節分の行事など、幼稚園くらいの頃以来、まるでやっていなかったのですが、マダムはそういう季節の風物詩にわりとこだわるたちで、結婚してからは豆まきなども復活しています。 もっとも大量の豆を勢いよく投げると、あとの掃除なども大変ですので、ほんのおしるし程度です。玄関やベランダに向けて、いちおう 「鬼は外」 と言いながらひとつまみ程度の大豆を投げます。家の中はまともに投げるとさらに収拾がつかなくなるので、こちらは殻つき落花生をパラパラと放って 「福は内」 と呟き、すぐに拾い集めて食べます。マダムはまだ齢の数といったことにこだわっていますが、私はもう無理で、齢の数だけ落花生を食べたりしたらおなかを下しそうです。 恵方巻きというヤツも、いちおう食べます。こんな習慣、ここ10年あまりのことで、昔はどう考えても恵方巻きなど食べませんでした。関西のほうの寿司屋が考案したと聞きますが、こんなことが全国的に流行してしまうのが不思議でなりません。 毎年算出される縁起の良い方角(恵方)を向いて、太巻きののり巻きを切り分けることなく1本食べるというのですが、そもそも太巻きにかぶりついて丸ごと食べるなどというのは見るからにお行儀の悪いことでもあり、食べているあいだ一切口を利いてはいけないというのも意味不明です。しかも、それが何か由緒ありげな風習でもあるかのように装っているのが、実に下劣であると思います。
だから恵方巻きなどまったく信用しては居ないのですが、まあのり巻きは好きですので、マダムの要望に従って毎年買っている次第です。店によっては足許を見てやたらと高い値段をつけていたりしますが、私らはよく、正月の七福神めぐりのあとにショッピングモールの中の回転寿司屋に行き、そこで恵方巻きを予約しています。その寿司屋は、値段はわりとリーズナブルなのでした。
近年はのり巻きだけでなく、ロールケーキであったり、サンドイッチであったり、いろんなものが調子に乗って恵方巻きを名乗っています。今日などは惣菜売り場の生春巻きのパックにまで「恵方巻き」のシールが貼ってあるのを見て、ずっこけそうになりました。生春巻きも夫婦揃って好物なので、マダムが面白がると思ってネタで買ってみましたが、通常より高くついたようです。
便乗商品がやたらと出るあたり、恵方巻きなるものがちっとも伝統と結びついてなぞいないことを逆に証明しているかのようです。はたして土用の丑の日のウナギのように定着するかどうか。
節分に退治される「鬼」ですが、その由来はどうもはっきりしないようです。
中国では「鬼」という文字は「亡霊」を意味します。あまり強そうな感じではありません。「鬼神」となれば多少神通力なども使えそうですが、単なる「鬼」だと、そこらをすすり泣きながら漂っているようなイメージであったようです。
その証拠というわけでもありませんが、「鬼才」という言葉があります。こんにちだと、超人的な技巧を持つ芸術家といった印象で、例えば私の畑であれば、ピアノの鬼才といえばまず連想するのはリストですし、ヴァイオリンの鬼才といえばパガニーニになります。普通の「天才」という言葉に較べても、何やら超越したような技倆と、そしてあくことなき精力のようなものを感じます。
しかし、本来鬼才という言葉は、ある漢詩人に冠せられた異名でした。中唐の詩人・李賀のことです。作風は怪異幽玄で、この世のものならぬ妖しさに満ちています。そしてわずか26歳で夭折しました。漢詩の世界で「鬼才」と言えばほぼ間違いなく李賀のことであり、この「鬼」はやはりどちらかといえば不健康な、亡霊、幽霊のイメージでしょう。
「鬼気迫る」という言いかたがありますが、これも本来は「死相が顕れたような」様子であって、オニのような形相ということではありません。日本語のオニに「鬼」の字を宛ててしまったので、いろいろイメージの混乱が起こったようです。
では日本語のオニは何かというと、「隠(おん、おぬ)」がなまった言葉で、「眼に見えない、この世のものならざる何か」を意味したという説が有力であるようです。しかし「隠」を「おん」と訓むのは、音読みのようでもあり、だとするとそれ自体が外来概念ではないかという気もします。
古くは「鬼」の字を「もの」と訓んだ形跡もあるらしく、これは「もののけ」の「もの」でしょうから、漢字本来の意味に近いかもしれません。
いずれにしろオニの語は、人に災いをもたらすものという意味合いとなり、平安時代ころの人がその姿を想像した結果、現在の鬼のイメージができあがったということでしょう。
なお、牛のようなツノを生やし、虎の皮のパンツを履いているのは、実は理詰めで導かれた設定です。風水説では艮(うしとら)の方位(=北東)を「鬼門」として忌みますが、「鬼」である以上、鬼門に含まれる「うし」と「とら」の属性を持っているに違いないというのが当時としての科学的な考察だったのでした。
ちなみに伝教大師最澄が比叡山にお寺を造る際には、都(平安京)の鬼門=北東側を仏法によって護るためという口実で、朝廷から建造費をだいぶ引き出しています。風水説による方位の吉凶など、仏教とは本来なんの関係も無いのですが、最澄はあえて俗信を利用したのでした。最澄という人、空海などと並べると、ひたすらマジメで俗気が少ない坊さんのように思えてしまいますが、どうしてどうしてなかなかシタタカな人物であったようです。
「うし」と「とら」の属性を併せ持つとなると、「うし」の属性としてはやはりツノが特徴的でしょうし、「とら」ならあの縞模様が真っ先に浮かびます。かくして牛のツノと虎のパンツを身につけた鬼の姿が調えられます。そうしてみると、なんとも実に強そうです。虎の皮でパンツを作るのですから、きっと虎よりも強いのでしょう。
