大阪の一流ホテルのレストランからはじまった偽装騒動が、次から次へと飛び火しているようです。他の「一流」ホテルでも同じような産地偽装などがおこなわれていたことが明らかになり、さらに「一流」デパートからも暴露の声が上がりはじめました。いったいどこまで拡がってゆくのか、見当もつきません。 騒ぎになっているので自分のところも調べてみたら、不幸にも同じことをやっていた、というようなケースが多いのではないかと思いますが、こうあちこちで火の手が上がっているところを見ると、これはもう、現場の暴走とかうっかり見逃しとか、ましてや多くの業者が言っているような「誤表記」などといった問題ではありえず、業界一円に蔓延した構造的な「宿痾」なのであろうと考えざるを得ません。
エビの種類を違えていた、岩手県産の牛肉を宮崎県産と表示していた、という程度なら、まだ許容範囲と言えましょうが、牛脂を注入した赤身肉を霜降りと偽っていた、欧州産と称して中国産の栗を使っていた、などということになると、やはり見逃すわけにはゆかないと思います。詐欺と言われても仕方のないことです。
私は、そんな高級店で食事をしたり買い物をしたりする機会はあまり持ち合わせていません。自分でお金を払ってひとり5000円以上の食事をするなどということは、たぶん数年にいちどくらいではないでしょうか。デパートを使うことはありますが、たいていは進物を買うくらいなもので、デパ地下で食糧品を買い込むなどということは滅多にありません。
世の中には、安くておいしいものもたくさんありますので、それで充分満足しています。
マダムは私よりは高級品志向があるようでもありますが、自分で料理するときに材料費を安く上げることに燃えたりもしますので、やはり基本的にはエコノミー志向と言って良さそうです。
何度か書きましたが、家の近くには、常用しているスーパーマーケットだけで4、5軒、時々寄る程度のところまで含めれば10軒以上あり、それぞれに特徴や得意分野があります。それらを把握した上で使い分ければ、そうそうマズい食べ物に遭遇することもありません。
が、世間には断乎としてそういう安売り店で買い物をしようとしない人種も居るようです。たとえスーパーマーケットでも成城石井とか、わざわざ高い店にしか行きません。もちろん彼らの言い分は、高い店で売っているのは「良い物」であるからというわけです。良い物だけを食べていれば健康にも良いし、肥満もしないし、リンパ腺が詰まったりもしないというのでした。
はたしてそういう有意差があるのかどうかわかりません。また、高い物ならおいしい、と考えるのも普通のことでしょうが、美味しんぼの山岡さんみたいに微妙な味を感じ分けるためには、実際には何代もかけて舌を鍛えてこなければなりません。山岡さんも海原雄山の息子だからこそ味覚に異常に敏感だという点を見逃すべきではないのです。ぽっと出の成金が、いくら高級レストランで食事をしていたとしても、そうそう舌が肥えるというものでもなさそうです。
今回、底辺の安売り店などではなく、最高級と呼ばれていた店でぼろぼろ偽装がばれてきたということは、そういうところに出入りしている連中の舌が、いかに信じるに足らぬものであったかを、はしなくも露呈したことになります。海原雄山ならたちまち見抜いて、
「この料理を作ったのは誰だああっ!」
と怒号したに違いありませんが、そんな騒ぎがあったとはいっこうに聞きません。みんな、
「やっぱりこの店のお肉は違うわねえ」
などと言い合いながら、牛脂を注射した偽霜降り肉を食べていたのです。
芝エビが入手できなくてバナメイエビを使ったり、車エビの代わりにブラックタイガーを使ったりするのは、コストの関係もあるので、やむを得ないことではあるでしょう。容易に入手できないものを無理に使おうとすれば、値段を非常識なほど高くしないと割が合いません。
そして実際のところ、バナメイエビだってブラックタイガーだって、そんなに味が落ちるというわけではありません。とくにエビチリみたいな料理であれば、エビそのものよりも、ソースの味が圧倒しますから、エビの種類が多少違うところで、そんなに問題があるほどの大差が生じるとも思えないのです。
