23.急行挽歌

 
 JR、昔の国鉄の急行列車にはずいぶんとお世話になった。
 今は「周遊きっぷ」(このエッセイの第13回参照)になってしまったが、私はその前のワイド周遊券を使ってずいぶん旅をした。この周遊券は、急行の自由席にはいくらでも乗ることができたのである。私が大学生の頃、周遊区間内は特急の自由席にでも乗れるようになったが、高校時代までは急行にしか乗れなかった。当時はまだそれで、さほど不自由ない程度には急行が走っていたのである。
 だが、その後、急行はものすごい勢いで削減され始めた。
 まさかなくなることはないだろうと思われた東北夜行「八甲田」「津軽」まで廃止されてしまい、今やJRから、急行という種別はほとんどなくなろうとしている。
 平成10年現在、残っている定期急行は、わずかにこれだけである。

愛称名 運転区間 備考
宗谷 札幌−稚内
利尻 札幌−稚内 夜行(寝台付き)
サロベツ 札幌−稚内
礼文 旭川−稚内
はまなす 青森−札幌 夜行(寝台付き)
よねしろ 秋田−鹿角花輪 大館−鹿角花輪間普通
陸中1〜6号 盛岡−釜石・宮古
アルプス 新宿−長野・信濃大町 下りは信濃大町行き、上りは長野発。夜行
銀河 東京−大阪 夜行(寝台のみ)
能登 上野−福井 夜行
ちくま 大阪−長野 夜行
きたぐに 大阪−新潟 夜行(寝台付き)
能登路1〜4号 金沢−輪島・珠洲
たかやま 大阪−飛騨古川
かすが 名古屋−奈良
わかさ 敦賀−東舞鶴
つやま 岡山−智頭 津山−智頭間快速
だいせん 大阪ー出雲市 倉吉−出雲市間快速。夜行(寝台付き)
ちどり 広島−備後落合 上り備後庄原−備後落合間普通
たいしゃく 広島−備後落合 下り備後落合−備後庄原間普通
みよし1〜4号 広島−三次
よしの川 徳島−阿波池田
えびの1〜6号 熊本−宮崎 都城−宮崎間快速
くまがわ1〜8号 熊本−人吉

 急行の最盛期というべきは、全国にディーゼルカーが大々的に投入され、かつ国鉄から準急という種別が廃止されて急行に格上げられた昭和43年10月頃のことである。この時、全国に走る急行は実に1259本、それに較べると現在の66本(上下合わせて)というのがいかに少ないかわかるだろう。20分の1になってしまったのである。
 今でもナンバーのついた急行の走っている釜石線(「陸中」)、七尾線(「能登路」)、芸備線(「ちどり」「たいしゃく」「みよし」)、肥薩・吉都線(「えびの」「くまがわ」)は、いずれも単線非電化のローカル線に過ぎない。名前は違うが4往復の急行の走る宗谷本線も、本線と名はついているものの、単線非電化であることに変わりはない、支線の1本もない長いローカル線である。
 どの幹線にも、次々と急行が行き来していた時代を知る者としては、なんともうらさびしい想いにかられる。
 私の高校時代は、例えば東北本線には、青森行きの「八甲田」はもとより、盛岡行きの「いわて」仙台行きの「まつしま」黒磯行きの「なすの」、そして山形行き「ざおう」や会津若松行き「ばんだい」といった面々が踵を接して走っていた。常磐線の「ときわ」、上越線の「佐渡」、信越線の「信州」なども忘れがたい。今や夜行一往復のみに押し込められた中央東線の「アルプス」も、実に9往復の多きを誇っていた。
 まあ、東北本線や上越線から急行が消えたのは、新幹線の開通によってのことであり、これはやむを得ない。
 だが、新幹線と無関係な、北陸本線、羽越本線、山陰本線、紀勢本線などの幹線系からも、急行は次々と駆逐され、そのすべてが特急に取って代わられた。
 ばかりか、特急など通るほどの格とは思えない身延線、飯田線、久大線、豊肥線といったローカル線すら、急行がなくなって特急が走るようになった。そうでないところは、格下げを受けて快速が走るのみになった。
 上に挙げたうちでも、いつ特急に取って代わられるかわからないものも多い。「たかやま」「よしの川」など、気まぐれに残されている感じで、「ひだ」「あい」といった特急の一員に吸収されてしまうのは時間の問題であるような気がするし、「よねしろ」「かすが」「わかさ」あたりはあっけなく快速に格下げられそうである。
 なんだか風前の灯といった風情の急行だが、どうしてこんなことになったのか、少し考えてみたい。そして、このままで本当によいのかどうかも、検証してみる必要があるだろう。

