忘れ得ぬことどもII

断食とクレープ

 2月7日「マルディ・グラ」だからクレープを作って、とマダムに言われ、ずいぶん久しぶりに焼いてみました。
 そもそも「マルディ・グラ」なんて私は全然知らなかったのですが、カトリック国などで謝肉祭の最終日にあたる祭日なんだそうです。言葉の意味は「肥沃な火曜日」で、翌日が「灰の水曜日」断食日となるので気分が重く、だから灰色なのだろうと思ったらそれも違って、典礼にネコヤナギやらナツメヤシやらの枝を燃やした灰を用いるからだとか。
 断食というと、イスラム教のラマダンが有名ですが、他の宗教にもけっこうあります。そういえばお釈迦様も6年間に及ぶ断食の行をおこなったのち、村娘スジャータから乳粥をふるまわれて悟りを開いたのでした。カトリックにもわずかながら残っており、その断食期間を前にたらふく飲み食いしてやろうというのが謝肉祭に他なりません。
 調べてみると、カトリックの断食というのは、3度の食事のうち2回を軽い粗末なものにするというだけで、最近ダイエットなどでもてはやされている「プチ断食」に近いようです。しかも四旬節の40日間あまりのあいだ、現在では2日だけそうすればよいそうです。
 その程度のことのために謝肉祭で1週間も大騒ぎするのも、なんだか大げさなようですが、たぶん昔はもっと厳しいものだったのでしょう。例えば半世紀ほど前までは、四旬節中の毎週水曜と金曜が断食日だったそうです。

 それにしても、日中一切飲み食いを禁じられることが一ヶ月も続くラマダンに較べれば、ずいぶん楽な「断食」であろうと思われます。
 イスラムの暦は太陰暦であり、しかもわが国の旧暦と違って太陽暦で補正しないため、同じ月でも年によって季節がどんどんずれてゆきます。従ってラマダンも夏になったり冬になったりします。あいにくと夏にラマダンが来てしまうと、暑い上に、日が長いので大変であるようです。運悪く夏のラマダンの最中にアラブ方面へ行ったら、午後になるとクルマの運転手が空腹でふらふらになってしまい、危なくて仕方がなかった、というような話を読んだことがあります。
 イスラム教徒が仕事の関係で夏の北極圏に行かなければならず、しかもそれがラマダンの時だったらどうするんだろう、と心配する人も居るようです。北極圏では夏は太陽が沈みませんから、まるっきり何も食べられなくなるのではないか、というわけです。
 コーランを読んだら、ラマダンの断食は、やむを得ない場合(例えばジハード遂行中)は延期しても良いと書いてあります。あとで都合の良い時に実行すればOKということのようです。北極圏に行ったムスリム・ビジネスマンには、たぶんそれが適用されるのではないでしょうか。
 お釈迦様の断食行がどんなものであったかはよく知りませんが、6年も続けられたからには、もちろん本当に何も食べなかったわけではないはずです。人間は、水だけ飲んでいてもひと月くらいはなんとか生きていられるようですが、それ以上は無理でしょう。たぶん動物性の食物を絶って、ヴェジタリアンな生活をしていたのではないかと想像します。肉はもちろん、卵や乳製品も摂らないとすれば、タンパク質が不足して衰弱するはずで、スジャータの供した乳粥を食べて蘇ったというのもうなづけます。
 ともあれ、宗教的な行としての「断食」は、おなかをこわした時などのいわゆる「絶食」とはイコールでないようです。むしろ「食事における制限」を意味しているような気がします。

 さて、その断食日前の「マルディ・グラ」ですが、フランスではクレープを食べる習慣なんだそうです。マダムは2年間のフランス留学中にその習慣を憶えたらしい。それから、通っているフランス語学校で使っている教科書にも、「マルディ・グラ」のクレープのために母親から買い物を頼まれる子供の話が載っていたそうです。
 他の国ではパンケーキであることが多いようですが、まあクレープというのも極薄のパンケーキみたいなものですから、それほど大差は無いでしょう。
 今までそんな話は出なかったのに、今年になってそれを私に作れと言ったのは、少し前に私が、高校生くらいの頃よくクレープを作って食べたという話をしたからだったようです。
 母の持っていた料理本にレシピが載っていて、簡単そうだったので作る気になったのでした。やってみると本当に簡単で、それからちょっと小腹がすくとちょくちょく作って、冷蔵庫にあり合わせのものをはさんで食べていたものです。
 その後長いこと作っていなかったのですが、
 「高校の頃、おなかがすいたら何か作って食べてた?」
 というような話題が出た時に、クレープのことを思い出してマダムに話したのでした。それなら作って、という流れになるのは、まあやむを得ないことだったでしょう。
 久しぶりなので、ネットでレシピを捜してやってみました。そんなに材料の分量を正確に計らなくともなんとかなっていたような記憶があるのですが、一応レシピ通りにしておきます。
 小麦粉100グラムに対して、バター砂糖が20グラムずつ、が2個、牛乳が200cc、それに少々とベーキングパウダーが少々。材料はこれだけで、ごくごく簡単です。高校生の頃は、バターでなくてマーガリンを使ったこともあるような気がするし、ベーキングパウダーなど使っていた記憶はありません。無くても構わないでしょう。
 レシピでは、まず粉と塩とベーキングパウダーを混ぜ、それと別に溶き卵と融かしバターと砂糖を混ぜ、両方を合わせて練り、最後に牛乳を加えることになっていましたが、確かこれもいい加減で大丈夫でした。小麦粉がダマにさえならなければ、順番などはどうでもいいと思います。
 少し寝かせてから、フライパンで焼きます。うちには四角い卵焼き器があったので、そちらを使いました。お玉ひとすくいで、大体1枚分になります。上記の材料だと8枚くらい焼けます。
 だんだん勘を取り戻してきて、途中で裏返すのも手慣れてきました。
 半分は野菜やハム・チーズなどをくるみ、半分は生クリームを入れてデザートにして食べました。久しぶりにしては、なかなかうまくできたと思います。なお、本場(?)フランスでは、せいぜい粉砂糖をかける程度だそうです。

 あとで「マルディ・グラ」のことをウィキペディアで調べてみたら、各年のマルディ・グラの日が載っていました。「肥沃な火曜日」ですから、移動祭日です。それを見ると、なんと今年2012年のマルディ・グラは、2月21日だということがわかりました。
 マダムはなんとなく2月の第一火曜日と思い込んでいたらしいのですが、実はイースター(復活祭)の日によって、いつになるかは相当大きく揺れ動くらしいのです。イースター自体が、「春分が過ぎて最初の満月の次の日曜日」という、なんともややこしい決めかたの祭日で、マルディ・グラはその47日前と決まっているのでした。
 どういうオチなんだか。
 この分だと、21日にももう一度クレープを作らされるのではないかと、少々心配しております。

(2012.2.8.)

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