初演始末
2011年9月に書き上げた小音楽劇「おばあさんになった王女」の初演がおこなわれました。 作曲を依頼されたのが7月末で、かなり大急ぎの仕事でしたが、なんとか8曲よりなる付随音楽を書き、その後何回かリハーサルに顔を出して、今日が本番であったわけです。 場所は「萩中おおたっ子クラブ」というところでした。この月曜に現地に行ってきましたが、小学校の敷地内の奥のほうにある施設で、要するに児童館なのでした。その「お遊戯室」のようなところで上演することになります。照明も音響も使えませんし、楽器は古い電子ピアノがあるだけでした。電子ピアノも最近のはだいぶキータッチなども改善されてきましたが、古いものはどうしてもタッチコントロールが充分でなく、演奏者に無理を強います。今日のピアニストである経種美和子さんも大変だったろうと思います。
舞台装置は、手作りの森の背景が1幅と、背の低いパネルが2幅で、ごくシンプルなものでした。この芝居をあちこちに持ち歩くことになれば、この程度で済むのは便利と言えそうです。
La Canorのメンバーのひとりがこの児童館につてがあり、その関係で今度の上演がおこなわれたそうです。去年もクリスマスソングなどを歌う会を持ったそうですが、オリジナルの音楽劇を作ろうと考え、面識も無い作曲家に作曲を依頼するなどというのは、かなり心臓の強い、もとい行動力のあるユニットと言えます。
公立の児童館の催しですから、潤沢な予算が用意されているわけではありません。今回もほとんど持ち出しであったようです。事情を知ると、作曲料を貰ったのが申し訳ないような気がしてこないでもないのですが、私もボランティアだけでやっていられる身分でもないため、まあそのことはそのこととして(苦笑)。
児童館といえば、私が自分の作品を公開の場で発表した最初は、家の近くの児童館のお楽しみ会でのことでした。お楽しみ会の出し物として、児童館の常連の子供たちのグループで、人形劇だったか普通の劇だったか忘れましたが、とにかくお芝居をしたので、私もそれに参加していました。その芝居の台本の途中に、ひとつ挿入歌があって、本来なんらかのメロディーがついていたのかもしれませんが、その場ではわからなかったため、私が作ったというわけです。小学3年生の頃でした。
それまでも曲を作ってはいましたが、家の中でピアノで弾く程度でした。不特定多数の「お客」の前で演奏された私の最初の曲が、その劇中歌だったのです。
芝居の内容も憶えていませんし、曲も、最初のフレーズが
──わしの毎晩見る夢は……
という歌詞で、その部分のメロディーはうっすら憶えているものの、あとはどんな歌であったのかすっかり忘れています。
私はこの歌のところで、足踏みオルガンで伴奏を弾きました。あとで、芝居を見ていた他の子から、「オルガンが上手だった」と褒められましたが、曲そのものについては特にコメントされませんでした。思うに、いかにも「ありそうな」曲であったために、オリジナル曲であるとは誰も思わなかったのではないでしょうか。小3で「ありそうな」、つまり「違和感のない」曲を作れたのはいま考えると大したもので、38年前の自分を褒めておきます。
このことは、ずっと忘れていたのですが、後年音楽劇に関わり、それを自分の創作のメインにしてゆこうと決めてからふと思い出し、何やら不思議な気がしたものです。
高校時代くらいまでは、私はほとんどピアノ曲ばかり書いており、歌ものはごく少なかったし、ましてや劇音楽など無きに等しかったのに、その中でお芝居の挿入歌がいわば「デビュー作」であったことに、因縁めいたものを感じました。
さて、今日は朝から氷雨が降りしきっていましたが、開演時間の11時近くなると雨はほとんど上がりかけていました。ただ冷え込みは厳しい一日でした。
平日の11時という上演ですから、対象とするのは主に乳幼児連れのお母さんです。あと、近くの保育園の園児たちが聴きに来ることになっていると聞きました。
出演者たちは8時頃から現地に行って準備をおこなっていたようです。私は開演までに来れば良いと言われていたので、9時半頃に家を出ました。品川まで京浜東北線で1本ですが、快速運転タイムでないため、だいぶ長旅の印象があります。品川から京急のエアポート急行に乗り、空港線の大鳥居で下車します。近くにわりと大きな児童公園があり、その中を突っ切ると萩中小学校に突き当たります。児童館はその奥にあり、門は共通です。
門は常時施錠されており、中に入るにはインターフォンで事務室に連絡して解錠して貰わなければなりません。警備がずいぶんと厳しくなっています。
インターフォンに向かってどう言おうか、私は少々迷いました。月曜に訪れた時に、児童館の職員の皆さんとは挨拶をかわしたものの、名前をちゃんと伝えてはいないことに気づいたのでした。名前を言ってもわかってくれるかどうか。かと言って、「音楽会の関係者です」とか「作曲者です」とか名乗るのもなんだか変な気がします。
あれこれ考えながら門の前へ行くと、ちょうど自転車に乗った男性が、小学校に用があるらしくインターフォンに向かって話しかけているところでした。すぐに門が開いたので、私も続けて入ってしまいました。児童館に着いて、「あら、いつインターフォン押されました? どうやって入ってらっしゃいました?」などととがめられるかな、と思いましたが、別にそんなことはなく、
