土砂降りの墓参行

 颱風18号が日本列島を直撃して、国土の半分くらいが風雨に鎖(とざ)されているときに、何をわざわざという気もするのですが、昨日(2015年9月8日)と今日(9日)、恒例の墓参行に出かけて参りました。
 雨が続くことは何日も前からわかっていたことで、たぶん今週の金曜日くらいまでは晴れが無いとされていましたので、延期しても良かったのです。何しろ、今年は青春18きっぷを買ってありませんでした。
 例年、8月終わりから9月はじめくらいの時期に、高尾にある私の祖父母の墓と、前橋にあるマダムの祖父母の墓を同日に参るということをはじめたのは、夏のあいだに使った青春18きっぷが1枠か2枠剰っていたのを、さあどうしようかと考えた際に、いっそ墓参りでもしてくるかという話になったのがきっかけです。
 高尾から前橋に移動するにあたっては、八高線を用いることにしました。これは、上京するときに八高線を好んで使っていたというマダムの祖父にあやかってのことです。マダムはそういう縁起担ぎが好きなたちでした。当時、多摩市内に彼の息子(マダムの伯父)が住んでいたのを訪ねるにあたり、高崎から八高線に乗って八王子までやって来て、そこから京王線に乗り換えるか、もしくは拝島青梅線に→立川南武線に乗り換えるかしたのでしょう。

 ダブル墓参りは、青春18きっぷの消化のためにはじめたことですので、本来は日帰りでした。2011年にはじめ、翌12年は夏のあいだ18きっぷを使う用事がなかったので行かず、13年に第2回、14年に第3回を決行しました。その第3回、つまり去年ですが、この年は18きっぷを2回購入する機会があり、はじめて泊まりで行ってきました。つまり1日目、私の住んでいる川口から高尾へ、高尾から前橋へ行き、そこで一泊。翌日は両毛線水戸線水郡線などを乗り潰して帰宅するということをやったのです。
 さて、今年はいままで青春18きっぷを使う用事が無かったのですが、墓参りついでに1泊2日で旅行してきて、それで4枠埋まるので、最後の1枠は私が運転免許の書き替えをしに鴻巣免許センターまで出かけたついでにどこか乗りまわしてくる、という計画を立てていました。夏の18きっぷの有効期間は9月10日までなのですが、それまでにふたりで出かけられる2日続きの日程を考えると、この8日・9日しか無かったのでした。しかも私は9日の晩には仕事を抱えており、それまでに戻ってこなければなりません。
 そのつもりで予定を立て、宿なども予約したのですが、私としたことが、青春18きっぷの発売期間が8月末で終わるということをすっかり失念していました。9月に入った途端にそのことに気がつき、茫然としたものです。
 そんなわけで、実は宿の予約以外、何がなんでも8日・9日に出かけなければならない理由は、今年に限っては無かったのですが、まあせっかく予定をあけたのだし、行ってこようかというのんきな心構えで、8日(火)の朝に家を出ました。

