また春秋がめぐり、東日本大震災から6年が過ぎました。ついこのあいだのように思われるのに、もうそんなに経ってしまったのかと驚きます。6年経てば、小学校の新入生も卒業を迎えるし、新入社員もそろそろ中堅社員となります。歳月が過ぎ去るのは本当に早いものです。 6年も経つのに、思ったほど復旧が進んでいないようです。私の判断は主に鉄道路線の回復によっておこなっているのですが、南から言えば常磐線の竜田〜小高間、気仙沼線の柳津〜気仙沼間、大船渡線の気仙沼〜盛間、山田線の宮古〜釜石間の線路がまだ不通のままです。営業距離にして191キロにも及びます。 気仙沼線と大船渡線はBRT(バス高速輸送システム)によって代替されています。鉄道の路盤などを利用したバス専用道路を走ることで、他のクルマに邪魔されずに定時運転ができるシステムです。 「何も線路を元に戻さなくても、BRTがあれば充分じゃないのか」 と言った国土交通省の役人が居たそうですが、いかにも東京の役所で席を暖めているだけの役人が言いそうな言いぐさです。三陸鉄道がいち早く復旧したとき、地元の人たちがどれほど喜んでいたことか。東北地方における鉄道の重さというのは、他の地方の人の想像を絶するものがあると思うのです。 常磐線と山田線に関しては、BRTすらおこなわれていません。常磐線は竜田〜原ノ町間でバス輸送をおこなっていますが、これはBRTではなく一般のバスで、列車との接続も図られていません。
三陸鉄道と、それから仙石線が復活したのは嬉しい報せでした。仙石線は、東名駅など本当に駅ごと波に持って行かれたような惨状だったのですが、よくぞ回復できたと思います。この路線は気仙沼線や山田線と違って、幹線鉄道に分類されていたので、復旧作業が急がれたのかもしれません。なお部分開業したときに作られた東北本線からの短絡線は「仙石東北ライン」と名づけられ、いまなお快速電車はこちらを通っています。あおば通〜高城町間は各駅停車だけになってしまいました。
それにつけても、上記の不通路線の復旧が遅いことには苛立ちを覚えます。
BRTで代替した部分は、いずれ線路を敷き直すにしても、しばらくはこれで良いだろうという判断かもしれません。それこそ、沿線住民からさほどの不満が出ないようであれば、BRTのままにしてしまおうという魂胆かとも思われます。
代行バスすらも無い山田線はどうなるのだろうかと思います。もともとこの沿線は、陸の孤島みたいな集落がリアス式海岸に点在しているところです。そそり立つ岩壁に抱かれて小さな入り江があり、そこに集落ができているというパターンの連続で、岩壁を越えるのは容易なことではありません。もちろん、いまは国道もできて外界との交通の便は良くなりましたが、鉄道の安心感に較べれば心許ないものがあるでしょう。
山田線の当該部分については、戦前の開通でもありだいぶ危ないところを通っていたりもしました。そのため災害による不通もしばしば発生しています。いっそのこと、新線を敷き直すつもりで、トンネルを連ねた高規格路線にしてしまえば良いと思います。三陸鉄道がまさにそういう敷きかたをしており、車窓風景は味気ないものになりますが、被害を受けにくく、受けたとしても復旧しやすい構造物になっています。
そういえば、釜石〜宮古間が復旧したら三陸鉄道に譲渡するとかいう話もあった気がします。三陸鉄道としても、北リアス線と南リアス線に分断されているのは何かと不便ですので、ここを譲り受けて盛〜久慈163キロの長大路線にし、急行なども走らせると良いのではないでしょうか。
いずれにしても、6年も経ってまだろくな見通しも立っていないというのはどうかと思います。阪神淡路大震災のときだって、いやその前の関東大震災のときだって、6年後ともなれば、被災者のPTSDなどは別にして、ハード的にはもうほぼ立ち直っていたはずです。
田舎のことだから後まわしにされている、とは思いたくありませんが、東北の人からそう思われても仕方がないような停滞ぶりであるような気がしてなりません。
ひとつの要因としては、この震災が原発事故とのダブルパンチであったという点も挙げられるでしょう。福島の原発事故が重なってしまったために、焦点が二重になり、どこから手をつけて良いのかわからないような状況になってしまったのでしょう。
福島原発の事故はもちろん重大事です。しかし、これはこれで個別に対処し検証しておけばそれで済む問題で、震災の復興とは別に考えるべきでした。
