忘れ得ぬことどもII

温暖化と寒冷化

I

 4月に入っても、ずいぶんと寒くて、今日などもピアノ教室まで自転車で行く際、セーターにブルゾンという服装では足りないくらいでした。ハンドルを握る手も冷たくて、手袋が欲しいくらいです。
 NASAによると、太陽活動が異様に低下していて、ここ半月ばかり、ほとんど黒点が見られないそうです。黒点というのは太陽表面のうち周囲より暗い部分のことで、少し温度が低いとされています。と言っても太陽表面はだいたい6000度くらいあって、その中で4000度とか5000度とかになっている場所が暗く見えるというだけのことですが。
 太陽活動が活溌だと、さかんにコロナなどを噴き上げることになります。コロナは表面より高温になっているので、それを噴き上げた分、エネルギーが失われて低温のところができます。それが黒点であるわけですから、黒点というのはいわば太陽がどのくらい活溌に活動しているかの指標だと言えます。それがほとんど見られないということは、太陽がろくろく活動していないという意味になるのでした。
 太陽は、そこにあるだけで充分な恩恵をわれわれに与えてくれますが、やはり活溌に動いているときのほうが、より大きなエネルギーを放出しますから、地球に与えられる恩恵も大きいということになります。
 太陽活動は約11年周期で同じような動きを繰り返すと言われますが、こんなに動きがないことは滅多に見られないようです。いつまでも寒いのはそのせいではないかと考えられるわけです。

 地球の温暖化が叫ばれて久しいのですが、よりマクロな波から考えれば、現在は間氷期から次の氷期に向かう過程にあり、どちらかというと寒冷化が進んでいるというほうが妥当である、という意見は以前からありました。
 近年問題視されていた温暖化というのは、人間の経済活動などによってCO2(二酸化炭素)など蓄熱作用を持つガスが増え、また排熱なども多くなって平均気温が上がるという現象です。このため南極の氷が融け、海面の水位が上がって、ナウルツバルキリバスといった低標高の島嶼国家などは水没の危機にさらされています。由々しき事態です。
 しかし、それは言ってみればミクロなスケールの現象であって、数万年〜数十万年という単位で繰り返される大きな気候変動から見れば些細なこととも言えます。
 地球の歴史を振り返れば、人間の経済活動などで惹き起こされる程度の異常はしばしば起こっていますし、もっと破滅的な大変動や異常気象もいくらでも発生しています。例えばCO2ひとつとっても、恐竜が繁栄していた時代など、現代よりはるかに高濃度でした。それだから長期にわたって温暖であり、炭酸同化作用をおこなう植物も巨大化でき、その巨大な植物を食べる巨大な動物が闊歩できたのでした。
 その大量のCO2はどこへ行ったのかと言うと、例えばサンゴなどが殻を作るときに使われたりもしたのですが、それより炭酸ガスを取り込んだ植物がそのまま化石化し、地層の奥深くに沈んで高圧を受け、石炭や石油になったというのがいちばん大きな行方でしょう。つまり石炭や石油を燃やして発生するCO2は、かつて恐竜時代に空気中にあったものだということになります。
 金星という星はサイズその他の点で地球によく似ているのですが、太陽に少し近かったために水が液体状態で存在できず、そのために生命が生まれませんでした。従って炭酸同化作用を持つ植物も無く、大気中の炭酸ガスの温室作用が働きはじめるとそれを押しとどめる方法がありません。結局熱暴走を起こして、400度以上というすさまじい灼熱地獄になってしまいました。この温度は、金星よりもずっと太陽に近いはずの水星の平均表面温度(180度くらい)よりはるかに高く、温室効果というものの恐ろしさを物語ってくれます。
 人間の活動は、自然に任せておけば数千年くらいかけて徐々に起こる変化を、わずか数十年のうちに起こしてしまっているという点では、やはり異常ではあるのですが、しかしそれはやはり、いまだ地球史のメガトレンドをねじ曲げるほどの力は無いと見なすのが正しいのではないでしょうか。私たちが「地球が危ない」というとき、それは「人類が危ない」ということであり、「地球にやさしい」といった言いまわしも、実は「人類にやさしい」という意味に過ぎないのではないかと私は思っています。そう考えれば、人類というのはかなりゴウマンな生き物であると思わざるを得ません。

