たんばらラベンダー号と碓氷鉄道文化むら
2017年8月15日(火)にはマダムの父方の祖父母のお墓参りに行きました。毎年墓参行の話を書いていますけれども、前橋市にあって、少しく遠出になります。
例年、高尾にある私の父方の祖父母の墓参りとつなげて行っているのですが、それだと行程が限られてしまって、少々飽きました。お墓参りが飽きたなどと言うとバチが当たりそうですけれども、ともあれ少し趣向を変えてみたいと思い、今回は高尾へはゆかず、前橋だけのつもりで旅程を考えました。
午後にお墓に行って、それから前橋駅前のビジネスホテルに投宿するというところは変えません。去年などはそこも変更して、桐生で泊まったりしましたが、前橋の定宿は、ほんの2軒先に天然温泉(スーパー銭湯)があるのが嬉しく、そこはやはり動かせないと思いました。桐生でも同じような温泉施設を見つけて行ってみたところ、コミュニティバスで30分近くかかり、しかも戻りのバスがえらく早じまいであわただしく、今ひとつ使い勝手が悪かったのです。
つまりは午前中に高尾に行く分を他に振り替えるということになります。そのつもりで時刻表を眺めていたら、面白い列車が見つかりました。 その列車とは、臨時快速「たんばらラベンダー号」。夏のあいだ、上野から沼田まで走っている列車です。これの何が面白いかというと、「リゾートやまどり」と同じ車輌を用いている点です。それでは「リゾートやまどり」とは何かというと、JR東日本高崎支社ご自慢の行楽用電車で、ゆったりとした3列シート、余裕のあるレイアウト、展望車みたいなフリースペースなどを備えた、かなり豪華な車輌なのでした。
通常は高崎支社内で、吾妻線や上越線を走っていることが多いのですが、ときどき別の名前になって支社外に走り出したりします。「たんばらラベンダー号」もその運用のひとつで、沼田からバスで50分ほどのところにある玉原高原への観光を主目的に設定されています。玉原は普通「たまはら」と読みますが、「たんばら」という読みかたもあるそうです。玉原高原は冬季にはスキー場となるのですけれども、夏季の客寄せとして、ゲレンデの広大な斜面にラベンダーなどの花を植えているわけです。
この「たんばらラベンダー号」に乗りたいと思いました。赤羽発が8時10分なので都合は良さそうです。せっかくの豪華車輌ですから、いっそ沼田まで行ってラベンダーを見てきたいとも思ったものの、沼田からさらにバスで50分となると、お墓参りの時間が無くなりそうです。マダムに聞くと、高崎のタワー美術館で開催している美術展を観たいと言ったので、高崎までの指定券を買っておきました。高崎まででは1時間半あまりしか乗っていられないので、少々物足りないのですが。
言い忘れましたが「たんばらラベンダー号」は全車指定席です。しかし指定席券というのは、SL列車などの特別なものを除いては基本的に520円(閑散期は安くなる会社もある)で、最近首都圏の中距離電車に増殖している簡素なグリーン車の料金よりも安いのでした。首都圏の普通列車のグリーン料金は、いちばん安い「土休日、50キロ以下、事前料金」で570円です。
指定席券は早々と買っておいたのですけれども、問題は乗車券です。いくつかの選択肢がありました。おなじみ青春18きっぷを利用するというのが一案。ただ高尾を経由せずに前橋に行くとなると、実はちょっと採算ラインを割ります。青春18きっぷは11850円で5枠分ですので、1枠(ひとり1日)につき2370円以上の運賃を使わないと元が取れないことになります。本州のJR3社の幹線区であれば141キロ以上、地方交通線区であれば129キロ以上に相当します。赤羽から前橋まで(「たんばらラベンダー号」には赤羽から乗るので)の営業距離は108.6キロ、運賃にして1940円に過ぎません。川口から赤羽までの130円を加え、高崎で下車するために高崎〜前橋を別立てにすれば、なんと逆に安くなってしまいます(赤羽〜高崎が1660円、高崎〜前橋が200円なので、合計すると1860円となり、直行の1940円よりも80円安くなる)。
