忘れ得ぬことどもII

大量殺人

 相模原市の障碍者施設での19人もの大量殺人は衝撃的でもありますし、なんともやりきれない気分にさせられる事件でもありました。
 ひとりの人間がいちどきに殺害した人数としては、平成になって最大ということになるそうです。死亡者のほかにも26人の負傷者が出たことを勘定に入れると、一犯人による被害の大きさとしては戦後最大とも言われています。
 まあ、先日のニースのトラックテロの規模には到底及びませんし、USAでちょくちょく(?)起こっている銃乱射事件などでも、20人、30人という死者数になることがそう珍しくはありませんから、世界的に見ればこれでもおとなしいほうなのかもしれませんが、「あの日本で?」というショックからか、海外でも大きく報道されているようです。
 被害者の数もさることながら、障碍者施設に侵入して、ほぼ無抵抗の障碍者たちを殺戮したというのがなんともやりきれませんし、犯人がそれを一種の「思想」のもとに「確信をもって」おこなったらしいというところにも、どうにもならない暗鬱さを感じずには居られません。
 この犯人は、かつては──というかつい半年前まで──この施設で職員として働いていた人物であったそうです。フェイスブックに載せていたという写真を見ると、眼にはっきりと異様な光が宿っており、なんらかの執念にとりつかれるとそこから容易に抜け出せないたちの人物であろうことが予想されます。

 この男は、今年(2016年)の2月14日(バレンタイン・デイですね)に衆議院議長の公邸を訪れ、警察官に異常な手紙を手渡して去るという行動をしています。

 ──私は障害者総勢470名を抹殺することができる
 ──目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です


 といった内容が書かれていたそうです。同様のことを勤務中に同僚にも口走り、事情聴取した警察には

 ──大量殺人は、日本国の指示があればやります。

 と答えていたとか。
 明らかに発言がおかしく、市職員が面談し、他害のおそれが強いとして措置入院。検査してみたところ、大麻(マリファナ)の陽性反応が出たそうです。
 ところが、わずか12日後に退院してしまい、そのあとの行動は把握されていませんでした。
 退院させた医師も、退院後の監視を怠った行政も、おまえは馬鹿かと言いたくなるようなていたらくですが、これはむしろ法の不備であったようです。
 措置入院というのは、精神に異状が認められて他の人を害する危険性があるというときにおこなわれるものですが、当然ながら完治するまで出てこられないだろうとわれわれ素人は考えています。ところが、措置入院者の退院については、その病院の誰かひとりの医師が「もう危険性は無い」と判断すればそれで通ってしまうそうです。本当に退院させて良いものか、複数の医師による検討会が持たれるというようなことも無いのでした。
 精神疾患というものが、肉体疾患よりも診る医師によって判断がばらつくだろうということは、素人でも想像がつきます。だから退院させるにあたっては少なくとも数人の医師による検討がおこなわれるはずだ……と考えたくなりますが、そうではなかったわけです。なんというか、がっかりです。
 さらに、退院後のフォローが不充分であるということは、今回に限った話ではありません。過去にも、かつて精神病院を退院した者が重大な事件を惹き起こしたという例はたくさんありました。どうして野放しにしておいたんだと言いたくなりますが、退院患者をフォローするという法的な責務が、病院にも行政にも課されていなかったらしいのですから、話になりません。
 素人考えかもしれませんが、精神の異状が10日や半月ばかりで完治するわけがないように思えます。退院させたのは、完治したからではなく、あくまで「他人を害する危険性が薄くなった」と判断されたからに過ぎないわけです。その時点での判断が、何ヶ月後、何年後まで有効であるはずはありません。退院後に悪化することだって充分にあり得ます。
 だからこそ、たとえ退院させても、当分は通院させて様子を見るとか、悪化が見られたら再度の措置入院をさせるとか、きちんとしたフォローが不可欠でしょうに、それを定めた法律が無かったというのは立法の怠慢としか言えません。
 もちろん、病院にも役所にも、そんなことに割ける人員も予算も無いというのが本音でしょう。また、退院した者をずっと監視するのは、なんとなく精神疾患者を差別しているようで気が引けるという心理もあるのかもしれません(立法化されなかったのもそれが原因かもしれませんね)。
 しかし少なくとも、措置入院させた患者の退院後フォローくらいは、なんとかして貰えないものかと思います。

