昨日(2018年8月14日)・今日(15日)と、恒例の墓参りの旅に行ってきました。東日本大震災のあった、そして日誌をブログ形式にした2011年以来、ほぼ毎年の行事となっています。本来は山梨の温泉ホテルに行ったときに使った青春18きっぷの余りの枠を消化するためにはじめたことでしたが、3回目からは泊まりがけとなり、夏の青春18きっぷ旅行はむしろこちらが本体となったふしがあります。 私の父方の祖父母の墓のある高尾と、マダムの父方の墓のある前橋(亀泉)を同日に参ろうという企画です。基本的には、午前中に高尾へ行き、八高線などを使って高崎→前橋に回って、中央前橋から上毛電鉄に乗って、霊園の最寄り駅である心臓血管センターという駅で下りるというルートです。 初年度である2011年は、いろいろ不馴れでした。大宮から八王子に抜ける「むさしの号」に乗ろうと思ったので出発時刻が8時過ぎとやや遅く、八高線の高麗川での電車→ディーゼルカーの接続もお粗末で45分くらい待たされ、亀泉霊園に着いたのは陽が傾きはじめた頃で、もう閉園になるのではないかと心配したほどでした。参拝後は上毛電鉄で西桐生へ抜け、もうシャッターの閉まった店の多い商店街を「忠次漬け」なる漬け物を探してさまよい、両毛線で小山まで行ってかなり遅くなって帰宅しました。 2012年には墓参行は実施せず、第2回が2013年です。この年は前回の反省を受けて、出発を30分ほど早めて「ホリデー快速富士山号」に乗って高尾へ。八高線も1便早いディーゼルカーに乗ることができ、余裕を持って両方の墓参りを済ませました。また、前回は前橋のお墓に供えるお花は現地で調達するつもりでしたが、そのまた4、5年前に前橋のお墓だけ単独で参ったときには前橋駅前にあったはずのイトーヨーカドーがつぶれており、お花はまともに花屋で買わざるを得ず、ずいぶん高くついたので、このときから、最初から両方の供花を用意するようにしました。 このときは墓参り後、前橋に戻ってきて、駅前の「天然温泉ゆ〜ゆ」で入浴し、足裏マッサージを受けてから普通の高崎線ルートで帰りました。日帰りはここまでの2回だけで、以降は泊まりがけになっています。 「ゆ〜ゆ」のすぐ近くに良さそうなビジネスホテルがあったのを確認していたのがひとつ。それから、3回目である2014年のときは、青春18きっぷが余っていなかったのがもうひとつの理由です。この年は7月に「健康ランドの旅」というのをして、「駿河健康ランド」と、同じ経営である「信州健康ランド」とに連泊したのでしたが、駿河(興津)から信州(村井)への移動はなんと無料送迎バスだったものの、興津へ行く日、村井から帰る日にそれぞれ18きっぷを使ってしまったのでした。ふたりで使いますから、5枠あるうちの4枠を使ってしまったことになります。1枠では墓参行に行けないので、それは別件に使い、あらたに青春18きっぷを購入したのです。すると枠に余裕があるので、この際墓参行も泊まりがけにしてしまえということになったのでした。 この年から、大宮発着のホリデー快速が無くなってしまったので、それまでのように武蔵野線経由にせず、新宿へ出て「ホリデー快速富士山1号」に乗車しました。両方のお墓の間の移動はやはり八高線経由で、墓参りのあとは前橋に戻って上記のビジネスホテルに投宿し、ゆっくり1泊して、翌日は両毛線・水戸線・水郡線という大回りをし、途中矢祭山なんてところで途中下車もして、郡山へ抜けて帰ってきました。 4回目の2015年は、9月に入ってから行きました。なんと私が青春18きっぷの発売期間を失念していて買い損ねるというポカをやらかしました。そうなると、無理に行かなくても良いようなものですが、すでに恒例行事になりかけていたので、普通に切符を買いながら移動したのでした。JRにこだわらなくて良いので、高尾までは京王を使います。 ところがこのときは、大雨にぶつかっており、どちらの墓でもかなりおざなりな参拝となりました。また青春18きっぷのような乗り下り自由のフリーパスではないので、高崎で途中下車ができません。それで八高線ルートはとらず、はじめて新宿まわりで湘南新宿ラインの特快に乗って、車内で駅弁を食べるという手段を用いました。移動時間にロスが無く、参拝も大雨のためにおざなりだというわけで、えらく早く済み、前橋のホテルに到着したのは16時前だったのでした。 