しかしいけないのは、バナメイエビだとかブラックタイガーだとかいうことを正直に伝えていなかったという点です。その背景には、芝エビや車エビよりも、バナメイエビやブラックタイガーは安くて、従ってマズいという客のほうの先入観があります。
「一流の高級店」として、そういう代用食材を用いていることを客に知られるのは、なんとしても耐え難かったのでしょう。
それと同時に、「どうせわかりっこない」という気分もあったのだと思います。エビの種類をたちまち味わい分けてしまうような、海原雄山や山岡さんみたいな客は、現実にはほとんど存在しないということを、長年客商売を続けてきた店の側は、よく知っていたはずです。
味覚というのは、その時の気分に相当左右される感覚です。「本日芝エビの入荷が無かったためバナメイエビを使用しております」などとメニューに註記されていたら、たぶん、料理の味そのものにはほとんど差が無かったとしても、客にはなんとなく味が落ちて感じられる……ということは充分に考えられます。
「味にはほとんど違いがないのだし……」
というので、表示を芝エビのままにしておく誘惑に勝てなかったのは、理解できなくもありません。
しかし世の流れは、そういうことを許さない方向へ進んでいます。そういえば、かつてヒラタケがシメジという名前で売られていましたが、最近はそういうことがほとんど無くなりました。20年前なら許されたことでも、近年はNGになっていることが多々あるのです。
最近、中国産の食べ物を避けている人が増えているようです。実は私も極力避けるようにしています。伝えられる環境汚染の凄絶さ、日本では完全にアウトとなる薬剤の使用など、いろいろヤバい話を聞くにつけ、とても食べられたものではないという気がしてきます。もちろん入関にあたって検査はしているのでしょうが、全品検査は無理でしょう。いいところ抜き取り検査程度であろうと思われます。
過去実際に毒餃子事件というのが起こっており、問題の冷凍餃子が検査の眼をすり抜けて流通してしまった事実があった以上、検査が100%信頼できるものでなく、中国から輸入された食品がとても安全とは言えないという感覚は、すでに一般に浸透していると言って良いでしょう。
にもかかわらずいつまでも中国からの食品輸入を続けている商社の魂胆がよくわからなかったりします。冷凍の野菜とか缶ミカンなど、たいてい「原産国 中華人民共和国」と記されていて、買う気をそがれます。中国ブームで進出した企業が、いまになって容易に撤退できず苦しんでいると聞きますが、商社も何か弱みでも握られているのでしょうか。
ともあれそんなわけで、中国産食品とは、いまや「安全性には疑問があるが、それを承知の上で、とにかく安くあげたい人が買うもの」という位置づけになっています。たぶん安食堂やファミリーレストランではたくさん使われていることでしょう。
ですから、高級デパートで売られているケーキに、欧州産と偽って中国産の栗が使われていたに至っては、もう客として立つ瀬がないことになります。確かに原価は安いに違いありません。中国産の栗などと明記しては売り上げが落ちることもわかっていたのでしょう。それで欧州産などと偽りたくなったのでしょうが、こちらはバナメイエビを芝エビと偽るのよりもさらに悪質です。客の大半は、できることなら中国産など避けたいと思っているはずですから。
「羊頭狗肉」という言葉があるくらいですから、偽装表示というのは世界中で、そして紀元前からざらにあった話なのでしょう。
この言葉は宋時代の『無門関』という書物が初出であるようですが、それより千年以上前に書かれた『晏子春秋』に「猶(なお)牛頭を掲げて馬肉を売るが如し」とあり、どうやらそちらが出典でしょう。
晏子は、仕えていた斉の霊公を諫めるにあたって、喩えとしてこの言葉を使ったのだと伝えられています。
