忘れ得ぬことどもII

『星空のレジェンド』完成

 ぎりぎり駆け込みという感じですが、『星空のレジェンド』がようやく出来上がりました。年内にという約束だったので、まったくヒヤヒヤものでした。
 われわれ音楽家の世界では、年内と言っても、たいてい翌年に少し食い込むのが織り込み済みみたいなところがあって、頼むほうも引き受けるほうも、微妙なファジーさを許容しているものなのですけれども、何せ平塚市合唱連盟というアマチュア団体を介したために、契約書みたいなものを取り交わしてしまっているので──実際には覚え書きのたぐいで、法的効力は無いとは思いますが──、年内と言えば正味の年内で仕上げざるを得なかったのでした。もう29日で、年末年始に稽古があるわけでもないし、実質的には年明けになっても全然違いがないような状態ですが、何しろ約束どおりに渡せて良かったと思います。
 最初の話だと、いくつか楽器を入れるということだったので、本来ならこれからアレンジをしなければならないところです。つまりまだ「ヴォーカルスコア」ができただけで、「作品の完成」ではなかったはずでした。上記リンクの、今月20日のエントリーでもそう書いています。
 ところがその後、事情が変わりました。

 20日のエントリーを書いてから気になって、入れる楽器はどんなものが使えそうか、問い合わせたところ、なんと市からの補助が減額されてしまい、他の楽器奏者を頼む余裕がなくなってしまったということでした。
 いずこも同じです。つい最近、板橋演奏家協会への補助の大幅減額を管轄財団から通告されたばかりなので、他人事ではありません。去年は多少景気が上向いてきていたはずなのに、自治体が軒並み渋くなっている模様です。今年の消費増税のためにまた景気が悪化して、来年度の住民税収が下がる見込みということなのでしょう。消費増税は景気に影響しないと胸を張っていた経済学者は息をしているでしょうか。
 ともあれそういうわけで、初演はピアノによる伴奏ということになりました。ヴォーカルスコアをそのまま演奏することになるわけです。
 ただ、私は後日アレンジするということを想定して書いていたので、ピアノ的でない発想の箇所もありますし、ピアノで弾くには少々難しいかもしれないというところもいくつかあります。
 ヴォーカルスコアに記されているリダクション・ピアノのパートは、ピアノという楽器での演奏可能性に限定していない音が入っている場合があります。だから、オペラのアリアをピアノ伴奏するような時、私など適宜音を省略して弾いてしまっています。馴れていないピアニストだと、意地になってすべての音を弾こうとしがちですが、弾けたところで別に誰も褒めませんし、必要以上に音が重くなって、かえって不都合なことになりかねません。
 リダクションの作成者はそれを承知で、いちおうオーケストラで鳴っている音をなるべく拾おうとします。10本の指で可能な範囲であればなんでもかんでも拾ってしまいます。
 私もそういうつもりでリダクション・ピアノパートを書いていたので、最初からピアノパートとして書くのに較べて、多少無神経なところがあったように思います。
 いっそピアノを連弾にしても良いかと思ったのですが、企画者の大川五郎先生によれば、頼んであるピアニストは充分に弾ける人なので大丈夫だろうとのことでした。それなら、とりあえずこれでやって貰おうと考えました。
 大川先生は再演する気満々であるようで、次回以降、可能ならば楽器を増やしたいとか。私はさらに、フルオーケストレーションも想定したつもりで書きました。最近そういう曲がわりと多くなってきた気がします。
 ともあれ、初演のためのアレンジは必要なくなったわけです。来年前半に予定される作業がひとつ減りました。

 私の作品におけるジャンルとしては、『星空のレジェンド』は、コーロドラマと称する系列に属します。いままで『鬼子母の園』『ま昼の星』にこの肩書きを与えています。合唱を主体とした劇的作品という意味で使っています。
 合唱劇という既成の言葉がありますが、この言葉は往々にして、「合唱団員による歌芝居」みたいな意味合いで使われるので、私の意図するものとは少し違います。私の名付けたコーロドラマというのは、合唱そのものが一種の「役柄」を持つようなものを指します。もっとも、その扱いかたは『鬼子母の園』と『ま昼の星』とで少々異なっていますが、『星空のレジェンド』がこのカテゴリーに属することは間違いありません。
 それで譜面には「コーロドラマ『星空のレジェンド』」と記したのですが、実はすでに企画の名前として「音楽物語」なる肩書きがあって、会議で決定したものなのでこれは変えられなさそうだ、と言われました。まあ、それならそれで仕方がありません。私の作品リストにおいて「コーロドラマ」の枠に入れておけば良いだけのことです。
 全13曲ありますが、混声四部合唱という編成で演奏されるものは3曲だけです。その他、女声三部合唱が2曲、男声四部合唱が1曲、児童合唱が1曲、テノール独唱が1曲、ソプラノとテノールの二重唱が1曲あります。
 児童合唱と混声合唱の協演が2曲、ソプラノとテノールとバリトンの三重唱プラス混声合唱というのが1曲、あとは終曲で全員参加の上、若干の打楽器が加わることになっています。この奏者はアマチュアに頼むつもりのようで、終曲にはその他ダンシングチームなども参加する予定だそうです。
 女声合唱や男声合唱を入れておくと、目先に変化がつくのと、合唱団員の負担が多少軽減されるということがあり、こちらから「入れましょう」と提案して入れてみました。歌い手や聴客のみならず、作曲者にとっても目先が変わって良かったと思います。13曲をずっと混声四部合唱で書かなければならなかったら、そのうち飽き飽きしたことでしょう。
 ちなみに物語は七夕牽牛織女のストーリーを少し洋風にアレンジしたもので、ソプラノというのはヴェガ(織女)、テノールはアルテオアルタイル=牽牛)、バリトンは天帝の使者という役柄になっています。ソプラノ・テノールの二重唱は、私が書きたいけれどなかなか書く機会のない、かなりベタなラブソングだったので、けっこう愉しみながら書きました。ただ歌詞の言語量が多いのには参りました。