 すでに雨はだいぶ大粒で降っています。川口駅まで歩くだけでもだいぶ濡れました。
 しかも平日の朝ですので、電車は混んでいます。ラッシュがひどくなる前に新宿まで行ってしまおうと考えたものの、京浜東北線埼京線湘南新宿ラインの電車は、8時台を待たずして相当混雑しています。
 今回は青春18きっぷが無く、従ってフリーパスではないため、高尾まではいちばん安く上がる手段で行こうと考えました。そうなるとJRのみの利用よりも、新宿から京王線に乗ったほうがずっと安く済みます。2011年の第1回は武蔵野線むさしの号、13年の第2回は武蔵野線まわりのホリデー快速富士山号、14年の第3回は中央線まわりの同じくホリデー快速富士山号で高尾まで行きましたが、川口〜高尾は近郊区間内であるため、どういうルートであっても運賃は変わりません。そしてその運賃が、京王線を使うことでだいぶ低減されるのでした。
 高尾という駅は、中央線で到着するのと京王線で到着するのと、だいぶ印象が異なります。中央線だとどん詰まりというか、「ここから先は異域」みたいな、あるいは「峠の茶屋」みたいな山岳駅の雰囲気があるのですが、京王線のほうは線路自体が高架であるせいもあるし、車窓から見える駅南口側に建ち並ぶマンション群の視覚効果もあって、ちょっとしたニュータウンのアクセス駅のように感じられます。構内改札を通って、JR側(北口側)に出ると、ニュータウンだったのがにわかに山岳駅に変貌しました。
 バスに乗って霊園に行きましたが、相当な大降りです。ここしばらくの降りかたのような、小雨ないし霧雨がぱらぱらと顔に当たるというのとはまるで様相を変えています。これでは落ち着いてお参りなどできるものではありません。大急ぎで持ってきた花を供え、マダムが近くの線香台で着火してきた線香を挿し、そそくさと手を合わせて退散しました。おかげでいつもより20分以上早い帰りのバスになりましたが、もうびしょ濡れです。傘はさしていましたが、なんの役にも立っていないようです。
 ほうほうのていで高尾駅に戻り、今度は中央線の特別快速電車に乗り込みました。
 いままでは毎回、ふた駅乗って八王子で下り、八高線電車に乗り換えていたのですが、今回はもっと速い手段、つまり新宿まで戻って湘南新宿ラインの特別快速で高崎まで向かうことにしました。この区間も近郊区間に含まれるため、最短距離(最低運賃)で計算されることになります。東京近郊区間とされる範囲は近年とみに拡大し、水上黒磯いわき松本まで含まれてしまいました。運賃が、実際の乗車ルートにかかわらず最短距離で計算されるのはありがたいのですが、この範囲の中で乗り下りする場合に途中下車ができず、有効期間も当日限りというのが少々不満であることがままあります。
 ともあれ2本の特別快速を乗り継いで高崎へ。
 最初、上野まで行って特急「あかぎ」で前橋へ直行しようかと思い、マダムも乗り気になっていたのですが、調べてみると最近の「あかぎ」はホームライナー化が著しく、日中は便が無いのでした。本庄止まりなどという、赤城山となんの関係も無い場所への列車も増えました。それで特急利用は断念したものの、乗り気になっていたマダムが何やら気の毒な気がして、湘南新宿ラインの電車でグリーン車に乗ることにしました。
 おかげで、新宿で駅弁を買って車内で食べるということが気兼ねなくできました。湘南新宿ラインには何輌かクロスシート車が連結されていることが多いので、そのボックス席なら弁当を使っても構わないとも思うのですが、高崎線なら熊谷以遠とか、宇都宮線なら小山以遠とか、かなり末端のほうへ行かないとやはりちょっと気恥ずかしさがあります。サンドイッチかおにぎり程度ならともかく、駅弁を拡げるのははばかりがあります。グリーン車ならその点は問題ありません。
 いままで、たいてい高崎で外へ出て昼食を食べていましたが、上記のとおり近郊区間に組み込まれてしまったため、高尾〜前橋という行程の途中で改札を出てしまうと、運賃が別計算になってしまって損です。高崎で出なくて済むようにと考えると、駅弁を買って乗り込むくらいしか無かったわけでした。
 グリーン席は快適でしたが、ぐしょ濡れになった背中が空調で冷やされ、寒気が絶えませんでした。あまり長いこと肌寒さを感じ続けていると風邪をひきかねません。着替えは持っていますが、そんなに多くはないので、ここで着替えてしまうとあとが困りそうです。

