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全聾の作曲家として知られ、「現代のベートーヴェン」などと呼ばれていた佐村河内守氏が、実は別人が書いた曲を自分の作品として発表していたことをカミングアウトして騒ぎになっています。 私は佐村河内氏の作品とされていた曲を聴いたことがなく、そもそも名前も去年のいつだったかにはじめて眼にして、最初はサムラ・カワチノカミなどと読んでしまったていたらくですので、特に感慨というほどのものは覚えないのですが、今朝がたからマダムがずっと騒いでいます。ソチ・オリンピックに出るフィギュアスケートの高橋大輔選手が、佐村河内氏の曲を使うことになっていたとかで、何もこんな時にカミングアウトして高橋選手に動揺を与えなくとも良いじゃないか、というのがマダムの主張でした。 マダムは朝っぱらから携帯電話のニュースでこの話を発見して、あれこれまくしたてながら検索したりして、もう少し寝たいと思っている私の耳元でウィキペディアの佐村河内氏の記事を大半読み上げていたもので、私も氏のおおまかな経歴などは諒解してしまった次第です。マダムがしゃべくり続けているので、ついに私は又寝することができませんでした。
なおウィキペディアの記事は、今日だけでずいぶん書き直されていたようです。マダムが見た時にはすでに「元作曲家」という肩書きになっており、その後マダムの友達が見た際には「自称作曲家」となってしまっていたそうです。その後また「作曲家」に戻されたらしいと聞きましたが、いまはどうなっていることやら。もう少し経過を見ようということで編者の意見がまとまったのかもしれません。
カミングアウトは弁護士を通じてなされたそうですが、その後のニュースなどを見ても、あんまり要領を得ませんでした。わかったのは、十数年前からゴーストライターを立てていたらしいということ、自分のイメージやニュアンスを伝えてゴーストライターに書いて貰うという方式でやっていたこと、非常に反省しているということ、くらいでしかありません。本人が出てきて記者会見などをやったわけではないので、詳しい事情がわかるまでにはもう少し時間がかかりそうです。
十数年前からゴーストライターに書かせていたということになると、どうもタイミング的には、聴力を失ったとされる時期以降はほとんど自分で書いていなかったということになりそうです。
しかも、世に出た曲というのは、大体が、聴力を失ったあとに書かれたタイミングになるのではないでしょうか。とすると、彼自身の作品なるものが本当にあったのかどうかも疑わしくなります。
作曲法はもっぱら独学で習得したということになっています。「現代音楽の技法に疑問を持っていたので」音楽大学にはゆかなかったとのことですが、要するに彼の修行時代を証明できそうな人はあんまり居なさそうだということにもなります。高校時代にぐれて喧嘩に明け暮れたの、ホームレスになったことがあるの、何度も自殺未遂を起こしているのと、彼の経歴なるものを見ると、正直言ってひとりの人生の物語としてはあまりに波瀾万丈に面白すぎて、そういう「設定」であるに過ぎなかったのではないか、という気がしてなりません。
若い頃の習作でも出てくれば良いのですが、何しろ急にほぼ完成されたスタイルで登場したという感が強く、いかにも唐突に見えます。「『全聾の作曲家』というキャラクター」が「作成」された、ような出現でした。はたして「佐村河内守の作品」というものは本当に存在したのでしょうか。
残念なことですが、ゴーストライターというのは世に後を絶ちません。芸能人がゴーストライターに自叙伝を書かせる程度のことであれば、まあご愛敬というところでしょうが、文筆を本来のなりわいとする者が「自分の作品」を他人に書かせるとなると、やはりあまり褒められたことではないでしょう。
工房とかプロダクションという形で、その代表者個人の名前を冠して作品を発表する、ということもわりとよくおこなわれています。音楽関係だと、ポピュラーのほうではそういうケースも少なくないかもしれませんが、一応「芸術」音楽とされる方面でも、無いわけではありません。
現に、私自身ある有名作曲家の作品のオーケストレイションの仕事をかなり長いこと続けています。この場合は、私に渡される原譜はその作曲家自身が書いたものと思われますが、もしかすると他のスタッフがすでに一次加工をおこなったものかもしれず、その辺は私もあえてつっこまないようにしています。もちろん、一般にはオーケストラまで全部その作曲家がやっているものと思われているわけです。時折、その人のオーケストラ書法を褒めた批評が雑誌などに出ることがあり、私は内心舌を出しています。
この場合は、その作曲家は若い頃はちゃんと自分で曲を仕上げており、その後いろんな活動で忙しくなったのでオーケストレイションなどは外注するようになった、という経緯がはっきりしています。元の曲の構成、フレーズ、モティーフなどはまぎれもなくその人のものなので、その人の名前で発表されるのは当然です。「ラプソディ・イン・ブルー」をいまの形にしたのはグローフェという人ですが、作曲者と見なされているのはあくまでガーシュウィンです。これはこれで問題ありません(ただ、そう知ってがっかりする人は居るでしょうね)。
しかし例えば、ある人Aがソナタの主題だけ作って、
「これを使って曲に仕上げてくれ」
などと別人Bに頼む……ということになると、どちらが作曲者と呼ぶべきなのか微妙になってきます。というよりこの場合は、
