忘れ得ぬことども

「レクイエム」制作記

I

 2009年に亡くなったピアニスト神野明氏の追悼のために作曲した作品『レクイエム』は、板橋区演奏家協会の初演となりました。演奏家協会で規模の大きな曲をやる時は、たいていサクソフォン奏者の成田徹くんが指揮をすることになっています。しかし今回は、楽器奏者のエントリーが少なかったこともありますし、たまには成田くんにも本職であるサクソフォンを吹いて貰いたいと思い、作曲者である私が指揮棒を握ることになったのでした。
 合唱指揮ではそれなりに経験を積んできましたが、楽器の指揮となるといまだにあまり自信がありません。
 合唱指揮と器楽の指揮との違いは、指揮棒を持つか持たないかだけではなく、打点の示し方とか音の切り方とかにいろいろな差があります。ベテランの指揮者になると融通無碍というか、どこに打点があるのかよくわからないような振り方で、それでもなんとなくオーケストラをひっぱって行ってしまったりするのですが、どうやればそんな風になるものやら、見当もつきません。
 経験が不足しているだけでなく、いちど失敗したことがあるので、苦手意識を持っていたりもします。その時は自分の編曲もので、むしろ編作曲と呼んで良いくらいオリジナルな曲だったので、聴いている人々にはたぶんわからなかったと思うのですが、曲のラストでテンポが揺れる箇所で振り間違え、グダグダな結末になってしまったのでした。
 その後なんどか指揮棒を持つ機会はあったものの、器楽を率いる畏れのようなものは常に感じています。

 神野先生が亡くなったのは2009年9月21日でしたから、初演日の2010年9月16日はほぼ一周忌ということになります。
 神野先生は亡くなるまで演奏家協会の会長を務めていましたし、私の恩師でもありますから、葬儀の時に

 ――演奏家協会でレクイエムを演奏したい。

 と私が考えたのは、一応自然な流れではありました。実は葬儀の席ではじめて、先生が熱心なキリスト教徒であったことを知り、そこからの発想でもあります。
 もっともキリスト教と言っても、先生の宗旨がカトリックなのかプロテスタントなのかもよく知らず、レクイエムというのは本当はカトリックの典礼であるため、全く妥当な考えであったかどうか微妙ではあります。プロテスタントの作曲家がレクイエムを作る場合、ブラームス『ドイツ・レクイエム』のように、ラテン語の典礼文ではないテキストを使う場合が多いようで、神野先生がもしプロテスタントであった場合(葬儀を進行していたのが神父さんではなくて牧師さんだったことから、どうもそうらしいのですが)、私の作るレクイエムも典礼文は使わないほうが良かったかもしれません。
 難しいことを考え出すといろいろ気になってきます。ただ、神野先生が入信した理由が、西洋音楽を芯から理解するためだったということを牧師さんから聞いていたので、その意味では、宗旨がどちらであろうと、西洋音楽の源流である教会音楽のスタイルで書くことに問題はないだろうと割り切りました。
 また同時に、カトリックどころか、キリスト教徒でもなんでもない私という作曲家がレクイエムを書くことの妥当性も気にかかりました。日本人の作曲したレクイエムとしては、三善晃三木稔の作品がよく知られていますが、このかたがたの宗旨はどうだったのでしょうか。どちらもテキストは日本語であるので、おそらく「鎮魂」という内容によって名付けただけで、信仰とは無関係だったろうと思います。一方三枝成彰曾野綾子が日本語訳した典礼文をテキストとするレクイエムを書いていますが、これも作曲者自身の宗旨や信仰とは関係なかったような気がします。
 ラテン語の典礼文をそのまま用いるということについて、私の参考になる先例はあまり見当たらないのでした。
 私はラテン語の典礼文を用いた作品を今までふたつ書いています。「Ave Maria」「Ave verum corpus」の2曲から成る『二つのモテット』、それからミサの典礼文と自作の日本語テキストとを交互に用いた『神無き民のミサ曲』です。後者を書いた時に実感したのは、日本語をテキストとする場合とラテン語をテキストとする場合とで、自分の音楽的発想そのものが少し変わってくるということでした。どこがどう変わるか説明するのはなかなか難しいのですが、主にメロディーの感覚が異なってくるのでしょう。声楽曲を作る作曲家にはメロディー先行型(先にメロディーができてしまう、とまでは言わないにしても、やや歌詞を後からあてはめた感覚になる)の人と歌詞先行型(歌詞の発音やイントネーションからメロディーラインを組み立ててゆく)の人が居ますが、私は後者であるため、テキストの言語が変わればそれなりに組み立て方も変わってくるものと思われます。
 そんなわけで最終的には、「ラテン語で書く」ことに表現者としてチャレンジする、という次元で、宗教上のすべての懸念を払拭することにしました。そうとでも割り切らないと、レクイエムを書くなどという大それた試みには着手できなかったのです。

