忘れ得ぬことどもII

人を食った話

 IS(イスラム国)に息子がつかまったクルド人の女性が、解放の交渉に出向いたところ、相手は意外にも穏やかで、煮込んだ肉とスープを出してもてなしてくれたそうな。
 さて食事が済んだところで、息子の居場所を訊いてみると、

 ──いまおまえさんが食った肉がそれだよ。

 と嘲笑された……という話が英国デイリーメール紙に載っていたそうです。
 デイリーメール紙はいわゆるタブロイド新聞で、英国では第2位の購読者数を持つ大新聞ではあるのですが、いささか大衆迎合的・扇情的なところがあって必ずしも信頼できる記事ばかりではないようです。この話なども真偽のほどは明らかでなく、ISならやりそうだというので誰かがネタとして作っただけかもしれません。
 ネタであって欲しいとは思いますが、もし本当ならこれほど残忍な話はありません。人間が人間を食うというのは多くの社会で最大の禁忌であり、そのこと自体がホラーの有力な題材になるほどです。
 しかもわが子の肉を食わされたとなると、気が狂ってしまってもおかしくはない話でしょう。

 「わが子の肉を食う」ということで思い出すのは、文王の故事です。文王は周が)を斃して天下を盗るためのお膳立てをした人ですが、商の紂王に疑われて獄に下されます。紂王のそばには、文王(当時は「西伯昌」)の長男である伯邑考(はくゆうこう)が近侍していましたが、紂王は残酷にも伯邑考を煮殺し、そのスープと肉を獄中の文王に食べさせたのでした。
 この逸話もまた、真偽のほどは定かでないのですけれども、いずれにしろ文王が紂王を憎むことは甚だしく、その憎悪は次男の武王に受け継がれてついに商を亡ぼすに至ります。
 実は、これに限らず、中国史には頻繁に人肉を食う話が出てきます。それらがすべて作り話であるとは思われず、中国に人肉食の習慣があったことは間違いなさそうです。常食にすることはさすがに無かったでしょうが、「非常食」としては人間は充分に食糧の一種として考えられていたふしがあります。
 そもそも「煮殺す」という刑罰が非常に多いのです。日本では石川五右衛門の釜茹での刑くらいしか例がありませんが、中国では、例えば楚漢戦争の頃だけで勘定しても、項羽関中に都を置くことを薦めた無名の男、劉邦の部将であった周苛(しゅうか)、同じく劉邦の使臣であった酈食其(れきいき)などが煮殺されています。後日、韓信の謀臣であった蒯通(かいとう)も劉邦に煮られかけて危うく助かりました。
 人間の処刑方法として、「煮る」というのはかなり非効率です。巨大な釜が必要であり、大量の水も必要であり、燃料もただ焼き殺すのに較べてずっとたくさん必要になります。処刑される者により多くの苦痛を与えるという意図があるのかもしれませんが、たぶんたいていの者はからだが茹で上がる前に心臓麻痺であっさり息絶えるでしょう。費用対効果を考えると無駄なこととしか言えません。
 にもかかわらず「煮殺す」刑罰が多いのは、そのあと「食べる」ためだったのではないかと思いたくなります。そういえば劉邦自身も、項羽に人質に取られていた父親を煮殺すと脅されて、
 「親父どのを煮殺したら、そのスープでも分けて貰おうじゃないか」
 と強がりを言いました。結局このとき父親は殺されずに済んだのですが、「人間を煮たあとそれを食べる」という前提が無いと、このセリフは出てこないでしょう。
 煮るだけではありません。古来からある「醢(かい)という処刑方法は、切り刻んで塩漬けにするというものです。人間を切り刻んで殺すのはまあ良いとして、それを塩漬けにするのはなんのためかというと、これまた「食べるため」としか思えません。実際、劉邦の同盟者であった彭越という将軍は、のち反逆をもくろんだというかどでこの「醢」に処せられ、ハムになって群臣に配られたのでした。
 三国志にもすさまじい話が出てきます。劉備が旅の途中にある郷士の家に立ち寄ったところ、その郷士は貧乏で劉備をもてなすことができず、仕方なく妻を殺してその肉を料理して劉備にふるまうのです。劉備は満腹して「いまのはなんの肉か」と訊ねたところ、上の事実を知ります。ここで日本人なら

 ──うげぇぇぇ~~っ!

 となるところですが、劉備は郷士の心意気に「感動」するのでした。そして筆記者も決して猟奇的な意図ではなく、「美談」としてこれを記しています。そして読む者も美談として受け取ってきたようです。人肉食が美談として成立しうる文化的背景が中国にはあるということです。