 はたして気候は温暖化に向かっているのか、それとも寒冷化に向かっているのか。
 これについては、科学者のあいだでも意見が分かれているようです。
 温暖化に関しては科学の問題である以上に、いまや政治的な問題になっているため、よけいややこしいことになっています。つまり政治的なアドバンテージを握るために温暖化を強く訴える、あるいは逆に温暖化を否定する、といった行為が平然とおこなわれており、それぞれ御用学者を抱えて議論に都合の良い数字を出させたりするものだから、状況はさらにカオス化しています。
 京都議定書で各国のCO2排出の削減目標という概念を導入したのは良かったと思うのですが、世界最大の排出国である中国と、第2位の排出国であるUSAが加わっていなかったので、実効性はさほどありませんでした。その後のパリ協定でこの2国も遅ればせに参加しましたが、パリ協定には目標非達成の場合のペナルティが無いので、これまた実効性が疑われています。しかもUSAで新しく大統領になったトランプ氏は、パリ協定からの離脱を宣言したとも言われます(その後、はっきり離脱と言ったわけではなく、「予断を持たずに考える」と発言したことが確認されました)。
 全世界のCO2排出量の半分近くを占める米中両国としては、排出量削減を義務づけられることがイヤなのは言うまでもありません。従ってこの2国では、地球はむしろ寒冷化しているという説のほうが強く受け容れられるでしょう。最初のNASAの発表も、太陽活動が弱まっているというのは事実であるにしても、寒冷化説を喜ぶ米政府の意向に沿ったものとも考えられます。とにかくこの件、何が本当であるのかを見きわめるのが容易ではありません。
 何百年という単位で見た場合は徐々に寒冷期に向かっているけれど、もう少し短期的に見れば温暖化の影響も看過できない、というところなのでしょう、実際には。
 金星のように温室効果が熱暴走を産むというようなことにはならないと思いますが、ナウルやツバルが沈んでしまう危険は依然として否定できないのです。

 南極大陸の氷が全部融けたら、海水面は約60メートル上昇する、という話は、小学生の頃から聞いていました。
 北極には陸地がないので、浮かんでいる氷が融けても海水面は上昇しませんが、南極の場合は大陸上の氷なので、そのまま水面上昇に結びついてしまうとか。実際にはグリーンランドなどの上の氷床もあるため、北極といえども多少は上昇しそうです。
 海水面が60メートル上昇するということは、現在の標高60メートルより下にある陸地は水没するということになります。
 これがどのくらいの高さかというと、日本の都道府県庁所在地のうち、60メートルより高いところにあるのは9つしかない(長野市甲府市山形市盛岡市宇都宮市前橋市大津市奈良市福島市)というあたりで察せられるでしょう。海に面した都市はダメだろうとは見当がつきますが、どっちかというと内陸部にある京都市なども60メートルには達しない(47.6メートル)というのが驚きです。
 上記の島嶼国家はもちろん、カリブ海の国々などもほぼ壊滅するでしょう。大陸でも、オランダデンマークなどは水没すると思われます。
 もっと大きな国でも、首都や主な都市は海岸近くということが多く、ほぼ使い物にならなくなります。
 それは大変だ、南極の氷が一挙に融けたらどうしよう……と、子供の頃は怖ろしく思ったものでした。
 もちろん、南極の氷が一挙に融けるなんてことはありそうにありません。地球史の中では、自転軸が変わったということが何度かあったようですが、それで南極大陸がもっと温度の高いところに移動したとしても、別の地方が極地になって氷に覆われるわけですので、差し引きではあまり変わらないでしょう。まあ、新しい極地が海ばかりのところであれば海面上昇はするでしょうが。
 しかもこういう事態は、何千年何万年もかけて進行するものなので、一挙に氷が融けるということは無く、都市機能を移すとか、いろいろ対策をとる時間は充分にあるはずです。
 南極の氷が短時間で解け去るとすれば、考えられるのは巨大隕石が南極にぶつかるようなケースでしょうか。放出された運動エネルギーが高熱となって大陸上の氷を一挙に融かす……なんてことならあり得るかもしれません。ただ、それほどのエネルギーを持つ隕石(というより、ほとんど小惑星レベルでしょう)がぶつかったら、影響は南極だけではなく、全地球規模で大変なことになりそうです。
 60メートルは極端な話としても、その10分の1、つまり6メートル海面水位が上がっただけでも、人間の活動は著しく影響を受けるでしょう。ふたたび日本の都道府県庁所在地について言えば、これより低い位置にあるのがなんと17もあるのです。もちろん市域全体がそんなに低いというわけではなく、あくまでも都道府県庁のある場所についての話ですが、これは少なくとも17の都市で、県庁を移動させなければならないということを意味します。そして、この程度海面が上昇することは、現在の温暖化のペースから考えるとあり得なくもないのです。やはり、マクロでは寒冷化に向かっているとはいえ、温暖化のことも真剣に考えなければならないと思います。