 最盛期の急行の基本スタイルは、4人掛け固定クロスシートだった。国鉄末期には鈍行兼用のセミクロスシートという情けない車輌も出現していたが、一般的には一応急行用車輌として建造されたものを使用していた。
 昔は特急はずっと格が高く、庶民がおいそれと乗れる代物ではなかった。大半が全車指定席で、値段的にも手続き的にも、手軽に乗るというわけにはゆかなかったのである。少し早く目的地に行きたいと思えば急行であった。少々出費がかさんでももっと早く、もっといい座席で行きたい人だけが特急を使った。
 ところが、いわゆるエル特急の出現の頃から、特急が徐々に庶民化してきた。高度成長により国民の収入が増え、特急料金もそれほどバカ高く感じられなくなってきたのも大きい。速さもさることながら、生活水準が上がったため、向かい合わせの固いボックスシートの急行を嫌い、リクライニングの利いた特急の座席で旅をしたいという人が多くなった。
 ここで、
「国民の要求が高くなったのだから、急行をもっとグレードアップしなくては
という発想になっていれば、今日の急行の衰退はなかったであろう。
 しかし、丁度その頃から、国鉄の赤字が深刻になり始めており、国鉄としては増収を図る必要があった。
 それで、急行の設備などを改良するよりも、急行を特急に格上げる、という方針に走ってしまったのである。
 これによって確かに料金収入は増えた。味をしめた国鉄は、そんなに特急など走らせるに価しないような線区にまで、次々と特急を走らせるようになった。
 旅客の側は、この実質的な値上げにぶうぶう言いながらも、やはり急行の車輌設備が旧態依然として変化の兆しがないことを思えば、特急の快適さが捨てがたく、特急に移らざるを得なかった。これをもって国鉄は、
「旅客は特急を望んでいるから」
という名目で、ますます特急偏重になって行った。
 JRになってもこの傾向はとどまることがなく、今度は
「列車種別を整理してわかりやすくする」
というわかりにくい理由まで挙げて、急行削減に邁進したのである。
 西武鉄道など10種類もの種別が走っていても、客は別に混乱している様子はない。急行が走っていたからと言ってわかりにくいはずはない。
 第一、快速を見ると、「新快速」「特別快速」「区間快速」「通勤快速」など実にいろんな種別が現実に走っているではないか。

 しかし、今となっては、急行の地位は実に中途半端である。
 急行に代わって、料金不要の快速列車がぐんぐん増えてきた。
 快速は多くの場合、その地域の事情に従って設置されているわけだが、例えば京阪神地区や中京地区では、私鉄との対抗のためという事情がある。私鉄の無料の特急や急行に対抗するためには、それに匹敵する速度と車内設備を備えた快速を走らせなくてはならない。その結果として、JR東海の311系、JR西日本の221系といった、昔の急行車輌などはるかに上回るような名車が出現した。「ムーンライトえちご」なども、高速バスとの対抗上、かつてのグリーン車より坐り心地のよいリクライニングシートを投入して、料金不要(指定席券のみ)で走らせている。
 こうなると、地域こそ違え、それより劣る車輌しか使っていない急行が、急行料金を徴収するに価するかどうかは、疑問になってこざるを得ない。
 また、各地で走らせている「ホームライナー」のたぐいは、たいてい特急車輌を使用しつつ、急行券より安い整理券だけで客を乗せている。
 速度的にも、せいぜい快速と同レベル、大都市圏の新快速あたりと較べれば、走っているのがローカル線であることが多いだけに、ずっと遅かったりする。
 このような中途半端な存在になってしまった急行を、どうしたものか。

 このまま亡びるに任せるというのもひとつの方法で、JRとしてはそのつもりのようだ。これ以上特に減らそうとも思わないが、車輌の耐用年数が切れるなどして走れなくなれば、無理して存続させようともしない、というところだろうか。
 急行が亡びると、普通急行がないところに「特別」急行だけが存在する、という妙なことになるが、長野電鉄山陽電鉄で前例もあるから、そんなに気にしていないかもしれない。
 それでは特急・快速・普通の3本立てにしてしまって構わないかというと、それはそれで問題もある。現在でもいろいろ問題がある。
 というのは、急行を無分別に特急に格上げした結果、特急がかつての急行の役割を果たさなければならなくなったため、本来特急が停まるほどのこともない小駅に停まらざるを得なくなった。特急と言うからにはせめて市の代表駅クラスの駅だけに停まるのが妥当であろうに、なんでこんな駅にと言いたくなるようなところで停まったりする。特急が駅に停まってもほとんど乗降客もなく、ひっそりとしているのは、なんともわびしいものだ。
 実際、多くの線区で、「スーパー」を冠する特急が走っており、それを冠さない特急と、停車駅その他が差別化されている。昔の特急と急行に相当するタイプが分かれてきているのだ。急行相当タイプでも、今や特急料金を払わなくてはならないわけで、これは非常に疑問である。
 また、ローカル線にも特急が走り出したゆえ、速度が遅く、特急の名に価しないような特急も増えた。ローカル線は線路も貧弱だし線形も悪いし、勾配も急だし、何より大部分が単線非電化のため、スピードを出すことができないのである。こういうのに乗ると、特急の「特」というのは速度のことではなくて、車輌のことであるらしいという認識に達する。
 その車輌も、いまだに四半世紀前に投入されたものを使っている列車もまだまだ多い。そんな古い車輌に乗せて特急料金を取ろうとは厚かましいにもほどがある。
 一方で、素晴らしくデラックスな特急車輌を使っている線区もあるので、今やひとことで特急と言っても、ピンからキリまで、しかもピンとキリの差があまりに大きすぎる状態になっている。

