JRの誕生により、日本に国営鉄道というものはなくなった。鉄道の経営は、都道府県営、市町村営、周辺自治体や有力企業が出資する第三セクター、そして私企業のみということになったわけだ。
かつて国鉄に対して、それ以外の鉄道を私鉄と呼んだ。私企業による鉄道という意味だ。また民間の鉄道ということで民鉄と呼ばれることもあった。
国鉄と私鉄の扱いは、例えば時刻表などでも歴然たる差があった。索引地図を見ると、国鉄は太い実線で示されていたが、私鉄は細い、何やら手術痕のサンマ傷のような線で描かれていたし、本文にしても、国鉄は数百ページを独占して、いわゆるポケット時刻表の類でなければ全駅、全列車(大都市近郊のいわゆる「国電」は抄記だったが)が掲載されていた。それに対し、私鉄は巻末に、ほとんど付録扱いで、思い切った抄記がされていたに過ぎない。初電と終電の時刻だけ記して、「この間何分〜何分毎」などと書かれているばかりなのだ。
国鉄が民営化してJRとなり、法制上はJRとそれ以外の私鉄との区別はなくなったはずなのだが、時刻表では依然として、「JR時刻表」はもちろんJTB発行の時刻表でさえ、差別扱いが続いている。せいぜい国鉄由来の第三セクターがJR路線に混じって掲載されているくらいで、それ以外はやはりひっくるめて巻末付録になっている。
かろうじて、「私鉄有料特急時刻」が、巻頭のダイジェストページに、新幹線やJR特急と並べて載せられるようになったことくらいが、進歩といえば進歩かもしれないが、いずれにしろJRの特別扱いは、まだ続いているのである。
青森県の弘前附近に、弘南鉄道という小さな私鉄がある。2両編成くらいの電車がコトコトと行ったり来たりしているローカル私鉄だが、それでも弘南線と大鰐線の2路線があり、最近までは国鉄から引き継いだ黒石線というのもあった。
このうち、大鰐線は弘前から大鰐までJR奥羽本線と競合している。弘前のターミナルは弘南鉄道の中央弘前駅の方が市の中心地に近い。大鰐の方はJRが大鰐温泉と改名したものの同じ位置にある。
奥羽本線の弘前−大鰐間には、石川という駅がただひとつあるだけだが、弘南鉄道の方は地元の足として、こまめに駅が設けられている。その中でJRの石川駅に最寄りの接続駅は、かつて弘南石川と言っていた。私鉄が、国鉄との接続駅、しかし全く同じ駅舎ではなく一旦外へ出て乗り換えなければならないような場合に、社名を上に冠するのはよくあることで、上野と京成上野、新宿と西武新宿のように全国どこにでも見られた。
ところが、私が何年か前に乗りに行った時は、この駅は「弘南」がとれてただの石川駅となっていたのである。駅名標には、明らかに「弘南」の文字を消した跡と思われる空白が白々しく残っていた。
どうも、
――国鉄が相手だったから遠慮して社名を冠していたが、民営化された以上こっちと同格だ。何を遠慮することがあろう。
といった意地を通したものらしい。同格といっても7400キロの総延長を誇るJR東日本と、30キロほどの路線を持つだけの弘南鉄道とでは比較にならないのだが、それでも民営化した以上立場は同じだとする地方小私鉄の意地に、私は思わず苦笑したものである。
そのように、制度上ではJRもれっきとした私鉄になったわけだが、一般的にはまだ、JR以外の鉄道を私鉄と呼ぶ習慣が残っている。JRはJRであって、国鉄ではなくなったものの、私鉄とも呼びずらいというのが一般の感覚ではないだろうか。
もっとも日常用語というのは曖昧なところがあって、市営地下鉄などの公営鉄道、自治体出資の第三セクターなども私鉄と呼ぶのが普通だ。このエッセイのプロローグに書いた、「汽車」「電車」「列車」などの言葉の使い分けと同じく、厳密に考えればおかしな言葉遣いと思われることが、結構そのまま通用している。
以下の文章でも、私鉄というのは漠然と、JR以外の鉄道を指すと考えていただきたい。
鉄道を経営する企業体は、ケーブルカーやロープウェイなどまで含めると膨大な数に昇るが、一応15の会社が「大手」と見なされている。もちろんこの「大手」の中にはJRグループは含まれていない。
列挙してみると、東武鉄道・西武鉄道・京成電鉄・京王帝都電鉄・小田急電鉄・東京急行電鉄・京浜急行電鉄・帝都高速度交通営団・名古屋鉄道・近畿日本鉄道・阪急電鉄・京阪電鉄・南海電鉄・阪神電鉄・西日本鉄道となる。