翌日も大雨の中、運良く入手した「ぐんまワンデー世界遺産パス」というフリーパスを使って、上毛電鉄と上信電鉄を乗りつぶしました。富岡製糸場も訪ねる予定だったのですが、あまりの大雨のため断念し、上信電鉄の終点である下仁田で昼食を食べてから帰りました。この日の晩、確か板橋区演奏家協会か何かの用事があって、八高線で小川町まで出て、東武東上線の快速急行に乗ったのだったと記憶しています。 5回目の2016年は、山梨へ行ったときに青春18きっぷの4枠分を使ってしまい、買い直すのもなんだか気が進まないという状態で、1日目のひとり分だけ残りの枠を使い、もうひとりは「週末おでかけパス」を利用しました。高尾まではまたもや「ホリデー快速富士山1号」、霊園間移動は湘南新宿ライン、そしてこの年は前橋ではなく桐生に宿泊しました。翌日は桐生の街の中を散策して、昼前に切り上げ、東武特急「りょうもう」で戻ってきました。マダムの仕事がある日であったためです。 去年(2017年)が6回目です。6回目にして、高尾と前橋のハシゴをやめ、前橋だけ行って、高尾へは後日別に参るということをやりました。なんだか本末転倒のようでもありますが、これは「たんばらラベンダー号」という臨時快速に乗ってみたかったからです。目的の一部を取り替えてしまったのでした。JR東日本高崎支社の誇る豪華列車「リゾートやまどり」の車輌を利用した臨時快速で、なんとグリーン料金などは不要、運賃のほか指定席料金だけで乗れるというリーズナブルさなのでした。浦和から乗ってみましたが、驚くべき快適な乗り心地で、高崎で下りてしまうのが惜しいほどでした。 墓参り後、いつもの前橋の宿に泊まりました。このときはマダムの両親も同じときに前橋に来ており、同じ宿に泊まっていました。翌日、義父のクルマに乗せて貰って、前々年に断念した富岡製糸場の見学に行き、上州富岡駅で落として貰って、あとは上信電鉄・八高線・川越線というルートで帰りました。 いままで6回の墓参行をざっと振り返ってみました。さて今年、つまり第7回です。 今回はダブル墓参を分けずに、通常どおりに高尾と前橋を訪れ、両者の移動は八高線という、いわば「普通の」パターンに戻しました。というのは、マダムがこれにひっかけて、水沢観音の近くにある「おもちゃと人形 自動車の博物館」というのに行きたいと言い出したからです。なんでもマダムの両親が2回も訪れて、マダムはその話を聞いてうらやましく思ったようです。入場券を買うと、一緒に彩色していないキューピー人形を手渡され、博物館の中にある工房で見学者が自分で彩色できるのだそうです。 高崎もしくは渋川からバスが通じているようですが、これはどう考えても、2日目の行程としたほうが良さそうです。そして、そこに立ち寄った後、沼田まで足を伸ばして、去年物足りなかった「たんばらラベンダー号」の起点から乗って帰ろうと考えつきました。そうすると、1日目は特に奇策を用いる必要はありません。普通に2箇所を回れば済みます。 火曜・水曜という日程だったので、休日運転である「ホリデー快速富士山」は運転していません。それで高尾までも、ごく普通に、武蔵野線経由で向かいました。川口から新宿へ向かうのは、平日の朝の旅程としては無謀と言えます。いくらお盆と言っても、通勤ラッシュはあるでしょう。 去年は霧雨が降り続く天気、一昨年は晴れたものの雨上がりで草いきれがものすごく、かつその後も猛暑、その前は豪雨と、このところあんまり天候に恵まれない墓参行でしたが、今回は好天です。暑いのは8月中旬という時期ゆえやむを得ません。午前中は、日陰であればそれなりに温度も低い感じでしたが、あいにくと高尾のお墓はひらけた広大な芝生の上で、ぎらぎらした陽光をさえぎる何物もありません。線香をあげようとして石床の上に膝をついたら、猛烈に熱くて思わず悲鳴を上げました。マダムは私が線香の火に触ってしまったかと思ったかもしれません。 高尾のお墓は手入れがよく行き届いていて、掃除をしたりする必要もありません。早々にお参りを済ませて退散しました。私たちが行く直前(たぶん先週末)に誰かが参ったらしく、まだ元気なお花が挿されており、私たちの持って行ったのと合わせて、けっこう豪華な感じになりました。