 言うまでもなく、レクイエムというのは多くの作曲家が渾身で書き上げてきたジャンルです。モーツァルトベルリオーズヴェルディブルックナードヴォルジャークフォーレデュリュフレロイド・ウェッバーといった錚々たる面々が、それぞれ生涯にただ一曲、持てる力をすべて投入する勢いで書いています。あだやおそろかに取り組めるものではないという気がします。
 私もできる限りの力を注ぎ込んで書くべきでしょう。しかしながら、「神野明に捧げられたレクイエム」であるということをどこかで表現したいと思いました。
 神野先生は生涯、ショパンリストを愛し続けたピアニストでした。このふたりの「ロ短調ピアノソナタ」だけを弾くリサイタルも開いたことがあります。演奏家協会がらみで、ファミリー音楽会の締めに何か一曲、と求められた時も、ショパンかリストのどちらかの作品を弾くのが常でした。
 では、ショパンとリストの作品の中から、有名なモティーフを抜き出して、レクイエムの中に散りばめてみるというのはどうでしょうか。
 実はこれはかなり危険な方法です。作曲において「引用」という方法が使われることはそう珍しくないとはいえ、下手をすると「パクリ(盗作)」と受けとられてしまいかねません。好意的に見ても、一種のパロディと思われがちなのは避けられないでしょう。パロディというと、例えばサティ『官僚的なソナチネ』という作品でクレメンティの有名なソナチネをほとんど丸ごと引用し、とことんしゃれのめしたりしているわけですが、笑いをとる方法としては認められるにしても、レクイエムという厳粛さを要求される曲でやってのけるのは、やはり冒険的と言わざるを得ません。
 そこで大まじめにやった例を探してみると、ベリオが自分の交響曲の中でマーラーの交響曲のある楽章をほぼ丸ごと引用しています。こちらはサティとは違って、笑いをとる意図はおそらく無いでしょう。何かやむにやまれぬ表現意思があったものと思われます。
 そんなことをとりとめもなく考えている間に、ショパンの「革命のエチュード」のモティーフを使用した導入唱の曲想が脳裡に浮かんできてしまいました。あれこれ理詰めで考えても、結局浮かんできたものは仕方がありません。パロディ扱い、あるいはひどい場合はパクリ扱いされるのを覚悟で、ショパンとリストてんこ盛りなレクイエムを作ることにしました。