 前橋に着いて、中央前橋駅を経由するミニバスがすぐ出そうだったので乗車しました。マダムの祖父母の墓の最寄り駅は、上毛電鉄心臓血管センターです。前橋から中央前橋は1キロほど離れていて、最初の何回かは歩いたのですが、マダムが弱音を吐いたので、シャトルバスやミニバスを使うようになっています。私にしても、大雨の降る中を1キロ歩くのはありがたくありません。
 シャトルバスと違って、少し回り道するルートだったので、少しやきもきしましたが、無事に上毛電鉄の電車に間に合いました。12分ほどで心臓血管センターに着きます。
 もう何度も来ているのに、マダムはいまだにこの駅から霊園までの道があやふやであるようでした。細い生活道路を曲がり曲がり行くので、わかりにくいのは事実ですが、そろそろ憶えても良い頃です。毎回私が同道しているのでかえって憶えないのかもしれません。
 雨は高尾のときよりは小降りになっていましたが、それでも止んではいません。高尾の公営霊園は宏大な芝生に墓石だけが並んでいるタイプで、その芝生はちゃんと手入れがされているため、参拝者が掃除したりする必要はありませんけれども、前橋のほうはそういうサービスは無く、区画内は関係者の責任で掃除しなければなりません。軍手をはめて草むしりなどしましたが、何しろ雨が降っていて、それもおざなりで済ませます。もっとも、わりに最近誰かが参ったのか、例年よりも雑草の生えかたは少ないようでした。
 高尾で急いだのと、高崎で途中下車してランチタイムをとらなかったのが功を奏して、墓参りは例年よりだいぶ早く終了しました。上毛電車で中央前橋に戻り、去年から定宿になった前橋駅近くのホテルまで歩いて、チェックインしたときはまだ16時前で、なんと部屋に行ったらまだ清掃が終わっていませんでした。いくらなんでも15時には終わっているだろうと踏んだのですが、予約したとき到着予定時刻を18時などとしていたので、スタッフも多寡をくくっていたのかもしれません。
 早く宿に入ったので、ランドリールームで洗濯をすることができました。これで着替えに少し余裕ができます。マダムは着替えやタオルをビニール袋などに入れず、そのままナップザックに詰めてきていたため、それらが全部雨に濡れてしまっていておかんむりでしたが、洗濯物を乾燥機に入れるときに、一緒に入れて乾かすこともできました。

 マダムは夕食をとる店をスマホで調べて、どうしてもそこへ行きたいと主張していました。ホテルからは少し距離があり、雨の中歩いてゆくのはどうも気が進まなかったのですが、マダムはひとたび決めると融通が利かなくなるたちです。ラストオーダー時刻も迫ってきたというので、タクシーを拾ってそこまで行くことになりました。
 ところが、その店の前まではタクシーが入れないらしく、近くの角で下ろされました。初乗り料金でそこまでは行ったので、確かにそう遠くはありません。
 どちらへ歩けば良いのかわからず、マダムは業を煮やして店に電話をかけました。
 すると、今日は団体が入っていて貸し切りとなっており、一般のお客はお断りしているとのこと。
 なんのこっちゃ、という感じですが、とりあえず店の場所だけ確認し、ホテルとの位置関係も把握し、次回以降を期すということで、なすところなく戻りました。
 前橋の市街地は中央前橋界隈のほうで、JRの前橋駅はむしろ街外れになります。そういう街はかつてはたくさんありました。静岡なんかもそうでしたが、最近はたいていJR駅周辺の再開発が進んで、旧市街地と別個の繁華街を形成しつつあるケースが多くなっています。しかし前橋はまだそうなってはおらず、駅前に建ったショッピングモールも寂れる一方です。
 マダムの祖父母の墓参りにふたりで最初に来たのは2011年ではなく、その何年も前に、高尾とはひっかけずに一度来ています。そのときには、前橋駅前にイトーヨーカドーがありました。供花などはそこで買えば良いと考えたので、2度目である11年のときは花を用意せずに行ったところ、なんとそのイトーヨーカドーが潰れ、建物だけががらんと残っていました。3度目である13年は、その建物が「エキータ」なるショッピングモールに変貌していましたが、まだ出店準備中の店が多く、あまり繁盛しているようではありません。
 去年が「エキータ」としてはいちばん繁盛していたときであったようです。飲食店も何軒もテナントに入り、その1軒で夕食を食べ、マダムも大いに満足していました。
 マダムのお奨めの店が結局らちがあかなかったので、それなら去年と同じ店に入りたかったのですが、なんとその店は潰れたのか撤退したのか、もう「エキータ」にはありませんでした。「エキータ」の他の店も撤退したところが多く、店舗スペースの大半はただの空き地となり、丸テーブルなどが並べられて高校生たちが勉強していたりしました。
 いくらJR駅が街外れとはいえ、仮にも県庁所在地駅から至近の一等地とも言うべき場所にある商業施設がこれほどに寂れているのは異常です。役所やデベロッパーの思惑が完全に外れたという感じで、テナント料の設定がバカ高かったとでも言うのでない限り説明がつかないようでもあります。なんとかならないものでしょうか。
 結局「エキータ」に残った数少ない飲食店のひとつで夕食を済ませ(味は良かったです)、それから3度目になる駅近くのスーパー銭湯に行きました。ホテルの宿泊プランで、この入浴料が込みになっているというのがあり、迷わずそれを選んだのです。そんなに他種類の風呂が備わっているわけではありませんが、疲れが雲散します。