その規模を見ると、近鉄・名鉄・東武が500〜600キロ内外の総延長を持ち、他を圧しているが、それでもJRグループ最小のJR四国に及ばない。当然、列車の運行なども単純で、JRのような抜きつ抜かれつの風情は乏しい。それに大手の私鉄は儲かるところにしか路線を敷かないことが多いから、JRの黒字線が乗ってもちっとも面白くないのと同様、車窓にもさしておもむきがない。
とはいえ、小廻りが利くのを生かして、さまざまに工夫を凝らしているのも確かだ。
これから数回にわたって、これら私鉄についての放談を続けたいと思っている。
大手15社のうち8社までが首都圏に集中している。あとは関西圏に5社、中京圏と北九州に1社ずつという割合になっている。
8社がひしめく首都圏では、さぞかし激烈な競争がなされているかと思いきや、昔から私鉄の元気がいいのは関西で、首都圏の私鉄はだらしないというのが定評である。スピードは遅い、アコモデーション(車内設備)もぱっとしない、運行にも芸がない。
首都圏に住む者としては、これらの批判に対して何か言い返したいところだが、関西の私鉄に乗るとやはりすごいなあと溜息が洩れてしまう。
これは、首都圏の鉄道はそれぞれほぼエリアが独立しており、競合路線があまりないという点が大きいだろう。大阪−神戸間に、阪急・JR・阪神の3社が、僅かな間隔で併走しているとでもいうことになれば、シェア拡大を狙って必死の攻防が繰り広げられるのは当然である。だが、関東ではせいぜい東海道線と京急が併走しているくらいで、おおむね地域独占型になっている。都内では道路事情が悪くてクルマも敵ではないとなると、その地域の人々が移動するには特定の鉄道を使うしかないということになり、その独占状態にあぐらをかいてしまうことになりかねない。競争のないところに進歩はないのである。
とは言うものの、近年になって、ようやく多少の動きも見え始めた。まずはこれら、関東の大手私鉄の現況をリポートしてみよう。当然ながら私自身が使う機会も多いので、その努力のあり方や問題点もよく見えるのである。
★東武鉄道★
北関東という地域は、意外と便が悪い。かなり広大な地域なのに、空港がひとつもなく、例えば群馬県から飛行機に乗るにも羽田か成田まで行かなくてはならない。どの県も東京とのアクセスは図られているが、相互の交通はほとんど考えられていない。
東武鉄道は、こうした関東の田舎を一手に引き受けているような鉄道である。総延長は約470キロ、日本第3位で、路線は1都4県に及ぶ。関東地方で東武が足を踏み入れていないのは、茨城県と神奈川県だけである。
立地からしても規模からしても、このくらいになると、かつての国鉄同様、赤字ローカル線問題も抱えることになる。小泉線や佐野線などは文字通りローカル線としか言いようがないし、幹線であるはずの伊勢崎線や日光線でも、太田以遠や新栃木以遠では日中など閑散としている。
従って全体の採算性もあまり良くなく、質素かつ野暮というのが東武の長年のイメージだった。塗装費用を浮かすために白一色の電車ばかり走らせていた時期さえあり、大きいわりにぱっとしない鉄道という通念が出来上がっていた。
看板列車である日光・鬼怒川デラックス特急「けごん」「きぬ」などにしても、アコモデーションは確かにすぐれていたのだが、長いことベージュ地にダークレッド帯の、よく言えばシック、悪く言えば地味な列車だった。
だが、近年になって投入した豪華車輛「スペーシア」は、白地にオレンジの帯も鮮やかな、新幹線を思わせる瀟洒で粋なデザインとなり、それまでの東武のイメージを一新した。
昔も今も変わらぬ大観光地・日光へのアクセスは、東武を使う方法とJRを使う方法があるが、はっきり言って東武のひとり勝ちになっている。国鉄時代には対抗しようとしたこともあったが、JR東日本は完全に勝負を投げており、今や東京からの直通列車さえ1本もない有様である。それでも東北新幹線に対して東武が多少の危機感を覚えたのが、スペーシア投入のきっかけとなったのかもしれない。
ただし、スペーシアに乗って日光へ行くためには、便の悪い浅草まで出向かなければならなかったのがネックになっていたのだが、先頃北千住駅の大改装が完了し、下り特急も停車するようになったので、利用しやすくなった。
