忘れ得ぬことどもII

桜の随想

 今年は花見らしい花見をしませんでした。そもそも今年の桜は例年と少々異なって、いつの間にか咲き出して、個体によって盛りがまちまちだったりしたようです。私の家から駅に向かう途中の若木にしろ、買い物や教室への行き来によく通る道の桜並木にしろ、早いものは3月はじめあたりからもう咲き始め、3月半ばにはすでに葉っぱが出てきていました。天候が不安定だったせいもあるだろうと思いますが、なんとなく足並みが揃わない感じでした。
 マダムと私のスケジュールもなかなか合わず、花見に行こうという話はちょくちょく出ていたものの、結局実行に至りませんでした。埼玉県幸手というところで、桜と菜の花が同時に愉しめるという場所があるらしく、マダムが行きたがっていたのですけれども、いろいろあって日程がとれなかったのでした。
 まあ、あらためて花見というイベントを用意しなくとも、桜の花はあちこちで見ることができます。上に書いた駅までの道の並木はまだ若木で、花もちょぼちょぼですが、それはそれで微笑ましい光景だったりします。あと10年もすれば立派な並木になるでしょう。ただ、その道はビル風がひどく、雨のときなど傘を壊してしまう人が続出するような有様なので、桜の花もすぐ散ってしまいかねません。
 私の家の近くには小学校が3つ4つあり、小学校の前の道にはたいてい桜並木が植えられています。上にもうひとつ書いた、教室への行き来で通る道もそのひとつです。自転車に乗れば、それらを見てまわることも簡単です。

 それから川口駅西口公園があり、ここはすでに近隣にはよく知られた花見スポットになっています。駅の西口側には、公園から離れた場所にも見事な桜の樹が並んでいます。もし将来、湘南新宿ラインが川口駅に停車することになったとしたら、プラットフォームを作るためにそれらの樹々は伐られるか移されるかせざるを得ず、そのために停車を反対している人も居るようです。
 少し足を伸ばせば、飛鳥山公園もありますし、そのふもとを流れている石神井川の沿道にも見ばえのする桜並木があります。去年は石神井川のほとりを歩いてみました。
 何百本という並木が一斉に花開いて、桜のトンネルになっているような様子も圧巻ですが、大木が一本だけ立って、それが満開になっているのも悪くありません。Chorus STの練習を田端でやっていたころ、練習後によく立ち寄っていた飲み屋があって、その店の前にそんな老木がありました。満開の時期には、店の外に椅子を出して花見をしたりしたものです。

 日本人が桜を珍重するようになったのは、平安時代の中期くらいからだったでしょうか。
 それまでは、むしろ梅が花の王者の地位を占めていたように思えます。菅原道真が愛したのも梅の花でした。平安時代前期くらいまでは、美意識そのものが中国からの輸入ものだったみたいなところがあります。中国・唐朝では、とにかく梅が重んじられていましたので、日本でもそれを真似したのでしょう。
 その後、国風文化の興隆と共に、桜が人気を得るようになりました。小野小町

 ──花のいろはうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

 は明らかに桜をうたっており、しかも早くも桜の花の盛りの短さを主題にしています。平安晩期の西行法師になると、

 ──願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

 と詠み、自分の生死を桜に重ねるまでになりました。なお西行法師は本当に旧暦2月16日(ほぼ望月=満月のころ)に入寂したと言われています。
 桜が鎌倉武士にとりわけ愛されたこともよく知られています。当時の武士の美意識の最たるものであった「潔さ」を体現しているように思われたのでしょう。
 彼らの頃は、まだ現在のソメイヨシノなどの品種ではなく、山桜寒桜などが主でした。ソメイヨシノほどたくさんの花をつけるわけではありませんし、いまのように街中のどこででも見られたということもありませんでした。街中だとたいてい寺院の境内などに植えられており、野生のものは少し郊外に出て丘陵地帯などに行かないと見られなかったはずです。「花見」が春の「イベント」として確立したのは、そういう条件下でちょっとした「遠足気分」があったからかもしれません。
 路傍の並木として桜を植えるようになったのは江戸時代に入ってからでしょう。街道が整備されないと、なかなか並木を植えるということにはなりません。
 江戸時代に入ると、品種改良なども盛んにおこなわれるようになりました。ソメイヨシノは幕末期になって出現した、いわば園芸品種の最高傑作です。一本の樹に咲く花が飛び抜けて多量で、葉が出る前に満開となり、しかも若木の頃から花を咲かし、育てやすいこともあいまって、爆発的な人気を得て日本中に弘まりました。
 ただし遺伝子上の理由で種子から育てることはできず、すべて接ぎ木、つまりクローンによって増やしています。日本各地で花を咲かせているソメイヨシノは全部、幕末期に作られた1本の樹のクローンということになります。USAワシントンDCに贈られ、ポトマック川で見事な花を咲かせているソメイヨシノも同様です。