 翌9日(水)は前日に輪をかけたような大降りでした。あちこちの地域に大雨洪水警報が発令され、土砂崩れや浸水の危険も次々報じられるような一日です。
 朝食を済ませ、土砂降りの中を中央前橋駅まで歩き、ふたたび上毛電車に乗り込みました。
 青春18きっぷを持たずに来て、この日はどうしようかと思っていたのですが、素晴らしい切符を発見したのでした。「ぐんまワンデー世界遺産パス」というフリーパス型の切符で、JR・民鉄を問わず、群馬県内(と若干の周辺地域)の鉄道に何度でも乗れるというものです。特急料金を別に払えば新幹線やJRの在来線特急、さらに東武の「りょうもう」にも乗れてしまうという点、18きっぷよりも便利です。県内でこのパスで乗れない列車は、わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車だけで、まあほとんど万能と言って良いでしょう。そして値段も、上信電鉄全線を往復すれば元が取れてしまうという程度のリーズナブルさです。
 前日、前橋駅でこの切符を入手しておいたので、中央前橋に直行したというわけです。ちなみにJRの企画切符なので、中央前橋駅では販売していませんでした。
 民鉄にも乗り下り自由ですので、この日はいっそ上毛と上信のふたつの電鉄を乗り潰そうと考えたのでした。上毛のほうは、マダムの祖父母の墓参りをはじめて以来利用することも多く、全線に乗ったこともあるのですが、高崎から富岡を経て下仁田へ向かう上信電鉄のほうは、あまり乗る機会がありません。高崎駅でいつも乗りたいなあとよだれを流しているばかりでした。私はずいぶん前に踏破したことがありますけれども、ほとんど記憶がありません。
 両方乗り潰し、なおかつ晩の仕事に間に合うためには、宿を9時前に出なければならないので、上毛電鉄のほうは省略しても良いとマダムに伝えたのですが、そちらも乗りたいとマダムが明言しました。上毛電鉄の終点である桐生には、マダムの亡くなった伯母の家があり(祖母も晩年は一緒に住んでいた)、それなりに思い入れがあって、行く機会があれば何度でも行ってみたいようです。
 もっともその伯母さんの家は桐生市の中でも相老のほうで、上毛の西桐生駅やJRの桐生駅とはあまり関係が無いのですが、その伯母さんがいつも土産にくれたという桐生名産の「忠治漬け」なるわさび漬けのような漬物にこだわりがあって、それを買いたいというのでした。実は2011年の墓参行のとき、墓参りを終えてから西桐生まで上毛電鉄に乗り、桐生からJRで帰るというルートをとったのですけれども、そのときにも忠治漬けを探して商店街を歩き回りました。結局商店街では見当たらず、あきらめてJRの駅へ行くと、なんのことはない、駅に併設された土産物屋であっさり見つかったのでした。
 それがわかっているので、今日は時間も無いことだし、西桐生に着くとまっすぐJRの桐生駅の土産物屋へ向かいました。忠治漬けは無事見つかりました。