 衆議院議長への手紙や警察での発言を考えると、

 ──この世で正常な生活を送れない障碍者は、早くあの世へ送ってあげるのが正しいことだ。

 というのが彼の思想というか信念であったことは間違いなさそうです。彼が当初どんな考えを持っていたのかはわかりませんが、施設に勤めて、意思の疎通もままならない重度の障碍者と接するうち、

 ──彼らは、死んだほうが幸せなんじゃないか。

 という気持ちが芽生えてきたことは想像できます。「抹殺することができる」「国の指示があればやる」という書きかた、言いかたには、それが悪いことだとはまったく思っていない、むしろそうすることが障碍者への慈悲であると考えているようなふしが見られます。
 もちろん、こんな考えは、ひとりよがりで傲慢なものですし、たとえ「死んだほうが幸せ」であることが本当だったとしても、彼個人が手を下す根拠はどこにもありません。しかし、障碍者たちの世話をする上で、一種の全能感というか、超越者感が生まれてきたとも考えられます。これはしばらく前にあった、川崎の養護老人ホームでの連続殺人の犯人にも通じる感覚ではなかったかと思います。
 「自分が居なければこの者たちは生きてゆけない」という感覚は、良いほうへ働けばこの上ない慈愛となりますが、悪いほうへ働けば他人の運命の糸を握っているような全能感に結びついてしまう危険性を秘めています。これから介護職に携わる人々は、そういう自分の心の傾きに注意しなければなりません。
 同じように人の生命を預かる看護師には「ナイティンゲール誓詞」というものがあり、看護に携わる者の必須の心得が箇条書きで記されています。看護学校では、まずこの誓詞を徹底的に叩き込まれます。看護師は、これによって自らの心が危険な傾きをおびることを防止しています。
 しかし、介護士にはいまのところ、おそらくこれに対応するような規範が無いでしょう。ナイティンゲール誓詞に相当する絶対規範を早急に確立しないと、川崎や相模原のような事件は今後も起こり得ると私は思います。

 ちなみに障碍者(肉体的にせよ精神的にせよ)を政策として抹殺しようとしたのがナチスでした。健康で優秀な血を後世に残すというのがナチスの信念であり、そのためには不健康で劣等な(と彼らが考えた)者たちを排除すれば良いと考えたわけです。ユダヤ人抹殺は、その優生政策の一環でした。
 今回の犯人の根源的な考えかたはまだわかりません。もしかすると、

 ──彼らは、生きていてもかわいそうだ。

 という同情心から出発しているのかもしれません(その同情心自体が充分傲慢ではありますが)。
 しかし、結果としてはナチスの優生政策と同じところにたどり着いてしまっています。このことは、充分に考えるべき事項であるように思えます。

 いずれにしろ、障碍者をあの世へ送るべきだというのがこの犯人の思想であり、妄執でもありました。
 措置入院を担当した病院は、この妄執が完全に消え去るまで、彼を解放すべきではありませんでした。
 おそらく退院を許可した医師は、大麻がすっかり抜けたので、もう大丈夫と判断したのでしょう。つまりこの男の変な発言は、大麻の影響による一時的なものだと考えたわけです。よくよく向き合ってみれば、そんなものではないことがすぐにわかったに違いないというのが、この事件のやりきれないところです。
 もちろんこの男のほうも、どうも決して知能が低いわけではなさそうなので、「どう振る舞えば退院できるか」ということをわかって、演技をしていた可能性が高い気がします。そういう偽装も、ちゃんとした精神科医がしっかり向き合えば、見抜けるはずなのですが、それを12日ばかりで退院させたというのは、どう考えても医師の側が、この男の心に真正面から向き合うことを怠ったとしか思えないのです。
 事件そのものも陰惨でやりきれないのですが、事件に至るまでのさまざまなことが、すべて信じがたいほどにお粗末であり、しかも誰ひとりとして法的な責務を怠っていたわけではないというところに、どこにも通じていない迷路をさまよっているかのような、なんとも言えない胸苦しさを覚えてしまいます。泥縄の批判は出るでしょうが、立法も行政も、再発防止のための手だてをすみやかに講じて貰いたいものです。

 なお、私は「障碍者」という用字が正しいと思っていますが、この稿の犯人の手紙の引用部分では原文どおり「障害者」としてありますので、ご承知おきください。「障がい者」?……何をおっしゃいますやら。

(2016.7.27.)

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことどもII」目次に戻る