忘れ得ぬことどもII

トラウマ級コミカライズ

 メディアミックスというのは、あるものを売ろうとする時にさまざまなメディア(媒体)を混合的に用いて宣伝し、それぞれの媒体の弱点を補うという広告戦略のことだと理解していましたが、最近では用法が違って、タイアップによる販売促進というような意味合いになっているようです。
 前に書いたライトノベルなどの売りかたが、メディアミックスの好例と言えるでしょう。本体は挿絵入り小説の文庫本もしくは単行本なのですが、テレビなどでアニメを流し、マンガ雑誌でコミカライズしたものを連載し、アニメの主題歌やサウンドトラックのCDを販売し、キャラクターのフィギュアを作り、はてはアニメの声優にラジオのパーソナリティをやらせてそのラジオCDを……という具合に、次から次へと関連商品を打ち出してきます。こういうのが、近年言うところのメディアミックスです。
 これは一種のファンサービスとも言えますが、逆にこういう関連商品に接しているうちにいつの間にかファンになっているということもあり、ひとたびファンになると関連商品をコンプリートするのが情熱になってしまったりして、経済効果としてはなかなか大きなものがあるようです。
 書籍だのアニメだの単体では、いくら人気があっても、なかなか収益が上がらないということを明示しているようでもありますね。

 もっとも、こういうタイアップ戦術自体は、最近になって出てきたというわけでもありません。昔から、アニメや特撮番組の放映──マンガ連載──おもちゃやキャラクター商品の販売──という同時進行によって、テレビ局(あるいは番組制作会社)・出版社・おもちゃメーカーが一緒に儲ける、みたいなことは頻繁におこなわれてきました。最近は主に制作会社が予算不足で、こうしたタイアップで少しでもモトを取ろうとなりふり構わなくなってきているために、特に目立つということなのでしょう。
 前のエントリーで触れたように、「デビルマン」などはアニメとマンガが同時に企画されました。1970年代前半はとりわけそういうものが多かったように思います。もっと典型的なのは同じ永井豪作品の「マジンガーZ」ですね。これもアニメとマンガの同時企画であり、なおかつ「超合金」と称するおもちゃが販売されて爆発的な人気を得ました。これがあまりに売れたために、以後、主におもちゃメーカーの主導によって、さまざまな「ロボットものアニメ」が作られてゆきます。ゲッターロボ勇者ライディーン鋼鉄ジーグ等々、いずれもおもちゃメーカーとのタイアップで作られました。そしてガンダムが登場することになります。
 特撮とマンガの同時企画というのはもっと前からありました。ウルトラマン仮面ライダーも最初はマンガの連載が番組と並行しておこなわれています。ウルトラマンは別として、実写特撮では石ノ森章太郎、アニメでは永井豪がこの種の企画を一手に引き受けていた観があります。
 石ノ森は仮面ライダー以外にも、キカイダーイナズマンロボット刑事ゴレンジャーロボコン等々、次々に特撮ヒーローを産み出しましたし、永井は上記のデビルマンとマジンガーシリーズに加えてキューティーハニーなども手がけています。
 日本のテレビのヒーロー番組の原型を作ったのは手塚治虫アトム横山光輝鉄人28号でしょうが、そのあとを受けてヒーロー番組の制作シークエンスを確立したのが石ノ森と永井のふたりであったことは間違いありません。

 さて、テレビ番組とマンガを同時進行させようとすると、どうしてもマンガのほうが展開が遅くなることは避けられません。30分番組と同じ内容をマンガで表現しようとすると、かなり厖大なページ数が必要となりますし、そもそもそんな作業を毎週続けられるマンガ家も居ないでしょう。
 マンガのほうは、どうしてもダイジェストみたいなことになります。
 従って、この種のマンガが後世の評価の対象になるということはあまり無いようです。
 近年亡くなった内山まもるのように、主に小学館の学年誌にウルトラマンのダイジェストコミックを描き続けたマンガ家が一定の評価を受けるということは確かにありますが、それは内山の作品の総体としての評価であって、それぞれのマンガについての評価というわけではなさそうです。その証拠に、かつて学年誌掲載された内山作品が復刻再版されたという話は聞きません(完全オリジナル作品である『ザ・ウルトラマン』などは復刻されているかもしれませんが)。
 石ノ森や永井のように、企画段階から関与しているマンガ家の場合は、テレビ番組のダイジェストコミックを描くことには抵抗があったのではないかと思います。そのため、この両人の同時進行マンガは、大胆にテレビ版と違う展開に持って行ったものが多いようです。
 そういう作品になると、のちの人からもけっこう喜ばれることになります。
 永井作品では、「マジンガーZ」もアニメ版とはだいぶ違いますが、これは未完に近い状態で終わってしまいました。名作とされるのはやはり「デビルマン」でしょう。
 石ノ森作品は、「仮面ライダー」の結末はテレビ版とかなり異なります。「ゴレンジャー」となると途中からギャグ路線になり、タイトルまで「ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ」と変えてしまいました。しかしながら、永井の「デビルマン」に匹敵するだけの深みを持つ独自展開マンガとしては、私は「人造人間キカイダー」を挙げたいと思います。
 もうひとつ、ウルトラマン系でもひとつだけ異様にはっちゃけたコミカライズ作品があります。石川賢が描いた「ウルトラマンタロウ」で、この3作品が私にとってはいわば「トラウマ級コミカライズ」になります。以下、この3作品について、少し掘り下げてみたいと思います。