 着手したのは今年(2010年)の3月頃でした。4月にあった音楽劇団熊谷組公演の稽古中、休憩時間を盗んでは導入唱を書いていたのを思い出します。また5月頃、演奏家協会の「カルメン」公演のオケ合わせの休憩時間を盗んで「サンクトゥス」を書いていました。家に居る時より、なぜかそういう場のほうが曲想が動いてくれたりしたのでした。
 作曲と並行して、演奏家協会のコンサートで初演する段取りをつけました。神野先生の一周忌に合わせて追悼演奏会をやろうという案は、すんなりと会議を通りました。ただし、主催者である板橋区文化・国際交流財団からの申し入れで、「神野明追悼」という文句は表には出せなくなり、少し残念ではあります。今年はショパンとシューマンの生誕200周年でもありますので、『偉大な音楽家たちへの想い出』という、ある意味どうにでも取れるタイトルに決め、ショパン・リスト・シューマンの作品を協会のピアニストたちが次々に弾くという体裁にしました。そしてもうひとつの目玉として、レクイエムの初演を提案したわけです。
 追悼演奏会ですから、できるだけ多くの協会メンバーに参加して貰いたかったものの、ピアノ以外の楽器や声楽家の参加形態が設定しづらいところだったため、これもわりとすぐ通りました。ピアノ以外のメンバーは全部レクイエムの演奏に参加すれば良いのです。ただ、出演希望をとってからでないと、どういう編成にするか決められないというデメリットもありましたが。
 しかしまあ、編成のことは大した問題ではありません。合唱は混声を組むのは難しく、女声合唱にしなければなるまいと思いましたが、楽器のほうは、私自身としてはフルオーケストラのつもりで作曲してしまうことにしました。どうせ毎年、オペラを協会メンバーに合わせた形に編曲しているのですから、どういうエントリーがあったにせよ、オペラと同じように、仮想のフルオケヴァージョンをその編成のために編曲する、というスタンスを採れば良いのだと思いました。
 4月下旬頃に大体エントリーが出揃いました。楽器は案外少なく、フルート1、サクソフォン3、トロンボーン1という編成になりました。それに、独奏の部ではなくこちらに参加したいというピアニストがひとり居たので助かりました。サクソフォンが多いのはこの団体のいつもの光景で、オペラやファミリー音楽会で年々歳々アンサンブルの経験を重ねて、今や協会のサクソフォンアンサンブルは弦楽合奏に迫る響きを作れるほどになっていますので、不満はありません。ただ3声しか使えない点では少々制約が生じるかもしれません。
 声楽は思った通り女声が多く、12人居たのでなんとか女声合唱を構成できました。ただし本来はそのほとんどがソプラノ歌手で、メゾソプラノがひとりだけ、アルトというのは皆無なのですが、まあ日本女性の体格そのものが99%ソプラノ向きなのでこれは仕方がありません。普通の女声合唱団でも、メゾやアルトというのは、事実上「下の音を出せるソプラノ」もしくは「上の音が出せないソプラノ」が担当しているに過ぎませんので、11人のソプラノ歌手とひとりのメゾソプラノ歌手を無理矢理3パートに割り振ってしまいました。
 ただし、男声からのエントリーも若干あり、テノールとバリトンがひとりずつ申し出ました。ひとりずつではさすがに混声合唱を組むわけにはゆきません。実際に活動しているアマチュアの混声合唱団などでは、男声パートが1〜2人という場合もありますが、そういう響きを想定してレクイエムを書くのも寂しいものがあります。やはり予定通り、女声合唱ということにして、男声のふたりには途中で独唱を担当して貰うことにしました。考えてみればミサ曲とかカンタータとかいうのはたいてい独唱が含まれています。「テノール・バリトン独唱付き女声合唱」ならけっこう豪華な感じがするのではありますまいか。実際に作曲してみると、ソプラノとメゾソプラノの独唱も何箇所か入れることになり、二重唱や四重唱も加わって、なかなか本格的になってきました。

