シミュレーション小説については、何度か書いたことがあります。 最近は「架空戦記」という言いかたもするようです。 歴史の本を読んでいると、「もしここでこうなっていたら……」と考えてしまうことがよくあります。もしこの人物がこの時に死んでしまっていたら……逆にもしこの人物がここで死なずに生き延びていたら……この時の家臣のこの進言を受け容れていたら……この事件のタイミングがもう少しだけずれていたら…… そういうことあれこれと夢想するのは楽しいですし、頭の体操にもなります。 しかし、しばらく前までは、そういう夢想を人前で披露するのははずかしいことだという感覚がありました。「歴史にイフは無い」というわけです。 もちろん、歴史学という学問において、イフを考えるのは無意味でしょう。実際に起こった(であろう)出来事を分析し体系づけるのが歴史学というもので、架空のことまで相手にしていては埒があきません。 が、もっと自由に書けるはずの小説でも、「歴史にイフは無い」という立場が良しとされていました。控えめに仮定の話を挿入する時でも、「歴史にイフは無いと言われるが……」などと前置きしないとおさまらないような雰囲気があったように思います。
その雰囲気が変わってきたのは、1990年代に入ってからのことだったようです。
荒巻義雄氏の『紺碧の艦隊』がヒットしたのがきっかけではないでしょうか。私はちゃんと読んでいないのですが、山本五十六がミッドウェーで戦死する瞬間に、それまでの記憶を持ったまま魂だけが若い頃にタイムスリップし、その「前世の記憶」を活かして第二次大戦を「やり直す」、という筋立てであったと理解しています。
設定自体はトンデモであって、荒巻氏も本来はSFとして書いたものとおぼしいのですが、しかし主人公のその一点だけを除いて、あとの時代考証や状況設定はきわめてリアルであり(後半はだんだんそうでもなくなったと聞きますが)、実際にそういうこともあり得たのではないかという印象を読者に与えることで、大いにもてはやされたのであろうと思われます。
この種の小説は『紺碧の艦隊』がはじめてではありません。現代人が過去へ行くタイプのSFというのは、ジャンルとしてはそう珍しいものではありませんでした。半村良氏の『戦国自衛隊』などは映画にもなっています。さらに元祖を探ると、マーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』あたりに行き着きます。19世紀末のアメリカ人電気技師が、5世紀英国のアーサー王の時代にタイムスリップして大活躍するというハチャメチャな話です。
ただマーク・トウェインにしろ半村良にしろ、現代人が歴史上の出来事に干渉したにもかかわらず、歴史の大枠そのものは動かずに、干渉の痕跡もとどめずに現在へとつながる、というスタンスで書いています。『戦国自衛隊』は、映画では主人公の自衛官が長尾景虎(のちの上杉謙信)に斬られて終わっていますが、原作小説では、史実での織田信長の役割を果たすことになり、信長同様に家臣の裏切りで斃されるという筋書きになっています。「その世界」での信長が桶狭間で敗死してしまうというアクシデントがあったため、歴史そのものが、後世から自衛隊を呼び寄せて「本来の歴史」を修復する、という物語でした。
『紺碧の艦隊』の新しさは、主人公を現代人とせず、「少しだけ未来の出来事を知っている歴史上の一人物」とした点でしょう。そのおかげで、物語の結末を「現在」とリンクさせる必要がなくなり、結果として「史実」を大きく逸れてゆくという大胆さに、読者は眼を見張ったわけです。
ただし、この形も前例が無いわけではありませんでした。周大荒の『反三国志』というのがあって、三国志の勝者を史実の魏ではなく蜀ということにした歴史ファンタジーです。こんなトンデモ発想の小説が1920年代という時期に書かれていることに驚くのですが、ただディテールを見ると、あらゆる偶然がすべて蜀に有利に働き、魏の勇将猛将はみんなさっさと死ぬのに対して蜀の陣営の将は誰も死なず、ご都合主義に過ぎるのは争えません(こちらは私もちゃんと──翻訳ですが──読みました)。
『紺碧の艦隊』は、少なくとも前半は、「あり得た歴史」と思わせるに足る節度と考証をおこなっていたからこそ一世を風靡したのだと思います。
その後、風向きが変わりました。
「もしあの時……」という設定で、「あり得た歴史」を記す本が続々と刊行されるようになりました。小説ばかりではなく、一般向けの歴史の本などにもずいぶん出現しました。
──適切なイフを設問することで、歴史の理解はより深まるはずだ。
といったもっともらしい「前書き」が付けられていることが多いのですが、まあそんなことより、みんな実はイフ歴史が好きだったということなのでしょう。さすがに本職の歴史学者は眉をひそめているかもしれませんが、学問のことは学問のこととして、「あの時ああしていたらその後はこうだったろう」なんてことを語るのは、やはり楽しいものなのでした。プロ野球の監督の采配を、テレビを見ながらあげつらうのにも似た、少々無責任な、こたえられない楽しさがあるのです。