 逆に寒冷化すると、当然海面は下がります。人類の祖先はそうやって現れた地峡を伝って全世界に拡がってゆきました。南米のインディオがアジア人と似た容貌を持っているのは、前の氷河期(約1万2千年前)にベーリング地峡(現在のベーリング海峡が干上がった形)を伝ってユーラシアからアメリカ大陸に移動したためと考えられています。当時は日本海も大きな湖で、日本列島は大陸とつながっていました。
 国家の興亡程度の時間スケールであれば、こうなると領土が拡がるわけで喜ばしいとも言えます。ただし、農産・畜産は著しく生産量が落ちるでしょうから、政情不安も深刻なものになりそうです。何しろ前の氷河期のときには、人間はまだ農業を発明していなかったので、その辺どんなことになるか、データがありません。海の面積が減る分、漁獲量も減りそうな気がします。
 高地にある都市などは、氷河に覆われてしまうかもしれません。
 地球上の年平均気温がわずかに3〜4度下がるだけで、そういうことになりかねないそうです。生命とか文明とかいうものは、実に微妙なバランスの上で成立しているものであるようです。大切なのは、そのことを自覚して生きるということなのでしょう。
 地球の支配者のような顔をして威張りくさっていても、太陽や地球がちょっと気まぐれを起こしただけで大騒ぎになるのが人類というものです。私たちは太陽や地球によって「生かされて」いるということを忘れるべきではありません。そしてなるべくなら、「地球にやさしい」のたぐいのゴウマンな標語は、あまり使わないようにしたいものです。

(2017.4.1.)

II

 9月も終わりというのに、日中の気温は30度、湿度は80%に達し、8月後半並みの蒸し暑さとなりました。いや、昔は確かに、8月も後半になれば、この程度の天候であったと記憶します。夕方以降などむしろ涼しさを感じたものです。それが8月は終わり近くまで連日の猛暑日&熱帯夜で、9月末になっても真夏日という、どうかしてしまったのではないかというような気候です。
 これも温暖化とやらの影響だろうかと思わざるを得ないのですが、温暖化とか寒冷化とかいう言葉は、科学上の概念である以上に、最近では政治的な匂いがつきすぎてしまって、安易に使うのを躊躇する……ということは上にも書きました。
 例えばNASAなどは寒冷化説を主張しているわけですが、これはUSAが世界最大のCO2(二酸化炭素)排出国であることと無関係ではないはずです。USAとしてはCO2による温暖化などウソであるという学説に乗っかったほうが都合がよいわけで、そのためにNASAの御用学者に寒冷化説を言わせている(もしくは忖度した学者が寒冷化説を言っている)という事情は無いとは言えないと思います。
 それなら寒冷化説は、NASAがUSAの都合で主張しているだけのトンデモ説なのであるかといえば、それがそうも言えないところがこの問題の難しいところです。同じ政治的配慮は、温暖化説についてもまったく同じように言えるのであって、国の政府や大企業などの経済活動を掣肘するために、野党的な存在とか、あるいは経済規模の小さな小国などが都合良く利用している気配が濃厚に感じられます。この件に関して、真実を見究めるのは容易なことではありません。