今年のはじめに亡くなった伯父の初盆だったので、伯父の息子、すなわち私のイトコが来ていたのだと思います。 八高線はあいかわらずあんまり空いてはいませんでしたが、途中で座席の入れ替わりもあり、マダムと離れずに坐っていられました。 高崎では1時間ほど昼食時間をとっていましたが、ちょうど昼食どきとあって飲食店はいずれも混んでおり、1時間では心許なかったので、駅ビルのフードコートで済ませました。マダムは上州名物の鶏めし弁当を作っている「登利平」という店で食べたがっていましたが、店の前に行列ができていたので断念します。鶏めし弁当は、どういうわけだか群馬県人のソウルフードみたいなものらしくて、寄り合いなどが昼食どきにかかると、決まって鶏めし弁当が供されるのだそうです。上州は古来、養蚕や紡績、縫製などに従事する女性が多く(男とは別個の稼ぎがあるので「かかあ天下」ともなる)、昼食には仕出しの弁当をとる文化があった模様です。 もっとも、フードコートで食べたスパゲティも、近年の「パスタの街・高崎」の文化を反映して、なかなか美味で、マダムもご満悦でした。パスタの上にトンカツを載せ、デミグラスソースみたいに濃いミートソースをかけたもので、けっこう食べ応えがありました。 14時07分の電車で前橋に移動し、シャトルバスで中央前橋へ。すっかりお馴染みとなった井の頭線ライクな上毛電車に乗って心臓血管センターへ。ところで切符には、最初の頃は「→心臓血管」と略した駅名が記されていてギョッとしたものでしたが、いつからか、普通に「300円区間」としか記されないようになっていました。 マダムの祖父母のお墓も、わりに最近誰かが参ったらしく、雑草も生えておらずきれいなものでした。軍手や雑巾を持ってきていましたが、ほとんど使うこともなく、あっさりと参拝を済ませました。中央前橋に戻り、またシャトルバスに乗って前橋駅前へ。 ところで、前橋駅の北口駅前には、いちばん最初に来たときにはイトーヨーカドーがあったことは上述しました。何年か経って、ダブル墓参行をはじめたときに見たら、そのイトーヨーカドーがつぶれて、建物の残骸だけになっていました。それで供花が買えなかったことも上に書きました。 その後、その建物は「エキータ」と名づけられて集合型商業施設となり、いろんなテナントが入っていましたが、なぜか年を追うごとにテナントが減少し、なんだか廃墟のような建物になりつつありました。店がなくなった跡は、高校生たちの自習スペースなどになっています。 エキータの中の割烹料理みたいな店で、3回ほど夕食を食べましたが、今回行ってみるとその店も閉店してしまっており、建物の中は本当にがらんとした、ただの空間になりはてていました。地上3階地下1階あったのが、3階と地下1階はすでに立ち入り禁止となっています。1階に、かろうじて新しいファストフード店と、前からあるコンビニエンスストア、2階に1店だけチェーンの飲み屋が残っているだけで、何やら空恐ろしいような空洞がひろがっているばかりです。 前橋駅は確かに前橋市の中心部とはやや離れていますが、仮にも県庁所在地の代表駅の駅前という一等地に建っているこの建物が、これほど空洞化しているのは、どう考えてもおかしいと思います。何か曰く因縁でもあるのか、それともオーナーが調子に乗って馬鹿高いテナント料でも科していたのか。 南口のほうに「けやきウォーク」という商業施設ができていることをマダムが聞きつけており、行ってみたいと言ったので、天然温泉ゆ〜ゆに行く前に足を運んでみました。行ってみると、なるほど巨大なショッピングモールで、お客もごった返しています。 「前橋の人たちがどこに集まっているのか、はじめてわかった」 とマダムが述懐していました。飲食店街には、なんと高崎で寄れなかった「登利平」の支店があり、少し早めでしたがそこに入って夕食をとりました。マダムは諦めていた店で食事ができて、今度こそ大喜びでした。 けやきウォークが大勢の客を集めているのはわかりましたが、これがエキータがさびれた理由なのかどうか、それは微妙だと思います。けやきウォークは前橋駅からは1キロ近く離れており、通勤客がちょっと寄って買い物をしてゆくというようなロケーションではないのです。途中の道も決して賑やかではなく、暗くなった帰り道で私は歩道の波打ちに気づかずにつまづいて転倒してしまったほどです。