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昔の京王線電車に乗って、車内の路線図を見ると、調布から京王よみうりランドまでの短い支線が出ていて、その先が「計画線」として「相模中野」まで記されていたのを憶えています。私が小学生くらいの頃ですから、もう40年以上も前の話です。 京王よみうりランドから先はどんどん延伸され、間もなく小田急と併設された京王多摩センターまでの支線になっていました。さらに延伸されて、橋本まで到達したのはかなりあとの話でしたが。 相模中野というのは、橋本からさらに十数キロほど西に行ったあたりの地名で、津久井湖の湖畔にあります。京王は、もともとそこまで相模原線を延伸するつもりで居たのでした。 現在、橋本駅は橋上駅になっていて、先へ進めるような構造にはなっていません。だいたい正面に高いビルが建っていて、延伸しようとするとぶつかってしまいます。おそらく、橋本以遠の建設計画は抛棄されているでしょう。 相模中野まで延伸されていれば、途中に県立津久井湖城山公園があったりして、通勤路線のイメージの強い相模原線にも、多少は観光要素が加わっていたかもしれません。
東京近辺の私鉄には、たいていこういった未成の計画線があって、さまざまな理由で──沿線の道路が整備されて鉄道が不要になったとか、バブルがはじけて新線建設など無理になったとか──抛棄または無期延期されています。そういうのを調べてゆくと、その鉄道会社がかつてどんな夢を描いていたのかが垣間見えて、なかなか興味深いものがあります。また、もしそれが実現していたらどうだったろう、と夢想してみるのも、それなりに愉しい時を過ごせます。なんだか夢の残りかすを拾い集めるようで、どこかもの悲しい雰囲気もあるのですが。
京王に関しては、実はもともと、相模中野などで止めるつもりもなく、その先をどんどん延伸して、最終的には富士急行と乗り入れるつもりだったという話も聞いたことがあります。
これはまた遠大な計画です。たぶん相模湖の南岸を通り、あとは県道35号線に寄り添うような形で富士急行の禾生(かせい)駅あたりまで通すということだったのでしょうか。沿道は山の中で人口も少なく、それ自体で採算がとれたとも思えませんが、富士急行という観光路線と直結することで客を呼び込もうと考えていたのでしょう。当時は国鉄の中央本線も線路状態が悪く、中央自動車道も対面2車線状態で使い勝手が悪かったので、成算はあったのだろうと思います。
これが実現していたら、京王線のメインルートは八王子や高尾へ行くよりもこちらになっていたかもしれません。そして早い時期から、ロマンスカーのような観光特急が走っていたことでしょう。また、京王と富士急とは現状ではレールの幅が違いますので、富士急のほうを広い幅に改軌することになっていたはずです。今のような中央線からの直通はできなくなりますが、京王から直通しているなら富士急としては問題ありません。そして改軌した富士急は、電車をもっと速く走らせることができますので、沿線の利用者にとってもありがたい話だったでしょう。新宿から河口湖行きの豪華特急が、例えば1時間おきに走っていたら、現在のような高速バスの隆盛も無かったかもしれません。
しかしまあ、これが実現する可能性は、いまとなってはほぼゼロでしょう。
遠大な計画といえば、東武東上線があります。
「東上」という名称自体が、「東京と上州」の頭文字をとったものであり、本来は群馬県まで延ばすつもりだった路線です。さらに延ばして新潟県の長岡までつなげるつもりだったという話も聞いたことがあります。まあ、その頃の国鉄上越線は非電化単線のしょぼい鉄道でしたので、「電車」で長岡へ……とぶち上げるのも、実現性はともかくとして、国鉄を出し抜いてやろうという当時の鉄道人の意気を感じるものがあります。
三国峠越えで新潟へというのは夢物語としても、いちおう群馬県の渋川までは本気で延ばすつもりがあったようです。