 たぶん、地球規模の大きな気候変動としては寒冷化に進んでいるけれど、人間の経済活動の影響もあって、温室効果を持つガスの排出やヒートアイランド効果により、部分的・短期的には温暖化が加速している……といったところが正しい考えかたなのだろうと私は思っています。
 なんとなれば、いま人間が燃やしてエネルギーを得ている石炭や石油などの化石燃料が発しているCO2は、中生代の植物などが、当時の空気中にあったのを光合成のために取りこんだものです。つまりもともとこの地球上にあったものであって、恐竜が活躍していた時代のCO2濃度は、現代とは較べものにならないくらい高かったことがわかっています。巨大な恐竜を養うに足る巨大な植物がそれらのCO2を取りこみまくり、年月を経て化石となり、それを人間が燃やしているのが火力発電であるわけです。
 言い換えれば、石炭や石油をどれだけ燃やそうが、CO2濃度は恐竜の時代並みに戻るだけであり、地球には大局的に見てなんのダメージも与えません。ダメージがあるのは人間や現生動物のほうです。恐竜時代並みのCO2濃度下で、はたして人間が現在の形のまま、現在のような活動力を維持できるかどうか、それがまったく予測できないのです。
 ともあれ、1万年単位という大きな流れでは寒冷化に向かっているというのが正しいでしょう。しかし人間の活動のことを考えると、1万年単位で待っているわけにはゆかず、ここ数十年単位での温暖化現象をなんとかしなければならないというのもまた事実だろうと思います。
 私としては、化石燃料を燃やすことによって得られるエネルギーは減らしてゆくべきだと思っています。それならエネルギーを何に頼れば良いかというと、それはもう核融合しかありません。
 水力は偏在しすぎですし、ダムをもっとがしがし造れという意見に賛成する人は少ないでしょう。水の位置エネルギーを利用した、発電に際してまったく公害の出ないクリーンエネルギーには違いありませんが、ダムを造ることによる環境負荷は大きいものがあります。
 風力地熱潮力などの自然エネルギーは原理的に安定供給が望めず、補助的に使うのならともかく主力にはなり得そうもありません。
 ならば太陽光となりますが、太陽電池のエネルギー変換効率が劇的に上がらない限りは、これも主力は無理そうです。家庭で使う電力の足しくらいにはなりますが、工業その他の経済活動を賄うには、現状ではまったく役に立ちません。千葉での大停電のとき、巻き込まれた知り合いの家では、昼間だけは太陽光発電のおかげで冷蔵庫が機能しており、それほどものを腐らせずに済んだと言っていました。屋根いっぱい敷き詰めたソーラーパネルでも、せいぜいそんなものです。土手を削ってソーラーパネルを設置したために、大雨のとき洪水が起こったなんて話もあり、太陽電池自体がけっこう環境負荷の大きな存在と言わざるを得ません。
 究極的には核融合しか無いと私は思っており、そのための研究には人類の持つリソースを最大限つぎ込むべきだと考えています。核融合発電を軌道に乗せるためには、もういくつかのブレイクスルーが必要であり、ブレイクスルーを生み出すためには何よりも研究費が必要なのです。
 核融合発電には放射性物質の生成が必然的に伴ってしまいますが、核分裂のウランとかプルトニウムとかのように扱いに困るものではありません。しかし放射性物質を安全に扱うためのノウハウは、現在の原子力発電の場でしっかりと継承・発展させるべきです。
 また、核融合には燃料として三重水素が必要です。これは自然界ではなかなか見つからず、いまのところリチウムを精製することで作ることになっていますが、実はこの三重水素こそ、福島の原発跡でタンクに貯蔵され、風量被害をおそれて捨てるに捨てられず困っているトリチウムのことにほかなりません。つまり、原発とは、核融合炉の燃料製造器でもあることになります。
 現在、外国の原発では、福島よりもはるかに放射能の高いトリチウムをそのまま海に流していますが、もったいないことをするものだと思います。まあ、核融合のメドがつくまで保存しておくというわけにもゆかないでしょうが。
 以上の理由で、私は現在の形の原発を継続もしくは改良して利用してゆくことに大賛成なのですが、これも賛同者は少なさそうです。
 本来、現時点においては火力と原子力は二者択一みたいなもので、CO2排出を止めたいのならば原発を推進するしかないし、原発を撤廃したいのならばCO2の増加を看過するしかないはずです。しかし、往々にして、双方の反対者は、双方を兼ねていることが多いようです。つまり、