 レクイエムという曲種は、多くの楽章により構成されます。モーツァルトのレクイエムはほぼフルに近く、ズュスマイヤーの補筆部分を含めると12曲(数え方によっては14曲)にもなります。一方フォーレのレクイエムは7曲しかありません。導入唱とそれに引き続く「キリエ」はたいていどの人の作品にも含まれています(導入唱の冒頭の語句が「Requiem」だから全体がレクイエムと名付けられているのであって、これを欠くと古典的な意味ではレクイエムとは呼べなくなってしまいます)が、そのあとの楽章はだいぶ違っています。典礼文には長い長い「続唱(セクエンツイア)」と称される部分があり、ここをどう扱うかは作曲家によってまちまちなのです。モーツァルトは「怒りの日 Dies irae」「奇跡のラッパ Tuba mirum」「恐怖の大王 Rex tremendae」「想いを致し Recordare」「呪われし者 Confutatis」「涙の日 Lacrimosa」の6楽章にも分けてこの続唱を取り扱っています。これに対して、フォーレはなんと続唱を丸々カットし、その次の「奉納唱」というところから続けています。その代わり、モーツァルト=ズュスマイヤーが終曲に置いている「聖体拝領唱」のあと、フォーレは「赦祷唱(リベラ・メ)」「楽園歌(イン・パラディズム)」の2曲を付け加えています。
 私のレクイエムは、全体で30分くらいで収めなければなりませんでした。コンサートの流れからしてそれが限界です。そうなると、フォーレ式のカットヴァージョンを採用するしかないでしょう。また実際のところ、続唱については、クリスチャンでない私にはよく理解できない部分が多かったのです。おおむね最後の審判について述べられた部分なのですが、輪廻転生を旨とするわれわれにはどうも馴染めません。フォーレのようにすぐに奉納に進んだほうが無難です。
 また、よく含まれている「Pie Jesu」もカットすることにしました。これは本来の典礼文には無くてあとから付け加えられた語句であるようですが、イエスという個人に対する敬慕の言葉を、非教徒である私が述べるのも、やや偽善が過ぎるというものでしょう。結局、
 1.「導入唱―キリエ」
 2.「奉納唱」
 3.「感謝の讃歌(サンクトゥス)―祝祷唱(ベネディクトゥス)」
 4.「平和の讃歌(アニュス・デイ)―聖体拝領唱(コンムニオ)
 5.「赦祷唱(リベラ・メ)」
 6.「楽園歌(イン・パラディズム)」

 という、いくつかの部分をまとめながらの6楽章編制ということになりました。作曲期間からしても、その辺がいいところだったかもしれません。

 第一曲の「導入唱―キリエ」では、全体として「革命のエチュード」を引用しています。
 のっけから「革命」の主要メロディーが登場するので、ひょっとしたら失笑を買うかもしれませんが、曲そのものはごく真剣に、粛々と進行します。やがてそのメロディーにかぶさるように合唱が入ります。この主要メロディーは、ショパンがさまざまに変奏して用いていますが、それらを丹念に拾って使わせて貰いました。また、ラストの和音進行はまさに「革命」の末尾をそのまま使っています。一種の変格終止と呼ばれる終わりかたなのですが、実に斬新で、類例はほとんど見当たりません。
 そんな具合に、第一曲ではずいぶんショパンにどっぷり漬かっているのですが、第二曲では早くも「引用」の方針がおろそかになり、ラスト間際にあわててリストの「コンソレーション第3番」のモティーフとショパンの「大洋のエチュード」のモティーフを引いてくるにとどめました。
 ある程度進んでくると、私の曲想のほうが先に進んでしまって、かえって引用がうまくできなくなってしまう傾向がありました。次の「サンクトゥス」では合唱自体にショパンの「バラード第4番」やリストの「愛の夢第3番」のモティーフを組み込んでみましたが、そういう作り方はやはり限界があり、後半の3曲では裏メロとして控えめに散らすだけになってしまいました。それでも「ピアノソナタ(リスト)」「ハンガリー狂詩曲第2番(リスト)」「葬送行進曲(ショパン)」「別れの曲(ショパン)」「ラ・カンパネラ(リスト)など、彼らの代表作のモティーフをあれこれと持ってきています。一目瞭然でわかることもあり、かなり変形してあるのでよく気をつけないと聴き逃すこともあり、という感じです。

 まずピアノ伴奏版のヴォーカルスコアを作成して、歌い手に渡しました。それから与えられた編成用にアレンジする作業がありました。いずれも予定したよりは少し手間がかかってしまって、すべての作業が済んだのは8月も半ばを過ぎた頃のことでした。
 作曲・編曲作業の終わりと入れ替わるように、練習が始まりました。歌だけの練習が2回、楽器だけの練習が1回あって、今日ははじめての合わせ練習となりました。
 指揮しながら、気が早い話かもしれませんが、いつの日か混声合唱+フルオーケストラの形に編曲し直して演奏してみたいと思えてなりませんでした。そんな機会は来るものでしょうか。

(2010.9.10.)