「A氏の主題によるソナタ」B作曲
というような表記になるのが普通ではないかと思います。
ハイドンなどには、最初の部分(呈示部)しか残されていないソナタなどもあります。ソナタは通常、呈示部・展開部・再現部の3部分から成っていますので、後世の研究者などが展開部と再現部をつけて、演奏できるようにしていたりします。補作部分のほうが多いのですが、これはやはりハイドン作曲・誰某補作ということにするのが普通でしょう。
こういう、複数の手が加わって出来上がった楽曲について、「作曲者」としての栄誉が与えられるのがどの範囲なのかということは、必ずしも自明ではなく、微妙な領域があるように思えます。
その意味では、佐村河内氏のしでかしたことがどの程度けしからん話であるのかは、やはりもう少し事情が明かされてからしか判断しにくいとも言えそうです。発表どおり、イメージやニュアンスを「言葉で」伝えて別人に書かせていたというのであれば、これはさすがに「作曲者」を主張することは難しいでしょうが。
繰り返しになりますが、私は佐村河内氏の「作品」を聴いたことがないので、その「作品」が、「耳の不自由な人が書いた」という情報を付加されない状態であっても、言われるほどに佳い曲であるのかどうかはわかりません。交響曲第1番を指揮した大友直人氏は
「譜面を見て、佳い曲であると思ったので演奏した」
と、「作曲者」が全聾者であるかどうかにはかかわらず評価したようなことを言っています。
「作曲者情報」を離れた状態でも、充分に音楽的価値が高いものであるならば、逆説的かもしれませんが、作曲者が別人であるかどうかなどは、さほどの問題ではないと私は考えます。高橋大輔選手も、それほど動揺するには及びません。もちろん、その価値に応じた報酬を、真の作曲者が得ていて貰いたいと思いますが。
しかし、演奏する者、聴く者の心のどこかに、「耳が聞こえない作曲家の書いた曲」「『日本のベートーヴェン』の曲」という触れ込みによる補正が、何割増しかでかかっていたと考えたほうが、むしろ自然かもしれません。「耳が聞こえないのにこれだけのものを……」と思ってしまえば、どうしたって実際以上の音像を耳に結んでしまうでしょう。たぶん、例えば私が同じくらいの出来の作品を発表したとしても、さほど話題にもならないはずです。そもそも私という作曲者にさして話題性が無いからです。佐村河内氏はほぼ同年齢に近いので、ついそんなことを考えてしまいますが、ともあれ全聾であるということは大きなセールスポイントであったに違いありません。
「そういう聴かれかたをされたくないので、しばらく耳が聞こえないことは明かさなかった」
と本人が言ったとか言わなかったとかいう話がありますが、結局は「そういう聴かれかた」を享受したことになります。
なぜこんなことをはじめてしまったのか、それはまだわかりません。上に書いたように、活躍していた作曲家が聴力を失ったというよりも、この人の場合、タイミング的に最初から「全聾の作曲家」としてデビューしていたような気がするのです。「キャラクター」として作られた存在であるように思えます。
ゴーストと示し合わせて、「衝撃のデビュー」を飾るためにこういう設定にしたのかもしれません。最初は冗談半分だったのが、NHKスペシャルで採り上げられたりして、それと共にCDなどもバカ売れしたり、あちこちで委嘱を受けたりと、大ごとになってしまい、ひっこみがつかなくなったというところなのかもしれません。
真相はだんだん明らかになることでしょう。とにかく私に言えるのは、作品そのものに罪は無いということです。「作曲者」がニセモノだったからと言って、良作(だったとして)が闇に埋もれてしまうということだけは、あってはならないと思っています。
クライスラーが古人の名前を騙って多くの曲を作っていたのはよく知られています。有名な「序奏とアレグロ」も、最初はブニャーニの名前で発表された作品です。クライスラーはまったく悪びれることなく、
「作曲者がおれの名前になってると、他のヴァイオリニストが弾きづらいと思ってな」
と哄笑していたとか。
最近ではヴァヴィロフが居ます。あちこちで聴く「カッチーニのアヴェ・マリア」の作曲者です。この曲、いまだに「カッチーニ作曲」としてあるプログラムなどが多いのですが、私ははじめて聴いた時から、16世紀末〜17世紀初頭に生きたカッチーニの作品にしては「7度(セブンス)」が多用されすぎていておかしいと思っていました。17世紀どころか、1980年代に作られた曲だったのです。
こういうケースは、世を惑わすというか、聴衆を小馬鹿にしているようなところがあって、種明かしされると多少腹が立ちますけれども、一方で騙された自分が可笑しいみたいな感覚もあって、笑えるエピソードになっています。
今回の話が笑って済ませられないのは、やはり「聴覚障碍者」という立場をいわば「利用した」ように見えるあたりに、どうしようもない後味の悪さを感じるからでしょう。ブームに乗ってしまう人の弱さのようなものを、醜悪な形で見せつけられた想いもあるのかもしれません。
佐村河内氏は単に「ちょろい成功」を愉しんでいただけなのでしょうか。それとも本当に音楽への真剣な想いがあって、それを自分の力で形にできない苦悩が、こういうやりかたを選ばせてしまったのでしょうか。しでかしたのは言い訳のしようのないことですが、この騒動で何かを学んで貰えればと思うばかりです。
(2014.2.5.) |