 ──CO2を排出する火力発電は減らすべきだ。原発も放射線が怖いから廃絶に持ってゆくほうが良い。でもそのふたつを切った場合の有効な代替エネルギーが思いつかない。

 というのが、現時点で多くの人々が抱いているジレンマ(二律背反)というかトリレンマ(三すくみ)でしょう。
 そこで過激な向きは、エネルギーそのものを減らせ、言い換えれば経済活動を減らせと主張することになります。

 先日開催された国連総会で、グレタ・トゥーンベリというスウェーデンの女の子が、怒りのスピーチを披露して話題になりました。気候の危機により、生命の危機や多くの難民が生まれている、怖ろしいことだ、というのです。先進諸国はただちに経済活動を控えて気候変動に対処すべきだと言うような趣旨でした。16歳の女の子が国連で堂々と主張したということで、各国のメディアはこぞって報道しました。日本のテレビでも盛んに採り上げられています。政府や大企業は、この少女の訴えに真摯に向き合うべきっではないか、というわけです。
 もっとも、主張そのものはいままで環境派と呼ばれる活動家たちが叫んできた内容と大差はありません。子供がそういうことをちゃんと学んで、自分の言葉で主張したというところに意義があったようです。わが国の、就任したての、いささか頭の中がおめでたい環境大臣も、グレタ嬢の主張に大いに感銘を受けた旨発言していました。
 グレタ嬢は「環境少女」などと呼ばれるようになり、数日間は、その主張に異議をはさんだりすると、

 ──子供を叩くなんて、なんという非道な!

