「オリジナルオペラの計画」という文章を書いたのは、もう半年近く前のことになります。板橋区演奏家協会の定期演奏会であるライブリーコンサートが、来年(2015年)で100回を迎えるので、その第100回にあたるかどうかはともかくとして、記念となるようなオリジナルのオペラを作ろうという企画を立てたのでした。 企画書はずいぶん前に出していたのですが、私もいろいろとやることが多くて、なかなか行動が伴いませんでした。本当は去年の秋くらいまでに台本は出来ているつもりで、今年の春頃には主な劇中歌などはヴォーカルスコアの形になっている予定だったのですけれども、まだ台本が完成していない段階です。 これでは困ります。何しろ音源も映像も存在しない初演のオペラということになりますので、歌い手の譜読みにも時間がかかるでしょう。毎年やっているオペラ公演と同じようなスケジュールで考えていると遅すぎます。 なんとか今年のオペラ公演が終わる6月くらいには、ある程度形が見えているようにしたいものです。そうしないと、あちこちに助成などを依頼することも難しくなります。翌年度のその種の活動への助成は、たいてい秋口ごろに申請しなければならないようです。
しかし、その今年のオペラ公演のためのオーケストレイションに、また時間をとられます。たぶん4月中くらいは専念しなければならないでしょう。
その他、ふたつほど上半期の作曲仕事を抱えています。ひとつは立正佼成会のクラブ活動に頼まれた箏曲の作品で、何しろ邦楽器にそれほど馴染みがないので、そう長い曲ではないとはいえ少々手間がかかりそうです。
もうひとつはつい数日前に依頼を受けたもので、内容はまだはっきりしていないのですが、七夕にちなむストーリー仕立ての合唱曲というところであるようです。初演は当然七夕の頃でしょうから、今年の話であれば5月くらいには仕上がっていなければなりません。
去年はまるで作曲依頼が無く、書いた作品といえば小品と呼ぶべき「うたでの出会い」ただ1曲だったのに、ここへ来て続けたように依頼があったのは大変嬉しいことです。しかし、なんでまたこう集中するかな〜と思わざるを得ません。今年の上半期は、相当に忙しいことになりそうです。
そんなことがあっても、とにかく、オペラは進めなければなりません。まずは台本を仕上げる必要があります。
今週末のファミリー音楽会のリハーサルの待ち時間に書き始めたら、思いがけずすらすらと運び始めました。2回のリハーサルで相当筆が進み、気がついたら下書きをしているレポート用紙に十数ページも書いてしまっていました。そういう待機時間に書き物をはじめるとはかどることが多いわけで、聞こえてくるナマの音が私の脳細胞を活性化させるということもありそうですが、構想がそろそろ熟しつつあったということでもあるでしょう。
題材は、前にも書いたとおり、バーネット女史の児童小説「小公女」です。
これを選んだのは、一にも二にも、
──女性の登場人物が多い!
ということに尽きます。女子寄宿学校の物語であり、先生も生徒も女性ばかりで、おかげで演奏家協会にたくさん居る女性歌手を大量に出すことができます。
既成のオペラでは、意外と「役付き」の女性キャラが少ないのです。モーツァルトは例外で、たいていは主要人物としてはふたりがせいぜいです。「ラ・ボエーム」はミミとムゼッタ、「トゥーランドット」はトゥーランドットとリュー、「アイーダ」はアイーダとアムネリア、「カヴァレリア・ルスティカーナ」はローラとサントゥッツァ、等々……
そのため、女性歌手が圧倒的に多い団体でオペラをやろうとすると、いろいろ無理な設定をしなければなりません。板橋オペラで言えば、2014年公演の「トゥーランドット」ではなんと3人の大臣ピン、ポン、パンを女性が演じることになります。彼らは宦官であるということに強引にしてしまったようです。「こうもり」では本来も時々女性が演じることのあるオルロフスキー公爵の他、弁護士のブリントも女性が演じました。
そんな状況なので、題材を考える時にはまず「女性(少なくとも女性が演じられる役)の多い話を」と条件をつけたわけです。
家でいろいろ考えていると、マダムが「マイ・フェア・レディ」を持ち出し、
「あんな風にメイドさんがたくさん出てくる話ならいいね」
と言ったあたりから「小公女」が浮かび上がってきた話は、前に詳しく書きました。
もうひとつの選択肢として宮澤賢治の未完成作品を考えていたけれども、協会の役員会で諮ると圧倒的に「小公女」が支持された、ということも前に書いたとおりです。
私は仮題として「セーラ──A Little Princess──」というタイトルをつけておきました。ひとつには、私が書いた今までの台本では「蜘蛛の告白〜リュディアのアラクネ〜」「孟姜女〜巨いなる墓標〜」「愛のかたち〜パラクレーのエロイーズ〜」「月の娘〜五人の求婚者〜」のように、「○○○〜×××〜」の形をとるタイトルが多く、その形にちょっとこだわりたかったのと、「ワリー」「トスカ」「ルル」のようにヒロインの名前そのままのタイトルが格好良いと思ったからです。
が、これはいまのところあまり評判が良くありません。「小公女」のタイトルに親しんだ人は、やはりこの「漢字3文字」に愛着があるようです。ただ、この文字を使った場合、内容的にもかなり原作に縛られてしまうような気がしてなりません。自分の感覚を押し通すか、他の人の意見を容れて「小公女」に戻すか、まだ決めかねています。
