルマンド(ドイツ舞曲) ・クーラント(フランス舞曲) ・サラバンド(スペイン舞曲) ・ジーグ(英国舞曲)
という、それぞれ国籍を異にする舞曲なのでした。 アルマンドはそもそも「ドイツ」というそのままの意味でもあります。そのためかわりとマジメな曲想であることが多く、この性格がのちのソナタの第一楽章に受け継がれたという説もあります。中庸なテンポで4/4拍子のものが多く、短いアウフタクトを持つのが特徴。また終止の形も特有の分散和音を用いることが多くなっています。 クーラントは「走る」という意味でもあり、速いテンポで無窮動的に駆け回るものが多いようです。アルマンドと同じく短いアウフタクトを持つのが普通。3拍子系が基本ですが、同趣のイタリア舞曲であるコレンテを採用している作品もあります。 サラバンドは、スペイン舞曲にしては荘重な感じで、むしろイスラム時代に淵源を持つ舞曲なのかもしれません。ゆったりとした3拍子で、2拍目に重みが来ることが多いようです。 ジーグは、馬の駆けるリズムを模した舞曲と言われ、活溌な曲想を持ちます。タランテラやシチリアーノに近いリズム型であることもあります。拍子は3/8、6/8、12/8、12/16などで、フーガ風の導入を持つ場合もあります。 この4曲を基本形とし、サラバンドとジーグのあいだに、ガヴォット、ブーレ、メヌエットなどの他の種類の舞曲をはさんだりするのが、バッハの組曲の構成です。また、舞曲でない前奏曲や終曲が置かれることもよくありました。
バッハの組曲の中で有名なのは、クラヴィーア作品としてはそれぞれ6曲ずつの『フランス組曲』『イギリス組曲』『パルティータ』それに『フランス序曲』があり、また4曲の『管弦楽組曲』もよく知られています。それから無伴奏ヴァイオリンのための3曲、無伴奏フルートと無伴奏チェロのためのそれぞれ1曲ずつも見逃せません。 『フランス組曲』はいずれも前奏曲は持たずにいきなりアルマンドからはじまり、サラバンドとジークのあいだにはさまれる舞曲が、1番から6番にかけて徐々に多くなるという趣向になっています。1番にはトリオを持つメヌエットが、2番にはエア(歌、という意味。舞曲ではない)とメヌエットが、3番にはトリオを持つメヌエットとアングレーズ(英曲の舞曲)が、4番にはガヴォットとメヌエットとエアが、5番にはガヴォットとブーレとルール(これも英国の舞曲)が、6番にはガヴォットとポロネーズとメヌエットとブーレがはさまっているのでした。 これに対し、『イギリス組曲』はそれぞれ1種類の舞曲(1番と2番はブーレ、3番と6番はガヴォット、4番はメヌエット、5番はパスピエ)がはさまれているだけですが、冒頭にいずれもかなり大規模な前奏曲が置かれています。 『パルティータ』になると配列はもっと自由になり、基本4種が欠けている場合も出てきます。1番はそれでもメヌエットがはさまっているだけの穏当な構成ですが、2番はジーグを欠き、代わりにロンドー(輪舞)とカプリチオ(綺想曲)が置かれます。3番はブルレスカ(寸劇)とスケルツォ(おふざけ)という、舞曲ではない小品がはさまれました。4番はクーラントとサラバンドのあいだという非正規な位置にエアが置かれ、サラバンドとジーグのあいだにはメヌエットが置かれています。5番は「メヌエットのテンポで」と記された、メヌエットそのものではないらしき小品と、パスピエがはさまっています。6番は4番同様、非正規な位置にエアが入り、さらに「ガヴォットのテンポで」という曲がはさまりました。 また『パルティータ』各曲にも前奏曲がついていますが、その名称が全部違っているのが面白いところです。1番はやはりおとなしく「プレルーディウム(前奏曲)」となっていますが、2番は「シンフォニア(合奏曲)」であり、3番は「ファンタジア(幻想曲)」であり、4番は「ウヴェルチュール(序曲)」、5番は「プレアンブルム(はし書き、というほどの意味)」、6番は「トッカータ」です。いろんな曲種のスタイルが学べます。 『フランス序曲』となるともう基本形は原型をとどめぬまでに自由になり、「序曲」「クーラント」「ガヴォット」「パスピエ」「サラバンド」「ブーレ」「ジーグ」「エコー」という構成になっています。 