第五章では、イヨたちが森の中で迷いますが、3世紀頃は、今よりも地上に森林がはるかに多かったようです。
中国大陸では、今やかなり奥地に行かないと森林を見ることができません。飛行機で上空を飛んでも、赤茶けた大地が拡がっているばかりで、寒々とした気分になったことがあります。
そんな中国でも、この当時、三国志の時代には、鬱蒼とした森林に覆われていたと言います。そういえば、曹操が森の中で敵に追われて、生命からがら逃げ出すというシーンもありました。
ヨーロッパも、この頃はまだ全体が森林に包まれていましたし、アメリカ大陸は言うに及びません。
それ以来、人は森を切り拓き続けました。幾多の大森林を消滅させて、農地などを拡大したのです。
農地のためばかりではなく、何よりも、燃料としての木材資源が必要でした。
エジプト、メソポタミア、インダスなどの古代の大文明が滅亡した原因は、実はエネルギー問題だったというのが最近の定説です。燃料として樹を伐りすぎて、森林が消滅し、砂漠化が起こって、文明を維持できなくなったというのです。エジプトのナイル川流域が、かつては大森林地帯だったなどということが、信じられるでしょうか。
まことにエネルギー危機は、古代から現代に至るまで、深刻な問題です。
人々が生活するだけならそんなに燃料は要りません。何に必要だったかと言えば、金属の精錬です。特に鉄は、融ける温度が高い(融点1530℃)ので、その精錬には莫大な燃料を必要とするのです。森は鉄のために消滅したと言っても過言ではありません。
朝鮮半島はかつて緑に覆われた土地でしたが、古代から鉄の産地だったために、禿げ山ばかりになってしまいました。
中国も同じことです。戦乱の絶え間なかった中国では、武器などのために常に大量の鉄を必要としました。あの広大な大陸を覆い尽くしていた森林が、10世紀頃までにはきれいさっぱり消失してしまったのです。そのままだと、中国文明も、エジプトやメソポタミア同様、滅亡していたことは間違いありません。
たまたま中国では、石炭の利用が森林消滅までに間に合いました。木材資源から化石資源への転換は、大いなるエネルギー革命というべきです。時の王朝は宋。遼や金など北方の帝国に圧迫され続けて、なんとなくぱっとしない印象のある王朝ですが、この時代、中国の生産力、科学技術、文化水準が飛躍的に発展していることを見逃すべきではありません。それは、石炭の利用が始まったためなのです。このため、中国文明は辛くも滅亡を免れました。
しかし、同じように常に大量の武器などを必要とし、鉄の生産も多く、しかもかなり多くの人口を抱えながら、砂漠化や草原化をしなかった地域が、ひとつだけあります。
ほかならぬ、日本列島です。
朝鮮半島と位置的には大変近いのに、この地の森林は強靱でした。
古代、半島から多くの製鉄者(たたら)が渡ってきています。彼らは故郷と同じように、樹を大量に伐り、それを燃料に鉄を作りました。
ところが、きわめて湿潤なこの地の山々は、およそ30年で森を再生するのです。それに気づいた製鉄者たちは、鉄を作る場所を次々と替え、30年かけてもとの所へ戻るという、卓抜なアイディアを身につけました。
かくして、日本は森を失わぬままに鉄をも手に入れるという、なんとも贅沢なことが可能な状態で文明を発展させてきました。歴代の政権も、森林保護には力を入れています。それはこの国の森林が、「鎮守の杜(もり)」として宗教的意味合いを持つ存在だったからでもあります。
今なお、日本の国土は7割が森で覆われています。世界の「先進国」の中で、これだけの森林面積割合を持つ国はありません。
中国に行って帰ってくる時、丁度よく晴れていて地上の様子がはっきりと見えました。中国の大地の、赤い岩肌ばかりのような荒涼とした光景に対し、九州上空にさしかかった途端、それは一面の緑でした。街もすべて、広大な森の懐に抱かれて息づいているような気がしました。
日本は、今でも「森の国」なのだな、と思い、胸が詰まるようでした。
この豊かな森を切り拓いて、スキー場やらゴルフ場やらを造るのは、環境問題としてもさることながら、常に森を大事にしてきたこの国の歴史に対しての冒涜なのではないでしょうか。
と言いながら、私はスキーが好きだったりするので、あまり大きなことは言えないのですが、今後とも森を愛する心を失わないようにしたいものです。できるならば、世界中の森林の消滅した不毛の地域に緑を再生するという仕事が、かつては「森の民」でもあった日本人の手によって進められることを期待したい気がします。
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