ただ、おそらくそのルートは現在の八高線とほぼ重なるものだったでしょう。八高線が通じてしまえば、沿線は2本も鉄道路線の必要なところではありませんから、自然と立ち消えになりました。
しかし、あいかわらず非電化単線の八高線ではなく、ここを東上線の延長線が通っていて、電車が走っていたらどうだろう、と思わずには居られません。しかも池袋から直行です。池袋〜高崎間の特急電車が、わりに早い時期から走っていたはずです。藤岡市などいまより発展していたでしょう。高崎線沿線より早く宅地化なども進んでいたかもしれません。
東武には西板線という計画線もありました。西新井と板橋区のどこか、たぶんときわ台あたりを連結する路線で、だいたい現在の環七と似たルートを通ることになっていたはずです。いまの大師線はその名残りで、ひと駅分だけ開通したのでした。
これが実現していたら、東京の交通の流れは面白いことになっていたような気がします。一種の環状線で、武蔵野線などより使い勝手が良さそうです。また現在まで残っていたら、東上線沿線から自社線だけでスカイツリーまで誘導できますので、東武としてもウハウハだったことでしょう。
京浜急行は、三浦半島の沿岸部を一周する路線を建設する野望を持っていました。東岸を浦賀まで開通させ(これが名目上の「本線」)、その途中の堀ノ内から分岐して南岸ルートを通し、三浦海岸、そして三崎口まで延伸してなんとか西岸まで出られたのでしたが、残念ながらそこで力尽きました。本来は、西岸をさらに北上し、逗子線につなげるつもりだったのです。逗子線自体も、西岸線の一部として開通した路線でした。
この前Chorus STの親睦旅行で三浦半島に行ったとき、私たちは三崎口駅から、この西岸を通るバスに乗って新逗子まで出てみました。もう陽が暮れたあとだったので、まわりの様子もよくわからなかったのですが、雰囲気からするとやはり東岸よりもひなびており、地勢も険しいように思われました。ちなみにこの途上に、ご用邸のある葉山があります。
三崎口から延伸して油壺や三崎港まで通すという計画はまだ抛棄していないかもしれませんが、西岸線が実現する見通しは暗いと言わざるを得ません。
京成は千葉線〜千原線を延伸して、小湊鐵道の海士有木(あまありき)まで通すという計画がありました。
が、千葉急行から移管した千原線そのものが現状ではお荷物路線となっていて、当面は延伸などとんでもないというところでしょう。
お荷物になっているのは盲腸線だからで、どこかにつなげれば活性化する、という考えかたもあります。しかし、その相手が小湊鐵道程度では、さほどの活性化も望めません。開通したとしても、海士有木とかその先の小湊鐵道沿線が多少便利になったところで、劇的に利用者が増えるとか沿線が発展するとかとは思えないのでした。冒頭に書いた京王の大風呂敷とは話が違うのです。
そもそも、その入口である千葉線をもう少しなんとかしないと、どうしようもありません。
私は前から主張しているのですが、スカイアクセス線ができて不要になった旧式スカイライナーを、本線経由で成田まで走らせるのは無駄なので、千葉線に投入するべきだと思います。上野〜千葉間に、JRのグリーン席よりちょっと安く乗れる指定席特急が走っていれば、利用者が居ないはずがありません。千葉線は線形が悪くてスピードが出せないとか、プラットフォームが短くてスカイライナータイプの列車が停められないとか、いろんな問題はありますが、それは徐々に解決してゆくとして、まずできることをするのが肝心でしょう。
千原線のほうは、新しい路線だけに線形や線路設備は良いので、指定席特急の延長運転も可能です。そこまでやった上で、さて海士有木までの延伸や如何にということを考えれば良いことだと思います。
西武には、あんまり大規模な路線計画があった話は聞きません。秩父まで延ばして、ひとまず形が落ち着いたというところでしょうか。
