忘れ得ぬことどもII

「沙悟浄」の正体

 西遊記は子供の頃からずいぶん読んできました。最初は子供向けの世界名作シリーズみたいな本で、タイトルも西遊記ではなく「そんごくう」だったと記憶しています。次が確かもう少し上の年代の子供を対象にしたリライト本でした。
 高校生の時に、中公文庫で出ている邱永漢氏の西遊記を読みました。これは翻訳ではなく、大筋は原典に沿いつつも現代風の風刺やギャグを随所にちりばめたユーモア小説となっており、とても読みやすく、だいぶ愛読したものです。藤城清治の影絵がふんだんに挿入されているのも良かったと思います。その挿絵のところに、原典の一節が原文で引用されていることが多く、何度か読み返すうちに、その原文も読むようになりました。いくつか省略したエピソードはあるものの、おおむね原典の流れをなぞっています。
 あと教養文庫で出ていた村上知行氏のも買い求めました。これは抄訳というべきでしょう、後半は「退屈である以上に愚劣である」としてばっさり切ってしまっています。
 西遊記をまともに読もうとすると、確かに中盤以降が非常に退屈になってくるのは事実であるようです。次々と妖怪が出てきては、近隣住民を苦しめたり三蔵法師をかっさらったりし、孫悟空たちは奮戦するも力及ばず、神仏の助けを借りて妖怪を退治するという筋書きの繰り返しで、まさにワンパターンです。ある種の戦隊ものヒーロー番組を思わせますが、それにしてもいくらなんでもチートキャラに頼りすぎだろう、と文句をつけたくなります。

 中野美代子氏などの詳細な研究により、これはどうやら、非常に綿密に組み立てられたシンメトリーなのであろうということが判明してきました。中国の文学というのは、漢詩の対句にはじまって、シンメトリーをきわめて重視するのが常ですが、それを全百回という構造の中で徹底的に追究したのが西遊記なのだというわけです。確かに、前半の金角銀角と後半の獅駝嶺三妖怪、半ば近くの牛魔王独角兕大王など、どうも対になっているらしいエピソードがいくつもあります。シンメトリーを追究するあまりに、物語としての面白さを若干犠牲にするところがあったようでもあります。
 当の中野美代子訳による完訳版は、実はまだ読んでいません。10冊という分量にいくぶん引いているところもあります。いずれ読んでみたいとは思いますが……

 さて、西遊記といえば三蔵法師がサル・ブタ・カッパの3人のお伴を連れて天竺にお経を取りに行く話だということは誰でも知っているでしょう。日本でも古くから翻訳本が出回っていますし、テレビドラマ化されたことも一度や二度ではありません。堺正章孫悟空西田敏行猪八戒岸部シロー沙悟浄夏目雅子三蔵法師を憶えている人も少なくないと思います。テーマソングはゴダイゴ「モンキー・マジック」「ガンダーラ」でした。いま思い返しても豪華なキャスティングであったと感慨深いものがあります。
 ところで、この岸部シロー版もそうなのですが、日本で制作された西遊記において、沙悟浄はほぼ例外なく「カッパ」になっています。頭にお皿があって、そのお皿が乾くと力が抜けてしまうとか、日本のカッパの属性がそのまま付け加えられています。
 実は、原典の沙悟浄はそんなシロモノではありません。「水怪」と原典に書いてあったのを、日本の翻訳者が勝手にカッパにしてしまったのです。確かに「水の妖怪」と言えば日本ではまずカッパですから、日本の読者がイメージしやすくするためにあえてカッパにしてしまったという事情があったのでしょう。
 しかし、原典に出てくる沙悟浄の容貌を見ると、

