忘れ得ぬことどもII

英国料理を考える

 前にも紹介したことのあるエスニック・ジョークで、

 ──男の幸せは、アメリカ人並みの給料を貰い、英国式の家に住み、日本人の妻をめとり、中国料理を食べること。
 ──男の不幸せは、中国人並みの給料を貰い、日本式の家に住み、アメリカ人の妻をめとり、英国料理を食べること。

 という有名なのがあります。
 はたしてアメリカ人の妻をめとることがそんなに不幸なのか、日本式の家がそんなに住みづらいのかと、いちいちツッコミだすときりがなくなるのですが、まあなんとなく全体としては「あるある」と言いたくなるようなところがエスニック・ジョークというものです。
 それぞれのディテールにはいろいろ意見したいところがある人も多いかもしれませんが、この中で「英国料理がマズい」という点だけは、わりと誰もが同意するところであるように思えます。

 どこそこの料理がおいしい、あるいはマズい、という定評が生まれた場合、たいていは
 「いやいや、それほどのことはないよ」
 とその定評を否定する人が出てくるものですが、
 「いやいや、英国料理だってけっこうイケるよ」
 と擁護する人には、滅多にお目にかかれません。
 マダムは南仏に留学していたほか、ヨーロッパの国を何箇国か訪ねたことがあり、英国には兄さんの結婚式のために行ったことがあるようです。彼女は、どこの国へ行っても、料理をマズいと思ったことが無いというのが一種の自慢であるようで、珍しく
 「英国の料理だって、おいしかったよ」
 と言っていたのですが、よく聞いてみるとロンドンで食べた中華料理の話であったりしました。そういえば「英国の料理」とは言っても「英国料理」とは言っていなかったっけ。
 熱々のフィッシュ・アンド・チップスはなかなかうまい、という人も居ますけれども、われわれの感覚からすると脂っこすぎるきらいがあるようです。そもそも揚げ物に揚げ物を添えるというセンスがよくわかりません。
 それなりにちゃんとした店のローストビーフなどなら、まあ食べられるのではないかと思うのですが、肉の焼きかたはともかく、ソースの味がお粗末なところが多そうです。

 「英国に留学した姉からの悲痛なLINE」というのがネットで話題になっていたので、あらためて英国料理の味について考えているのですが、私は英国に滞在したことが無く、自分の実感としては何も言えません。
 ただアングロサクソンが大量入植したカナダには滞在したことがあり、そこの料理がぱっとしなかったのは確かです。牛肉の味なんかはもともと期待していませんでしたが、少しはおいしいだろうと思ったサケなんかも、どうもスチームでもして脂っ気をすっかり抜いてしまっているようで、さっぱりでした。何かこう、わざわざ味が落ちるような調理法を選んでいるとしか思えないような状態だったのでした。
 アングロサクソンというのは舌の上の味蕾(みらい)の数が少ないので、味がよくわからないのだと聞いたことがありますが、さもあろうと思ったものです。ただしこの説が正しいのかどうかは知りません。
 さて英国留学した気の毒なお姉さんの嘆きは、

 「ご飯が……死ぬほど……不味い……」
 「デザートが……死ぬほど……甘い……」
 「肉が……ケモノの……味がする……」
 「今日のご飯は……洗剤の……味がした……」

 といったところからはじまり、

 ──キットカットは日本でも売っているから大丈夫かと思ったら、甘すぎる。
 ──果物ならと思い、大好きなイチゴを買ったら、農薬の味しかしない。
 ──オレンジジュースは甘すぎる。
 ──グレープジュースは味がしない。
 ──マクドナルドのフィレオフィッシュは酸っぱい。
 ──マクドナルドのアップルパイは甘すぎ。

 と、次々に選択肢を失ってゆくのでした。
 贅沢言うな、と言いたくなる人も居るでしょうが、食べ物が合わない場所で暮らし続けるのはやはりかなりのストレスです。
 探せば口に合うものも少しはありそうですけれども、このお姉さんの場合、キットカットやマクドナルドなど、日本でも同じものがあるというので同じ味を期待して裏切られているのが哀れですね。キットカットにしろマクドナルドにしろ、日本法人独自のカスタマイズが相当されていることを知らなかったのでしょう。