 西遊記には三蔵法師の肉を食いたがる連中が次々と登場しますが、これはまあ妖怪の話だからまだ良いとして、水滸伝はどうでしょうか。
 「旅人を殺して肉饅頭にして売っている」なんて手合いがぞろぞろ出てきます。108人の豪傑のうちにもそんなのが含まれており、ただその連中は「義人を殺さなかった」というだけで免罪されているらしく見えます。少なくとも、水滸伝の読者、あるいは水滸伝の芝居や講談の客たちは、それで免罪することに不自然さを感じなかったということになります。旅人を肉饅頭にすること自体は構わないのです。
 史書で籠城のシーンが出てくると、決まって「子を易(か)えて食う」という表現が出てきます。日本史上の籠城などはせいぜい数ヶ月で決着がついてしまいますが、中国の攻城戦というのは時に何年にも及ぶことがあり、当然ながら囲まれている城(中国やヨーロッパの場合は街そのものが城です)の中では食糧が欠乏します。そこで「非常食」としての人肉が登場するわけです。食べられるのは、戦いの役に立たない子供や女で、戦える壮丁はもちろん食べられません。自分の子はさすがに情が移って食べるにしのびないので、隣家の子と交換して食べるのを「子を易えて食う」と表現しているわけです。
 籠城シーンのいわば常套句であり、これが出てきたからと言って必ず人肉食がおこなわれていたかどうかはわかりませんが、読む者に違和感を覚えさせない表現であったことは確かで、それだから繰り返し用いられているのです。
 昔の話、とは言いきれないのが怖いところです。魯迅の処女作品「狂人日記」はまさにこの食人をテーマにしています。

 ──人間を食ったことのない子供は、まだ居るのだろうか?
  子供を救え……


 という幕切れの一節は、高校時代にこの作品をはじめて読んだ時から脳裡にこびりついています。
 この作品に出てくる「食人」は封建的因習ということの象徴的表現であり、もちろん本当に人間を食ったという話ではない、という日本の中国文学者の解説を読みましたが、その後、「中国の風習を知りもせずによく『もちろん』だなどと断ずることができたものだ」という、中国人論客からの反論も読んだことがあります。象徴などではなく、本当に「食べた」話なのだ、と彼は言うのでした。
 現代史の範疇に属する、大躍進運動文化大革命の頃も、都会から地方に追いやられた「下放青年」たちの多くが食べられてしまった、という噂もあります。大躍進運動は全土的な飢饉を呼び起こし、当時は食糧が絶対的に不足していました。餓死した者も何千万人となく居たと言いますから、古来の「非常食」が活用された村などもあったことでしょう。
 要するに中国人には、いまなお、「人間を食うのは禁忌である」というリミッターが薄くしか働いていないところがあるらしいのです。飢饉の村などに外国人が取材に入ったりするのはきわめて危険だというのが暗黙の了解になっているとも聞きました。

 人食い人種といえばアフリカの奥地とか南洋の孤島あたりにしか居ないように思えますが、すぐ近くの大陸に十数億というオーダーで存在していると考えると、かなりおそるべきことです。
 繰り返しますが、彼らといえども人肉を「常食」にしているわけではありません。ただ食糧が極端に欠乏した場合に、人肉を「非常食」として見る感覚をいまだ失ってはいないということです。
 もちろんわれわれとて、致命的に餓えた場合はどういう行動に出るか、それはなんとも言えません。しかし武田泰淳「ひかりごけ」とその元になった事件が、いまだに衝撃的に受け止められているのは、やはり日本の文化の中では「特異」と見なされる行為であったからにほかなりません。
 ちなみに「ひかりごけ」の主人公である船長が後日問われた罪は「死体損壊」で、刑は懲役1年でした。本人は「人を食べた者が懲役1年とは軽すぎる」と言い続けていたそうです。しばしば悪夢にも襲われていたようです。なお、食人が日本の刑法で裁かれたのは、これが史上唯一の例です。刑法の中に食人という規定が無かったので「死体損壊」で裁かざるを得なかったのでした。
 この船長は仲間を「殺して食べた」のではなく、死んだ仲間の遺体を食べただけだと主張しており、実際殺人罪には問われていません。それでも非常にショッキングな事件です。最近アンジェリーナ・ジョリーが撮った映画に、日本に食人の風習があるかのような表現があったそうですが、中国と混同しているとしか思えません。

 創作物における食人となると、これは猟奇的な興味ということになりそうです。すぐ思いつくのはダンセイニ卿の短編「二壜のソース」です。江戸川乱歩の選集にも採り上げられて、ミステリー好きには有名な小説ですが、野菜しか買わないのに肉料理用のソースをやたらと買う男の奇妙な振る舞いから殺人事件を看破するという趣向です。ネタバレになるので透明色で記しますと、

 男は同居していた若い女を殺し、その遺体を食べるために肉料理用のソースが必要だったのでした。男が日課にしていた必要以上の薪割りは、「腹をすかせるため」だったのです。

 いわゆる「奇妙な味」のミステリーとして極北ともいうべき作品でした。
 実は私もずっと昔、高校生の時に入っていた文芸サークルの会誌(自分の学校の文芸部などではなく、友人の学校のサークル会誌に外部会員としてときどき寄稿していました)に、食人ネタの短編を書いたことがあります。ロリコンネタとのコンボでもあって、われながらえぐい話を書いてしまったものだなあと思います。
 とは言っても、そういうネタになるということ自体、日本や西欧の文化では「人を食べる」というのが異常で戦慄的な、ありうべからざる出来事であるからです。常食だろうと非常食だろうと、食人文化があるところへ行けば、そんな話も「ふ~ん」で済まされるばかりでしょう。
 中東あたりは、はたしてどうなのでしょうか。旧約聖書でもコーランでも、

 ──人を食べてはならない。

 という戒めを読んだ憶えは無いのですが、「食べて良いもの」のポジティブリストはどちらの教典にもあったような気がします。人間がそこに含まれていなかったのは確かですが、さて……

(2015.3.4.)

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