夏休み期間中は、「休日おでかけパス」が平日でも使えるのでこれを使うことも考えられますが、「休日おでかけパス」は青春18きっぷの1枠分よりやや高い上に、群馬県に入ると使えなくなります。その分は追加で払わなければならないので、これは却下でしょう。
それなら普通に運賃を払うという方法で良さそうですが、なんだか面白くありません。
あれこれ考えたあげく、やはり青春18きっぷを使うことにして、その代わり午前中は、高崎タワー美術館でなく、横川の碓氷峠鉄道文化むらを訪ねてみようと思いました。マダムに諮ってみるとそれで良いとのことでしたし、横川までの往復を加えれば間違いなく採算ラインを上回ります。
鉄道文化むらは、長野新幹線(北陸新幹線が長野止まりだったときの名称)の開通により横川〜軽井沢間の碓氷峠越えの区間が廃止されたあとに、横川駅の操車場のスペースを用いて作られた施設です。横川駅の構内には、碓氷峠越えのために全列車に連結されていた数多くの電気機関車を停泊させるべく、広大な操車場が設けられていました。
私はこの区間が廃止されてから、2度ばかり横川駅を訪れていますが、いつもあまり時間が無くて、鉄道文化むらに入園する機会が無かったのでした。この際なので立ち寄ってみようと考えたわけです。 15日の朝7時半、微妙に雨が降りそうな空模様の下、家を出ました。この時期なのに暑くないのはありがたいのですが、お墓参りで雨に降られるのは閉口です。土も砂埃もべとべとの泥になってしまいますし、荷物を置くだけでも容易ではありません。お墓に着くまで降らないでくれることを祈るばかりです。
京浜東北線電車で赤羽に行き、「たんばらラベンダー号」に乗り換えます。少し時間が早すぎたようですが、乗り遅れるのに較べればずっとましです。
幅の広い3列シートは快適そのものですし、シートピッチも非常に広くとってあります。私たちの座席は8番だったのですが、なんとそれで端から2番目です。1輌に座席が9列しか設置されていないわけで、フリースペースをとってある点を差し引いても、ひとりあたりのスペースは中距離電車の簡素グリーン車はもちろん、たいていの特急のグリーン車をも上回ります。こんな車輌に、運賃と指定席券だけで乗れるのだから夢のようです。
大宮で下りて行った乗客が居たので驚きました。豪華車輌にちょっと乗ってみたかったというところでしょうか。520円なら、そんな気まぐれも許されそうです。
快速電車ですから、ちょくちょく停まります。熊谷までは湘南新宿ラインの特別快速と同じ停車駅で、そこから先は深谷と本庄のみ停車で高崎へ。全席売り切れと繰り返しアナウンスしていましたが、高崎までずっと空席だったところもいくつか見受けられました。高崎から乗るという人も居たのかもしれません。
9時43分高崎着。やはりいささか物足りなく思えます。沼田まではあと40分くらいですが、やはり終点まで乗ることにしておけば良かったと後悔しました。玉原高原まで行かなくとも、ただ乗って行って戻ってくるだけでも良かったと思います。こういう列車には、5〜6時間くらい乗り続けたいような気がします。 横川行きの電車は10時22分なので、高崎で一旦改札を出ました。タワー美術館へは行かないことにしたのですけれども、いちおう場所を確認しておこうと思いました。確認も何も、東口を出て真正面に見えます。ペデストリアン・デッキがかなり広域に張りめぐらされていて、タワー美術館にも地上に下りずに移動することができます。マダムが観たがっていたのは、「アートになった猫たち」という展覧会で、さまざまな形で猫が描かれた絵画、特に日本画を中心に展示してあるのだそうです。今回は縁が無かったようですが、マダムは後日ひとりでも観に来たいみたいな様子でした。