たぶん作家のかたがたも、それ以前も語りたくてうずうずしていたに違いありません。しかし三文作家の烙印を捺されることを怖れるあまり、ごく控えめに「歴史にイフは無いと言われるが……」などと言い訳をしながら触れるにとどめていたのでしょう。それが、『紺碧の艦隊』の大ヒットで、
──なんだ、こういうことを書いても売れるんじゃないか。
と悟ったものと思われます。
雨後のタケノコのように、イフ歴史の本が出てきました。
初期には『紺碧の艦隊』の山本五十六のように、「少しだけ未来を知っている」歴史人物を登場させることが多かったようですが、次第に、史上の事件または状況が違った形であればどうなるか、ということを描くのが主流となりました。そして、シミュレーション小説という名前で、ひとつのジャンルとして確立されたのでした。
シミュレーション小説は、SFのようでもあり、歴史小説のようでもあり、ライトノベルのようでもあり、なんとも分類に困る作品群です。
学研の歴史群像新書のような専門レーベルまで登場しています。月に何冊かずつ刊行するために、かなり粗製濫造の気配も無いではなく、最近ではネタが尽きてきた様子でもありますが、シミュレーション小説をジャンルとして立たせるためには大きな役割を果たしてきたと思います。
大きく分けて、戦国ものと第二次大戦ものがあり、後者は軍艦や戦闘機に関して若干マニアックな傾向があるようです。私は後者はあまり読んでおらず、もっぱら戦国ものを好んで読みました。
ただ出来の悪いものになると、単に歴史上の人物が登場するだけのファンタジーじゃないかと言いたくなるようなのもあります。おおざっぱに言って、
・忍者がやたらと活躍し、あり得ないような忍法を駆使するもの
・その時代にあり得ないような新兵器が登場するもの
はまず愚作と言って良いでしょう。あと、真田一族が味方をした側がほぼ必ず勝つ傾向があるのは、読者の要望もあるかもしれませんが、いかがなものかと首をかしげたくなります。
王道なのは、やはりパラメータをひとつだけ変えてその後の展開を坦々と記すというものだろうと思うのですが、小説である以上、読者に面白がって貰わなければならず、どうしても忍者や新兵器や真田幸村に頼りがちになるのかもしれません。また、作者にはやはり「予定された結末」があるはずで、そこに持ってゆくためにややご都合主義的な展開になってしまうのもやむを得ません。それをいかにご都合主義と見せずにやってのけるかが、作家の筆力というものなのでしょう。
私がちょくちょく訪問している「chakuwiki」というサイトには、歴史イフのコーナーもあり、ずいぶん投稿者が居ます。やっぱり好きな人が多いのだなと納得します。私もちょくちょく投稿しています。
小説とは違って、箇条書きにするだけなので、気楽に考えることができます。ウィキペディアのスタイルをとっているので、誰でも自由に編集できますが、ただ他の人の投稿そのものを改変することはできないルールになっており、すでに書かれている項目に何か言いたいことがあれば、箇条を改めて加筆するという形になります。いくぶん掲示板のレスに似たところがあって、時には加筆に加筆を重ねて論争みたいになったりもします。あまりご都合主義展開のイフだとツッコミが入ってバランスがとられたり……というか、私はツッコミを入れることのほうが多いのですけれども。
最近私が投稿した設問は、「もし豊臣秀勝が存命だったら」というものでした。
秀勝というのは、秀吉の息子です。秀吉の息子は秀頼だろうと言われるかもしれませんが、実は秀吉がまだ若い頃、初期の側室だった「南殿」という女性とのあいだに石松丸秀勝という子供が生まれています。この子については、南殿の連れ子であって秀吉の実子ではないだろうという説もありますが、秀吉自身が実子として扱っているのですから当時としては問題になりません。
なお秀吉の正室のねねがヤキモチを焼いて主君の織田信長に訴え、信長から手紙でさとされたという、いわゆる「ハゲネズミ書簡」はこの時のものらしいのですが、最初は荒れたねねもその後は石松丸を嫡子としてかわいがるようになったそうです。
残念ながら石松丸は6歳で病死しました。秀吉が豊臣姓を名乗る前なので、本当は「羽柴秀勝」と呼ぶべきでしょうが、次に述べるように「秀勝」は何人か居たので、一応総称として「豊臣秀勝」と呼んだ次第。
秀吉は石松丸秀勝の病死に落胆しましたが、このアクシデントを奇貨とし、主君信長の四男を養子として迎えることに成功しました。この養子には、早世した実子への想いからか、やはり秀勝の名が与えられました。二代目、於次丸秀勝です。
この養子は、のちに秀吉にとって大きな意味を持ちます。つまり、本能寺の変で信長が斃されたのち、秀吉はこの於次丸秀勝を旗印にして明智光秀に挑むのです。