II

 『レクイエム』の初演がつつがなく終わりました。
 あいにくと一日中雨模様で、降ったり止んだりしている天候だったので、客入りに響くのではないかと心配しましたが、まあまあみすぼらしくない程度の入りにはなったので安心しました。何しろ大ホールで、席数が1200以上あります。半分くらいは埋まっていないと寂しいことになってしまいます。
 私自身の配券も、今回はどうも思わしくなかったので、実際舞台に立って客席を見るまでは、どきどきものでした。私の作品発表にはたいてい来てくれる人たちが、どうしたわけだか今回は軒並み都合が悪くて、あてにしていた6割くらいしかチケットが売れなかったのです。他にも出演者は多かったのですが、多いということはひとりあたりの出番が少ないということでもあり、みんな苦戦していたようです。後半のピアノコンサートに出るピアニストたちは、5分ばかりの出番のためにチケットを買ってくれと言うのはなかなか心苦しかったことでしょう。また『レクイエム』に乗ってくれた声楽家たちは、独唱で出るならともかく、合唱の一員ということでは売りづらかったのではないかと思います。
 この分だと400人台がいいところかなあ、と弱気になっていたのですが、蓋を開けてみるとなんとか600超えで、一応さまになる客席の状態にはなっていたようです。ご来聴の皆様、どうもありがとうございます。そして企画に携わったみんな、お疲れ様でした。

 歌の練習2回、楽器だけの練習1回のあと、合わせリハーサルが2回、それに当日の通しという少ない回数で本番となりましたが、そのわりにはずいぶん良い初演となったように思います。リハで心配だったところがほとんどクリアされていて、さすがにプロだなと感心しました。
 もちろん、もう少し回数が取れれば、合唱としての音色の統一などをより綿密におこなうこともできたと思います。そういう点では、場合によっては充分期間をかけたアマチュア合唱団のほうが音がきれいだったりすることもあるわけなのですが、日常的にグループで活動しているわけでもない板橋区演奏家協会のメンバーをそうたびたび呼び集めるわけにもゆきませんし、練習回数と本番の出来のバランスとしては、大いに満足できるものでした。今回はむしろ、短期間で初演に持ってゆくことで得られる「熱気」のようなものを重視したい想いでもありました。なんと言っても神野明先生を悼む気持ちはみんな共通していましたから……。

 『レクイエム』の演奏は、コンサートの冒頭に置かれていました。これは主に時間の都合です。全体がかなり盛りだくさんのプログラムになってしまったため、削れる時間はできる限り削る方針となりました。本当はこういう大規模な曲は後半に置いたほうがプログラムとして重量感があるのですが、ピアノの位置や楽器用の椅子の配置など、セッティングに余分な時間を費やすことは確かです。それで、開演前からセッティングを済ませて、全員「板付き」の状態で始められるように、冒頭に置くことになったわけです。
 私のお客で、
 ――19時には行けないんだけど……
 という人も何人か居て、そういう向きにはいささか申し訳なかったと思います。楽章の途中での客入れOKということで受付に伝えておきましたが、結局私の作品が終わってから到着した人も居たようです。
 『レクイエム』の演奏所要時間は約30分でした。作曲前から「30分くらいの曲」と予告していて、実際に演奏しても30分くらいとは、われながら見通しが確かだったと思います。作っている時は必ずしも演奏時間のことを意識していたわけでもないのですが、楽章を作り終えてから概算してみると、不思議とどれも4分程度で納まっていました。ただし最初の楽章だけは、「導入唱」「キリエ」それぞれが4分くらいです。その他5楽章ありますから、単純計算で28分、演奏時のテンポの延びや曲間を含めると、ほぼドンピシャで30分くらいではないでしょうか。リハーサルで通してみると、まさにそのくらいでした。
 私の作品は20分くらいの曲が多く(劇音楽だと40〜90分くらいのものもありますが)、30分というのはかなり大作だったと思います。