横川までの路線は、いまなお信越本線と称していますが、もはや信濃へも越後へもつながっていないので、詐称に近い路線名と言えます。東北本線や鹿児島本線と違って、「その先の線路が別会社になってしまった」というのではなく、物理的にその先の線路が無くなっているわけで、そろそろ横川線とか安中線とか改称したほうが良いと思います。
新潟側のほうも、もはや信濃の国からはほぼ駆逐されてしまったのですから、中越線か長岡線に改称して良さそうです。あるいは宮内〜新潟間は新幹線に合わせて上越線としてしまい、直江津〜宮内だけを柏崎線とか。また、長野県内に未練たらしく残っている篠ノ井〜長野間も、篠ノ井線に含めてしまったほうが案内上便利でしょう。
ともあれその、30キロ足らずになってしまった詐称信越本線の電車で横川へ向かいます。
ここまで来るうちに、雨は本降りになってきたようです。景色にもかなり濃い霧がかかって、榛名山の姿もよく見えません。松井田を過ぎて登りにかかると、さらにガスが濃くなってきました。 10時56分、雨のしと降る横川駅に到着し、駐車場をはさんですぐの場所に見える鉄道文化むらの門をくぐりました。鉄道文化むらの性格上、屋外展示が多いので、雨模様はありがたくありません。
11時に「峠の湯」までのトロッコ列車「シェルパくん」が発車するようで、入場ゲートはその対応にも追われていました。これは2キロほどの線路を残したところにトロッコ列車を走らせているものです。終点の「峠の湯」には日帰り温泉施設が設置されています。あくまでも園内遊具の扱いで、まず入園料を払い、それから乗車賃を払い、温泉施設の入場料はまた別に払うわけです。だいぶがっちりしています。
そちらも心惹かれるものがありましたが、やはりお墓参りの時間が無くなりそうなので諦めました。その代わり、園内の外周を1周するミニSL列車「あぷとくん」には乗ってみました。こちらも別立ての乗車賃が必要で、シェルパくんとの規模の差からするといささか高い気がしましたが、蒸気機関車の鳴らす汽笛の音は本物です。プラットフォームの隅に、バケツに入った石炭が置かれており、見てみると最近の蒸気機関車に使われている無煙炭や豆炭ではなく、昔ながらの無骨な石炭でした。煙突から吐く煙も、無煙炭だと白い水蒸気ばかりなのですが、黒煙が混じっています。
「この石炭は実際使ってるものですか」
と老機関士に訪ねると、そうだとの答えでした。
他の展示はかなり駆け足で見ただけでしたが、懐かしい車輌、どこかで見た車輌、話に聞くだけの車輌などが、ほとんど無造作と言えそうな配置で展示されていました。もっと時間があればと思わざるを得ません。また落ち着いて来てみたいものです。 横川と言えば「峠の釜めし」で有名です。かつては下りの全列車が、機関車を連結するために横川には5分以上停車しましたから、そのあいだに「峠の釜めし」を買い求める旅客が多く、知名度・品質ともに日本の駅弁のナンバーワンクラスだったと言って良いでしょう。
横川〜軽井沢が廃止されることになって、「峠の釜めし」はどうなるんだ、と心配した人もずいぶんたくさん居たようです。閉口する国道や、近くを通る高速道路のサービスエリア、また峠の向こうの軽井沢などでも売ってはいますが、やはり主力は横川の駅売りだったでしょう。
廃止前と廃止後で、売り上げがどのように変化したのか、詳しいデータは持っていませんが、「峠の釜めし」の製造元であるおぎのやは、必死で生き残りを模索したようです。高崎駅構内にも支店を開いたり、鉄道文化むらの至るところに出張販売所を設置していました。プラットフォームでの販売は無くなりましたが横川駅構内にも販売所があります。
おぎのやの本店は、横川駅の改札を出るとすぐ正面に見える小さな食堂です。こんな小さな店が、全国的に有名な駅弁を一日何百食何千食も作っているのかと驚くほどです。その本店で昼食をとりました。
食べたのはもちろん「峠の釜めし」です。と言うか、本店では夏休み期間中、釜めしと麺類以外のメニューは出していないらしいのでした。