 ──黒とも青ともつかぬ藍色の顔
 ──血を盛ったような口に尖った歯がいっぱい

 というような描写があります。カッパとはやはり少し違うようです。

 兄弟子の孫悟空・猪八戒が、それぞれサル・ブタという実在の動物をモティーフにしているというのに、沙悟浄だけは「なんだかわからない河の妖怪」であることが、以前から気になっていました。
 沙悟浄というキャラは、なんとも微妙です。最後に仲間になったのに、ほとんど戦力として寄与するところがなく、いつも三蔵法師のお守り役に徹しています。猪八戒とは引き分けていたはずなのですが、その後の様子を見るとどう見ても猪八戒より弱そうです。
 それでいて、物語の重要なところに関わっています。かつて三蔵法師の前世にあたる取経者を9人も殺害したことになっていました。その9人のシャレコウベを紐でつないで首にひっかけているという描写もあります。すべてが満ちる数である10回目に至って、その繰り返しから解脱するという縁起のための描写ではありましょうが、こんなに重要な役柄ならばもう少し活躍しても良さそうに思われます。
 孫悟空の生い立ちは、物語の最初の部分で詳しく語られますし、猪八戒の履歴もわりにはっきりしています。しかし、沙悟浄の経歴というのはいまひとつわかりづらい気がします。
 つまり孫悟空であれば、山の上の石の卵から生まれ、猿たちを従えて王となったものの、死を怖れるあまりに須菩提祖師のところで修行して、72変化の神通力を手に入れます。その後竜宮や冥界で暴れたため、天界の要注意人物となり、ひとまず天に招かれて馬を飼う仕事を与えられるのですが、その地位の低さに怒って脱走。天界から遣わされた討伐軍を返り討ちにして、今度は斉天大聖として再び天に迎えられますが、蟠桃大会に招かれなかったのでかんしゃくを起こし大暴れして、再度脱走。討伐軍をまたもや蹴散らしますが、顕聖二郎真君との対決に負けて囚われの身に。しかし処刑は失敗し、さらに暴れているところを仏様の力で封印され、500年の幽囚生活ののち三蔵法師に救われてボディガード兼一番弟子として天竺まで同行する……という、実に痛快な半生が詳細に描かれています。実際のところ、西遊記でいちばん楽しいのはこの部分だという意見に賛成する人は多いと思います。
 猪八戒はどうかというと、もとはゴロツキだったが、あるとき志を立てて仙術の修行をして、36変化の神通力を身につけます。その努力と能力が認められて天界に招かれ、水師大提督・天蓬元帥の地位に昇り詰めます。天蓬元帥というのは、「天の川のボロボロ元帥」といったところ。元帥閣下になっても身なりは悪かったんでしょう。上記の蟠桃大会でしたたかに酔っぱらい、月の女神である嫦娥(こうが)にセクハラを仕掛けて訴えられ、地上へ追放されます。そのときオッチョコチョイにも人間の胎内ではなく豚の胎内にもぐりこんでしまい、豚の化け物として生まれてしまいました。その後卯二姐という女妖怪のもとに入り婿となり遺産を受け取るものの、たちまち使い果たして、山に潜んで旅人などを取って食っていたところ観音菩薩にたしなめられて三蔵法師の弟子になることを誓う……と、これは孫悟空とは違って回想として語られるだけですが、それでも人となりはよくわかります。
 沙悟浄には、この種の記事があんまりありません。前身は玉皇上帝(道教の主神)に仕える捲簾大将で、うっかり玻璃の杯を割ってしまったために罰を受け、やはり地上へ追放されて「水怪」になった、という履歴は確かに書かれていますが、猪八戒がブタの姿になった理由がはっきりしているのに対して、沙悟浄が「水怪」になった理由はよくわかりません。捲簾大将だった時代から同じ姿だったのかどうかも不明です。どこで修行したのか、なぜ捲簾大将という高位に出世できたのか捲簾というのは文字通りには「すだれを巻き上げる」という意味なので、「大将」というほどの地位ではないと思われがちですが、実際には近衛の長官のような役職だったようです)、それらの説明は一切ありません。
 これはどうやら、沙悟浄というキャラが、西遊記の物語の成立において、かなり後になってから登場したためであるようです。西遊記は、あるときいきなり小説家によって創作された物語ではなく、講談や芝居で長いこと語られたり演じられたりしているうちにだんだんと整理されてきたものです、沙悟浄のキャラクターがいまひとつ薄いのは、キャラのディテールがまだ充分な拡がりを持つ前に小説としてまとめられてしまったせいなのでしょう。

 それにしても、サル・ブタと来て「水怪」というのがどうしても気になります。何か実在の動物がモティーフになっているということはないのでしょうか。
 上記の、容貌の特徴をもういちどよく考えてみます。「藍色」の動物というのはなかなか居ないように思われます。そして鋭い歯を持っている水棲動物です。
 鋭い歯の水棲動物となると、思い浮かぶのはワニでしょうか。鱗への光の当たりかたによっては藍色に見えることもあるかもしれません。
 しかし、私はワニ説はあまり買いません。ワニがモティーフならもう少し強くても良さそうですし、物語の随所に登場する「龍」と少しかぶるようです。三蔵法師の馬になったのも西海龍王の息子の白龍で、これも弟子のひとりと見なされますから、雰囲気のかぶるワニを持ってきたとはどうも思えません。
 カバも青っぽく見えますが、歯は鋭くありません。そもそも当時の中国でカバが知られていたのか、知られていたとしてどういう姿で認識されていたのか不明です。
 実は、青っぽくて歯の鋭い水棲動物がひとつ居ます。イルカです。
 イルカは川には居ないだろうと思われるかもしれませんが、大河に棲息している淡水産のイルカが4種類あります。アマゾン川に棲息するアマゾンカワイルカラプラタ川に住むラプラタカワイルカインダス川に居るインドカワイルカ、そしてもうひとつが、長江に棲息しているヨウスコウカワイルカなのでした。
 西遊記の作者もしくは制作グループが、中国の中でも南方の人間であったことは明らかで、途中のエピソードには華北を特徴づける沙漠や草原がまるで出てきません。三蔵一行の行く手を阻むのはつねに大河であり、鬱蒼とした密林であり、深山に棲む妖怪です。いずれも南方系の舞台にほかなりません。
 だとすれば長江に出没するイルカのことは知っていたと思われますし、ディテールに乏しい沙悟浄の容貌として、イルカのイメージを利用した可能性も高いように思われます。
 イルカなら間違いなく青ないし藍色に見えることがあります(イラストなどでも青く塗られることが多いですね)。くちばしを開くと、確かに鋭い歯が並んでいますし、「血を盛った盆のよう」に見えなくもありません。
 なおかつ、文字で書くとすごい形相なのに、実際に見るとわりとおとなしそうで、まじめそうでもあり、さほど強そうには見えません。沙悟浄のイメージにぴったりではないでしょうか。

 そんなことを考えながらウィキペディアの沙悟浄の項目を見てみると、なんのことはない、ヨウスコウカワイルカ説はすでにちゃんと唱えられていたことがわかって、思わずずっこけそうになりました。ヨウスコウカワイルカの項目のほうにも、「沙悟浄のモデルとも言われる」と書いてあります。なお西遊記の権威である上記中野美代子氏は、もとはヨウスコウカワイルカ説だったのが、その後ヨウスコウアリゲーター、すなわちワニ説に転向したとか。まあ、似たことを考える人は必ず居るものです。
 ワニなのかイルカなのか、それともどちらでもない別のものなのか。寡黙な沙悟浄は、いろいろな意味で、西遊記の中でも気になってならない登場人物です。

(2012.7.26.)

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