かくして、筋骨隆々、赤銅色の肌、そして金棒をたずさえた鬼のヴィジュアルが完成しました。こうなってみると、李賀の病的イメージとはまったくかけ離れたものになってしまっています。
しかしながら、まるっきり人間の手に負えない絶対的な存在ではないところが、鬼の愛嬌のある点でもあります。勇気のある、強い人間にはかなわないのです。平安時代の説話の中でも渡辺綱に退治されていますし、その後の草紙でも桃太郎に退治され、一寸法師にも退治されました。日本において「鬼退治」は勇者の証みたいなものになっています。西洋における「龍退治(ドラゴンスレイヤー)」に相当するでしょうか。
退治されるとなると同情する人が出てくるのも日本らしいところで、濱田廣介の「泣いた赤鬼」みたいな物語が小学校の教科書に載ったりします。子供の頃にこの話を読んでしまうと、鬼というのは、怖いけれどもどこか哀しさをおびた愛すべき存在というようなイメージができてしまい、ただただ災厄をもたらす妖異のものという、本来の印象からはさらに離れてゆくことになります。
節分の豆まきでも、神社によっては
「福は内、鬼も内」
と、鬼を救済するかのようなかけ声をかけるところもあるとか。「鬼は外」というときの鬼は、どちらかというともともとの「隠」というか、病気、事故、災害といった「人として避けたいこと」を意味していると思うのですが、ここでは桃太郎や一寸法師に退治された、人格を持つ一種の妖怪としての「鬼」を考えているのでしょう。西洋の説話で言うオーガやトロルに対応するような存在ですね。
病的で怪異幽玄な作風の夭折詩人・李賀を指す異名であった「鬼才」も、なんだかバリバリと精力的に仕事をこなしてゆく鉄人みたいなイメージの言葉になってしまいました。日本では「鬼」はすっかり「強さ」の比喩のようになったのです。
戦国時代にずば抜けた精強さを誇った島津家の軍団は「鬼島津」と呼ばれました。「鬼武蔵」と呼ばれたのは織田信長の部将だった森長可で、たいへん勇猛な若武者でした。上杉家の部将である小島貞興も、そのすさまじい武勇から「鬼小島」とあだ名されました。その他にも「鬼」とあだ名された武将や剣豪は何人も居ましたが、いずれもその強さや勇気に対する畏敬の念を込められての命名でした。
現代でも「鬼コーチ」「鬼軍曹」などと言います。びしびしと手加減無くしごいてくる厳しさが感じられる言葉です。しかし決して悪口とは言えません。やはりそこにあるのは畏敬の念でしょう。「鬼嫁」となると若干微妙ですが。
中国では「鬼」はいまだに「亡霊」「死霊」といったイメージの言葉のままです。このイメージの差によって、数年前、日本と中国が尖閣諸島問題で一触即発みたいな空気になった頃、面白いことが起こりました。
中国語で「鬼」というと、上記のイメージのために、他人に対する蔑称としても使われます。ゾンビかグールのように、墓場から蘇ってきたみたいなおぞましいヤツという意味合いになります。それで戦争中には、憎き日本兵のことを「日本鬼子(リーベングイツ)」と呼んだものでした。
このところ中国のテレビなどで量産されている「抗日ドラマ」のたぐいにより、このリーベングイツという言葉は現代の中国人にも親しいものになっています。それで、摩擦が強くなったときに、中国のインターネット掲示板などに、この日本鬼子という文字が頻出したのでした。彼らにとっては、最大限の侮蔑を込めた呼称であったようです。
対する日本のネット民は、これがハイレベルの蔑称であることを百も承知の上で、なんと「日本鬼子」を「ひのもと・おにこ」なる萌えキャラ美少女にしてしまったのでした。ひとつには「鬼子」などと呼ばれても日本人はちっとも侮辱されたようには思わなかったという事情があります。上記のとおりイメージの差があって、日本では決して「鬼」は悪い意味ばかりではなかったのです。それで、
──連中が「日本鬼子」と検索したら、萌えキャラばかりヒットする間抜けな状態にしてやろう!
と提唱する人々が現れ、それがけっこう「プロ絵師」なども巻き込んだ一大ムーブメントとなり、海外のメディアなどにもあきれ半分、感心半分で紹介されたりしました。あきれ半分のほうは、こんなことまで萌えキャラにしてしまう日本人はまったくイカれてる、という反応であり、感心半分のほうは、侮蔑への反撃としてこれほどスマートなやりかたがあったろうか、という称賛でした。
現在でも、「日本鬼子」と検索すると、紅葉柄の和服を着て薙刀を構えたような、角の生えたかわいい女の子のイラストが大量にヒットするはずです。鬼子ちゃん登場から何年か経って、当時の事情を知らない中国のネット民が、
──日本人は「日本鬼子」という言葉を誤解してるんじゃないのか?
といぶかしむほどの事態になっています。「日本鬼子萌えキャラ化プロジェクト」はまあ大成功をおさめたと言って良いでしょう。
人の眼に見えない、この世のものならぬ不気味な災厄である「隠」から、「鬼」は日本独特の豊饒なファンタジー世界の中で、しっかりと血肉を備えたキャラクターに変化してゆきました。民俗学などの立場からは、またいろいろと解釈があるでしょうが、とにかく現代のイメージでの「鬼」は、災厄をもたらすものであると共に、強く頼もしい存在という一面もあり、これからも人間が「恐れと親しみと畏敬」を同時に抱く対象として活躍してゆくことになるのではないでしょうか。
(2016.2.3.)
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