『管弦楽組曲』も、構成はかなり自由で、アルマンドはひとつも含まれていません。クラヴィーア用の組曲に出てこなかった曲種を挙げておくと、1番のフォルラーヌ(フランスの舞曲)、2番のバディヌリ(笑い話)、4番のルジュイサンス(お遊び)。ちなみに3番の序曲のすぐあとに置かれたエアが、有名な「G線上のアリア」です。 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータも充実した作品ですが、特に2番には終曲にこれまた有名なシャコンヌが置かれています。 ヘンデルも組曲をずいぶん書きましたが、一体にバッハのものより構成曲数が少なく、基本4曲も揃っていない作品が多くなっています。「調子の良い鍛冶屋」というタイトル(あだ名)で有名な「変奏を持つアリア」も、組曲の終曲に置かれたものでした。 以上、バッハやヘンデルによっていわば「完成」された形を、古典組曲と呼んでいます。その後現れた「近代組曲」と対比させての呼び名です。 グリークの『ホルベア組曲』やドビュッシーの『ピアノのために』、ラヴェルの『クープランの墓』など、古典組曲のスタイルを踏襲したような作品も少なくありません。私も『無伴奏フルートのためのパルティータ』というのを書きました。ときどきこういう、現在ではほぼ失われてしまったような舞曲縛りの作品を書きたくなる者も居るようです。
諸井三郎先生の「楽式の研究」という本では、近代組曲の先駆のようなものとして、ベートーヴェンのバガテルを挙げていますが、これは的を射ているかどうかわかりません。ベートーヴェンは『バガテレン(バガテル集)』と題した本を3つ出しています。最初が中期作品の『7つのバガテル』、そして後期作品である『11の新しいバガテル』と『6つのバガテル』です。バガテルというのは「つまらぬこと」「些事」というような意味で、交響曲やソナタに取り組む合間に、息抜きのように書いた小品が集められています。しかしはたしてこれらが、組曲のような、通奏するべきものとしての意図を持って集められたのかどうか、やや疑わしい気がします。単に「曲集」なのではないでしょうか。特に『11の新しい……』などは、数ページに及ぶわりと長いものも含まれていますが、1行で終わってしまう文字どおりの断片のようなものもあって、なんらかの統一された意図によってまとめられたものであるとはどうも思えないのでした。 メンデルスゾーンの「無言歌」は6曲ずつひとまとまりになって8集作られていますが、これも組曲としての意図はあまり無かったように思われます。やはり「曲集」でしょう。 近代組曲の創始者、であるかどうかは微妙ですがとにかく最初の巨匠は、やはりシューマンでしょう。彼はいろいろなタイトルを持つ組曲をたくさん作っており、その内容は古典組曲とはまったく異なっています。『パピヨン』『謝肉祭』『子供の情景』『ウイーンの謝肉祭の道化』『森の情景』などははっきりと組曲の形をとっていますし、タイトル的には「曲集」のように感じられる『ダフィット同盟舞曲集』『幻想小曲集』『ノヴェレッテ集』『クライスレリアーナ』なども、実際には通奏を旨とした組曲と考えて良いように思われます。 構成する各曲(各楽章、と呼ぶべきか)にもタイトルがついているものとついていないものがあります。『パピヨン』は譜面上には各楽章のタイトルは書いてありませんが、裏設定みたいなのはあるようです。『謝肉祭』『子供の情景』『幻想小曲集』などは1曲ごとに印象的なタイトルがつけられています。シューマンの場合、作曲するにあたって、おそらく毎回、全曲を貫くなんらかの「ストーリー」を設定しているような気がします。その「ストーリー」に基づいて曲を配列し、8曲から、ときには20曲にも及ぶ大規模な組曲を構築していたのではないでしょうか。 一方、スメタナの交響詩『わが祖国』あたりから、「交響組曲」の系譜もはじまりました。「交響組曲」はオーケストラのための独立した作品としても書かれましたが、ロマン派後期くらいからは、オペラ、バレエ、劇伴音楽などからハイライトをピックアップして「演奏会用組曲」として再構成するという方法も盛んにおこなわれるようになりました。