台本書きが停滞していたのは、いちばん冒頭に来る合唱曲のところで難航していたためです。この物語は「ミンチン神聖女学院」という私立寄宿学校(この学校の名前もいろいろ迷ったのですが、結局こうしました)で展開しますが、最初のところでは、その学校の校歌……というほどではないにしても、校風を称えるような内容の歌が欲しかったのでした。時代設定はたぶん、ロンドンで女子教育が本格的に開始された19世紀末から20世紀初頭と思われますから、まだ大英帝国の威光が世界中に照り渡っていたような時期です。英国の栄光だの、七つの海だの、新しい女性像だの、ヴィクトリア女王陛下だのを持ち出して、いささか気負ったような歌詞にしたいと思ったら、なかなか筆が進みませんでした。
しかし、そこをクリアしたら、あとはわりとすらすらと進み始めたのでした。原作は何年にも渡る話で、小さなエピソードが無数にちりばめられているのですが、それをごく限られたシーンの中に埋めてゆくという、ある意味では手間取りそうな作業も、思ったよりずっと楽でした。台本だけ読めば
──展開が速すぎるだろう。
と思われそうなところも、音楽が続いて、それなりの時間をかけることによって、実際の舞台ではあまり気にならなくなると踏んでいます。
台本執筆は今のところ後半のなかばにさしかかっています。物語が急転するにあたって、原作ではセーラの屋根裏部屋に子猿がとびこんでくるというエピソードがあるのですが、これをどうしようかと迷っています。本物の猿を使うわけにはゆきませんし、ぬいぐるみでごまかせるような演出ができるかどうか微妙です。この子猿を追って謎のインド人が登場し、そのインド人が救い主たるカリスフォード氏につながってゆくわけなので、このシーンは省略するわけにゆきません。なんとか方法を考えないと先に進めない状態です。しかし、ここをクリアすれば、あとは一気呵成にラストまで持ってゆけるだろうと思います。
作曲者自身がテキストを作っているわけですから、当然ながら、曲にした時のおおまかな構成は考えながらやっています。この辺はアリアにしようとか、ここは二重唱で同時に歌うことにしようとか、速くしようとか遅くしようとか。曲が作りづらければ台本を遠慮無く変えてしまえるのも自分で書く強みですね。
「蜘蛛の告白」以来の心得ですが、
──基本的に、詩を書く時のように分かち書きをする
ということもしています。これを芝居のセリフのように書くと、あまりうまく行きません。オペラの台本はあくまで「歌詞」であるという意識を忘れてはいけないと思います。
このことについては、何度か書いたこともあるのですが、小説家が台本を書いたりすると、その本人がいかにオペラ好きであっても、どうしても「読む」言葉になってしまいます。眼で読んだ時にはじめて意味が通じるということになりやすいのです。同音異義語とかの問題だけでなく、耳にすんなり入ってくるのが難しい言語構造になってしまうようです。
劇作家が書く場合はそれよりはましでしょうが、やはり「歌われた」場合にはわかりにくいところが出てきます。
だから、本当は詩人が書くべきと私は思っています。それも、谷川俊太郎氏のように朗読会などをちょくちょく開き、耳で愉しむ詩ということを意識している詩人がいちばん良いのです。ヨーロッパのオペラ台本は、詩人が本職ではないとしても、それなりに詩くらい書ける人が書いています。
私は詩人でもなんでもありませんが、しかしこういうことを長年考えておりますので、多少は心得があります。とりあえず分かち書きをしてみるのが早道、ということはその中から発見した方式でした。前に「おばあさんになった王女」を制作した時、ICHIKOさんが音楽劇の台本を書くのははじめてだと言っていたので、その方式を薦めてみたところ、本人が歌い手であったためもあるでしょうが、非常にメロディ化しやすい言葉の使いかたになっていて、薦めた本人の私のほうが驚いてしまったということがあります。
ただ、この方式で台本を書いてゆくと、やたらとページ数が増えますね。行を使い切るということが滅多にないため、余白が多くなってしまいます。エコの観点からは感心できないことかもしれません。
途中、フランス語の会話が出てきます。セーラが転入して最初の授業で、フランス語教師のデュファルジュ先生がセーラとフランス語で話しはじめ、フランス語の苦手なミンチン先生が眼を白黒させるというシーンで、ミンチン先生の人の話を聞かないところとか、セーラと性が合わないところとかをうまく表しています。
このシーン、カットするのは惜しいと思ったので、マダムに仏語訳を頼んでみました。私の書いたテキストが訳しやすい形になっていなかったのか、だいぶ苦労していたようですが、通っているフランス語学校の先生にも相談してきて、ひとまずやってくれました。ただ考えてみると、オペラの途中でフランス語のやりとりがはじまった場合、観客に話が全然わからなくなるという懸念があります。そこだけのために字幕装置を入れるのも面倒ですし、なんとかうまく伝えられる方法が無いか、作曲の時に考える必要がありそうです。いずれにしろ、初演の際にはマダムの名前もクレジットしようと思っています。
週末にファミリー音楽会を済ませ、来週にはまた協会の役員会があるので、それまでには台本を形にして、他のメンバーたちに披露したいと思います。そして、なるべく早く作曲にとりかからなければ、いろいろてんてこまいなことになりそうです。
(2014.2.14.)
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