特急はもちろん大看板だが、東武は急行も充実している。私鉄の場合、特急は看板列車としてデラックス車輛を使うが、その下の急行は一般車輛ということが普通だが、東武の急行は専用車輛で、急行料金を徴収する。JRよりも列車の格というものを重んじているようだ。なお、有料特急を走らせておきながら、急行も有料というのは、東武の他にはJRと北近畿タンゴ鉄道しかない。北近畿タンゴ鉄道は国鉄宮津線由来の第三セクターなので、純然たる私鉄としては東武が唯一である。
その中でも、赤城・葛生行き急行「りょうもう」は、スペーシアには及ばないものの、JRを含めて他の鉄道に持って行けば文句なくデラックス特急として通用する豪華車輛で運行している。昔から「ビジネス急行」と称して親しまれていた。(2000年5月後記。「りょうもう」は1999年から特急に格上げされ、車輌も少しグレードアップされた。日光線急行との格差を認めたらしい)
日光線系統の急行は、以前は快速と同じ車輛を用いていて、座席指定をするだけだったため、快速急行と呼ばれていた。他の鉄道では快速急行というのは急行より格上の列車なのだが、快速と急行の中間という意味で使っていたあたりが東武らしい。しかし鬼怒川線の終点新藤原から接続する野岩鉄道が開通し、乗り入れるようになった時から、専用車輛が投入されて名実ともに急行となった。「りょうもう」よりは軽快な印象があるものの、回転クロスシートを備えているのだからJRの「新特急」などより上である。
こちらの急行は、野岩鉄道に乗り入れ、さらにその終点会津高原から、会津鉄道の会津田島まで行く「南会津」が主力である。この他、乗り入れをせず鬼怒川までの「ゆのさと」、新栃木から東武宇都宮へ向かう「しもつけ」、区間運転の「きりふり」といったラインナップがある。
東武の嬉しいところは、急行の下位の、料金不要列車である快速にまでセミクロスシートの専用車輛を使っている点である。その下の準急は一般の通勤車輛なのだが、快速と準急の間にこういう明確な差をつけている鉄道は他にない。この快速は、料金不要の特別車輛列車ということで、JRの新快速、京急の快速特急、阪急や京阪の特急に匹敵するだろう。
走りっぷりもなかなかのもので、北千住−春日部間や東武動物公園−板倉東洋大前間のノンストップ区間の長さは注目に値する。また走行区間は急行「南会津」と同じ(下今市で切り離して日光行きを分ける)で、私鉄の料金不要列車としては最長だ。
もっとも、専用車輛と言っても、日光線の閑散区間では各駅停車に流用していたりするが。
沿線には日光や鬼怒川温泉の他、ワールドスクエアや東武動物公園と言った、東武自身が経営する観光地もあって好評である。ただ私が以前から不思議なのは、目玉である東武動物公園に、決して特急や急行を停めようとしないことだ。列車の格を重んじているのだろうし、特に特急は日光・鬼怒川へのアクセスに目的を絞っているには違いないが、これが西武などだったらたちまち全列車を停めたであろうことを考えると興味深い。商売が下手だなあとも思う。
さて、以上述べてきたのは、伊勢崎・日光線系統の話だが、東武にはこれと別に、東京西北部をエリアとする東上線の系統がある。坂戸から分岐する越生線という短い支線を従えているが、路線長は東武全体の20%ほど、それで40%の収益を稼ぎ出すドル箱路線である。
ただ、ドル箱路線というものは乗って楽しいことは少ない。東上線も同様で、日光線であれだけ芸の細かい運行をしている同じ東武の経営とは思えないつまらなさである。
東上線にも特急・急行・準急といった種別が走っているが、日光線とは全く格が違い、すべてロングシートの一般車輛が千篇一律で使われている。せめて特急くらいは、日光線の快速と同等の車輛を使って貰いたいものだ。東上線の中間駅筆頭である川越までは、東京からはJR埼京線と西武新宿線が通じている。埼京線は通勤車輛が走るに過ぎないが、西武はデラックス特急「小江戸」を走らせているのである。うかうかしていると負けてしまう。
特急が平日3往復、休日5往復というのも少なすぎる。1時間ヘッドにすべきだ。