 ところでネット上では、桜の季節になると年中行事みたいな話題が湧き起こります。韓国によるソメイヨシノ起源説です。
 彼らがどうしてそんなにソメイヨシノの起源にこだわるのかよくわかりません。どうも、日本のもので世界的に評価されているものは、なんでも韓国が起源だということにしないとおさまらないかのようです。他にも茶道、盆栽、剣道、侍、折り紙、タクアンなど、ほとんど実証の無い韓国起源説は無数にあり、ネットではウリナラ起源説と呼ばれて冷笑されています。
 ネット民が妙な主張をしているだけではなく、れっきとした大学教授や大新聞が大まじめに論じているのが異様なのでした。とりわけソメイヨシノに関しては、毎年春になると執拗に同じ論調の記事や論文が発表されます。まさに年中行事です。
 それによると、ソメイヨシノは済州島に自生する「王桜」が起源であるとのこと。そして例によって、日帝併合期にこの王桜を奪ってゆき、品種改良してソメイヨシノを作り、それをあたかも日本原産のもののような顔をしてあちこちに植えまくっている、なんという厚顔無恥か……という具合に話が進んでゆきます。
 ソメイヨシノが生まれたのは併合期より半世紀以上前のことですし、その「親」となったのはエドヒガンザクラオオシマザクラの可能性が高い(この種の園芸品種では「絶対」ということは言えないようです)こともわかっており、王桜とはDNAが異なっていることもしばらく前に立証されたはずなのですが、聴く耳を持ちません。
 もうとっくに結論が出ているものを、なぜそう毎年言いつのるのか、私も不思議に思っていましたが、どうやら元兇は翻訳の問題らしい。
 つまり、王桜のことをハングルでは「왕벚나무(ワンポンナム)と言うらしいのですが、どうしたわけだかソメイヨシノのことも、まったく同じワンポンナムと訳されているそうなのです。だから韓国の学者や記者は、自分が王桜のことを論じているのかソメイヨシノのことを論じているのか、ちゃんと判別できていないのではないかと思われるのです。おそらく、彼らからしてみると、日本人が「王桜」を自国の代表的な花のように言い張っている、ように思えてしまっているのでしょう。いくら日本人が

 ──王桜とソメイヨシノは別物だよ。

 と説明しても、翻訳された場合には、

 ──ワンポンナムとワンポンナムは別物だよ。

 という文になってしまい、「何をわけのわからんことを言っているんだ」といきり立つはめになるのではないでしょうか。
 だとしても、学者や記者の誰ひとり、ハングル以外の文献を参照しようと思わないのだろうか、と不思議に思います。
 年中行事のソメイヨシノ起源説、放っておいても良いようなものですが、近年はそう呑気に構えても居られなくなりました。USAの韓国系の連中が、ポトマック川の桜が「韓国起源の王桜」であると主張しはじめており、毎年おこなわれている桜祭りで日本ばかりを取り上げるのは不都合であると言いつのっています。下手をするとフランスジャパンエキスポ同様、祭りがだんだん乗っ取られてしまうかもしれません。

 ソメイヨシノのみならず、「花見」の起源も韓国であるという主張がありますが、むろんのこと文献資料は全然ありません。朝鮮半島最初の歴史書である「三国史記」が編まれるよりずっと前からわれわれが桜を愛していたことは確実です。桜を詠んだ歌がいかに多いことか。
 ソメイヨシノが日本で作られた園芸品種であるという事実を譲るわけにはゆきませんが、桜全般について言えば、別に日本原産とは誰も言っていません。おそらくチベットかヒマラヤか、そのあたりが原産で、世界中に弘まったのだろうと考えられています。
 ジョージ・ワシントンが桜の樹を伐り倒したエピソードは有名ですが、あの桜はアメリカ大陸に自生していたものでしょう。
 ほら男爵ことミュンヒハウゼン男爵のエピソードにも桜がからんだものがあります。狩りの途中、大きな鹿を見かけた男爵でしたが、あいにくと弾丸を切らしてしまっていました。そこでやむを得ず、弁当に持ってきていたサクランボの種を銃に詰めて鹿を撃ったところ、確かに眉間に命中したはずなのに、鹿は悠然と森の奥へ消えてゆきました。数年後、男爵はまたその鹿に出会ったのですが、あのときのサクランボの種が芽を吹き生長し、鹿の双角のあいだから見事な桜の樹が生えていました。そこで男爵は今度こそその鹿を仕留め、夕食にはたっぷりのチェリーソースをかけた鹿肉のステーキを召し上がったとか。
 欧米では、桜は花を愛でるよりも、果実であるサクランボを収穫することが主目的の植物だったかもしれません。しかし頭から桜の樹が生えるというホラ話は、落語の「あたま山」にちょっと似ていますね。ナンセンスさでは「あたま山」のほうがほら男爵よりもまさっているようです。
 とにかく、桜にまつわるエピソードは各国にあるにせよ、桜が歴史を通じて、あらゆる文化の多層にわたって入り込んでいる点では、日本を凌駕する国や地域は無さそうです。
 特にどこかへ出かけなくとも、日常生活の中でたいていの人が満開の桜を愉しむことができるなんてのは、考えてみればすごいことです。秋の紅葉の場合はこんなわけにはゆきません。桜はやはり、日本人の心にもっとも寄り添った花なのだと思います。

(2016.4.7.)

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