エイトライナーとかメトロセブンとかいう地下鉄計画は、ずいぶん以前から話が上がっていて、促進協議会のようなものが作られたこともあると思うのですが、一向にらちがあきません。多くの区にまたがっているので利害調整が難しいことと、バブルがはじけてこんな大事業を推進する意欲も関係者から失われてしまったことが要因だったのでしょう。 しかし、景気が上向いてくれば、またプランが俎上に上がることが無いとは言えません。実現したら面白いと思いますし、新宿・池袋・渋谷などの混雑が多少は抑制されることになるかもしれません。 東京周辺の鉄道網は、放射状の方向には発達していますが、環状方向にはあまり便利ではないのが現状です。山手線・大江戸線が環状線として存在していますが、大正時代くらいまでならともかく、今や山手線の各駅がターミナル化して混雑していますから、それより外周に欲しいところです。 例えば東武東上線沿線から小田急線沿線に行こうとするような場合、どうしても池袋や新宿を経由しなければなりません。バスを乗り継ぐ方法はありますが乗り換えが多く、あまり実用的ではありません。乗降客数日本一の新宿と2番目の池袋で乗り換えをしなければならないと思うだけで、出かける気力も削がれてしまうと言うものです。ここでもし、東武練馬あたりから千歳船橋あたりまで直行する路線があれば、ずいぶん楽ではないでしょうか。 「第二環状線」として武蔵野線がありますが、少々山手線から離れすぎています。また、鶴見までの武蔵野南線が旅客化されておらず、そこは南武線に託されていますが、南武線は駅が多いわりに快速などが少なく、どうもあまり便利とは言えないものがあります。
山手線と武蔵野線のあいだに、もうひとつくらい環状線が欲しいと思います。それでエイトライナーやメトロセブンがあればと、つい考えてしまうことが多いのです。
言うまでもなく、エイトライナーは環八通りの直下に、そしてメトロセブンは環七通りの直下に地下鉄を通そうというアイディアです。エイトライナーは東京の西側、メトロセブンは東側に敷設するものとして考えられています。
民営化された東京メトロがこれからこんな事業に単独で手を出すとは思えませんので、これは第三セクターによる敷設ということになるでしょう。東京都と、通過する区と、接続する鉄道会社、それに沿線のおもだった企業などが出資者となるでしょうか。
第三セクター鉄道というのは、強力な推進者が居ないとなかなか話が進まないようです。この場合は東京都がその気にならないと難しいでしょう。JRの転換路線などを見ても、複数の県にまたがっているにもかかわらず一応成功しているのは、阿武隈急行・智頭急行・肥薩おれんじ鉄道くらいなもので、たいていは県ごとに別の企業体を起ち上げています。こんど開通する北陸新幹線のために第三セクターとなる信越本線・北陸本線などひどいもので、結局新潟県・富山県・石川県の利害が一致せず、それぞれ別個に第三セクター化するていたらくとなりました。当然、通して乗れば運賃は加算されることになるでしょうし、不便なことこの上ありません。
エイトライナーは大田区・世田谷区・杉並区・練馬区・板橋区・北区を通ることになり、メトロセブンは北区・足立区・葛飾区・江戸川区を通りますが、各区の思惑をすりあわせていてはいつまで経っても話が進みません。上位者である東京都の牽引力が不可欠です。
現在の猪瀬直樹知事は、成田・羽田両空港を結ぶための地下鉄新線の建設にも消極的であるようですから、エイトライナーやメトロセブンに理解を示すとは思えません。後代の知事に期待したいところです。
エイトライナーは、最終的には羽田空港まで直通したいというのが提案者の要望であるようです。確かに、世田谷区や練馬区から羽田空港に直通できるのであれば、これは便利です。ただ、現在羽田空港に乗り入れている東京モノレールや京浜急行とのかねあいがあって、やや難しいかもしれません。
そこで、京急空港線に「乗り入れる」という考えもあります。これとても、品川〜京急蒲田までの乗客が減ることになりかねない京急にとっては、すぐには首肯しがたい案でしょう。
エイトライナーよりもう少し現実味のあるプランとして、東急多摩川線を終点の蒲田から延長し、600メートルほど離れている京急蒲田に乗り入れるという話もありました。京急蒲田ではなくて、それこそ環八通りの下を通って大鳥居まで延ばし、そこで京急空港線に乗り換える、あるいは3線軌条にして乗り入れ羽田空港まで電車を走らせる、という別案もあります。いわゆる「蒲蒲線」計画です。しかし、これも今のところ話だけで、着工するという噂は聞きません。