かつての駅売りのと同じ、ひとり用の容器に入った、ほの温かい釜めしが運ばれてきました。この容器、もちろん持ち帰っても構いませんし、見るとついつい持ち帰りたくなるのですが、うちにはすでにあるし、このまま家に帰るわけでもないので重くてかないません。残念ながら断念します。
戻りの電車まで少し時間があったので、本店の斜向かいにある「おぎのや資料館」を見学してみました。係員も居らず、客が勝手に入って見学するだけの簡単な施設でしたが、なかなか面白く、マダムなど写真を撮りまくっていました。おぎのやをモデルにした「釜めし夫婦」なるテレビドラマがかつて存在したことをはじめて知りました。池内淳子さん主演だそうで、放映はなんとちょうど半世紀前、昭和42年だったとか。どこかにデータが残っていたらちょっと見てみたい気もします。 13時10分の電車で横川をあとにします。横川から西松井田にかけて、下り傾斜が非常に大きいことにはじめて気がつきました。クロスシートだとわかりづらいようです。また登りより下りのほうが同じ傾斜でも感知しやすいらしく、往路にはあまり感じませんでした。この傾斜のため、現在でも高崎→横川は約34分、横川→高崎は約31分と3分の差がついています。
高崎では26分の待ち合わせで、両毛線電車に乗り換えます。高崎駅ではまた改札外に出て、アイスクリームを食べました。墓参行では高崎で時間をとることが多く、その他でもなぜか高崎に立ち寄ることが増えて、高崎駅構内はすっかりお馴染みになってしまいました。
ところで上越線方面の電車が、高崎駅からあまり出なくなっていることに気づきました。日中などは特に、両毛線の電車に乗って新前橋で乗り換えるようにという案内が多くなったようです。上越線電車は新前橋に発着するわけです。高崎〜新前橋の輸送需要を細かく調べての判断でしょうが、とにかく短距離の乗り継ぎが多くなりました。
14時21分前橋着。14時30分に中央前橋駅行きのシャトルバスが出るのですぐにバスターミナルへ。シャトルバスは10分ほどで中央前橋に着き、上毛電鉄の電車が14時45分発……と、この流れはすっかり馴れてスムーズになりました。実は高崎から直接中央前橋に行く方法とか、前橋から直接霊園に行く方法とか、いろいろ検討してみたのですが、いずれもあまり芳しくありませんでした。高崎から中央前橋に向かうバス路線はありましたが、時間も運賃もだいぶかかります。前橋から霊園と同じ名である「亀泉」に向かうバス路線も見つけましたが、バス停から霊園へは、いつもの上毛電鉄・心臓血管センター駅からの距離よりさらに歩かなければならないようでした。かなり大きな霊園であって、至近を通るバス路線が全然無いというのは信じがたい気がします。心臓血管センター駅のほうも、私たちは毎回利用していますが、他にこの駅から霊園に向かっている、あるいはその逆に歩いている人に行き遇ったことがほとんどありません。クルマでの来場を前提としているのでしょう。
私たちのお墓参りは、運の悪いことに雨がいちばん繁くなっている頃に当たってしまいました。まあそれでも、この日は都内でも出水があったと言いますから、まだましだったのかもしれません。
お墓の前にビニールシートを敷き、その上に荷物を置いて、傘を差し掛けました。荷物が泥だらけになるのは回避できましたが、濡れてしまうのはいかんともしがたい状態です。
幸い、わりと最近に人が詣ったのか、そんなに草むしりをしたりする必要はありませんでした。ごくざっと掃除をし、お供え物を並べ、線香に火を点けて置きます。線香は立てる形ではなく、覆いの下に横に寝せる形なので、雨でもいちおうは燃えてくれましたが、それ以前に着火させるのに難儀しました。
手を合わせて、お目もじする機会の無かった義理の祖父母を弔いました。 中央前橋に戻り、再びシャトルバスに乗って前橋駅に戻って、定宿であるコンフォートホテル前橋に投宿します。去年は桐生に行ってしまったので2年ぶりです。
