私にはちょっとした特技があります。 それは、片手だけで31まで、両手を使えば指を折って1023まで数えることができることで、手ぶらでも簡単な計数機並みの勘定ができるわけです。 指を折って計数する時には、普通は指を開いたところから親指を折って1、人差し指を折って2……という具合に5本の指を折ったところで5、次に小指を伸ばして6、薬指を伸ばして7……と伸ばして行って全部開いたところで10とするか、逆に指を閉じたところから人差し指を伸ばして1、中指を伸ばして2……最後に親指を開いて5、次に1本ずつ折って10までとするか、いずれにせよ片手で数えられるのは10までだと思います。それだからわれわれは、10進法を発達させてきました。 「10進法」という言葉が出たところで、ははあ、と思ったかたも居られるでしょう。ご想像のとおり、片手で31まで数えるのは、2進法を使ってのことです。 指を伸ばす、折る、という動作を、2進法の構成要素である1と0に対応させるわけです。親指を1の桁、人差し指を2の桁、中指を4の桁、薬指を8の桁、小指を16の桁とし、それぞれ曲げ伸ばしすることで0から31までの数字を表すことができます。
例えば、人差し指・薬指・小指が伸ばされていれば、16+8+2で、26という数字になります。親指・中指・薬指なら8+4+1で13です。
両手で1023までというのも、すぐにおわかりでしょう。2進法で10桁で表せる数字です。
種を明かせば簡単なことですが、ものを数えながら反射的に2進法で指を折ってゆくのはけっこう大変なことであるようです。私はすでに幾人もの知人友人にこの計数法を伝授しているにもかかわらず、みんな
「いや、とっても指が動かない」
と諦めてしまいました。5本の指を独立させて動かすということ自体が、私などは幼少時からピアノを弾いていたおかげでなんということもなくできるのですが、なかなかできない人が少なくないらしいのでした。とりわけ、薬指だけを曲げ伸ばしするということが苦手な人が多いようです。
私が指を折りながらものを勘定していると、たいていの人は
「どうやってるの?」
と驚きます。中には
「指の動きが気持ち悪いんだけど」
とまで言う人も居ました。
私は小学生の頃からこの数えかたをしているため、ほとんど無意識に動かすことができます。
ただし、数えた結果を10進法に換算するのには少し時間がかかります。また逆に、
「23はどうやるの?」
と訊かれてもすぐには答えられません。片手分だけならまだ短時間で答えられますが、32以上になるとかなり考えなければならないのでした。あくまで、1(0)から順番に数える時に用いる方法ということです。
それでも、この数えかたを憶えたおかげで、ものの勘定がずいぶん楽になっています。
以下に要領を書きますので、われこそはと思わんかたは習得なさってください。 ・0……すべての指を折ってグーにした状態 ・1……親指を立てる。 ・2……親指を折り、人差し指を立てる。 ・3……人差し指を立てたまま、親指を立てる。 ・4……親指と人差し指を折り、中指を立てる。 ・5……中指を立てたまま、親指を立てる。 ・6……中指を立てたまま、親指を折って人差し指を立てる。 ・7……人差し指と中指を立てたまま、親指を立てる。 ・8……立っている3本を折り、薬指を立てる。 ・9……薬指を立てたまま、親指を立てる。 ・10……薬指を立てたまま、親指を折って人差し指を立てる。 ・11……人差し指と薬指を立てたまま、親指を立てる。 ・12……薬指を立てたまま、親指と人差し指を折って中指を立てる。 ・13……中指と薬指を立てたまま、親指を立てる。 ・14……中指と薬指を立てたまま、親指を折って人差し指を立てる。 ・15……立っている3本はそのままで、親指を立てる。小指だけ折っている状態。 ・16……立っている4本を折り、小指を立てる。 ・17……小指を立てたまま、親指を立てる。
以下同様。
文章で書くといかにも面倒くさそうですが、一旦動きのパターンを身につけてしまうと簡単です。
実は私は、この計数法を、小学校の校長先生に習いました。
担任の先生が病気とか出張とかで休みの時に、校長先生とか教頭先生がやってきて代わりに授業をするということは、いまでもおこなわれているでしょうか。