 「デビルマン」は、アニメのほうはよくあるヒーローものです。毎週いろんなモンスター(この番組では「妖獣」)が襲来して、正義のヒーロー・デビルマンがそれらを次々に退治してゆくというパターンでした。ただしデビルマンは最初は敵であるデーモンの一員で、それが侵略の一環として不動明という青年に融合した結果、人間の心を知って寝返ったといういきさつです。そのため妖獣たちは「裏切り者」としてデビルマンを狙うのでした。「抜け忍」みたいなものですね。
 その辺やはりそれなりにダークな面のあるヒーローですし、出てくる妖獣たちはそれまでの「怪獣」に較べるとかなり不気味でした(サイコジェニーなど見たあとしばらく夜中にトイレに行けませんでした)。
 とはいえ毎回めでたしめでたしで結末を迎えるのはもちろんで、このアニメだけだったら「ちょっと異色のヒーローもの」というだけで終わったかもしれません。
 しかし、少年マガジンに連載されたマンガ版のほうは、連載3回目くらいから早くもアニメとは違った展開を見せ始めます。
 不動明がデーモンのひとりと融合するのは同じですが、アニメ版のデビルマンは最初からデビルマンという名前であったのに対し、マンガ版は「悪魔の力と人間の心を持つ者……おれは悪魔人間(デビルマン)だ!」と自分で名乗ることになっていました。ちなみに不動明と融合してデビルマンになった悪魔は、設定ではアモンになっています。これはオオカミの身体に蛇の尻尾がついた姿とされる悪魔で、ソロモン王に召還されて詩を吟じ、列席者をうならせたというエピソードがあります。
 前半はアニメ版と同様、裏切り者を処刑すべく襲来するデーモンとの戦いが続きますが、こちらでは「妖獣」の名は用いられず「デーモン」と呼ばれます。
 中盤で、永井豪の別作品である短編「ススムちゃん大ショック」をほとんどそのまま引用したようなエピソードがはさまったあたりから、終盤への怒濤の展開がはじまります。デーモンたちは人間を亡ぼすために無差別な融合を図り始め、世界中が大混乱となってゆくのでした。ちなみにデーモンに融合された場合、たいていは人間もデーモンも死にますが、たまにうまく融合すると悪魔人間(デビルマン)になるということだったようです。
 恐怖した人間たちが、デーモンと悪魔人間を混同して襲い始め、不動明の恋人とその家族が巻き込まれて虐殺されるあたりは、少年誌でこんなことを描いて良いのかと心配になるほどの容赦無さでした。そしてついには最終戦争が……
 いま思えば、単行本わずか5冊という短さでここまでふくらませ、なおかつちゃんと結末をつけたということに驚きます。何十冊続けてもさっぱり埒のあかない最近の長編マンガのていたらくを見ると、少しはデビルマンを見習えと言いたくなります。
 いや、作者の永井豪自身、これだけ見事なフィニッシュを決められた作品は他には無いようです。この人はどちらかというとふくらませた話をまとめきるのが苦手なようで、未完みたいな終わりかたをした作品がたくさんあります。「バイオレンスジャック」なんか、長々と続けるだけ続けた揚げ句に、結局デビルマンとリンクさせることで無理矢理終わらせていました。
 アニメと無関係に展開した「デビルマン」は、少年マンガの金字塔のひとつとして語り継がれました。現在活躍中のマンガ家でも、「デビルマン」に影響を受けたという人はたくさん居るようですし、いまだに別人の手によるスピンオフ作品が描かれたりしています。

 マンガとして古典のひとつとなった「デビルマン」と異なり、「人造人間キカイダー」のマンガ版はそんなに話題になることが多くないようです。しかし、私にとってはラストシーンが衝撃的でした。
 「キカイダー」の主人公はジローという少年(テレビ版のほうは「少年」という年格好ではありませんでしたが)ですが、彼自身がアンドロイドです。敵が襲ってくるとキカイダーに変身(ロボットですから、この場合「モードチェンジ」に近いですね)して戦います。キカイダーの左右非対称なデザイン(しかも片側はスケルトン!)にまず驚かされたものでしたが、「良心回路」なる部品が不完全という設定も面白かったですね。このため、敵のボスであるプロフェッサーギルの吹く笛の音を聴くと制御を失うという弱点がありました。
 テレビ版とマンガ版は、設定はほぼ同じところから始まっていましたし、途中まではあまりスタイルに乖離もなく進みました。
 テレビのほうは、年度が替わって、「キカイダー01」という番組になりました。これはジローの「兄」であるイチローが主人公となり、キカイダー01に変身して戦うのですが、ジロー=キカイダーも登場してイチローをサポートする立場に廻っています。良心回路についてはあまり触れられなくなりました。この番組、後半からビジンダーなる女性型アンドロイドが登場して、その変身前の姿であるマリ役を演じた志穂美悦子に男の子たちはドキドキしてしまったりしたのですが、まあ最後は敵のボスを倒してめでたしめでたしということになりました。
 一方、マンガ版のほうにも01やビジンダーは出てきましたが、こちらは一貫してジローが主人公であり、しかも良心回路の問題を最後までひきずります。ジローは良心回路が完成しない限り人の心を持てないと感じており、そこにコンプレックスを持ち続けるのでした。
 最後の最後で、ジローは完全な良心回路を組み込まれます。
 ところがその結果、彼は敵に回ったかつての仲間たちを容赦なく破壊してゆくのでした。「『人の心』を得たからこそ、『目的のために仲間を捨てる』という非情なふるまいもできるようになった」という皮肉ともなんとも言い難い結末で、「それなら『人の心』とはいったいなんだ? 『良心』とはなんなんだ?」と本心から問いかけたくなるラストだったのでした。これまた、少年マンガとは思えない哲学的な内容のマンガであったと言えます。