細かい改良計画とか増備計画とかのほうをよく聞きます。しかし安比奈線(新宿線の南大塚から分岐する短距離の支線)計画にせよ、飯能短絡線(池袋線の元加治から東飯能に短絡線を設けて、飯能駅でのスイッチバック状態を解消する)計画にせよ、結局らちがあかないままで自然消滅となりました。新宿線の高田馬場〜上石神井の複々線化(地下に急行線を作り、途中には全然駅を置かない)などはかなり大計画でしたが、これもバブルの崩壊で諦めてしまいました。
西武はこれ以上、大きく路線網を改変する意図は無いものと思われます。それ以外のところで儲けようと思っているのでしょう。
東急に関しては、いまのところは。東横線の大倉山から新横浜駅への連絡線が大きな話題でしょう。これは神奈川東部方面線の一部となります。延伸距離はわずかなものですが、相模鉄道の分担する二俣川〜新横浜の連絡線とつながると、大きな変動が起こりそうです。東京の西側の住民にとっては、新幹線に乗るとき東京や品川へ出るより、新横浜に出るほうが便利になる人が増えるでしょう。
あと、田園都市線をもっと延ばすとしても海老名とかそのあたりまででしょう。東急多摩川線の蒲田から京急の京急蒲田までつなげて羽田空港に直通するという、いわゆる蒲蒲線も、どの程度の期待度があるでしょうか。蒲蒲線はそもそも東急が作るのかどうかもよくわかりません。
小田急は、多摩線の相模原市への延伸について、完全に諦めたわけではなさそうです。政令指定都市となった相模原市の中心部へのアクセスは依然として悪いので、新宿から1本で行けるルートができれば利用者は多いでしょう。問題は相模原駅の東側に拡がっている米軍の相模総合補給廠の存在で、これが返還されないことには線路を通すわけにもゆきません。
いちおう、多摩線の最終目的地は上溝(JR相模線と接続する駅)になっていたようです。相模原の市街地を横断するような形になるので、たぶん市内は地下線などになるでしょう。
この延伸計画、距離的にはほんの少しなのですが、いろんな事情がからんでなかなからちがあきません。唐木田なんてところで足踏みしているのは小田急としても痛し痒しでしょう。
相模鉄道は、上に書いた神奈川東部方面線が、実現性がかなり高い計画線です。これはいずみ野線と直通する予定だそうで、相鉄が本拠としてきた横浜を通らなくなりますが、その代わり悲願であった新横浜への直結が可能になります。
首都圏の大手私鉄の中で唯一東京と関係のない相鉄ですが、この期に及んで東京へのアクセスをあの手この手で狙いに来ています。まず東部方面線では、東急の建設している東線を介して東横線、ひいては目黒線〜メトロ南北線〜埼玉高速鉄道への乗り入れも考えているとか。浦和美園発湘南台行きというような電車が走るようになるのでしょうか。
また、やや浮いた感じになってしまう本線も、横浜でJRと直通するなんてことを画策しているとか。希望としては湘南新宿ラインとつなげたいようで、逗子行きや小田原行きと並んで海老名行きが走ることになるかもしれません。まあ、こちらはJRが良い顔をしないでしょうが。国鉄の頃はいろんな私鉄とけっこう直通運転をしていたのに、JRになってからは私鉄との直通をえらく嫌うようになっています。
鉄道会社の夢の残りかすを拾い集めていたつもりが、相鉄に至って、実現に近づいた夢の話になってしまいました。相鉄は、首都圏にあって東京に背を向けて頑張っているところがけなげで応援したくなる会社だったのに、急に東京志向になったのはちょっと残念な気もしますが、これも時代の流れというものでしょう。
首都圏における私鉄路線の大型開業といったニュースは、この先見込み薄で、開業するにしてもせいぜい第三セクターとか、上下分離式で運営だけ既成私鉄といったところでしょうが、東京近辺はクルマ社会から脱却しないとどうしようもないという気持ちもあります。そのためにも鉄道網の整備は、これで終わりというようなことの無い、不断に続けるべき都市計画というものだろうと私は思っています。
(2016.9.28.)
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