最近は授業時間数が減って、授業内容がタイトですし、校長先生や教頭先生も忙しくなりましたから、あまり見られない光景かもしれません。またもしそういうえらい先生が教室に来たとしても、教科内容とさほど離れたことはできないのではないでしょうか。
しかし、昔の学校は、その後の「ゆとり教育」から見ると「詰め込み主義」などと言われていたわりには、そういうところがわりにゆるく、校長先生がやってきて、授業の進行とは関係ない話を1時間だべっていたりすることも珍しくなかったのです。
2進法指折り計数は、そういう時に校長先生が話してくれたのでした。
その時のクラスメイトたちが、この計数法を憶えているかどうかわかりません。みんな同じ話を聞いたはずですが、なんのことやらさっぱりわからなかった子も居たことでしょう。理解はしても、実際に指を動かす練習まではしなかった子も居たと思います。いちおうマスターしても、その後忘れてしまった子も居るに違いありません。
しかし私は、その少し前に子供向きの算数クイズの本で2進法にちなんだ問題を読んでおり、2進法のことがはじめからわかっていたので、校長先生の話はすんなりと頭に入りました。そしてピアノを弾いていたおかげで指が動きやすく、先生のおっしゃるとおりに曲げ伸ばしすることも簡単にできました。
その時間のうちに概略をつかんでしまったので、その後も指の折りかたの練習をし、やがてすっかり体得してしまったわけです。
小学校の授業でどんなことをやっていたのか、いまとなってはあんまり憶えていませんが、この校長先生の臨時授業で教わったことだけは、完全に身につきました。そんなものかもしれません。
子供の頃に、からだで憶えたことというのは、大人になってもなかなか忘れないものであるようです。
ピアノでも、20歳を過ぎてから練習した曲の多くは、いま弾き直すとかなりおぼつかない状態であるのに対し、10代までに暗譜までした曲は、かなり難しい曲であっても指が記憶しているようです。
よく言われることではありますが、やはり子供の頃の暗記や暗誦というのは大事なことなのでしょう。
かけ算の九九なんかも、節をつけて小学校2、3年で憶えてしまうから一生忘れません。節をつけることが大事であって、ただただ早口で言うのはあまり効果が無いかもしれません。その意味では、「ニニンがシ」「サザンがキュウ」「シワ、サンジュウニ」といった昔ながらの言いかたが良いと思うのですが、私が学校で習った時は「ニニがシ」「サンサンがキュウ」「シハチ、サンジュウニ」と言わされて、それまでに母から教わっていた言いかたと違うのでちょっと戸惑いました。最近はどうなっているでしょうか。
インド人の子供は19×19まで暗誦するそうです。すごいな、と思いますが、おそらくそこまで暗誦しやすい数詞の体系になっているのでしょう。誰かうまいこと「ジュウニジュウニでヒャクシイシ」みたいな調子で節をつけることができさえすれば、日本人の子供でも19×19までくらい憶えられると思います。ともあれ欧米人などから見ると九九の暗誦でも驚異であるらしく、外国へ行ったら立派に隠し芸として通用します。
隠し芸と言えば、歴代天皇の諡号を暗誦するなんてのもかつてはポピュラーでした。
「ジンムスイゼイアンネイイトク、コウショウコウアンコウレイコウゲン、カイカスジンスイニンケイコウ、セイムチュウアイオウジンニントク、……」
とずらずら並べ立てて今上天皇まで一気に暗誦します。ちなみに私自身はここに挙げた仁徳天皇あたりまでが限界で、しかも「孝昭孝安孝霊孝元」のあたりの順番を時々間違います。
これ、戦前の小学生が皇国史観教育の一環としてみんな無理矢理に暗記させられたというような話がありますが、それは事実ではないようです。確か星新一氏のエッセイで読みましたが、戦前であってもやっぱり、記憶力の誇示のために有志が憶えただけだったとのことです。昭和までの124代というのは、暗誦するのにちょうど良いくらいの人数だったのでしょう。先生によってはクラスのみんなにやらせたということはあったかもしれません。
私の友人にもやってのけたヤツが居ましたが、一体に戦後ははやらなくなったようです。
──天皇の名前を全部憶えているなんて、おまえは右翼か?
