今年(2016年)も墓参りの旅をして参りました。高尾にある私の父方の祖父母の墓と、前橋にあるマダムの父方の祖父母の墓を、続けて参ってくるという行事です。今回で5回目となりました。 もともと、夏休みに使った青春18きっぷの枠が余ったのではじめたことなのですが、3回目にはあらたに18きっぷを買って泊まりで行ってきました。1回目・2回目は日帰りだったのですが、泊まりにするとずいぶん楽であることに気づきました。
それで去年(2015年)の4回目も泊まりで行ってくるつもりで予定を組んでいたところ、間抜けなことに青春18きっぷの発売時期を逸してしまい、普通に切符を買って廻るはめになりました。しかも颱風が来ている真っ最中で、傘をさしてもずぶ濡れのていたらくになりながら、おれは何をやっているのだろうかと自問したものでした。 今回はちゃんと18きっぷを買い直そうと思っていたのですが、予定を組んでみると、このあいだ山梨に行ったときに4枠(2人×2日分)使った18きっぷの最後の1枠を使いに出かけるような日程がとれず、結局その1枠を今回の墓参りに活用することにしたのでした。今回は泊まりの予定とはいえ、2日目はマダムの仕事の都合で早めに切り上げなければならず、JRをあまり利用しなさそうでしたから、青春18きっぷは必要ありません。1日目にひとり分として最後の1枠を使い、もうひとり分は普通に切符を買えば良いわけです。 普通に切符を買うと高くつきそうですが、そこは方法があります。平塚へ行く時などに使った「休日おでかけパス」を買えば良いのでした。青春18きっぷの1枠分よりは高くなりますが、それでも北限が神保原まで(つまり埼玉県内まで)使えるので、まともに買うよりはずっと安上がりです。神保原から前橋までは精算する必要がありますけれども、さほどの金額ではありません。
それで昨日(9月4日(日))の朝に出かけましたが、天気予報ではちょくちょく雨模様になるということだったので、去年の豪雨を思い出して少し憂鬱になりました。実際、7時過ぎに私たちが出発する少し前から、かなり激しい雨音がしているのが聞こえました。
新宿に出て、「ホリデー快速富士山1号」に乗ります。せっかくなので少しは快適な移動をしたいと思い、スケジュールに組み込みました。特快よりは少し遅いのですが、10分ほど前に隣のプラットフォームから出て行った快速のことは途中で追い抜きました。高尾に9時00分ちょうどという、いろいろ好都合な時刻に着くのも嬉しいところです。本来は富士急行に乗り入れる観光用臨時列車なのですが、ほとんどが自由席車輌という気安さもあって、三鷹、立川、八王子という途中駅で下車する客もたくさん乗っています。そして高尾で下りた客も、私たちを含めかなりの数になりました。
霊園に向かうバスに乗るときも少し雨が落ちていましたが、バスを下り、霊園まで歩いているうちに止んだようです。雨の中の墓参にならずに済んでホッとしました。
この霊園は管理がしっかりしていて、きれいな芝生の上に同じ形の墓石がずらりとならんでいる形になっています。墓参りをした者が掃除をしたりする必要はほとんどありません。
それはありがたいのですが、雨上がりの芝生から立ちのぼる草いきれが半端でないことに気づきました。耐えがたいほどの湿気で息が詰まりそうです。雨の中の墓参りも厄介でしたが、雨上がりというのもちょっと避けたいものがありました。まあ夏限定かもしれませんが。
雨ではなく、流れる汗のためにぐっしょり衣服を濡らしながら、私の祖父母の供養を切り上げて高尾駅に戻りました。実のところ私は先週の金曜くらいから体調を崩し、ちょくちょく咳き込むばかりでなく、なんとなくずっと微熱があるような感覚でしたので、この湿気はありがたくありません。元来私は、多少の不調があっても旅に出ると治ってしまうというたちなのですけれども、墓参りという「用事」があって出かけるのはまた別モノなのかもしれません。
高尾からは中央線特快で新宿へ舞い戻り、新宿からは湘南新宿ラインの特快で高崎に向かいました。最初の3回は、八王子から八高線を使っていたものですが、今回は少し急ぎたい理由があったので、のんびりした八高線は避けたのでした。