羽田空港への直通はさしあたって後まわしということにしますと、エイトライナーの起点は蒲田ということになりそうですが、ここも東急のテリトリーで少々難しいように思えます。東急多摩川線は蒲田から下丸子まで、ほとんど環八と寄り添うようにして走っていますし、それ以北もしばらくは、東急多摩川線と池上線にはさまれるような位置となります。1キロにも満たない幅のあいだに3本も鉄道を通すほどの意味は、あまり無さそうです。むしろ、目黒線と切り離されて独立運行となった東急多摩川線を、エイトライナーの一部として採り入れるというほうが現実的かもしれません。そうすると、路線としての起点は田園調布あたりになりそうです。
田園調布以北の環八はいよいよ独自ルートをとりますが、それでもなお上野毛あたりまでは、東急の大井町線と数百メートルの間隔で並行しています。ここもまた、新線を通すほどの意味があるのか、むしろ田園調布〜九品仏間の連絡線を作る程度にしておいて、大井町線を活用したら良いのではないかという気がします。結局、らちがあかないのはこのあたりの既設線との関係がはっきりしないからという面もあったかもしれません。
上野毛からは有用だと思います。まず最初に交差する他路線は東急田園都市線で、瀬田のあたりになりますが、田園都市線には駅がありません。しかし用賀と二子玉川の中間点くらいになるので、新駅を設置しても良さそうです。少し北上して、砧公園の北側あたりにも駅を設置して良いでしょう。
小田急との交差は千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵のあいだになってしまいます。両駅のあいだに新駅を作るほどの駅間距離ではないし、といって近いほうである千歳船橋まででも500メートルくらいはあって、ここは少し困ります。動く歩道を設置した地下道でも作るしかないでしょうか。
京王線の八幡山、井の頭線の高井戸はほぼ直上ですので便利でしょう。八幡山の南、千歳台のあたりに1駅くらいあっても良いかもしれません。
高井戸の北、川南あたりに1駅くらい作り、それからJR中央線と交差します。荻窪が近いのですが、乗り換えにはちょっと歩くことになりそうです。ここも地下道が欲しいところです。
西武新宿線の井荻、西武池袋線の練馬高野台は、直上ではありませんがごく近くにあります。乗り換えもそれほど不便ではありません。
次は大江戸線と、練馬春日町で接続できます。ここは地下鉄同士ですから、乗り換えも楽にできるでしょう。メトロ有楽町線の平和台も同様です。
東武東上線とは残念ながら適当な接続駅がありません。冒頭で東上線と小田急を例に挙げたのに、この2路線に関しては不便なのでした。上板橋も東武練馬も同じくらいの距離となります。かと言って両駅間に新駅を作るのでは駅間距離が短くなりすぎます。難しいところです。
都営三田線とは志村三丁目で乗り換えということになるでしょうが、これも100メートルほど離れており、地下通路が欲しいところです。あとは小豆沢公園附近に1駅設置して、JR埼京線と北赤羽で交差し、メトロ南北線の赤羽岩淵が終点ということになるでしょうか。
メトロセブンも赤羽附近を起点としたい趣きでしたが、環七に取り付くまでメトロ南北線と並行させるのも無駄な気がします。南北線が地下を通っている北本通りは道幅が広いので、赤羽岩淵の隣の志茂までを複々線にするのは可能かもしれません。
志茂で分岐して、まずはハートアイランドに1駅設置でしょう。荒川と隅田川にはさまれた区画で、現在のところバスしか交通手段がありません。
日暮里・舎人ライナーとは接続駅が無いようです。西新井大師西が近いことは近いのですが、環七からは200メートルほど離れています。都電の新庚申塚と三田線の西巣鴨くらいの間隔でしょうか。
次は東武大師線の大師前となりそうですが、西新井にも駅を作らないわけにゆきませんので、メトロセブンができたら東武大師線自体が不要になり、廃止される可能性があります。もともと大師線は、同じ東武でありながら連絡のない伊勢崎線系統と東上線系統を結ぶために「西板線」として構想された路線の一部で、その発想はメトロセブンとほぼ同じでした。
つくばエクスプレスとも残念ながら接続できません。青井と六町のちょうど中間点あたりを環七が抜けています。ここは諦めるしかないでしょう。
JR常磐線とは亀有で接続できます。これは荻窪とは違い至近距離です。なお西新井〜亀有間には2駅くらい設置したいところです。
京成の青砥とは少しだけ距離があります。うまい位置に出入り口を設置すればそう不便でもないでしょう。
JR総武線はどうしようもありません。新小岩と小岩のほぼ真ん中あたりを抜けることになってしまいます。この辺だけはちょっと環七から離れて、どちらかの駅に立ち寄ったほうが良いような気がします。青砥の南側、奥戸あたりに1駅置いて、蔵前橋通りに少しだけ浮気して新小岩に立ち寄り、平和橋通りを南下して江戸川区役所を経て、今井街道で都営新宿線の一之江に出るというルートはどうでしょうか。一之江で環七に戻り、そのまま南下してメトロ東西線の葛西に接続します。そしてJR京葉線の葛西臨海公園が終点となります。