 桐生から両毛線の電車で高崎に移動し、上信電鉄の乗り場に向かいます。もちろん両毛線もフリーパスです。
 屋根のあるプラットフォームに立っていても、横なぐりの雨が吹きつけてくるような豪雨です。上信電鉄の往路が、この日いちばんの強雨であったかと思います。渡る川渡る川、みんな増水して、泥色の水が逆巻いておそろしげな様相でした。
 高崎からふたつ目に、佐野のわたしという新しい駅ができていました。新幹線のガードをくぐって間もなくです。すぐ先を流れる烏川に、以前渡し場があったからというのが命名理由だったようですが、北総鉄道矢切渡(やぎりのわたし)のように漢字にしたほうが良かったかもしれません。「わたし」とひらがなではどうしても「私」のように読めてしまいます。しかも悪いことに、最近の佐野研二郎氏の一連の疑惑事件で、「佐野る」というネットスラングが生まれています。言わずと知れた「パクる、盗作する」という意味合いです。「佐野のわたし」という駅名は、なんとなく「佐野る私」みたいに見えるのでした。せっかく請願駅として去年開業し、駅名も公募によりつけたというのに、とんだとばっちりであり、残念な事態なのでした。
 なおこの駅のイラストパネルに、謡曲「鉢の木」の一場面があるので、あれはこのあたりが舞台なのかと思って帰宅後に調べたところ、主人公の佐野源左衛門の「佐野」はやはり栃木県佐野市であり、少々まぎらわしいようです。附近の字名は確かに「佐野」であるらしいのですが、佐野源左衛門ゆかりの地というわけではありません。
 電車の運転台が右側についていることにマダムが気づきました。普通は左側なので、言われてみれば少し違和感を覚えます。関東鉄道竜ヶ崎線みたいに、プラットフォームがすべて片側というわけでもないようです。あまり進行方向を変えずに敷かれている路線なので、もしかしたら運転台に差しこむ直射日光対策とかでしょうか。
 終点の下仁田まで行って昼食にしました。マダムは例によって「下仁田グルメ」を検索しています。名産はコンニャクとネギくらいですが、近年「ソースカツ丼」でも知られているとか。
 今度はマダムの狙った店がわりと駅近くにあり、あまり濡れずに駆け込むことができました。マダムはすきやき定食、私はソースカツ丼を注文。ここのソースカツ丼は、ウスターソースや中濃ソースといった市販ソースとは違い、蒲焼きのタレみたいな味のソースに、揚げあがったトンカツをくぐらせてご飯に乗せたというものでした。別オーダーで刺身コンニャクもとり、マダムも私も大いに満足しました。
 復路、上州富岡で下車して、世界遺産となった富岡製糸場を見学してみようかとも思ったのですが、あいにくと水曜日が休みでした。それに駅から15分ほど歩かなければならないらしく、大雨の中、構えだけ見にゆくというのもばかばかしく、結局そのまま高崎に戻りました。
 上信電鉄を走っている電車は、ローカル私鉄の例に洩れず、多くは他社のお古を使っていますが、この復路に乗った電車は2013年製の新車でした。明らかに製糸場の世界遺産指定を受けて新造したのだと思われます。珍しいクロスシート車でもありました。
 クロスシート車を新造するのも良いのですが、どうせ世界遺産に便乗するのであれば、アクセスをもっと良くするために、急行を復活させてはどうかと思います。実は上信電鉄はかつて、急行・快速・準急という、ローカル私鉄には珍しいほどに多種類の優等列車を走らせていた実績があります。停車駅の差はわずかであり、いずれも便数も少なかったとはいえ、現在のような全列車鈍行というのは寂しい気がします。製糸場がオープンしている日は、山名・吉井のみ停車で富岡まで走る急行を走らせても良いのではないでしょうか。

 富岡で途中下車しなかった分、高崎で自由時間が増え、コーヒーを飲んだりしました。
 高崎からは八高線です。帰途に使うつもりだったのも、往路に八高線を使わなかった理由のひとつでした。
 風雨の影響で、あちこちで運転見送りやダイヤの乱れも報告されています。しかし八高線はその時点では異状が無いようでした。
 乗っていると、寄居から先、徐行運転となりました。もっとも私たちは小川町で下車します。
 小川町から東武東上線の急行に乗り、森林公園でその急行に接続する快速急行に乗り継ぎました。池袋に着いて戻りにはTJライナーとなるクロスシート車輌です。仕事の場所が板橋であったのと、ラストランにふさわしい列車として、この東上線快急を選んだのでした。
 なお「ぐんまワンデー世界遺産パス」は、八高線に関しては県外サービスが無く、群馬藤岡までしかフリーパスにはなっていません。その次の丹荘(たんしょう)はもう埼玉県です。だから、小川町で群馬藤岡からの分を精算しました。
 快速急行のロマンスシートで、快適に池袋まで行き、そこでマダムと別れて仕事に向かいました。
 雨は、八高線に乗っているあいだはあまり降らず、青空さえ見えたのですが、陽が暮れて私が仕事場に向かう頃にはまた土砂降りになっていました。
 住んでいる川口市内でも、土砂崩れの警報が出されました。まったく大変な日に出かけてきたものだと思います。

(2015.9.9.)


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