高崎の構内で駅弁を買って、前橋行きの短距離電車に乗り継ぎます。短距離だけあってロングシート車で、駅弁を拡げるのは少々気羞しいものがあったのですけれども、ここで食べておかないと食事の機会を失います。わずか15分ほどの行程のあいだに急いでかきこみました。
前橋からはシャトルバスに乗り、上毛電鉄の中央前橋へ。そしてマダムの祖父母の墓のある霊園に近い心臓血管センターで下車します。
一日中降ったり止んだりの雨模様という予報はどこへやら、空は思いきり晴れ上がってしまい、陽差しは真夏のような兇暴な熱気をはらんでいました。陽差しにさらされる首筋などが痛いほどです。マダムは日傘をさしていたものの、紫外線予防のメイクをしていなかったので、この日だけでだいぶ日焼けしてしまったようでした。
しかし好天になったためか、いままでほとんど遇うことの無かった他の墓参り客に何組も行き会いました。3回目までは、天気が好くとも少々時間が遅く、4回目は早かったものの雨天で、霊園はいつもひっそりとしていたものでした。寂しい墓地だな、と思っていたのですが、そうでもなかったようです。
マダムの祖父母の墓は、わりと最近マダムの従兄夫婦が来たそうで、雑草もさほど生えておらず、掃除は簡単に済みました。何回か、草取りが大変だった記憶があるので、やや身構えていたのですが、あっさりと済んで拍子抜けです。
またもや汗びっしょりになりながら拝礼をおこない、心臓血管センター駅に戻りました。私はマダムに奨められて、ユニクロのエアリズムなるシリーズのシャツを着ています。これは汗を急速に乾かす素材でできていて、抗菌作用もあるため、汗臭さが相当に軽減されるという触れ込みなのですが、乾燥が速いということは気化熱を急激に奪うわけでもあり、暑いのに濡れた素材が冷たくてあんまり気持ちが良くないという、妙な気分です。体調が思わしくないせいもあるかもしれませんが。
さて、いつもはこのあと前橋に戻るのですが、今回は上毛電鉄で先へ進み、桐生へ行きます。桐生はマダムの祖母の終(つい)の棲家でもあり、かわいがってくれた伯母の家があったところでもあって、思い入れが深い土地なのでした。で、今回は前橋ではなく桐生に泊まることにしたわけです。
宿はJR桐生の駅前のをとりました。上毛電鉄の終点である西桐生とJRの桐生はせいぜい200メートル程度しか離れていません。宿に早くチェックインしたいために、ここまでの行程をかなり急いだのでした。
なぜ早くチェックインしたかったかというと、部屋に荷物を置いてから、すぐに温泉施設に入浴に行きたかったからでした。前橋にも温泉施設があり、いままで3回立ち寄りましたが、そこはほぼ駅前であり、泊まった宿の隣と言って良いほど近くでもありました。しかし、桐生の温泉施設は、駅からはだいぶ離れており、そこへ行く交通機関としては市内のコミュニティバス(おりひめバス)しかありません。2路線がその温泉施設を終点としているので便利ではあるのですが、便数はさほど多くなく、何よりもかなり早上がりなのでした。いちばん遅い便は、なぜか土日祝日には運転されません。ある程度ゆっくりと入浴して帰ってくるためには、桐生駅をぎりぎり17時に出発する便に乗らざるを得ず、今回のいわば強行軍は、そのバスの都合ですべてが決定されていたのでした。
どうせボーリング温泉だし、そこまでして温泉に漬からずとも良さそうなものですが、墓参りのあとのゆったり入浴というパターンはすっかり私たちの身についてしまって、宿泊場所が前橋から桐生になったからと言って変える気もなかったのです。
幸い、余裕を持ってチェックインし、部屋で一憩してからバスに乗ることができました。コミュニティバスらしい小型のかわいらしいバスです。なんだか一生懸命走っているといった雰囲気が伝わってきました。
20分ほど走って、太田市との境目に近いあたりに、桐生天然温泉「湯らら」という温泉施設がありました。コミュニティバスに頼らず、送迎バスでも出せば良さそうなものだと思うのですが、こういう土地では人々は基本的にクルマ移動であって、送迎バスを出してもあまり利用者が居ないということかもしれません。移動の主力が公共交通機関である都市部とは事情が違うのでしょう。