みたいな言われかたをすることが多くなったからかもしれません。
ちなみにマダムは、「いくやまいまい、おやいかさかさ、かやおてはたか、やきかわたはわい……」という呪文をときおり唱えています。おわかりでしょうか。
「い」は伊藤博文、「く」は黒田清隆、「や」は山縣有朋、「ま」は松方正義……というわけで、歴代内閣総理大臣の頭文字なのでした。ちゃんと現在の安倍晋三まで「……あふあはかのあ」とつなげて言えます。これも幼少の頃、受験勉強をしていた6つ上の兄に憶えさせられ、そのまま記憶してしまったとのことです。ただし、憶えているのは頭文字だけで、それが誰を指すのかはあんまり憶えていないようです。それでは意味が無いんではないかという気もしますが……。
稚内から鹿児島まで全駅名を暗誦するなんて芸もありましたが、最近は駅が増えて大変かもしれません。私は駅名は案外ダメで、このあいだ常磐線の駅名にチャレンジしたら、土浦から先が全然言えませんでした。切れ切れに駅名は思い浮かんでも、順序よく並ばないのです。
東海道線も自信があるのは沼津あたりまでです。いつも使っている京浜東北線くらい全部言えるかといえば、関内あたりから先があやふやなのでした。
都道府県名は、小さい時から日本地図のジグソーパズルを愉しんでいただけに全部言えますが、小学4年生で憶えただけの東京23区26市は、時々抜けて思い出せないのがあったりします。忘れられる率が高いのは、区部では墨田区や足立区、市部では稲城市や清瀬市といったあたりでしょうか。
これに対し、中学の時にアメリカ50州を憶えたはずなのですが、最近復唱してみたら41か42しか思い出せませんでした。中学生くらいになると、機械的に記憶したものにだんだん孔が目立ちはじめるのかもしれません。東部のごちゃごちゃしたあたりが特に怪しいようです。
こうしてみると、小学生くらいまでの記憶力、特に長期記憶力というのは素晴らしいものがあるように思えます。とりわけ節がついていたり、からだを使って憶えたようなものは、その後ずっと忘れることが無さそうです。
小学生には、知識でも技能でも、とにかくどんどん詰め込んでゆくのが正しいような気がします。詰め込みに耐えられなかったら再度詰め込めば良いので、詰め込みをやめるという選択肢は不適当です。それなのに、ゆとり教育ではその不適当な方法を優先させてしまいました。
詰め込んだ知識や技能を整理したり分析したりするのが中学時代ということで良いのではないでしょうか。
「ああ、あれはこういうことだったのか」
とわかる喜びを感じられるのは、少なくとも10代に入ってからのことでしょう。そしてその喜びが、記憶を補強することにもなります。
そうして理解したことを体系化するのが高校時代ということになります。知識や技能は、体系化されてはじめて応用が利くようになります。
「いろんなことをよく知っているなあ」
と感心される雑学の大家が時々居ますが、そういう人は体系化のやりかたがすぐれていると考えられます。何かを知ったり憶えたりした時に、それをすぐさま自分の体系の中に収納してしまうわけです。そうすると、自分の中でなんらかの意味を持たせた知識となるので、忘れないということになります。
シャーロック・ホームズは、まさしくいろんなことについて非常に該博な知識を持つ百科全書派(エンサイクロペディスト)的な人物ですが、その知識はちっとも体系的でないという設定になっています。ワトスン博士もそう言っているし、「ライオンのたてがみ」というホームズ自身が語る形の物語の中で自分でもそう言っています。しかしその設定はおかしいのであって、知識が体系化されていない人には「該博な知識」など持ちようがありません。体系を自覚していないというだけのことだと思われます。
昔の子供は、6、7歳くらいで漢文の素読までやらされました。これも、やっているうちはさっぱりわけがわからなかったろうと思います。14、5歳くらいになって、ああ、あれは……と腑に落ちるものがあったに違いなく、そうして身についた漢籍の知識や構文力などは一生ものであったことでしょう。
子供に教える分量を差し控える必要は無いというのが、半世紀生きてきて私が実感したことのひとつです。
(2014.12.6.) |