 ウルトラマンシリーズは、小学館の学年誌とは別に、もう少し上の年代の子供たちを対象にしたコミカライズもおこなわれていました。
 最初の「ウルトラマン」は、なんと楳図かずおの作画によるコミカライズがおこなわれています。ミスマッチな気もしますが、当時の出版社が、「怪獣もの」と「怪奇もの」を混同して、怪奇マンガの第一人者である楳図に依頼したということです。
 この楳図ウルトラマンは、一話一話がけっこう長く、テレビ版と少し違うストーリー展開があったりもして、何よりも楳図らしい独特の怖さのあるウルトラマンになっており、今でも案外ファンが居るようです。バルタン星人の回など、かなりホラーな展開がありました。
 次の「ウルトラセブン」は、「8マン」でおなじみ桑田次郎がコミカライズしています。ハードボイルドなタッチがセブンの作風に適っていたような気がします。ストーリーはほぼテレビ版のものを圧縮して用いている感じでした。
 「帰ってきたウルトラマン」にはこの種のコミカライズが無かったようですが、私が知らないだけかもしれません。ご存じのかたがおられたらご教示下さい。
 「ウルトラマンA」蛭田充。この人は永井豪麾下のダイナミックプロのメンバーで、アニメ版のほうの「デビルマン」のコミカライズもしていました。わりとテレビ版に忠実でしたが、一話一話が短いため、学年誌のダイジェスト版と似たテイストだったように思います。
 そして「ウルトラマンタロウ」が同じダイナミックプロの石川賢であったわけですが、すでに「ゲッターロボ」などで有名になっていた石川がこの時点で起用されたのがなかなかすごいと思います。師匠筋の永井豪と作風は似ているのですが、よりエグさが強い印象があります。
 東光太郎がウルトラマンタロウに変身するという設定はテレビ版と同じなのですが……正直言ってそれだけ。
 なにせZATすら出てきません。光太郎はボクサー志望の若者というだけで、防衛隊に入ったりはしません。敵はテレビ版に出てきた怪獣とは似ても似つかない、不定形の怪物だったり、デビルマンのマンガ版に出てきたジンメンに似たヤツだったり、巨大で不気味な赤ん坊だったりして、気持ち悪いことこの上もありません。
 描写は石川作品らしく流血ドバドバで、人の首が簡単にちぎれて飛んで行ったりします。
 これ、ウルトラマンじゃないだろう、と言いたくなるようなシロモノでした。少なくとも、ウルトラマンである前に石川賢ワールドであることは確かでした。
 4話だけ描かれたようですが、単行本がのちにリニューアルされた時は、第4話がカットされていました。上記の不気味な赤ん坊の話で、本当はこのエピソードにはウルトラの母が登場したりしてかろうじてテレビ版との接点を持っていたはずなのですが、何しろ気持ち悪すぎるので切られてしまったのかもしれません。単純にページ数の問題だったのかもしれませんが……
 どうしてこんなことになったのやら、もしかしたら石川が「好きなように描かせてくれるなら……」という条件をつけてコミカライズを引き受けたという事情でもあったのでしょうか。
 続く「ウルトラマンレオ」以降、この種のコミカライズは見なくなりました。石川賢がはっちゃけ過ぎたのに辟易して、レオからは学年誌以外でのコミカライズが企画されなくなったとも考えられます(もちろん、これまた私が知らないだけかもしれませんが)
 上記の「デビルマン」「人造人間キカイダー」のように、作品に深みがあるとか哲学的だとかいうのではありませんけれども、コミカライズの枠を極限まで外してしまったマンガとして、私の記憶に強く残っているのでした。

 最近のメディアミックスでは、制作会社とか出版社とかが関連商品を一元的に管理し、作品の世界観に合わないようなものが出ることを制限している感じですが、こんな例を見てくると、基本的な設定だけ合わせておいて、あとはそれぞれ勝手にやらせたほうが、むしろ面白いことになるのではないかと思います。

 文中、マンガ家さんの名前はすべて敬称を略させていただきました。あしからず。

(2012.7.14.)

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