薬湯やジャグジーバス、露天風呂、サウナなどを備えた、まあ一般的なスーパー銭湯でしたが、1時間ほど漬かって、全身のこわばりをほぐしました。実際、首肩や足腰が、バリバリと音を立てそうなほどにこわばっています。この日一日の疲れというわけではなく、金曜ころからの不調が積み重なって淀んでいるのでしょう。からだのそこかしこに乳酸がたまりきっているような感覚、ときどき経験しますが、どうにも気分の悪いものです。
その気分がすっかり払拭できた感じはしないものの、とりあえずさっぱりして風呂から上がり、帰りのバスに無事乗ることができました。
夕食は、マダムの希望でソースカツ丼を食べることにしました。上にも書いたマダムの伯母お奨めの店だったらしいのですが、マダム自身は行ったことがないとか。しかしそれなのになぜか屋号を知っており、西桐生駅で貰ってきた案内地図でその屋号が確認できました。温泉施設からの帰りに寄れそうな位置だったので、途中で下りて立ち寄ったのでした。
そもそも桐生がソースカツ丼で有名だというのも私は全然知らなかったのですが、最近はいろんな土地でいろんな新名物が出てきますので、これもそのひとつでしょう。去年立ち寄った下仁田もソースカツ丼が名物になっていましたが、下仁田のが味噌だれのようなかなり濃いソースにカツを漬けていた流儀であったのに対し、桐生のはウスターソースのような薄口のソースにからませた感じでした。基本的にソースカツ丼というのは「卵を用いないカツ丼」であって、ソースの味はさまざまなものであるようです。
マダムは亡き伯母を偲ぶことができてご満悦でした。伯母が親戚たちを連れてこの店に繰り込んだとき、マダムはあいにくと留学中で参加することができなかったそうで、ずっとそれが心残りだったらしい。
店からは歩いて宿に帰りました。1キロほどで、夜風は涼しい……というほどではなくまだねばつくように暑かったのですが、さすがに9月に入って、虫の声が耳を聾するほどです。
宿の部屋は「なごみ宿」と名付けられた珍しいタイプのものでした。フローリングの上にかなり分厚いマットレスを敷いてその上で寝るといったもので、ベッドではなく、といって畳敷きとも違った感覚でした。
残念ながら寝付きがあまり良くなかったのは体調不良のせいでしょう。不調だと、ぐっすりと眠ることさえ困難になります。眠ってもちょくちょく眼が醒め、またしばらく寝つけない気がしているうちにうとうとする、といったことを繰り返していたようで、朝になってもあんまり寝が足りた気がしません。
それでも、外の光が遮断されていたせいか、8時過ぎまで寝ていました。ホテルの朝食をとりにゆき、チェックアウト限度の10時ぎりぎりまで部屋でだらだらと過ごしてから出立しました。
5日(月)は15時からマダムの仕事があるので、昼頃には桐生を発たなければなりません。東武の特急「りょうもう」に乗る予定でした。
しかし午前中の予定はまったく立てていません。10時までごろごろしていたので、午前も残り少ないのですけれども。
博物館などのたぐいで面白そうなところはいくつかあるのですけれども、あいにくとそういう施設はほとんどが月曜休館となっています。
その中で「織物記念館」というところは開いているようで、場所も西桐生駅近くでそう遠くありません。桐生はソースカツ丼以前に織物の街であって、
──西の西陣、東の桐生。
と並び称されるほどであった……というのは桐生側が勝手に西陣に対抗意識を燃やしていただけなのかもしれませんが、いずれにしろ関東の機業のひとつの中心地ではあったようです。富岡製糸場あたりで作られた糸がこの辺まで運ばれてきて美しい織物になっていったのでしょう。
さて、その織物記念館に行く前に、シロキヤという本屋に足を運びます。なんでもそこの経営者が、マダムの父の高校の同級生だったとかで、ちょっと様子を見たいというのでした。マダムのこのあたりの義理堅さ(?)には感心します。私だったら、父の高校の同級生が何をしていようがまったく興味など覚えませんし、何かゆかりのある場所を訪れたとしても、わざわざ様子を見にゆこうなどとは考えないでしょう。
シロキヤ書店も案内地図に掲載されていたので、すぐに場所がわかりました。5階建てのビルになっていて、その入り口の手前にはかなり広大な駐車場があります。しかし、書店としての規模はさほどのことはないように思えました。