「どうぞ、いちばん奥の部屋です」
とにこやかに迎えられました。
お遊戯室をほぼ半分に区切り、奥の半分を舞台に、手前の半分を客席に宛ててありました。客席と言っても椅子などは置いてありません。みんな床に腰を下ろして観ることになります。ただし、私と、写真撮影を頼まれていた年輩の紳士とその奥様らしい女性の分だけ、うしろの壁ぎりぎりに丸椅子が置かれていました。
お客は三々五々入ってくるわけではなく、一旦別室に集められてから、まとめて入ってくるという形になっていたようです。11時になっても誰も来ないので、これは雨だったり寒かったりしたからみんな観に来るのをやめたんではあるまいか、と心配しましたが、やがて職員に導かれて続々と入ってきました。満員というほどではありませんが、保育園の子供たちが先生に連れられて入ってくると、ほぼ床が埋まった感じです。
歌い手には最初のうち少々固さがあるようでしたが、だんだんノリが良くなってきました。電子ピアノは残念ながらやや音が小さかったようです。ボリュームはマックスだったのですが、すぐ前に舞台装置のパネルが置いてあったせいで、音が吸われてしまったかもしれません。月曜にリハーサルした時には、舞台装置を置かなかったため、わからなかったのです。スピーカーをつないだほうが良かったように思われます。それでなくとも電子ピアノというのは、近くで聴くと大きな音がするわりには、あまり遠くまで音が飛ばないものです。まあ、違和感のあるバランスというほどではありませんでしたから、良しとすべきでしょう。
乳幼児はさすがに何人か騒ぎ始めて、途中退場したのが3、4組居ましたが、保育園の園児たちが全員ほとんど身じろぎもせずに、食い入るように舞台を見つめていたのが驚きでした。
いちばん観劇態度に問題があったのは一部のお母さんがたで、ひそひそと私語を交わしたり、携帯電話をいじくっていたりしました。しかし、最後の2曲くらいになると、歌に合わせてからだを揺らしたりしていましたから、気に入ってはくれたのでしょう。
私は作曲にあたっては、子供向きだということはほとんど考えませんでした。歌い手も子供だとでもいうのなら、それは当然配慮しなくてはなりませんが(「ま昼の星」のように、児童合唱団からの委嘱にもかかわらず、「子供が歌うということはあまり考えないでください」と注文される場合もあるとはいえ)、歌い手もピアニストもプロなのですから、プロが演奏すべき曲を書くまでのことです。
世の中に「子供向け」のオペレッタというのはけっこうあって、それ専門の本も何冊も出ているくらいですが、残念ながら台本作者も作曲者も、「子供向け」ということをはき違えているように思えるものが少なくありません。「子供向け」ではなく「子供だまし」じゃないかと言いたくなるようなものもよく見かけます。逆に、変に子供に媚びているのも目につくのです。
「子供にはこの程度の内容にしておかないとわからない」とか「子供はリズミカルな曲でないと乗ってこない」とか断ずるのは大人の驕りというもので、「良い物」を作れば必ず子供にも伝わると私は思います。ただ飽きるのが早いのは事実なので、「短さ」はある程度必要でしょうが。
子供向けなどということは意識せずに、ICHICOさんの書いたテキストを最大限活かそうと考えました。市橋さんは子供相手の仕事が多く、子供に正面から向き合った台本を書いたものと思います。前にも書きましたが、歌う人の書いたテキストだけあって、メロディー化するのはずいぶん楽でした。そうしたもろもろの条件が揃った結果、4〜5歳の子供たちが全篇身じろぎもせずに惹きつけられるような舞台が作れたことは、喜ばしい成功であったと考えて良いでしょう。
0〜3歳のほうは、むずかるのはまあ仕方がありません。それでも、
「この前人形劇が来た時に較べると、ずっとましでした」
と児童館の人は言っていました。
この音楽劇、実はすでに再演が決まっています。
再演と言うより、改訂版初演ということになりそうですが、来年2月19日に、川崎市のすくらむ21というところで開催される文化祭みたいなイベントの中で、ホールイベントのひとつとして発表できることになったのでした。
いろんな団体がエントリーして、実際に出演できるのは5団体程度だという話で、ダメモトで応募してみたところ、なんと当選してしまったそうです。
ただしこのすくらむ21、本体は男女共同参画センターで、そういう趣旨の機関であるため、いろいろうるさいことを言ってきたらしい。「おばあさんになった王女」というのは、高年齢者に対してネガティブな内容であるため、作中の王女さまが呪いでお婆さんに変身するという点を変えて貰いたい、というようなことを要求されたそうです。当然ながらタイトルも変えざるを得ません。幸い劇中歌で、その変更に抵触するものはありませんでしたから、曲を書き直さなければならないということは無さそうですが、台本は趣旨を変えなければならず、市橋さんは頭を抱えていました。お婆さんがダメなら、動物になるとか、人形になるとか、いろいろ考えてもどうもぱっとしない感じです。
どうなるやらまだわかりませんが、ともあれ今度は入場が自由ですので、ご興味がおありのかたはぜひご来聴ください。
(2011.12.9.) |