いきなり転んだのではなく、何歩かたたらを踏んだあげくに転がったせいか、幸いたいした怪我はしませんでしたが、衝撃で腕時計のバンドが壊れてしまいました。歩道が充分に明るければそんなことにもならなかったでしょう。 要するにけやきウォークの利用者は、ほぼマイカーやバスで訪れており、前橋駅を利用する通勤客などとは別だと考えられます。従ってこのショッピングモールが、エキータと競合するとも思えないのでした。エキータが廃墟化した原因は、いまだ不明瞭なのです。 ゆ〜ゆに行き、久しぶりに足つぼマッサージを受けて、宿に帰りました。22時近くなると、熱かった空気もだいぶ冷まされて、歩いてもさほど汗をかかないくらいの、過ごしやすい気温になっていました。このあたりがやはり東京近辺とは違うところです。 2日目の朝は、9時ちょっと前にチェックアウトし、まず高崎へ。渋川まで電車で移動して、伊香保温泉行きのバスで「おもちゃと人形 自動車博物館」に向かうつもりでしたが、よく調べてみると渋川発着のバスは便数が少なく、朝の便に乗ろうとすると宿を7時頃に出なければならないことが判明しました。むしろ高崎発着便のほうが多いくらいで、こちらは高崎発9時55分というちょうど良いのがありました。それで、高崎からバスに乗ることにしたのでした。帰りは渋川に出る便があり、この両方で1200円かかります。ところで、群馬バスカードというのがあって、1000円で買うと1100円分乗ることができます。プレミア率はけっこう高いので、使わない手はありません。高崎のバスターミナルには総合案内所があって、すぐに入手できました。 鉄道路線とは少し違うルートを辿るようで、しかも生活道路みたいなところを通ったりするので、小一時間かかりますが、こういうローカルバスに揺られるのは嫌いではありません。ただ最後のころ、私もマダムもトイレに行きたくなり、しかもけっこう深刻な状況になっていました。博物館に着くや否や、入場券を買うより先にトイレに駆け込みました。もちろんトイレは館内にあったのですが、そこに立っていた係員に必死で事情を話して入れて貰ったのでした。 webで手に入れた割引券を持ってきていたので、ひとり100円引きで入場券が買えました。バスもひとり100円引きなので、400円浮いた計算です。 この博物館は、横田正弘という人物が自分の趣味全開で開設したところで、数万点に及ぶ人形やレトロなおもちゃ、それに数十台の自動車を展示しています。この組み合わせ自体がいかにも趣味っぽいですね。横田氏とはどういう人だろうかと調べてみても、どうも要領を得ません。東京デザイナー学院を卒業し、アパレル関連会社に勤めたあと独立するも自分の理想と違ったので廃業、その後陶器作りなどに手を染めたり、自動車のレースに出場したりしてから博物館をはじめたというのですが、あれこれ試みる段階と私設博物館を開く段階とのあいだに飛躍がありすぎて、どうにも経緯を把握しづらいのです。相当な資産家であったことは間違いなさそうです。いわゆる「道楽息子」というタイプの人ではなかったでしょうか。道楽息子の所行であっても、徹底すればすごい形になり、いまや私設の博物館としては全国でも指折りの訪問客数を誇るところになりました。伊香保温泉への途上にあるとはいえ、決して交通の便が良い場所とは言えないのに、年間入場者数は40万人を超えるそうです。 通路をうまく工夫して、かなり長い順路となっています。土産物屋を一箇所にまとめず、途中でいくつか立ち寄れるようにしてあるのも珍しい試みです。 クルマについては私はさほど興味がありませんでしたが、レトロおもちゃは懐かしいものばかりで、しばし昭和の気分に浸ることができました。池袋のナムコ・ナンジャタウンにも昭和の街並みというような一角がありますが、この博物館のほうがはるかに大規模です。 入場のときに貰ったキューピー人形の彩色は、最後のほうにありました。夏休み中とあって、だいぶ混み合っています。限られたカラーペンを譲り合いながら使うので、けっこう時間もかかるのでした。 筆でも使うのかと思ったらカラーペンで、細かい描画は無理でした。特に微妙な凹凸のある眼のあたりは難物で、なかなかうまくゆきません。それでも30分ほど熱中し、私は昭和っぽいヤンキーのキューピー、マダムは変態っぽいTバック水着のキューピーを仕上げました。