 演奏者は全員あらかじめ舞台にスタンバイし、緞帳が開くのを待ちます。
 開演前に板橋区長がスピーチをおこない、故人を表彰するセレモニーがありました。区長のスピーチは予定していたより長くなって、19時の開演が5分押しになりました。ただでさえスケジュールがタイトなのに、大丈夫だろうかと心配になりました。
 心配なまま演奏を始めると、テンポが思わず知らず速くなってしまうのではないかなどと、さらに余計な心配をしていましたが、幕が開き、指揮棒を振り上げ、最初の一音が鳴ると、気持ちが落ち着きました。最初の数十秒ほど、ひざが少し慄えているのを感じましたけれども、それも曲が進むにつれおさまりました。
 しばらく器楽だけで「革命のエチュード」を変形した序奏が流れ、やがて合唱が加わります。
 ――Requiem aeternam dona eis, Domine. 永遠の平安を彼らに与えたまえ、主よ。
 全パートがユニゾン(同音)で入った合唱が、分かれてハーモニーを作り出します。
 ――et lux perpetua luceat eis. そして絶えることなき光を彼らに照らしたまえ。
 luceat eis(彼らを照らしたまえ)というテキストが繰り返されたのち、次のフレーズに進みます。
 ――Te decet hymnus Deus in Sion, et tibi reddetur votum in Jerusalem. シオンにて神に讃歌を捧げ、エルサレムにて誓いを果たそう。
 シオンとエルサレムはほとんど同じ意味で、ここは聖書によく出てくるパラレリズム(対句)というものでしょう。楽句の形も同じようにしました。若干ラテン音楽っぽいメロディーになっていますが。
 「Requiem aeternam」のフレーズがまた再現され、一旦終止へと向かいますが、続いてキリエに突入します。自分で振っていて、この部分でいつも背筋がぞくっとしました。
 ――Kyrie, eleison. 主よ、憐れみたまえ。
   Christe, eleison. キリストよ、憐れみたまえ。
   Kyrie, eleison. 主よ、憐れみたまえ。

 キリエのテキストはこれだけです。「主」にDomineでもDeusでもなくKyrieという言葉を宛てているのは、この部分だけラテン語ではなくてヘブライ語由来だからだそうです。
 モーツァルトに倣って、キリエの部分は本格的なフーガにしました。『葡萄の苑』の序曲でフーガを使ったり、『女声合唱のためのインヴェンション』にフーガを入れたりしていますが、フーガはもともと私のわりと好きなジャンルです。大学の作曲科の入学試験では、室内楽作品(たいていはソナタ形式で書きます)の実技に先立って、フーガを作る実技(正しくは「対位法的楽曲」ですがほとんどの人はフーガを書きます)がありましたが、面接で
 「(「和声課題」と「フーガ」と「室内楽」で)自分ではどれがいちばん良くできていたと思いますか?」
 と訊かれ、私は
 「フーガじゃなかったかと……」
 と答えたものでした。ひとつのテーマを、次々に転調しながらいろんなパートに歌わせてゆくというのは、なかなか楽しい作業です。もちろん作っている時は頭をかきむしりたくなったりしますが。