江戸川区内はなかなか重宝する路線になるように思えます。
環状線の宿命として、あまり長距離を乗り通す利用者は見込めません。ある放射路線から別の放射路線へとショートカットして客を運ぶのが環状線の役割です。その意味では、採算ラインをどう考えるかが難しくなります。便利であっても、あまり運賃が高いようだと利用されないでしょう。山手線に出るよりも安く(そして速く)つく、という具合に設定しておかないと閑古鳥が啼くことになってしまいます。速度のほうは、急行を走らせるなどの必要が出てくるかもしれません。
接続する各線のほうも、接続駅に準急や急行などを停めるというようにダイヤを改めて貰わないと、使いづらいことになります。以前、武蔵野線の各線との接続駅で、どの路線も武蔵野線を無視するようなダイヤになっていて笑えたものでした。いまでは東武の朝霞台(武蔵野線の北朝霞)と新越谷(南越谷)は急行が停車するようになりましたし、つくばエクスプレスの南流山も快速停車駅となりましたが、肝心のJRがまだ冷たいようです。西国分寺・南浦和・新松戸・西船橋のいずれも、いまだに各駅停車しか停まりません(西国分寺は快速が停車しますが、あのあたりでは事実上各駅停車です)。
かつて、山手急行電鉄という鉄道会社が設立されかけたことがありました。路線免許は受けたものの資金難で行き詰まり、結局小田急の総帥であった利光鶴松氏が乗り出して、もうひとつの計画線であった渋谷急行電鉄と併せ、帝都電鉄という名前で発足しました。最初は東京郊外鉄道という社名であったのが、東京の区部が拡がって計画線がすべて区内におさまったので改称したそうです。
帝都電鉄はまず渋谷急行線を開通させ、次に山手急行線にも着手しようと考えましたが、あいにくと利光が持っていた鬼怒川水力電気が国策によって取り上げられてしまい、おりからの昭和不況も重なって、山手急行線は結局実現せずに終わってしまいました。
なお開通した渋谷急行線はその後小田急に吸収されて「帝都線」となりましたが、間もなく陸上交通調整法による合併で東急の傘下となり、戦後は小田急ではなく京王に引き取られました。現在の井の頭線です。京王はしばらく前まで「京王帝都電鉄」という社名でしたが、その「帝都」は井の頭線の旧名に由来していたのでした。
さて、実現しなかった山手急行線ですが、この計画図を見ると、大井町から山手線の外側に大きく円周を描いて、現在の東陽町あたりまで達している環状線であったことがわかります。エイトライナー・メトロセブンよりも若干内側で、駒込〜田端は山手線と重複していますが、これがもし実現していたら面白いことになっていただろうと思います。
計画時点ではまだ敷かれていない路線も少なくありませんが、計画図を見る限り、西大井(JR横須賀線)、西馬込(都営浅草線)、雪が谷大塚(東急池上線)、自由が丘(東急東横線・大井町線)、駒沢大学(東急田園都市線)、松陰神社前(東急世田谷線)、梅ヶ丘(小田急)、明大前(京王線・井の頭線)、中野(JR中央線)、新井薬師前(西武新宿線)、新江古田(都営大江戸線)、江古田(西武池袋線)、大山(東武東上線)、新板橋、西巣鴨(以上都営三田線)、駒込、田端(以上JR山手線)、赤土小学校前(日暮里・舎人ライナー)、北千住(JR常磐線・東武スカイツリーライン・つくばエクスプレス・メトロ千代田線と日比谷線)、八広(京成押上線)、平井(JR総武線)、大島(都営新宿線)、南砂町(メトロ東西線)のあたりで現存路線と交差することになったようで、しかも環八や環七よりも乗り換えが便利そうです。実現していなかったのが惜しまれます。
名古屋では地下鉄(名城線)が環状線となり、以前と少し違った人の流れが生まれています。大阪でも、外環状線がわずかながら旅客化されたり(おおさか東線)、環状的なルートを持つ大阪高速鉄道(モノレール)ができています。
鉄道の場合、都心と結ばないとなかなか採算がとれないという事情があるかもしれませんが、放射状路線ばかりだと、どうしても都心部の混雑がひどくなる一方です。最近は宅地化がずいぶん奥まで進み、それに伴って都心部はさらに混み合うようになりました。ぜひしかるべき環状線を作って貰いたいと思うのです。
一部だけでも良いと思います。調布〜三鷹〜保谷くらいを結ぶLRT(軽快電車)の計画もあったように記憶していますが、あれはどうなったのでしょうか。
こういう計画は、もういちどバブル期並みの好景気でも訪れないことには顧みられることもないのかもしれませんが、東京のような都市はクルマ優先社会からそろそろ離脱すべきであり、そのためには鉄道におけるルートの選択肢をもっと増やしておく必要があると思います。環状線は、ルートの多様化という意味ではたいへん役に立つアイテムだと考えます。
(2013.10.26.) |