実は当時、「死んだ主君の仇討ち」ということは滅多におこなわれませんでしたし、その頃の日本人の倫理観に大きく訴えかけることでもありませんでした。だから、秀吉がいくら「信長公の仇討ち」を呼号しても、そんなに味方は集まらなかったと思われます。
しかし「死んだ父の仇討ち」ということなら人々は感動しました。曾我兄弟の復讐譚もよく知られています。備中高松城攻めの最中だった秀吉の陣中には、幸いにも信長の実子たる秀勝が居り、秀吉は「秀勝による父の仇討ちを助ける」という名目で味方を募ったのでした。
この二代目秀勝本人がどの程度の器量の持ち主だったかはわかりません。それがはっきりする前に、彼も18歳の若さで病死したのでした。病死しておらず実は生きていたら、という設定で彼を主人公にしたシミュレーション小説は読んだことがあります。
秀吉は懲りずに、もうひとりの養子にも「秀勝」の名を与えました。こんどは甥っ子です。「殺生関白」の悪名を得てしまった秀次の弟にあたります。
この三代目、小吉秀勝は、浅井三姉妹の末女、お江の方の2番目の亭主として、去年の大河ドラマでよく知られるようになりました。小説などでは、線の細い弱々しい雰囲気に描かれることが多いのですが、実際にはなかなか剛毅な人だったようで、朝鮮の役では8千の兵を率いて活躍しています。しかし残念ながら、前線で病死してしまいました。どうも「秀勝」という名前のゲンが悪かったようにも思えます。
この3人の秀勝の、それぞれが存命であったらどうであったかを考察してみたのでした。
初代・石松丸秀勝が生きていれば、誰も文句のつけようがない秀吉の嫡男ですから、もちろんすんなりと跡を継ぐことになります。秀吉が没した時には28歳になっていますから、秀頼の場合のような心許なさは無かったでしょう。
ただ、それ以前に、石松丸が存命だった場合、上記の対光秀戦はどういうことになっていたのかが懸念されます。彼が生きていれば、当然於次丸は養子になっていませんから、「実父・信長の仇討ち」という名目が得られません。秀吉は味方集めにだいぶ苦労することになったのではないでしょうか。それ以前に、対戦していた毛利勢が追撃しなかったかどうかも気になります。毛利勢が追撃を控えたのは、秀吉に恩を売るという計算もあったでしょうが、それと同時に「親の仇討ちを助けようという忠臣を追撃するのは不祥である」という名分論もあったに違いありません。
イフの「梃子」が長いので、その後のことに関してはかなり自由に発想できそうです。小説にすればけっこう面白いかもしれません。
二代目・於次丸秀勝が生きていたという設定による小説は、秀頼が生まれてじきに死亡し、秀吉が狂乱してしまいやがて没するという状態で始まっていました。それで困惑した家臣が、実は生きていた秀勝に出馬を要請するという筋でしたが、主人公にするにはそのくらいのご都合設定は必要かもしれません。
普通に生き延びていた場合は、秀吉が織田家の旧家臣同士の争いに勝ち抜いて天下をとった時点で、秀勝の利用価値は無くなります。その状態でも秀吉が秀勝を跡継ぎとして遇するかどうかはなんとも言えません。秀勝自身の器量をどう見るかによっても変わってきそうです。実父と養父の薫陶を受けて相当な器量の持ち主になっていたとすれば、ひとまず後継者として立てられることにはなるかもしれません。そうすると実史の秀次の位置に就くことになります。
秀次は秀頼が生まれた時に身を引かなかったため、秀吉にうとまれて切腹するはめになりますが、秀勝なら血のつながりがないため、もっとすんなりと身を引くかもしれません。その場合、美濃・尾張あたりの織田家旧領を貰って、準一門衆として豊臣家を支えることになるでしょう。彼が居ることによって関ヶ原の戦いがどうなるかはわかりませんが、岐阜城をあっさり墜とされてしまった秀信(信長の孫)のようなていたらくにはならないのではないでしょうか。
三代目・小吉秀勝は「後継者」の目はあまり無さそうですが、朝鮮の役から無事に凱旋してきたとすれば、堂々たる戦歴を誇る一門衆として、家中の武功派に一目置かれる存在になったはずです。秀吉死去時には29歳ですから、秀頼の後見役としてちょうど良い立場と言えるでしょう。関ヶ原の戦いがどういう経過を辿るか、考察してみれば面白いかもしれません。
ひとつだけ確実に言えることは、この場合お江の方は徳川秀忠とは結婚しませんので、徳川家光も千姫も生まれません。秀忠の跡は保科正之が継ぐことになったか、別の正室が跡継ぎを生むことになったか……そうなるとパラメータが複雑すぎてわけがわからなくなります。和子も生まれていないので、徳川の姫君が後水尾天皇に入内することがなかったのか、いずれ別の姫君が同じ役割を果たしたのかなど、意外な方面でかなりの影響がありそうです。
まあ、このようなことをつらつらと考えてゆくことに、はたして歴史の理解を深める効用があるものかどうか、微妙ではありますが、とにかく暇つぶしにはもってこいなのでした。暇でない時でも考え始めると夢中になってしまうのが困ったところではあるのですが……
(2012.10.4.) |