特急が少なすぎて、しかも車輛の区別がつかないため、通常の利用客にとってはぴんと来ず、間違えて乗ってしまって、下りるべき駅で下りられないというアクシデントもしじゅう起こっているのだ。何を隠そう、私も2、3度やってしまった。
通勤路線というべき東上線だが、川越を過ぎるとにわかに田園風景が目立つようになり、さらに森林公園以遠は観光路線と呼んでよい。その意味でも、特急のグレードアップを望みたい。
東武にはもうひとつ、「偉大なるローカル線」と呼ぶべき野田線がある。東上線のように完全独立しているわけではなく、春日部で伊勢崎線に接してはいるが、運行は全く別になっていて乗り入れなどもない。
大宮から岩槻、春日部、野田、柏を経て船橋に至る60キロほどの長い路線だが、長らく単線で、行き違いのための長時間停車が多く、全列車鈍行というなんとものんびりした線区だった。
しかし考えてみると、この線は東京の北部から東部をぐるりと周回している貴重な存在なのだ。山手線、武蔵野線に続く第3の環状線として、いくらでも利用価値があるはずである。
最近ようやく、複線化工事が進んできた。全線複線化された暁には、準急か快速を走らせるべきだろう。これだけの長さの路線に鈍行しか走らないというのは無茶である。
東武鉄道は、かなり長いことぱっとしない時期が続いたが、近年になって次々とヒットを飛ばしつつある。眠れる獅子がようやく目覚め始めたというところか。関東私鉄の王者として、今後も企業努力を続けていって貰いたいものだと思う。
★西武鉄道★
初代経営者堤康二郎、二代目の堤義明共に、剛腕を振るって積極経営を旨とし、さまざまな関連事業を展開してきた。所沢などという都心から離れた場所に球場を持って、それがいつも大入りというのも、考えてみればすごいことである。プリンスホテルやパルコでは高級イメージを演出するのに成功し、農業鉄道だの肥溜め列車(戦後しばらく、東京で汲み取った人糞を、肥料として川越付近の農村に運んでいた)だのといった前身をすっかり払拭した。まったく、西武のすることは、やることなすこと図に当たってきたという感じである。
ただ、鉄道に関して言えば、ほぼやるべきことはやり終えたと安心してしまっている感がないでもない。この春に、難航していた有楽町線(練馬−小竹向原)の建設が完了し、営団地下鉄有楽町線に乗り入れて念願の都心直通を果たしたのが、久しぶりのトピックと言うべきか。あとはずいぶん前から計画だけは言われている、新宿線の地下別線の建設だが、これはいつになるかわかったものではない。
西武は鉄道建設と地域開発を同時に進行させた企業であって、沿線のほとんどの街は西武自身が作ったと言ってよい。それ以前からの比較的大きな街となると、宿場町であった田無や所沢、城下町であった川越などごく限られている。
そのせいか、西武の駅前というのはどこもなんとなく雰囲気が似ている。狭い駅前広場、なぜか決まってある写真屋、西友ストア。画一的と言えばひどく画一的である。
鉄道自体に話を戻すと、西武の路線案内図を見て驚くのは、列車種別の多様さである。おそらく西武ほどいろんな名前の種別を揃えている鉄道はないだろう。特急・快速急行・急行・通勤急行・快速・通勤快速・準急・通勤準急・区間準急・各駅停車と10種類もあるのだ。
ただ、特別車輛を用いているのは特急(レッドアロー)だけで、あとは休日の秩父行き快速急行にセミクロスシートの秩父線用4000型が時々用いられる他はすべて一般通勤車輛である。それに、優等列車が走っているのは池袋線・新宿線と野球開催日の狭山湖線だけであって、通過区間なども決して長くはない。要するに、東武とはすこぶる対照的に、ほんの僅かな停車駅の差でいちいち別の名前にしてあるわけである。
池袋線で見ると、まず快速急行は石神井公園・ひばりヶ丘・所沢・小手指・入間市・飯能以遠各駅に停車する。次に急行はこのうち所沢以遠、快速はひばりヶ丘以遠各駅に停車する。つまり程度の異なる区間急行であるに過ぎない。準急に至ってようやくこれらの基本停車駅の他練馬に停車し、石神井公園以遠各停となる。区間準急は練馬以遠各停で、通過する駅は僅かに4駅に過ぎない。さらに「通勤」を冠しているのはもう少し微妙で、朝の通勤時に混雑しないように千鳥停車(続行する列車が別々の駅に停まる)をおこなっているが、それぞれ別の名前がついているというわけだ。