彩色したキューピーの写真を集めたサイトなどもあるようですが、あそこにあったペンだけではとても無理と思われる作品も多く、もしかすると細いペンを持参してきていたのではあるまいかと思われました。 14時27分のバスで博物館をあとにします。伊香保から博物館に直行する便が停まる停留所と、渋川・高崎方面に向かう便が停まる停留所が別になっていたので、一瞬迷いかけました。 バスは博物館最寄りの上の原停留所を出ると、次の発電所前に止まったあと、渋川駅までノンストップでした。渋川駅は、ずいぶん以前に湯長(むくまえ)氏・ドクターNと草津温泉に遊びに行ったとき以来です。駅前の「とんでん」に見覚えがありました。私はもちろん、湯長氏も結婚前のことでした。20年近く前のことですが、その20年近くが一挙に短絡したような気がします。駅前の様子にはさほどの変化がないのに、こちらはずいぶん齢を重ねてしまいました。 水上行きの電車に乗ります。上越線も渋川を過ぎると、街だったのが里となり、さらに山里となり、密林や渓谷を通り抜けて山奥へと分け入ってゆきます。かつて特急や急行がじゃんじゃん走っていた頃には気がつきませんでしたが、上越線の沿線の山深さ、それが織りなす景観は、全国でも屈指のものがあると思います。 沼田は、三国峠を越える前の最後の宿場で、冬は峠越えができなくなるので、越後の行商人などが長期滞在することが多く、そのあいだに土地の娘とねんごろになったりして、そのため越後系の血筋の者が多いと聞きます。 私は、これもずいぶん昔、尾瀬を訪れたときに前夜に沼田で泊まりました。朝イチのバスで尾瀬に向かい、ひたすらに歩き続けて福島県側の檜枝岐(ひのえまた)に下りたのでした。ひたすらに歩き続けたのには理由があり、もうあと1、2日で通行止めになるという季節だったもので、途中の休憩所や飲食店などがことごとく閉まっていたのでした。あるいは閉める準備をしているところばかりで、まったくどこにも立ち寄れなかったのです。だからといって遊歩道の傍らで休憩しようとしても、そんな季節なのでたちまち寒くなってきて、とてもじっとしては居られないのでした。白樺林などはすっかり葉が落ちて、骸骨が踊っているような気味の悪い光景になっていたのを憶えています。それが私のただ一度の尾瀬体験で、私の中の尾瀬ヶ原は、冬枯れの荒涼とした湿地帯というイメージで固定されています。 上記の草津行きよりさらに前のことで、日誌に全然書いた形跡が無いところを見ると、ホームページを開設した1997年よりも前のことだったようです。さすがに昔過ぎて、泊まったホテルがどのあたりだったのかさっぱりわかりません。こんなに広いバスターミナルがあったかしら。 よくわかりませんが、とりあえず今回は1時間半ほどあるので、駅前の喫茶店に入って時間をつぶしました。ちょうど駅が見下ろせる場所で、「たんばらラベンダー号」が入線してくるのを確認するまで、そこでのんびりしていました。 沼田発16時58分。1年ぶりに乗る「たんばらラベンダー号」は、やはり豪華な列車でした。座席は2+1の配列となっていますが、関空快速やキハ110系みたいな狭苦しい2+1ではなく、ヨーロッパの一等車のようなゆったりとしたシートになっています。シートピッチがまたとんでもなく広く、坐って足をいっぱいに伸ばしても前の座席に届きません。フリースペースもふんだんに確保しており、前後の展望室には誰が入っても構わないのでした。特急のグリーン車でも、ここまでゆとりのある座席配置になっている列車はありません。
座席は深くリクライニングしますが、うしろの席の乗客に気兼ねする必要はまったくありません。非常に快適です。 赤羽まで乗りましたが、やっぱり乗り足りない気がしました。こんな豪華列車を、上野もしくは大宮と、沼田もしくは万座・鹿沢口などという短距離にしか走らせないのはもったいないこと甚だしいと思います。いっそのことリクライニングをもっと深くして、フットレストもつけ、かつてのレガートシートのようにからだを伸ばして眠れるようにし、夜行列車、たとえば以前の「ムーンライトえちご」のように走らせられないものか、と考えてしまいます。せめて5、6時間くらい、できれば8〜10時間ほどは乗っていたい列車です。なんとかならないものでしょうか。 (2018.8.15.) |