北朝鮮の金正日総書記がついに亡くなったそうです。 現代に残る、数少ない世襲独裁国家の独裁者として、良くも悪くも──悪いほうが多そうですが──話題になることの多い人物でした。 日本人にとっては、やはり拉致問題がらみで忘れがたい、いや忘れてはならない人物です。出先の下っ端が暴走したなどという話であるはずはなく、金正日は何がおこなわれていたのかちゃんと知っていたに決まっています。それだから小泉元首相が訪朝して強気な交渉をおこなった時、彼の一存で折れて出ることもできたのです。 その意味ではわれわれにとって憎んでも余りある人物と言って差し支えないのですが、その一方でどこか不思議な愛嬌のようなものもあり、パロディ的に扱われたりマンガのネタになったりすることも多かったように思われます。日本に対しあんな非道をおこないながら、日本の映画やドラマが大好きだったというような噂もありますし、プリンセス・テンコーの大ファンだったのもよく知られています。 鉄道が好きだったようで、中国やロシアを訪れた時には、飛行機など全然使わずに無理矢理全行程お召し列車を走らせ、警備陣に大迷惑をかけながらすこぶるご満悦だったという話も聞きました。
残忍で狡猾で無神経で、そのくせ天衣無縫で愛嬌があって……という、きわめて複雑な人格の持ち主であったことは間違いありません。
朝鮮民主主義人民共和国、という国号を称していても、正しいのは「朝鮮」のところだけで、内実は民主主義国でも共和国でもない、という点はつとに指摘されています。実質は明らかに「王国」にほかなりません。
21世紀の地球上に、「帝国」を名乗る国家はすでに存在しません。ただし日本の天皇陛下は国際儀礼上では世界で唯一「エンベラー」つまり皇帝としての待遇を受けられることになっています(他にローマ教皇のみ同格)が、日本がいまだに「帝国」であると思っている人はほとんど居ないでしょう。
「王国」はまだけっこう残っています。ヨーロッパには英国、スペイン、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギーの7つの王国があります。モナコが入ってないじゃないかといぶかしむ向きがあるかもしれませんが、モナコはリヒテンシュタイン、アンドラと共に公国(公爵の治める国)であり、それと大公爵(大公)が領有しているルクセンブルク大公国を含め、11の君主国があるわけです。
東南アジアにも王国はあります。ネパールは何年か前に王室の殺戮事件という大スキャンダルがあって王制をやめてしまいましたが、先頃国王夫妻が訪日されたブータンをはじめ、タイとカンボジア、ブルネイにも王様が居ます。またマレーシアは、9人居る藩王(大名と言っても良い)が交代で元首を務めるという、他に類を見ない君主制を採っています。
アジアではあと中東に、サウジアラビア、オマーン、ヨルダン、バーレーンの4つの王国が残っています。またクウェートなど、国王という称号を持たない君主が治める国もいくつかあります。
南北アメリカには王国はありません。アフリカにはモロッコ、スワジランド、レソトの3王国があり、あと太平洋のトンガが王制となっています。
むろん、「共和国」を名乗り、その元首も「大統領」などと称していても、実質は王制に近い、なんて国はいくらでもありますが、「王国」であるための条件は、やはり世襲君主が居るという点にあるわけなので、単なる専制国家を比喩的な意味でなく「王国」と呼ぶことはできません。
このように、「王国」はまだけっこう存在しているとはいえ、大半は立憲君主制を採っており、王様は実際の政治行政の場にはあまりタッチしないことが多いようです。
立憲でない専制君主制、あるいは形ばかりの立憲制は敷いているものの実質専制、という国は、主に中東地域に集中しているようです。そしてそのひとつが、明らかに北朝鮮なのです。
北朝鮮の政治体制については、いろいろと言われていますが、東洋史をちょっとかじったことがあれば、要するに李氏朝鮮の体制そのものであることがすぐに理解できるでしょう。
李氏王朝は、中華帝国の体制をそっくりそのまま真似て国内を統治しました。ただし、中国よりははるかにサイズが小さいため、より厳密かつ極端な形で施行することが可能でした。
中国の皇帝専制もたいがいなものですが、何しろ版図が広大であるために、眼の届かない部分が多々あります。ある意味ではそういう部分で、人民は息をつくことができました。皇帝を頂点とし、儒教でがんじがらめになった、整然たるヒエラルキーを形作っていた表の秩序とは別に、?(パン)というような裏のネットワークが厳然と存在し、世の中を動かすこともありました。