ほんの僅かな差で別の名称がついているのを煩わしいと見るか、例外がなくてわかりやすいと見るかは人それぞれだろうが、なんとなくこけ脅かしの感もないではない。
なお、新宿線にこの夏から走り始めた新しい快速急行は、車輛こそ一般車輛だが、停車駅を高田馬場・田無・所沢・新所沢に絞り、なかなか快調な走りを見せている。特急の停まる狭山市を通過するところがミソである。特急と快速急行の千鳥停車は、今まで阪急や阪神ではあったが、関東では初めてのことだ。
特急「レッドアロー」は長らくクリーム地に赤のライン(これがレッドアローの名の由来)の5000型が親しまれていたが、しばらく前からニューレッドアローと称するグレーの車輛に取って代わった。グレーのレッドアローは、JR九州の「赤い『みどり』」と同じくユーモラスである。新宿線は「小江戸」、池袋・秩父線は「ちちぶ」「むさし」「おくちちぶ」と愛称がついているが、快速急行以下の列車種別にやたら細かい西武にしては、特急の愛称名は結構アバウトである。「ちちぶ」と「おくちちぶ」の差はないと言ってよいし、「むさし」は飯能止まりだが時々秩父まで延長運転されたりする。
アコモデーションは快適だが、最近次々と各社が有料特急のグレードアップを図る中では比較的平凡と言える。自動販売機がある程度で、他のサービスは特にない。走行時間が短いせいかもしれない。
典型的な近郊路線の多い西武だが、秩父線だけは観光山岳路線の性格を持ち、上記のセミクロスシート4000型専用車輛を走らせている。できれば快速急行くらいは全面的にこれを投入して、他の種別との差別化を図るべきではないだろうか。
秩父線はほとんどどの駅からも登山路やハイキングコースが出ていて、休日などはハイキング姿の乗客でいつも賑わう。奥武蔵地域の山々に日帰りできるようになった功績は大きい。
終点の西武秩父は、秩父鉄道の御花畑駅に近いが、乗り換えはあまり便利ではない。私はある時、山の中で迷ってしまい、へとへとになって帰ってきたことがあるが、ここの乗り換えがものすごく遠く感じられたものである。
平成になって、秩父鉄道との直通運転が開始された。西武秩父の手前の横瀬で分割して、三峰口方面、長瀞方面双方に乗り入れる。ただ秩父鉄道がまだ全線単線ということもあって、乗り入れる本数はまだまだ少ない。今後は本数の増加と、特急の乗り入れが課題であろう。
意外と閑却されているのが国分寺線である。現在の新宿線の前身である川越鉄道はもともと国分寺を起点として建設されたのだから、由緒ある線区なのだが、東村山までの単線を小編成の電車が行ったり来たりしているに過ぎない。JR中央線の国分寺に特別快速の全列車が停車するようになったのだから、西武の国分寺線ももっと拡充してもよさそうなものだ。複線化すると共に、川越・秩父方面への直通電車、できれば特急を走らせたい。
拝島線も最近は沿線人口が増えているのだから、全列車各停などとケチなことを言わず、萩山・小川・東大和市のみ停車の急行を走らせてよい。それでなくとも、西武の電車は、乗っていてあまり一生懸命走っている感じがせず、もっとスピードアップを図って貰いたいところなのだ。急行とは言わないまでも、拝島までのアクセスはもっと速くしなくてはならない。中央線の青梅特快は新宿−拝島を40分で結んでいるのに、西武の急行は約50分かかっているのである。これではあまりに遅すぎる。西武はこの区間でJRと張り合う気はないのだろうか。もっとも、新宿線の線路容量がぎりぎりで、これ以上のスピードアップを図るためには、上で述べた地下別線を作るしかないというのも事実ではある。
総じて言えば、西武は副業に精を出すのも結構だが、鉄道部門にもまだまだ改善の余地はあるように思う。特にスピードアップは焦眉の急である。それに駅からのバスタッチの不便なこと。駅前広場が狭くて、バスが乗り入れられないのだ。せめてバス乗り換え用の歩道を設置するとか、いろいろやりようはあるはずである。これで充分などと安心していないで、より一層の改善を求めたい。
次回は京王・小田急などを扱いたいと思います。
(1998.8.15.)
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