このところ危険ドラッグがらみの事件が多くなっているようです。吸入して死亡した人も出ましたし、吸ってクルマを運転し交通事故を惹き起こした手合いも出ています。吸ってから自転車に乗っていて摘発され、運転免許を停止させられたのも居ました。自転車の運転免許ではなく、もちろん自動車の免許であり、自転車に乗っていた様子からして、自動車に乗せると将来事故を起こす可能性が高いということで免停となるという、前代未聞の処置だったのでした。 最近追突事故を起こした人の映像が残っていて、眼の焦点が合わずに「あ〜」「う〜」とうなるばかりで、明らかに正気を失っており、動画を見ていると背筋が寒くなるようなありさまでした。 こんなものが蔓延していると思うとぞっとします。何日か前に老親を殺害した男も危険ドラッグの使用者であったと聞きました。理性のたがが飛び、衝動のままに行動するようになってしまうのでしょう。そういえば吸ってからクルマなり自転車なり、何か走らせたくなるらしいのも不気味です。こんな連中の運転しているクルマなどは兇器としか言いようがありませんし、自転車だってぶつかりかたによれば死人が出るでしょう。 どうしてまたこんなものがはやりはじめたのだろうかと不思議です。
少し前までは「脱法ハーブ」と言われていたと記憶しています。いわゆる麻薬とどう違うのかよくわからないのですが、原料ひとつひとつは合法的なものを、混ぜ合わせることで妙な効果を持たせるようにしたので、取り締まりづらいということだったでしょうか。
「自転車で免停」の事案を見ても、吸入者自身を逮捕するということはできないようです。原料の生産や購入は取り締まりづらくとも、薬の製造・販売・使用についてはできるだけ早く法整備を進めるべきでしょう。
いままで対策としてとられたのは、「脱法ハーブ」を「危険ドラッグ」と言い換えただけであるような気がします。それで危険性を周知したつもりになっているのかもしれませんが、「脱法」だって充分に危なそうな響きの言葉であり、使用者は危険を承知で手を伸ばすのでしょうから、さしたる効果があったようには思えません。
麻薬というのはどのくらい前から用いられていたのかよく知りませんが、12世紀頃にシリアで盛んだったイスラム教ニザール派が、信者の結束を図るために使っていたという話があります。このニザール派は暗殺教団として知られ、不都合な相手を次々と暗殺するため大いに恐れられました。まあ、秘儀が多くて外部から様子がわかりづらく、話がだいぶ面白おかしく作られている可能性は高いのですが、ともかくこの教団では屈強の若者を集めてハシシュという麻薬を与え、絶対服従を誓わせた上で暗殺をおこなわせたと信じられています。時に暗殺という陰惨な手段に疑問を覚え、抜けようとした者が居ても、ハシシュの魔力にはどうしても勝てずにすぐに舞い戻ってしまうのだそうです。なお、このハシシュがアサシン(暗殺、暗殺者)の語源とも言われています。
ハシシュは大麻のようなものであったと考えられますが、だとすれば麻薬としては比較的弱いものであり、絶対服従を強いるほどの誘引力があったとは少々疑問です。当時は純度も大したことはなかったでしょう。おそらく、本当に用いられていたのだとしても、ハシシュ自体が魅力であったわけではなく、教団の教義を教え込む、すなわち洗脳を施す際に補助的に用いられたということなのではないでしょうか。
18〜19世紀に至って、各種の麻薬が、主に医療目的で開発されました。アヘン、それを精製したモルヒネやヘロイン、コカインその他が出揃いましたが、これらはきわめて依存性の高い薬物であったために、すぐに中毒者が増えてゆきました。19世紀の英国の小説などを読むと、よくアヘン窟が登場します。イースト・エンドあたりの風紀の悪い場所にたくさん建ち並んでいたようで、小説の中ではあやしげな中国人などが支配人を務めていたりします。
その中国ではアヘン戦争も起きました。慢性的な貿易赤字に窮した英国が中国(清朝)に持ち込んだのがアヘンでした。中国でもたちまち中毒者が増えて社会問題となり、清朝政府はたびたび英国商社にアヘンを持ち込まないよう要請しましたが、その要請はずっと無視され続けました。業を煮やした政府が送り込んだ欽差大臣林則徐は、英国商社の倉庫を有無を言わせず差し押さえ、アヘンを没収して焼却処分したのでした。これを不満とした商社の訴えで英国がはじめたのがアヘン戦争で、「英国史上もっとも恥ずべき戦争」と評価されています。
なおこのアヘン戦争の経緯は、かなり正確に鎖国中の日本にも伝えられたようです。ペリーの黒船が来た時に、欧米に太刀打ちできないと判断して、わりとすぐに幕府が開国を決めたのも、アヘン戦争で清朝がわずかな数の英国軍艦にこてんぱんに叩きのめされた様子が伝わっていたからでしょう。
日本では、あんまりアヘンは広まりませんでした。時代劇などで時々アヘンの密貿易というネタが扱われたりしますが、実際にはそんなことはほとんど無かったようです。幕府の取り締まりがきつかったからとも考えられますけれども、こういう麻薬というのは、いくら取り締まっても、需要があれば必ず入ってきてしまうものです。
近年になっても、日本での薬害といえば麻薬よりも覚醒剤などが主流で、これは国民性なのでしょうか。麻薬の「甘美な倦怠感」よりも、日本人は覚醒剤によって得られる「活力」や「万能感」を好んだのかもしれません。しかし最近の危険ドラッグは覚醒剤系というより麻薬系であるような感じでもあり、多少志向が変わってきた可能性もあります。