 テキストの分量が非常に多いというのは、この作品について触れた時に何度か書きましたが、最初の2曲を書き終えた時点で、それだけで約15分を要することがわかって愕然としたものでした。しかも、その2曲の歌詞が特に長いということもなかったのです。このペースで行くと、単純計算で全部で90分を超えることになるのではないかと危機感を覚えました。
 すぐにテキストの作者である大川先生に連絡し、リフレインなどで繰り返されている言葉を省略するとか、あるいは段落ごとごっそり削除するとかして貰えるよう頼みました。繰り返しの省略は私の裁量でやって良いと許可を貰いましたが、テキストの削除になるとやはり作者としてはつらいものがあったことでしょう。テノール独唱曲があまりにも長くなりそうだったので、そこだけは是非にと願い、1聯まるごとカットしましたが、あとはなんとか短くする努力を私のほうでしてみました。2つの文を同時に別のパートで歌わせたりしましたが、そういうところはいささか聴き取りづらいのではないかと思います。
 幸い、3曲目以降は、そんなに長すぎる曲は無く、90分などということにはならずに済みました。しかし、Finale演奏時間測定ユーティリティで測ったところ、正味で60分ということにはなったようです。
 実際の演奏には曲間の間合いがありますし、一体に生演奏では遅くなりがちです。それにナレーションが入ります。実のところ、『星空のレジェンド』の作曲者として私に白羽の矢が立ったのは、『TOKYO物語』でナレーション付き合唱曲というものを作っていたために、こういうのが得意なんだろうと見込まれてのことでしたから、ナレーションは当然織り込み済みであったのでした。
 ある程度は曲にかぶせるよう指示しておきましたので、設定されているナレーションがすべて時間を食うわけではないのですが、それにしてもいろいろひっくるめて、10分や15分は余計にかかるでしょう。70〜75分というのが全曲上演時間になるのではないかと思います。大曲です。
 これだけ長いと、途中一度くらい休憩を入れるべきかもしれません。6曲目が終わったあたりで分けると、音楽の正味時間ではちょうど前後30分くらいずつになり、ちょうどいい按配でしょう。

 ダンシングチームが加わるという終曲は、われながらけっこうカッコ良く作れたので、さっきから何度もFinaleの試演機能で聴き返しています。楽器のほうには和太鼓とドラを加えましたが、もしかしたら楽器または奏者が調達できず、ボンゴとシンバルなんてことになるかもしれません。いずれにしろ、サンバ風のリズムに乗せて民謡っぽいメロディーを歌うという趣向で、最近の演歌に多い曲調とも言えます。
 ただこのサンバ風のリズム型、わりと近い過去に使ったような気がします。考えてみると、『セーラ』の第2幕の冒頭で、ほとんど同じリズムを用いていたのでした。使っている響きは違うものの、リズムは1箇所細かいところが異なっているだけです。同工異曲とはまさにこのことで、両方聴いた人には
 「あれ? これは……?」
 とバレるに違いありません。
 作曲時期が近接したり並行したりしている時に、どうしても陥りがちな罠ではあります。まるで傾向の違う作品であればそんなことも無いのでしょうが、両方とも音楽劇に類する作品で、音の感じはきつすぎず、ありきたりにもなりすぎず、「一般に親しめる」ようなソノリテ……ということになると、その中で特定のエモーション、例えば「喜び」とか「焦燥」とか「別離」とかを表現しようとした場合、傾向が似てしまうのは避けられないかもしれません。「どの曲もまるで違うのに、どれを聴いてもその人のサウンド」というのが、作曲家としては理想ではあるのですが、なかなかそううまくはゆきません。私などは

 ──聴くとすぐMICの曲だってわかるね。

 などと言われることが多いので、まだましなほうではあるでしょう。ただしどの辺が「MIC節」であるのかは、自分ではさっぱりわからないのですけれども。

 ともかく、大きな仕事がひとつ片づいてホッとしています。 

(2014.12.29.)

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