2年前は夕食をとるにあたって、マダムがネットで見つけた店に行こうとしてタクシーに乗り、すぐ近くに着けてくれたはずなのにしばらく迷い歩き、あげくにその日は貸し切りで入れないことが判明したりして、しかも今回と同じく雨が激しかったのでひどい目に遭いましたが、そのとき結局入った前橋駅前の商業施設「エキータ」の中の店に今回も行くことに最初から決めておきました。
ただ「エキータ」は、駅前の一等地にあるのに、テナントがどんどん撤退して、がらんとしたスペースがやたら目立つ建物です。半分以上が空いていると思います。どうしてそうなってしまうのか、前橋におけるJRの地位が想像もつかないほど低いのか、それとも駅前一等地ということであまりに調子に乗った家賃を設定した酬いなのか、よそ者にはさっぱりわかりません。
そんな状態なので、一昨年入った店も撤退していたら目も当てられませんので、宿に行く前にいちど確認しておきました。
宿で一憩し、2軒先の温泉施設でからだをほぐし、それからエキータの中の店に向かいました。料理はとても美味なのに、客が少ないようで心配になります。
20時になると、その店ともう一軒、チェーンの居酒屋だけはまだ営業しているようですけれども、建物全体の終業がアナウンスされていました。それを聞き、エキータが寂れている理由に、ひとつだけ思いあたりました。つまり、閉店が早すぎるのです。
前橋には、いまや東京に通勤する人もずいぶん住んでいます。ホームライナー型特急「スワローあかぎ」を走らせなければならないくらい、無視できない数字になっているはずです。そういう人々が、長距離通勤の果てに前橋まで帰ってきて、駅前で飲むなり食べるなり買い物するなりして帰宅するという行動を考えると、20時閉店ではとても間に合いません。せめて22時、できれば23時くらいまで、東京との時間差分だけ遅くまで開いていないと役には立たないでしょう。テナントが商売にならずに軒並み撤退したのはそのためではないでしょうか。
もちろん、遅くまで店舗が開いていれば、今度は不良のたまり場になったりして治安の問題が出てきます。そしておそらく、エキータはそちらの問題を優先したのでしょう。その結果、県庁所在地のJR駅前一等地なのに空きだらけという、不可解な惨状を呈してしまったのではないかと思います。 食事を終えて宿に戻り、自分たちの部屋に荷物を置いてから、下のフロアの別の部屋に出かけました。
実は、マダムの両親が同じ宿に泊まっていたのです。ここまではまったく別行動で、両親のほうは朝早くからクルマで柏の家を出て、軽井沢で一日を過ごし、翌日にお墓参りをするつもりで、途中に位置する前橋で泊まったとのことでした。しばらく前に、私たちと同じ宿をとったと聞いて、マダムは絶句していました。
しかしそうなれば、知らん顔をしているわけにもゆきません。軽井沢のお土産もあるとのことだったので、前々日に会ったばかりでしたが挨拶に行ったのでした。
しかしその価値はあったと言うべきでしょう。私たちは翌日、富岡製糸場の見学に行くつもりだったのですが、マダムの両親も、すぐに霊園に向かうのではなく、一旦富岡製糸場に同行することにしたそうです。義母はいちど訪ねているのですが、義父がはじめてで、行ってみたかったようです。
それで富岡まで、義父のクルマに乗せて貰えることになったのでした。上信電鉄の片道分が節約できますし、時間もだいぶ短縮できるでしょう。実はもともと、2日目は一昨年も使った「ぐんまワンデー世界遺産パス」という切符を使おうかと思っていたのです。群馬県内の全鉄道路線に乗ることができるフリーパスですが、富岡まで往復するだけでは元が取れないため、そのあと終点の下仁田まで往復しようかとか、いろいろ考えていました。しかし片道クルマに同乗させて貰えるのなら、その切符を買う必要も無くなりました。従って、スケジュール的にもだいぶ余裕ができます。ありがたく同行させていただくことにしました。
(2017.8.16.)
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