シャーロック・ホームズもコカイン常用者として描かれていました。当時は違法ではなかったのですが、好ましいこととも思われていなかったようで、活躍の後半期に入るとほとんどコカイン使用の描写は無くなります。読者から苦情があったと考えるのが自然でしょうが、シャーロッキアン的には、 ──大空白時代(ホームズがモリアーティ教授と差し違えて死んだと思われた1891年から、再び姿を現す94年までの3年間)にチベットのダライ・ラマのもとで修行し、薬物依存を断ち切ったのだ。 というような説が喜ばれています。ニコラス・メイヤーの『シャーロック・ホームズ氏の素敵な挑戦』というパロディでは、この大空白時代は実はウィーンのフロイト博士のもとで麻薬中毒の治療をしていたのだということになっていました。この小説では、モリアーティ教授は昔ホームズの家庭教師をしていたしがない数学の先生に過ぎず、コカイン中毒のホームズの妄想で「犯罪王」に仕立て上げられて、困り果ててワトスン博士のもとに相談に来るという設定でした。それでワトスン博士はホームズを騙して(!)フロイトのもとに連れてゆくわけです。あ、フロイトというのはもちろん精神分析学で有名なあのジグムント・フロイトのことです。名探偵が麻薬中毒にかかっていたという大スキャンダルを隠すために、ワトスンは苦労して「最後の事件」と「空き屋事件」というふたつの物語を「創作」したのだ、というのがオチになっています。
確か「原典」の後期作品のどれかに、
──ホームズのコカイン服用癖は、私が長いことかかってやめさせた。
というワトスン博士の記述があったと記憶しています。
ホームズは皮下注射もしくは静脈注射でコカインを服用していました。7%溶液というのはかなり濃いものであるようです。
シャーロック・ホームズは作中人物ですが、それがコカイン常用者であったというのは、実際にも常用者がけっこう多かったからではないでしょうか。上記のとおり、これらの薬物は、19世紀の時点では規制されていませんでした。有資格者以外が麻薬を扱うことが違法となったのは、英国でも1950年代のことであったそうです。すでに麻薬中毒は社会問題化しており、遅ればせの規制であったと言えます。
ニューヨークあたりを舞台にした小説では、ジャンキー(中毒者)はほとんど欠かすことのできない点景となっているようです。パーネル・ホールのスタンリー・ヘイスティングズシリーズを愛読していますが、シリーズのどの本を読んでもジャンキーが出てくるし、小説中の犯罪が麻薬がらみで発生する率もえらく高くなっています。
マリファナなどは煙草やアルコールよりも毒性が弱いくらいだから合法化しても良いのではないか、という意見が時々出されます。麻薬のおそろしさは、それ単体の毒性よりも、徐々に「効かなくなる」という点にあります。つまり同じ満足感を得るために、より大量の、あるいはより強い薬品を求めるようになり、際限なくエスカレートしてゆくというのが問題なのです。それでも心身への悪影響は蓄積し続けますし、より大量により強くとなると代金もはね上がり、その購入資金を得るために強盗などの挙に出る危険も高くなります。ただでさえ麻薬を常用すると善悪の判断がつきにくく、衝動的な行動が増えるのです。やはり、うかつにゴーサインなど出されては困ります。
私のような表現者の中には、残念なことに麻薬や覚醒剤に手を出す者が少なくありません。単に好奇心や探求心からということもありますが、いちど経験すると、なんだか素晴らしい作品が作れそうな気がしてしまうのかもしれません。ただでさえ「創作」という、小型の神様みたいな作業をおこなっているので(作品にとっては作者はまさに神様でしょう)、薬物使用時の開放感や万能感が、人並み以上に心地良く感じられたとしても不思議ではありません。
特にスランプになると、どうしても「あの時の気分」を再現したくなるのでしょう。あんまりよく憶えてはいないものの、何やらものすごい発想が次から次へと泉のように湧いてきたような気がする「あの時」をもういちど……と考えてしまうのではないでしょうか。
実際には、薬物使用によって創作の質や量が高まったという事例はほとんどありません。文学・音楽・美術などどのジャンルでも同じことでしょう。使用時に湧き出てくる「ものすごい発想」はまず間違いなくただの妄想であり、実作に結びつくこと自体が稀です。
一方、心身の破滅のほうは確実に訪れます。破滅と引き換えに確実に大傑作をものにできるのであれば、表現者としては賭けてみる価値があるとも言えますが、そんな保証はどこにもありません。その意味では、悪魔に魂を売ったほどのメリットすら期待できないのです。
おりしも、AKB48などに楽曲提供していたミュージシャンが覚醒剤使用で逮捕されるというニュースに接しました。覚醒剤のほうは疲労回復の意図で服用することもあると思われますが、いずれにせよ他人事ではないようです。
私自身は、尿管結石を患った時に、あまりに痛くてモルヒネを打たれたことがあるばかりで、麻薬や覚醒剤に手を出したことはありません。その時はモルヒネを打ってもなかなか痛みがおさまらず、ナースが不思議そうな顔をしていました。
「まだ眠くなりませんか? おかしいですね、普通ならそろそろ眠くなるんだけど……よっぽど痛かったんですね」
入院中、あとでもういちど激痛が来ましたが、その時はモルヒネは打ってくれませんでした。「麻薬でない中でいちばん強い薬」を打たれましたが、あんまり効果が無かったようです。 ともかく、危険ドラッグを取り締まる法律を早く制定すべきでしょう。ただ、こういうことはいたちごっこで、法律で規制するとすぐにその法律をかいくぐろうとする手合いが現れます。危険ドラッグも、従来の法律にひっかからないようなレシピを追究していたら、もっと危ないものができてしまったという次第だったようです。個々の品目を規制するよりも、新しいものが産み出されてもちゃんと取り締まれるような形の法律を作るしか仕方がないのではないでしょうか。
(2014.11.6.) |