どうも、本来は1階と2階が店舗に宛てられていたのを、近年になって売り場を縮小し、1階だけで営業するようになったようです。2階に上る階段の上がり口にはチェーンがかけられていました。1フロアだけだと、街中の書店としては大きいものの、全国チェーンの大規模書店の店舗に較べると見劣りします。
地方の本屋に入ると、地元出版の本などにときどき面白いものがあって、それを冷やかすのが楽しみなのですが、見た感じそんなコーナーも無さそうでした。
その代わり、全品半額の叩き売りコーナーがあったりします。文房具も30%オフであったり、マダムが叩き売りの絵本を1冊買うと
「古い雑誌の附録なんかをプレゼントしているんですが、どれかお入り用のものはありますか」
と言ってカードを拡げる手品師よろしく小物や冊子などを持ち出したりしていました。大盤振る舞いというより、何やら閉店準備でもしているのではあるまいかと勘繰りたくなるような、奇妙なわびしさを覚えながら店を後にしました。マダムも、別に父親の友人に面会を求めるわけでもありませんでした。そもそも本人がそのビルに居るかどうかはわからないとのことです。
ビルの4階にちょっとしたホールがあって、そこにスタインウェイのピアノが置いてあるという情報を入手しており、
「伯母が生きていれば、そこでコンサートがひらけたかもしれないんだけどね。友達の多い人だったから、簡単に席が埋められたと思うし」
とマダムは惜しそうに言っていました。
織物記念館は昭和9年に建てられたという機業組合の建物を利用しており、なかなか風格がありました。1階がショップ、2階が資料展示室になっています。資料展示室をよく見ると、一角に演台のようなものがしつらえられており、昔はここで会議をおこなったりしたのだろうと思われました。
機織りの体験コーナーもありました。横糸を数段織り込むだけのお試し体験でしたが、3回4回と繰り返すうちにマダムもだんだん手馴れてきた様子でした。私は織機の前の椅子が窮屈そうだったので遠慮しておきました。太ももが織機と椅子のあいだにはさまって、ペダルを踏むのにも難儀しそうな気がしたのです。
簡単な展示ではありましたが要領よくまとめられていて、織物に対する蒙を啓かれた想いがしましたが、そろそろ桐生をあとにしなければなりません。
マダムは桐生が気に入ったようで、後ろ髪を引かれるような顔をしていました。
上毛電鉄の西桐生駅と違い、東武の新桐生駅はJR桐生からかなり離れています。何しろ渡良瀬川の対岸になります。両駅を結んでいるおりひめバスの路線はいくつもあるのですが、あいにくなことにちょうど良い時間の便がありません。タクシーを使うしかなさそうです。
流しのタクシーを拾うか、あるいは織物記念館から西桐生駅まではすぐなのでそちらに行って拾うか……と考えましたが、JR桐生駅の売店で買い物をしなければならなかったことを思い出し、とりあえず桐生駅へ向かいました。
店からは、裏口と呼ぶべき南口のロータリーがよく見えましたが、タクシー乗り場には1台も居ません。遠回りになるけれども北口で乗るしかないか……と思っていたところ、買い物を済ませる頃に1台入ってきたのが見え、マダムを走らせて確保しました。
それでも1000円では行かなかったのですから、桐生駅と新桐生駅はまったく別モノと考えるべきでしょう。接続駅でもなんでもありません。JR足利駅と東武足利市駅も離れていますが、それ以上です。
12時16分の「りょうもう24号」で東武動物公園まで行き、そこで急行電車に乗り換えて新越谷で下車。マダムの仕事は東川口の駅近くなので、新越谷と隣接しているJR武蔵野線の南越谷駅から1駅です。少し遅くなりましたが、新越谷の駅ビルで昼食をとって、一緒に武蔵野線に乗り、東川口で別れました。
私はそのまま帰宅しましたが、あいかわらず真夏のような暑さです。新桐生駅のトイレでシャツなどを着替えてきたはずなのに、家に帰るともう汗でぐしょ濡れでした。もともと汗かきではあるのですが、どうも不調ゆえにいつも以上に汗が出ているような気もします。早く治さなければなりませんね。
(2016.9.5.)
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