 「革命のエチュード」のラストを模した堂々たる終止でキリエが終わると、上手(かみて)側からテノール独唱の林永清さんが進み出ます。第2曲「奉納唱」は林さんと合唱の掛け合いのような形で進行します。
 林さんとはつきあいも長いので、無意識に彼の声に合わせたイメージでメロディーを書いていたかもしれません。
 「林さんの声に完全にフィットした曲だったね」
 と他の演奏者に言われましたし、聴いていた人からも
 「林さんの歌をもっと聴いていたかったな」
 と感想が寄せられました。おやおやと思いました。
 続く第3曲「感謝の讃歌(サンクトゥス)」は急速な3拍子で、言ってみれば交響曲の中のスケルツォのような気分の楽章です。「祝祷唱(ベネディクトゥス)」の部分に入ると、今度は合唱団の中から城田佐和子さんが進み出て、ソロで歌い出します。必ずしも城田さんの声をイメージしたというわけではないのですが、やがて合唱が入ってくると、独唱はゴスペルソングのオブリガートのような名人芸を披露しはじめ、最後は高いミ♭まで駆け上がって輝かしく終わるあたり、彼女にも適ったスタイルだったと思いました。
 第4曲「平和の讃歌(アニュス・デイ)」は、宮入玲子さんのソプラノと本馬親良さんのバリトンとの二重唱です。「Agnus Dei, qui torris peccata mundi: dona eis requiem(神の子羊よ、世の罪をお許しになるかたよ、彼らに平安を与えたまえ)」という、ごくごく宗教性の強いテキストにもかかわらず、ほとんどラブソングのような掛け合いになっています。実は作曲の時にイメージしたのは「ホール・ニューワールド」(ディズニー映画「アラジン」の挿入歌)だったりしました。
 第4曲と第5曲は切れ目無しにつながるつもりでしたが、宮入さんと本馬さんが元の位置に戻るのを待たなければならず、実際には少し時間がかかりました。よく「第九」の演奏の時によくやるように、合唱が背後、その前にオーケストラ、そのまた前に指揮者と並んでソリストたち、という配置であれば予定通りできるのですが、今回のソリストは男性ふたりを除いて合唱を兼ねているので、やむを得ないのでした。
 第5曲「赦祷唱(リベラ・メ)」はこの作品の中では響きがモダンなほうで、それだけに歌も無調性っぽく、独唱なども歌いづらそうでしたが、林さんと本間さん、そしてメゾソプラノの鈴木美恵子さんとソプラノの水島恵美さん共に、しっかり歌い込んでくれました。「怒りの日(ディエス・イラ)」の途中でひと声叫ぶ吉川英子さんもいい感じでした。
 終曲「楽園歌(イン・パラディズム)」に入ると、指揮をしている私もほっとひと安心という感じでした。ラストの「アーメン」の合唱に乗せて、フルートがリスト「ラ・カンパネラ」のテーマを非常に素朴な雰囲気で奏しはじめると、万感胸に迫るものがありました。

 合唱の低声が聴き取りづらかったとか、ちょっと頑張りすぎていたようだったとか、細かい批判はいくつかありましたが、全体としては大変好評であったようです。涙が何度も出てきたという人も居たそうですが、これは神野先生を知っていて、なおかつ舞台に先生の大きな遺影が飾られていた効果かもしれません。
 優子先生ほか神野先生のご遺族に喜んで貰えたのが、何より嬉しく思えました。
 クリスチャンの友人は、
 「とても生き生きしたレクイエムでした」
 と言っていました。彼女は世の「レクイエム」が往々にしてあまりに重々しく、神々しく演奏されるのに懐疑的であったそうです。本来、神の元に近づく喜びを表現すべきテキストであるというのがその人の持論でした。
 こうなるとやはり欲が出てきて、混声合唱用・フルオケヴァージョンでやってみたくなります。いつかその機会はあるものでしょうか。

 時間の関係で、私が一礼しただけで全員退去しました。本当は楽器奏者やソリストたちにも掛けて拍手を貰いたかったところですが、余計な時間をとるのは厳禁でした。
 それどころか、『レクイエム』参加者はそのまま撤収準備にかかり、神野優子先生のヴァイオリン演奏が済んで休憩時間に入る頃にはすっかり着替え終わり、荷物をまとめて、客席に移動していたのでした。楽屋を後半のピアニストたちだけにしたわけです。『レクイエム』を冒頭にしたのには、私にはちょっと不満がありましたが、この点では余裕があって良かったかな。後半のピアノコンサートは客として聴きました。他のお客さんの邪魔にならないよう、二階席に行きましたが、二階席にもけっこうお客が入っていたので驚きました。結果は前述の通り、600超えの客入りで、平日の晩の雨模様のコンサートとしては御の字というべきでしょう。

 作曲を志してからほぼ1年、着手してからも約半年、他の仕事も何やかにやと飛び込んできてずっと専念できたわけではありませんでしたが、いつも気にかかっていた『レクイエム』の初演がようやく無事に終わり、肩の荷を下ろしたというよりも少々茫然とした気分でいます。ふつう演奏会は私たちにとっては通常業務の一部に近く、終わってから気が抜けてしまうということは滅多にないのですが、今回ばかりは、次のことをはじめるまで少し時間が欲しい気がします。

(2010.9.18.)

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