II
『レクイエム』の初演がつつがなく終わりました。 あいにくと一日中雨模様で、降ったり止んだりしている天候だったので、客入りに響くのではないかと心配しましたが、まあまあみすぼらしくない程度の入りにはなったので安心しました。何しろ大ホールで、席数が1200以上あります。半分くらいは埋まっていないと寂しいことになってしまいます。 私自身の配券も、今回はどうも思わしくなかったので、実際舞台に立って客席を見るまでは、どきどきものでした。私の作品発表にはたいてい来てくれる人たちが、どうしたわけだか今回は軒並み都合が悪くて、あてにしていた6割くらいしかチケットが売れなかったのです。他にも出演者は多かったのですが、多いということはひとりあたりの出番が少ないということでもあり、みんな苦戦していたようです。後半のピアノコンサートに出るピアニストたちは、5分ばかりの出番のためにチケットを買ってくれと言うのはなかなか心苦しかったことでしょう。また『レクイエム』に乗ってくれた声楽家たちは、独唱で出るならともかく、合唱の一員ということでは売りづらかったのではないかと思います。 この分だと400人台がいいところかなあ、と弱気になっていたのですが、蓋を開けてみるとなんとか600超えで、一応さまになる客席の状態にはなっていたようです。ご来聴の皆様、どうもありがとうございます。そして企画に携わったみんな、お疲れ様でした。
歌の練習2回、楽器だけの練習1回のあと、合わせリハーサルが2回、それに当日の通しという少ない回数で本番となりましたが、そのわりにはずいぶん良い初演となったように思います。リハで心配だったところがほとんどクリアされていて、さすがにプロだなと感心しました。 もちろん、もう少し回数が取れれば、合唱としての音色の統一などをより綿密におこなうこともできたと思います。そういう点では、場合によっては充分期間をかけたアマチュア合唱団のほうが音がきれいだったりすることもあるわけなのですが、日常的にグループで活動しているわけでもない板橋区演奏家協会のメンバーをそうたびたび呼び集めるわけにもゆきませんし、練習回数と本番の出来のバランスとしては、大いに満足できるものでした。今回はむしろ、短期間で初演に持ってゆくことで得られる「熱気」のようなものを重視したい想いでもありました。なんと言っても神野明先生を悼む気持ちはみんな共通していましたから……。
『レクイエム』の演奏は、コンサートの冒頭に置かれていました。これは主に時間の都合です。全体がかなり盛りだくさんのプログラムになってしまったため、削れる時間はできる限り削る方針となりました。本当はこういう大規模な曲は後半に置いたほうがプログラムとして重量感があるのですが、ピアノの位置や楽器用の椅子の配置など、セッティングに余分な時間を費やすことは確かです。それで、開演前からセッティングを済ませて、全員「板付き」の状態で始められるように、冒頭に置くことになったわけです。 私のお客で、 ――19時には行けないんだけど…… という人も何人か居て、そういう向きにはいささか申し訳なかったと思います。楽章の途中での客入れOKということで受付に伝えておきましたが、結局私の作品が終わってから到着した人も居たようです。 『レクイエム』の演奏所要時間は約30分でした。作曲前から「30分くらいの曲」と予告していて、実際に演奏しても30分くらいとは、われながら見通しが確かだったと思います。作っている時は必ずしも演奏時間のことを意識していたわけでもないのですが、楽章を作り終えてから概算してみると、不思議とどれも4分程度で納まっていました。ただし最初の楽章だけは、「導入唱」と「キリエ」それぞれが4分くらいです。その他5楽章ありますから、単純計算で28分、演奏時のテンポの延びや曲間を含めると、ほぼドンピシャで30分くらいではないでしょうか。リハーサルで通してみると、まさにそのくらいでした。 私の作品は20分くらいの曲が多く(劇音楽だと40〜90分くらいのものもありますが)、30分というのはかなり大作だったと思います。