 まずデザートや菓子やジュースが「甘すぎる」件について。
 はっきり言って、「甘さ控えめ」が売りになるのは、世界広しといえども日本だけです。
 ごく近年になって、ようやくフランス、イタリア、ベルギーあたりで、日本流の「甘さ控えめ」のおいしさというものが理解されはじめたようですが、それまではどこの国でも「うまさ=甘さ」だったのです。甘いものは、甘ければ甘いほど可、なのでした。
 南イタリアのアーモンドの菓子など、ひとくち食べただけで頭が痛くなりそうなとんでもない甘さです。
 味覚に繊細とは言えないアングロサクソンのデザートが甘すぎるのは当然で、彼らは「甘さ控えめ」の微妙な味わいを楽しめるような感覚を持っていません。上記の説どおり味蕾が少ないのだとすると、日本の「甘さ控えめ」の菓子などを食べても、それこそ「味が無い」としか感じないかもしれません。

 肉の「ケモノの味」ですが、まあ肉本来の味がそれだとしか言いようがありません。日本でも、USA産、オーストラリア産などの牛肉を、分厚いステーキなどの形で食べると、和牛を食べるときには感じない獣臭さを感じることがあります。羊肉を好まない人が多いのもそのせいでしょう。マダムはラム(仔羊)が好きでマトン(成羊)は苦手だと言っていますが、マトンのほうが獣臭さが強くなっているので、それもわかります。
 和牛にしろ和豚にしろ、実に注意深く、臭みを感じさせないような肉に育てているわけで、そういう国産食肉に馴れていた人が海外へ行って肉を食べると、どうしても獣臭さが鼻についてしまうでしょう。
 さらに、上にも書きましたが、ソースの問題があります。
 フランス料理などはいわば「ソースが命」であって、シェフがいちばん手間暇かけるのがソースです。その点、食材の吟味と加工を第一とする和食とは異なります。フランス料理では、料理を食べたあとに皿に残ったソースをパンで拭き取って食べるのは決してお行儀の悪いことではなく、シェフへの称賛を意味する行為となっています。
 しかし英国料理は、なんと言ってもソースが貧弱と言えましょう。グレイビーソースとウスターソースくらいしか無いのではないでしょうか。
 英国で過ごした人に聞くと、閉口するのはやはり、料理に「味がついていない」ことだと言うことが多いのです。テーブルに塩や胡椒のビンが置いてあり、客の側が好きな味をつけて食べろ、というスタンスらしい。
 ローストビーフにしても、焼く前に表面に振り塩をしたりすることは少ないのではありますまいか。だとすると、肉から出てくるグレイビーソースも、あんまり味が無いと思われます。食べる前に塩を振っても、肉の味と塩っ気がほどよく融け合うということはなさそうな気がします。
 調理法からしても、「ケモノの味がする」のは無理もないことと思われるのです。

 マクドナルドのフィレオフィッシュが「酸っぱかった」のは不思議な気がしますが、フィッシュ・アンド・チップスのスタンドにはたいてい酢が置いてあるようで、揚げ物に酢というのが彼らの標準的な味つけなのかもしれません。それでフィレオフィッシュも、あらかじめ酢の味がつけられていた可能性があります。これは、最初はびっくりしますが、馴れると案外イケてくるのかもしれないな、と思ったりします。
 そういえばわれわれも、フライやカツにレモンをかけることは普通にやっています。天ぷらにゆず塩という組み合わせも珍しくはありません。揚げ物に酸味を加えるというのは、日本人にとっても決して突飛なことではないのでした。柑橘類ではなくていきなり「酢」というのが英国人の大雑把なところですが、そう考えてみれば「酸っぱいフィレオフィッシュ」も理解できるし、人によっては病みつきになることもあるかもしれません。