 といった反応ばかり返ってきた感じでしたが、あいにくなことにいまやネット社会で、一週間も経たないうちに化けの皮がはがれてきました。
 いくつか要因はありましたが、まずは彼女の母親が、
 「うちの娘は、二酸化炭素が『見える』のよ」
 などと発言したことで、一挙にうさんくささが跳ね上がりました。
 「あ、そういうことを言う親の子供なわけね」
 とみんなが察してしまったわけです。
 どんな超能力があれば二酸化炭素が見えるようになるのか、そもそも二酸化炭素というのは空気中に本来かなり多量に含まれているガスですので、それが全部見えるとすれば気が狂ってしまうに違いありません。どうも、グレタ嬢の両親自身が、かなり過激な活動家であるらしいことが見えてきました。
 次に、彼女の日常生活を写した写真が出回りました。写真に写っているだけでも、おびただしいプラスティック製品に囲まれており、とても「環境少女」の日常とは思えません。
 さらに、ニューヨークから帰国する方法が無くて困っているという報がありました。グレタ嬢はスウェーデンからUSAまで、CO2の大量排出装置でもある飛行機には乗ろうとせず、ヨットに乗って大西洋を横断してきたのでしたが、そのヨットが破損してしまって出航できないのだそうです。USAで修理することができず、フランスから修理業者を呼んだということですが、その修理業者は当然飛行機で駆けつけましたし、替えの部品なども飛行機で取り寄せています。また、ヨットを操縦してきた大人たちは、とっくに飛行機で帰りました。グレタ嬢ひとりが飛行機に乗らずに済ますために、ずいぶん多くの人が飛行機で行ったり来たりしているわけで、そこまでして飛行機を避けることに意味があるのかと疑われても仕方がありません。そういえば、北朝鮮の先代金正日も、いまの金正恩も、飛行機が嫌いで、外国へ行くにもお召し列車での移動を強行し、関係者一同に多大な迷惑をかけていますが、なんだか似た話のように思えてなりません。
 グレタ嬢は本国でも、金曜日には学校をボイコットするなどの不思議な行動をしており、発達障害の診断も受けていることが明らかになっています。
 そんな女の子が、環境問題などについて、自分の経験から何か意見を持つとは思えません。その手の本を何冊か読んだか、あるいは周囲の大人から吹き込まれて、いっぱしの活動家のような意識を持ったに過ぎないのではないでしょうか。自分の16歳の頃を思い出しても、社会や政治などについてそれなりの意見は持っていたつもりですが、いかにも頭でっかちでお花畑だったなあと回想せざるを得ないのでした。私などは頭の中だけで終わっていましたが、両親も活動家というような環境に育てば、外に向かって叫びはじめるのというのも理解できます。
 彼女は今年のノーベル平和賞を獲るのではないかなどとも噂されていますが、5年ほど前にやはり国連でスピーチをおこないノーベル平和賞を受けた、当時17歳の少女であったマララ・ユスフザイさんに較べて、その思想も主張もいかにも薄いと言わなければなりません。基本的に男尊女卑なイスラム社会の中で女子教育の必要性を訴え、ときには反対派に暗殺されかかるという苛酷な運命に見舞われ続けたマララさんの主張は、さすがにその数奇な経験に裏打ちされた思想の厚みを持っており、迫力も段違いでした。
 意地悪な見かたをすると、マララさんの成果をまのあたりにした環境活動家たちが、子供を押し立てれば効果的であると判断し、人寄せパンダとしてグレタ嬢を祭り上げたと考えられないでもありません。そうだとすればむしろ卑劣なおこないであると言えるのではないでしょうか。
 とりあえずグレタ嬢は、マララさんのように直接生命を脅かされたなどという経験は無さそうですし、むしろ大西洋横断のためのヨットを乗員ごと雇えるような(カンパがあったのかもしれませんが)きわめて裕福な家庭で、何不自由なく育った少女という印象があります。ただ目つきだけは、何かに憑かれたような、立派に活動家特有の目つきになっていたようですが。
 さらに彼女のうしろだてになっていたアースジャスティスなる団体が、中国の息のかかったものであることも暴露されました。ちなみに沖縄ジュゴン訴訟を起こしたのもこの団体です。中国はCO2排出の多さにかけてはUSAと肩を並べる世界ツートップですから、グレタ嬢の主張の説得力はさらに低下した観があります。
 子供の言っていることだし、そんなに意地悪くあれこれ暴き立てなくとも良いではないか、と思う人も少なくないでしょうが、批判的な人の多くは、グレタ嬢に対して腹を立てているというよりも、グレタ嬢を担ぎ上げて無茶な主張を通そうとした大人たちに厳しい眼を向けているのだろうと思います。
 本当にノーベル平和賞にノミネートされるかどうかはわかりませんが、そんなものを獲らないほうが、彼女の将来のためなのではないでしょうか。

 しかしながら、グレタ嬢もひとつ、良いことを言っています。
 「あたしの言葉は聞かなくてもいい、でも科学者たちの言葉を聞いて!」
 と彼女は言いました。
 まったくそのとおりで、温暖化か寒冷化かなどという議論は、ぜひとも政治の場から離して、純粋に科学的課題としてやっていただきたいものだと思う次第です。
 たとえ短期的な気温上昇であっても、人間の生活には大きな影響が出るわけですので、温暖化否定派の学者も、「大きく見れば寒冷化に向かっている」などとのんきに構えていないで、気候変動への対策を考えていただきたいものです。

(2019.9.30.)

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