その点、朝鮮は小さいので、表の秩序が末端まで縛りつけてしまうことができてしまったわけです。王族、貴族、両班(ヤンパン)、常民(サンミン)、白丁(ペクチョン)といった階級制が動かしがたいほどに固定され、社会から活力を奪ってゆきました。
日本でも士農工商という身分制があったではないか、と思われるかもしれませんが、身分制と階級制は違います。れっきとした武士が、カネを用立てて貰うために商人に頭を下げるなどという図は、李氏朝鮮では考えられないことでした。江戸期の日本では、庶民の子でも頭が良ければ大店の入り婿になったり、武家の養子になったりできましたが、両班が跡取りのために白丁の子を養子にするなどということは絶対にあり得ません。
金氏の王朝があり、幹部という貴族がいて、朝鮮労働党員という両班が存在し、民衆を苛酷に圧迫し搾取している様子は、まさに李氏朝鮮の生き写しというべき図でしょう。
そんな体制は長くもつわけがない、というのが普通の考えかもしれません。しかし、李氏王朝は実に500年以上続いたのです。中国でこれを上回る長さの王朝は周だけで、しかも実質的な天下王朝であったのは最初の200年ほどだけでした。日本は皇室こそ続いていますが、実際に権力を持つ者の家系が300年以上継続したことはありません。500年というのは、まったく驚くべき長さなのです。
李氏時代には、両班階級あたりを中心に、それなりの文化も栄えたようですが、現在の北朝鮮は、その文化の欠如した王朝体制と呼ぶべきかもしれません。
問題は、人民のほうが、そういう支配のされかたに馴れてしまっているのではないかという点にあります。日本統治時代には、上記の階級をすべて廃止し、本土と同じく学力さえあれば博士にでも高級軍人にでもなれるようにしていましたが、それもたかだか35年ばかりの話です。500年以上の伝統にとってはかすり傷のようなものでしょう。金日成がふたたび李氏王朝型の体制をはじめたことで、北朝鮮の人々はまた先祖返りしてしまったのでしょうか。
近代社会というものは、個人個人にとってはけっこうストレスの大きいものです。日帝時代になかば無理矢理経験させられた近代社会が、性に合わない人も意外と居たのではないでしょうか。旧王朝型の社会が戻ってきて、われわれにしてみると、さぞうんざりしたことだろうと思ってしまい、なぜ抵抗の声を上げないのだろうかと不思議に感じるのですが、生活が苦しかったり階級差別がひどかったりしても、「近代」の風当たりによるストレスを感じない旧王朝型統治のほうが「安心できる」、ということがあったのかもしれません。
そうだとすると、現在の金王朝も、案外と長持ちする可能性もないとは言えません。
外国からの批判などは、さしたる問題ではないのです。
実際のところ、ひとの国の体制にやたらと口を出し、民主化を求めてくる印象のあるUSAにしたところで、中東の絶対王政国家群に対して、特にUSAにたてつかない限りはあまり目くじら立てていないようです。金正日はちょくちょくUSAの神経を逆撫でするような言動があったのでUSAも厳しめに接していましたが、後継者がUSAに対して融和的な態度に出れば、是が非でも民主化を遂行せよとはUSAは言わないのではないでしょうか。
日本で、「北朝鮮のような体制が長く続くはずはない、もうじき破綻するだろうから、そのときソフトランディングができるように助けてやれば、拉致問題も自然と解決できるはずだ」というような論を成す人が居ますが、いささか楽観的すぎると言わざるを得ません。ああいう体制があの地で長く続いた「実績」を甘く見てはいけないと思います。
拉致問題は、他の諸条件とからめることなく、それ自体で解決を図るべきです。
金正日の後継者としては、三男の金正恩がすでに指名され、「嗣君」として振る舞っているようです。
長男の金正男は、ディズニーランドに行きたがって日本にやってきて送還されたりして、話題の多い男でしたが、後継者からは外されたようです。2ちゃんねるなどでは「まさお」と呼ばれてなかなか人気があったようですが……
金王朝3代目が果たしてどんな人物であるのか、わかっていることは多くありません。名君なのか暗君なのか、意志がはっきりした人なのか、はたまた他の実力者の傀儡に過ぎないのか……
台湾の蒋経国のごとく、みずから「王朝」に終止符を打つような人物だったら大したものですが、どうもそんな様子も無さそうです。日本にとっては、気骨の折れる交渉がまだまだ続きそうな気がします。
(2011.12.19.)
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