それが、やにわに原発全体の問題にクローズアップされ、各地の原発の運転をストップさせたりして、深刻な電力不足を惹き起こして、人々の意識を東北復興から遠ざけてしまいました。
私は何度でも申しますが、福島原発の事故は、地震の揺れが原因ではありません。津波による損傷が主原因であり、加えるに事前の予測の甘さと、事後の手続きの混乱、特に当時の菅直人首相の指揮のまずさが惹き起こしたなかば人災であると思っています。
その証拠に、もっとずっと揺れが大きかったであろう女川の原発はほとんど無傷でしたし、事故も起こりませんでした。
それなのに、原発を全部停めて、その地下の活断層の有無を調べたりしはじめて、まったく何をしているのだろうと、素人目ながら思っていたものです。
これも何度でも申します。日本の耐震建築技術は世界最高水準であって、耐震設計された建築物はまず地震の揺れで倒壊することはありません。去年の熊本の地震では、残念ながら倒壊した家屋がかなりあったようですが、あれは地震の少ない西日本ゆえ油断があって、耐震建築化が進んでいなかったのでしょう。
原発ともなれば、耐震設計には細心の配慮が払われているはずで、地震の起こりそうな場所に建てられていたからと言ってそのために事故が起きるとはとても考えられないのです。
ただもちろん、海辺にあったから津波にやられたということは言えるわけで、ここは考える必要があるでしょう。原発には大量の冷却水が必要なので海辺に建てられることが多いわけですが、内陸部でも稼働可能な仕様、もしくは津波に襲われても早期に回復できる仕様というものの開発を進めることは大事だと思います。その意味では、福島事故は多くの教訓を残してくれているのですが、短絡的に
「だから原子力は危険だ、原発など全廃すべきだ」
などと叫ぶのは情緒的に過ぎましょう。
震災後、太陽光発電などがえらくもてはやされましたが、そのブームもすっかり去った観があります。家庭で使う電力の補助くらいにはなりますが、国の基幹的エネルギーに据えるにはまったくの力不足でした。充分な電力も確保できませんし、コストもいっこうに安くなりません。それどころか、河原の土手を削って太陽電池を設置したために、水害が大きくなったなんて例もあります。
火力発電に戻るとするとCO2の問題をどうするのかということになります。水力発電ならその問題は出ませんが、水力発電の割合を大きくするためにもっとダムを作ろうと言って賛成する人はそう多くないでしょう。むしろ、原発反対派とダム反対派はけっこう重なるのではないでしょうか。風力発電は安定供給に疑問がありますし、風車の近くでは騒音公害も半端ないようです。
結局、いまのところ原子力を代替できるエネルギー源は見当たりません。私も現在の原子力発電は、核融合エネルギーが軌道に乗るまでのつなぎと考えており、決して万全の方法とは思っていませんが、現状ではなだめすかしながらでも使い続けるしかない手段と言わざるを得ません。ところで、原発反対派というのは、核融合エネルギーにも反対なのでしょうかね。
福島はイヤなことで知名度が上がってしまいましたが、もちろん福島県というのは日本で3番目に大きな県であり、放射線の警戒地域などその中で浜通りと呼ばれる海沿いの地方のごく小さな領域に過ぎません。ほとんどの県域での放射線量は、他の地方となんら変わらないレベルです。
にもかかわらず、いまだに福島県産の米や野菜などは買わないと高言する芸能人が居たりするのは嘆かわしい限りです。
ましてや避難してきた福島出身のクラスメイトをバイ菌扱いしていじめるなどは言語道断で、まさに「6年も経ったのに、何をやってるんだ」と言いたくなります。
補償金をたくさん貰ったのだろうと言われてカツアゲされた中学生なども居たそうで、情けなくなります。子供がそんなことを言うのは、周囲の大人が同じようなことを言っているからに違いありません。
震災のとき、一件の掠奪事件も無く、窃盗すらほとんど無く、整然と礼儀正しくふるまっていた日本人の姿に、世界中が度肝を抜かれたものでしたが、その後日談がこんなことになっていたのでは、それも台無しです。
物理的な復興が思ったより遅いのも困ったものですが、その結果として人の心がだんだん卑しくなってゆくとすれば、これほど悲しいことはありません。それは建物やインフラの再建よりも深刻なことではないでしょうか。
(2017.3.11.) |