 洗剤や農薬の味というのはちょっと困ったものですが、洗剤や農薬をなめてみたことがあってそれに近かった、というのではないでしょう。ちょっと薬臭い感じだったのだと思います。
 日本では、最近ではほとんどやる人が居ないと思いますが、台所洗剤で野菜や果物を洗うというのは、昔はけっこうおこなわれていました。テレビの台所洗剤のコマーシャルでも、果物を洗っているカットが含まれていた記憶があります。
 基本的には、少しばかり摂取しても害にはならないように作られているはずですが、われわれの感覚では、野菜や果物から洗剤の匂いがしては、ちょっと食欲が失せるのも事実です。しかしたぶん、英国人にはさほど気にならないのでしょう。味蕾少数説が信憑性をおびてきますね。
 農薬のほうは……よく洗って召し上がってください、としか言えなさそうです。

 かように万人が認めるような英国料理のマズさなのですが、ディケンズクリスティの本を読むと、これがまた実においしそうに描写されているので驚きます。これが作家の筆力というものなのだと強引に納得させられます。
 ヨークシャー・プディングやらデヴォンシャー・クリームやら、本で読むだけだった頃はどんな御馳走だろうかと心ときめかしていましたが、実物を知ってがっかりしたものでした。
 それらの本がテレビドラマなどで映像化されたものを見ても、文章を読んで想像していたものよりはどれもマズそうに見えるのが常です。
 先日LWT制作の『名探偵ポワロ』「ヒッコリー・ロードの殺人」を見ていたら、原作からちょっと改変されており、原作には出てこないジャップ警部が登場しました。で、奥さんがしばらく留守にするというのでポワロの家にしばらく居候することになります。警部は喜ぶのですが、ディナーに出される料理が口に合わずに閉口している様子です。それでも量だけは食べているらしいのですが……
 最初の晩はポワロが「母から教わった秘伝の料理」として豚足の煮込みを披露し、警部をぎょっとさせます。次の晩には今度はミス・レモンが腕をふるい、舌平目のムニエルを作るのですが、警部はうんざりした顔をしています。
 ラストシーンで、警部はさんざん世話になったからとポワロを自宅に誘い、食事をふるまおうとします。
 「これこそイギリス式の男の料理ってもんですよ」
 と警部が作ったのが、レバーの肉団子、マッシュポテト、それに茹ですぎた豆(これも英国料理の定番ですね)の盛り合わせで、今度はポワロが怖じ気をふるい、レバーのアレルギーがあるからと遁辞を構えて辞退するのでした。
 原作にはまったく無いくだりですが、なかなか笑えました。制作者側も、英国料理のマズさというものをなかば自虐的ユーモアとして扱っていた気配があります。
 おまえの国の料理はマズい、とあちこちから言われて、
 「いやそんなことはない」
 「何を言うんだ失礼な」
 などと否定したり憤慨したりするのではなくて、
 「おうマズいとも。それの何が悪い?」
 と開き直って笑い飛ばしてしまうのが、さすがにユーモアの国・英国らしいところですね。

 ──英国男子は、食べ物の味のことなどを論じるのは男らしくないと考えていたので、あまり料理の味が発達しなかったのだ。

 と好意的に書いた本も読んだことがありますが、いかがなものでしょうか。それを言うなら昔の日本男子だって似たようなものだったはずです。
 やはりアングロサクソンの味蕾は少ないのではないでしょうか。
 私が思うに、ゲルマン民族もさほど味がわからない人々であるような気がします。
 「ソーセージのスパイスの配合なんか何千種類もあるんだぜ。ドイツ人が味覚音痴だとは言えないんじゃないか」
 と言った知人も居ましたけれども、各家庭または各店で、ありあわせのスパイスを使ってソーセージを作ったら、まちまちの配合のものができてしまったというだけのことではないかと私は疑っています。少なくとも、食べることにさほど執着のない民族であることは間違いないと思います。
 ヨーロッパではやはりラテン系がいちばん味覚が鋭いでしょう。
 しかしそれも、アジア人種と較べれば平凡なレベルと言えそうです。東南アジアだけでも、ヴェトナムタイカンボジアなどの料理の味の独自性、発展性は、それぞれにフランス料理に優るとも劣らぬものがあると思いますし、さらに中華料理・日本料理が控えています。
 他のことはともかく、こと味覚文化に関しては、圧倒的に東高西低と言わざるを得ません。

(2016.2.26.)

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