 私鉄に目を転じると、こちらは急行もまだまだ大活躍している。
 大手私鉄のよくあるパターンは、特急は有料のデラックスなものにして会社のステータストレインにし、急行は一般車輌を使って日常的な用途に使うというものだ。西武小田急近鉄名鉄(特急との共通車輌も使用)、南海(無料特急もあり)、それに富山地鉄がこのタイプだ。事実上準急並みだが京成も同じタイプと言える。こういうところでの急行は、通勤通学などの主力となっており、その重要度は大きい。
 このほか、特急は無料ながらデラックスな特別車輌を使う京阪阪急(一般車輌の特急もあり)、西鉄、それにランク的には疑問があるが京急。これらにしても、急行の役割は大きい。このタイプの私鉄は、特急の停車駅を極端に少なくしていることが多く、その点でも地域の足として、急行を使う人は多い。
 東武(伊勢崎・日光線系統)では急行は特急同様に専用の車輌を用い、急行料金も徴収している。急行という種別の地位がいちばん高いのがここだろう。東武鉄道について書いた稿でも触れたが、赤城急行「りょうもう」などは、JRを含めて、たいていの特急よりもレベルが高い。その代わり、特急料金と急行料金の差は、JRよりは小さい。浅草−鬼怒川温泉間、特急料金は1420円、急行料金は1220円である。

 私としては、急行の復権を望みたいが、JRが急行について、30年前の感覚を引きずっている限りそれは難しいと言わねばならない。とにかく、リクライニングもないボックスシートなどで料金をとろうなどというのは今時信じがたい感覚なのだ。
 急行の復権には、ふたつの方法が考えられる。
 大手私鉄メジャーパターンと、東武パターンである。
 メジャーパターンは、この際急行は料金不要にしてしまうこと。新快速などは急行に格上げてしまえばよい。その代わり指定席や洗面所の設備などを整備する。特急体系の抱える問題は残したままだが、これなら少なくとも、設備の面で文句を言われることはなくなるだろう。
 東武パターンというのは、急行をもう一度、特別な(エクスプレス)列車として見直すというものである。料金徴収にふさわしい速度と設備を整え、しかも地域の人々が気軽に乗れる列車にするべきだ。個人的にはこちらを推す。
 料金体系も根本的に見直すとよい。東武のように、特急料金と急行料金の差をもう少し縮めるのも手だろう。その代わり、急行料金の距離によるランクをもっと細分化する。現在は50キロまで530円、その上は100キロまで730円だが、25キロまで、75キロまでというランクも作るべきだろう。25キロまで300円、50キロまで500円、75キロまで650円、100キロまで800円くらいにしておけば使いやすいと思う。
 そして、現在の特急のうち、ほとんど特急の名に価しないような速度・設備のものは全部急行に格下げしてしまう。格下げというと印象が悪いのなら、一旦ご破算にして、愛称その他を再考する。格下げと言っても、車輌などはそのままなのだ。私の見るところ、特急として許容できるのは、新幹線は別として、各地の「スーパー」付きの特急、寝台特急、それに「白鳥」「サンダーバード」「オーシャンアロー」「ソニック」「つばめ」くらいなものである。
 「成田エクスプレス」「はるか」も設備的には合格だが、何しろ運転距離が短すぎる。またこの2列車はいずれも、空港連絡という目的が決まっている。それから競合する私鉄がある関係で料金をあまり高くすることもできない。だから、いっそのこと「直行」などの新種別を導入してはどうだろう。
 「雷鳥」「ひたち」は速度的には合格、設備もまあまあだが、「スーパー雷鳥」「スーパーひたち」があるので、特急の名はそちらに譲り、急行になってもよいと思う。それが急行のイメージに合わないというなら、急行についての感覚が古いと言わざるを得ない。なお急行にするなら、ぜひ昔の「くずりゅう」「ときわ」の名を復活して欲しい。

 普通急行の役割はもう終わったという人もいるが、私はそうは思わない。それは各私鉄で急行が活躍しているのを見てもわかる。「急行とはこういうものだ」という、国鉄時代からの固定観念を打破し、それぞれの地域の事情に即した親しみやすい優等列車として、急行を見直して貰いたい。
 なんだか絶滅に瀕した生き物を救おうとする運動家のような心情になりつつあるが、普通急行に長いことお世話になってきた貧乏旅行者の感傷とは思われたくないものである。 

(1998.12.10.)

【後記】
 2000年4月に、宗谷本線の「4大急行」(宗谷礼文サロベツ利尻)が揃って特急に格上げされ、長らく頑張っていた宗谷本線からも急行は消えた。なお「礼文」の名前は消え、「宗谷」とともに「スーパー宗谷」という名前に統合された。
 上に記した急行のうち、他にも「たかやま」「わかさ」「よしの川」がすでに消えており、また「えびの」「くまがわ」に統合された。急行の命運はいまや風前の灯火である。

(2000.5.13.)


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