演奏者は全員あらかじめ舞台にスタンバイし、緞帳が開くのを待ちます。 開演前に板橋区長がスピーチをおこない、故人を表彰するセレモニーがありました。区長のスピーチは予定していたより長くなって、19時の開演が5分押しになりました。ただでさえスケジュールがタイトなのに、大丈夫だろうかと心配になりました。 心配なまま演奏を始めると、テンポが思わず知らず速くなってしまうのではないかなどと、さらに余計な心配をしていましたが、幕が開き、指揮棒を振り上げ、最初の一音が鳴ると、気持ちが落ち着きました。最初の数十秒ほど、ひざが少し慄えているのを感じましたけれども、それも曲が進むにつれおさまりました。 しばらく器楽だけで「革命のエチュード」を変形した序奏が流れ、やがて合唱が加わります。 ――Requiem
aeternam dona eis,
Domine. 永遠の平安を彼らに与えたまえ、主よ。 全パートがユニゾン(同音)で入った合唱が、分かれてハーモニーを作り出します。 ――et
lux perpetua luceat eis. そして絶えることなき光を彼らに照らしたまえ。 luceat
eis(彼らを照らしたまえ)というテキストが繰り返されたのち、次のフレーズに進みます。 ――Te decet hymnus Deus in
Sion, et tibi reddetur votum in
Jerusalem. シオンにて神に讃歌を捧げ、エルサレムにて誓いを果たそう。 シオンとエルサレムはほとんど同じ意味で、ここは聖書によく出てくるパラレリズム(対句)というものでしょう。楽句の形も同じようにしました。若干ラテン音楽っぽいメロディーになっていますが。 「Requiem
aeternam」のフレーズがまた再現され、一旦終止へと向かいますが、続いてキリエに突入します。自分で振っていて、この部分でいつも背筋がぞくっとしました。 ――Kyrie,
eleison. 主よ、憐れみたまえ。 Christe, eleison. キリストよ、憐れみたまえ。 Kyrie,
eleison. 主よ、憐れみたまえ。 キリエのテキストはこれだけです。「主」にDomineでもDeusでもなくKyrieという言葉を宛てているのは、この部分だけラテン語ではなくてヘブライ語由来だからだそうです。 モーツァルトに倣って、キリエの部分は本格的なフーガにしました。『葡萄の苑』の序曲でフーガを使ったり、『女声合唱のためのインヴェンション』にフーガを入れたりしていますが、フーガはもともと私のわりと好きなジャンルです。大学の作曲科の入学試験では、室内楽作品(たいていはソナタ形式で書きます)の実技に先立って、フーガを作る実技(正しくは「対位法的楽曲」ですがほとんどの人はフーガを書きます)がありましたが、面接で 「(「和声課題」と「フーガ」と「室内楽」で)自分ではどれがいちばん良くできていたと思いますか?」 と訊かれ、私は 「フーガじゃなかったかと……」 と答えたものでした。ひとつのテーマを、次々に転調しながらいろんなパートに歌わせてゆくというのは、なかなか楽しい作業です。もちろん作っている時は頭をかきむしりたくなったりしますが。
「革命のエチュード」のラストを模した堂々たる終止でキリエが終わると、上手(かみて)側からテノール独唱の林永清さんが進み出ます。第2曲「奉納唱」は林さんと合唱の掛け合いのような形で進行します。 林さんとはつきあいも長いので、無意識に彼の声に合わせたイメージでメロディーを書いていたかもしれません。 「林さんの声に完全にフィットした曲だったね」 と他の演奏者に言われましたし、聴いていた人からも 「林さんの歌をもっと聴いていたかったな」 と感想が寄せられました。おやおやと思いました。 続く第3曲「感謝の讃歌(サンクトゥス)」は急速な3拍子で、言ってみれば交響曲の中のスケルツォのような気分の楽章です。「祝祷唱(ベネディクトゥス)」の部分に入ると、今度は合唱団の中から城田佐和子さんが進み出て、ソロで歌い出します。必ずしも城田さんの声をイメージしたというわけではないのですが、やがて合唱が入ってくると、独唱はゴスペルソングのオブリガートのような名人芸を披露しはじめ、最後は高いミ♭まで駆け上がって輝かしく終わるあたり、彼女にも適ったスタイルだったと思いました。 第4曲「平和の讃歌(アニュス・デイ)」は、宮入玲子さんのソプラノと本馬親良さんのバリトンとの二重唱です。「Agnus Dei, qui torris peccata mundi:
dona eis
requiem(神の子羊よ、世の罪をお許しになるかたよ、彼らに平安を与えたまえ)」という、ごくごく宗教性の強いテキストにもかかわらず、ほとんどラブソングのような掛け合いになっています。実は作曲の時にイメージしたのは「ホール・ニューワールド」(ディズニー映画「アラジン」の挿入歌)だったりしました。 第4曲と第5曲は切れ目無しにつながるつもりでしたが、宮入さんと本馬さんが元の位置に戻るのを待たなければならず、実際には少し時間がかかりました。よく「第九」の演奏の時によくやるように、合唱が背後、その前にオーケストラ、そのまた前に指揮者と並んでソリストたち、という配置であれば予定通りできるのですが、今回のソリストは男性ふたりを除いて合唱を兼ねているので、やむを得ないのでした。 第5曲「赦祷唱(リベラ・メ)」はこの作品の中では響きがモダンなほうで、それだけに歌も無調性っぽく、独唱なども歌いづらそうでしたが、林さんと本間さん、そしてメゾソプラノの鈴木美恵子さんとソプラノの水島恵美さん共に、しっかり歌い込んでくれました。「怒りの日(ディエス・イラ)」の途中でひと声叫ぶ吉川英子さんもいい感じでした。 終曲「楽園歌(イン・パラディズム)」に入ると、指揮をしている私もほっとひと安心という感じでした。ラストの「アーメン」の合唱に乗せて、フルートがリストの「ラ・カンパネラ」のテーマを非常に素朴な雰囲気で奏しはじめると、万感胸に迫るものがありました。
合唱の低声が聴き取りづらかったとか、ちょっと頑張りすぎていたようだったとか、細かい批判はいくつかありましたが、全体としては大変好評であったようです。涙が何度も出てきたという人も居たそうですが、これは神野先生を知っていて、なおかつ舞台に先生の大きな遺影が飾られていた効果かもしれません。 優子先生ほか神野先生のご遺族に喜んで貰えたのが、何より嬉しく思えました。 クリスチャンの友人は、 「とても生き生きしたレクイエムでした」 と言っていました。彼女は世の「レクイエム」が往々にしてあまりに重々しく、神々しく演奏されるのに懐疑的であったそうです。本来、神の元に近づく喜びを表現すべきテキストであるというのがその人の持論でした。 こうなるとやはり欲が出てきて、混声合唱用・フルオケヴァージョンでやってみたくなります。いつかその機会はあるものでしょうか。
時間の関係で、私が一礼しただけで全員退去しました。本当は楽器奏者やソリストたちにも掛けて拍手を貰いたかったところですが、余計な時間をとるのは厳禁でした。 それどころか、『レクイエム』参加者はそのまま撤収準備にかかり、神野優子先生のヴァイオリン演奏が済んで休憩時間に入る頃にはすっかり着替え終わり、荷物をまとめて、客席に移動していたのでした。楽屋を後半のピアニストたちだけにしたわけです。『レクイエム』を冒頭にしたのには、私にはちょっと不満がありましたが、この点では余裕があって良かったかな。後半のピアノコンサートは客として聴きました。他のお客さんの邪魔にならないよう、二階席に行きましたが、二階席にもけっこうお客が入っていたので驚きました。結果は前述の通り、600超えの客入りで、平日の晩の雨模様のコンサートとしては御の字というべきでしょう。
作曲を志してからほぼ1年、着手してからも約半年、他の仕事も何やかにやと飛び込んできてずっと専念できたわけではありませんでしたが、いつも気にかかっていた『レクイエム』の初演がようやく無事に終わり、肩の荷を下ろしたというよりも少々茫然とした気分でいます。ふつう演奏会は私たちにとっては通常業務の一部に近く、終わってから気が抜けてしまうということは滅多にないのですが、今回ばかりは、次のことをはじめるまで少し時間が欲しい気がします。
(2010.9.18.)
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