霊公はいまで言えば「ボクっ娘萌え」とでも言いましょうか、男装の麗人をこよなく好みました。後宮の妻妾たちに男装をさせて喜んでいたのです。上好むところ下これに倣う、というわけで、首都である臨淄(りんし)の街では、そこらじゅうに男装の女性があふれました。それもどうも、いわば軍服、ミリタリールックであったようです。女の子たちがみんな迷彩服を着て街を歩いているところを想像してください。
当然ながら街の風紀がはなはだ乱れましたので、霊公は何度も男装禁止令を出しましたが、いっこうに効き目がありません。ついには
──男装している婦人を発見したら、その場で衣服をはぎとっても良い。
というお布令まで出したのに、男装女性はむしろ増える一方でした。
霊公は悩みました。風紀云々よりも、自分の命令がいとも簡単に無視されたことにショックを覚えたようです。
そこで、知恵者と言われた晏子(晏嬰)に、どうしたら良いのかと下問しました。
晏子はたちどころに答えたのでした。
──おそれながら、殿下は外に男装を禁じ、内にこれを許しておられます。これは喩えて言えば、肉屋が牛の頭を店頭に掲げながら、その実は馬肉を売っているようなものです。殿下が後宮での男装を禁じられないので、人々は禁令も殿下の本意ではあるまいと考え、従わないのです。まずは後宮の妃妾たちに男装をお禁じなさいませ。さすれば巷のことなど、案ずるには及びませぬ。
霊公はその言に従い、妃妾の男装をやめさせたところ、街からも男装の女性は居なくなった──つまり男装ブームが去った、というお話です。当時(春秋時代)は後宮の女性などが、いわばファッションリーダーでもあったでしょうから、この伝承には充分に信憑性があります。
この「牛頭馬肉」が、そのうち「羊頭狗肉」と変化しました。ヒツジの頭と犬の肉ということになったわけです。羊肉は日本ではジンギスカン鍋に使うくらいが主ですが、ユーラシア大陸全土で大いに珍重された食肉で、古代中国では豚や牛よりも格が上とされていました。「美」とか「義」とかの文字にヒツジが入っているのでも、羊肉の地位がわかります。
要するに、上等なものを扱うと見せかけて、下等なものを売りつけるというのが羊頭狗肉です。上記の故事から、本来は、
──他人に大きなことを言う前に、まず自分を省みよ。
つまり「おまゆう(おまえが言うな)」というのがこの成語の意味でしょうが、「欧州産を掲げて中国産を売る」という所業は、まさにこの言葉とぴったり一致するので、つい連想してしまいます。
晏子がこの喩えを用いたのも、実際に牛頭を掲げて馬肉を売るような悪徳商人が居たからでしょう。偽装表示の歴史は長いのです。
しかし、長く商売を続けようとすれば、結局は正直・誠実がいちばん物を言う……というのが、江戸時代の商人たちが辿り着いた商道徳ではなかったでしょうか。
悪徳商人というのは、短期的には大もうけするかもしれませんが、10年20年と続けられるものではありません。時代劇には毎週のようにあくどい商人が登場して庶民を苦しめますが、あんなやりかたで商売をするのは無理でしょう。何も水戸黄門や必殺仕事人や遠山の金さんが居なくとも、同業者や取引相手から総スカンを食って、早々に潰れるのが関の山です。
顧客に対して正直であること、そして時には「損して得取れ」ということ、江戸期の豪商たちはそういうことがよくわかっていました。お天道様に対して羞しくない商売をすることこそが、長く店を保つ秘訣というものでした。
最近の企業には、どうもその心得を忘れているのではないかと思わせられる振る舞いが多いのが、本当に残念なことです。
失われた信用を取り戻すには、長い時間がかかります。彼らがいかに偽装を「誤表記」などと言いつくろおうとも、世間の人々は彼らを悪徳業者と見、当分はその印象を持ち続けることでしょう。
もしかしたら客に見放され、潰れてしまう老舗が出てくるかもしれません。それもまたやむを得ないことです。関係者・責任者には、今からでも江戸時代の豪商たちの家訓などを熟読し、もういちどみずからの商道徳を鍛え直して貰いたいものです。
(2013.11.7.)
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