有名どころだけ考えても、ビゼー『アルルの女』、グリーク『ベール・ギュント』、チャイコフスキー『くるみ割り人形』『白鳥の湖』、ボロディン『韃靼人の踊り』など次々と思い浮かびます。近代に至ってもストラヴィンスキーなどがこの種の組曲をいくつも発表しました。ホルスト『惑星』などは最初からオーケストラのレパートリーとして書かれた組曲です。 20世紀に入ると、組曲はある意味「いちばんあたりまえ」な形式になりました。交響曲とかソナタとか名乗るよりも、組曲という形をとったほうが、作曲家にとっては自由が利いて気軽だったのかもしれません。また興業上の必要もあったと思われます。40分とか1時間とかかかる曲は、なかなか依頼されることも少ないのであって、たとえば1ステージ、15〜30分くらいの曲を委嘱された場合、その中でそれなりに変化もつけようと思えば、組曲形式にするのがやりやすいのです。3〜5曲くらいの短めのものを、ちょっとした統一性と変化を持たせてまとめるというのは悪くない手です。 そんなわけで、組曲とは称していなくとも、実質的には組曲、という作品がたくさん書かれました。たぶんこの傾向は、21世紀にもそのまま続いてゆくものと考えられます。
事実上なんでもありとも言える近代組曲ですが、やはりいくつかの要件はあると考えたいところです。そのひとつは、すでに何度も述べたように、通奏を原則とすることでしょう。もちろん『惑星』の中で「木星」だけ取り出して演奏されることも多いですし、『子供の情景』の全曲を弾かずに「トロイメライ」だけピックアップするなんてこともしょっちゅう見られます。『わが祖国』の「モルダウ」以外の部分など聴いたことが無い、なんて人も多いでしょう。それでも、全曲を通して聴いたときにいちばん理解が深まり、充実感が得られるというのが、単なる「曲集」とは違う「組曲」の特徴であろうかと思います。 たとえば3曲より成る組曲であれば、テンポは急・緩・急、あるいは中庸・緩・急といった構成になっているものが多いようで、そのあたりはちょっと「疑似ソナタ」みたいでもあります。ドビュッシーのピアノ曲にこの種の組曲がいくつもありますが、上記の『ピアノのために』も『版画』も『映像』もだいたいそうなっています。ラヴェルの『夜のガスパール』なんかもそうですね。4曲組で考えると『ベルガマスク組曲』は、1曲目が中庸なテンポの前奏曲、2曲目がメヌエット、3曲目がゆったりした「月の光」、4曲目がアップテンポのパスピエですから、速度構成で見る限りは4楽章制のソナタとほぼ共通しています。 「曲集」であっても、ある程度配列に留意したものはありますが、やはり「組曲」のほうが、全体構成を意識する面が強いと言えるでしょう。私自身の作品でも、『進化の構図』『満潮に乗って』『Suite:Sweet Home』『法楽の刻』などが組曲になっていますが(「合唱組曲」もありますが、これはどちらかというと詩の要請によるところが大きいのでいまは触れません)、それなりに全体構成は考えています。なお『Suite:Sweet Home』の構成はバロック・ソナタを意識しました。
『Suite:Sweet Home』が出たところでちょっと蛇足を。この曲名は「組曲(Suite)」と「甘い(Sweet)」をひっかけたダジャレです。このふたつの言葉はまったく同じスイートという発音になります。 プリキュアシリーズの何作目かに「スイート・プリキュア♪」というのがあり、何しろ女の子向けのアニメですので当然このスイートは「Sweet」のほうだとばかり思っていました。ところが、ちょっと見てみたら、決めゼリフが 「届け! ふたりの組曲!」(メンバーが増えると「3人の組曲」「4人の組曲」とセリフのほうも増えて行ったらしい) というもので、番組全体の世界観としても音楽に関わるものが多くて、なるほど「Suite」のほうだったのか、と納得したことがあります。もしかして最後まで「Sweet」だと思っていた視聴者も多かったかもしれません。
(2020.11.22.)
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