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混声合唱といえば、四部合唱が基本と言って差し支えありません。ソプラノ・アルト・テノール・バスの4つの声種を連ねたのが混声四部合唱です。
作曲の基礎的メソッドである「和声法」は、混声四部合唱をベースにして構築されています。というか、讃美歌(コラール)が元になっており、その讃美歌の基本が混声四部合唱であるということです。
混声四部合唱の形のことを「四声体」と呼ぶこともあります。古典的な調性音楽では、4つのパートがあればほぼ過不足無く和声の流れを作ることができるのでした。それだから、弦楽器のアンサンブルでも四重奏が質量ともに抜きんでることになりました。また標準的なオーケストラではホルンが4本使われることが多く、この4本で四声体を作ってオケ全体の響きの中核を構成するということもおこなわれます。
モーツァルトのレクイエムも、ベートーヴェンの「第九」も、合唱はずっと混声四部で奏されます。「第九」の場合は一部男声三部合唱になりますが、混声の部分はひたすらに四声体をキープしています。
そのうち、作曲家はもっと複雑な和音を求めるようになり、それにつれて4つのパートだけでなく、パートが分割したり、はじめから第一テノール・第二テノールといった具合に分けられたりするようにもなりました。低音パートは人数が少なくても強い響きを得ることができるものですから、どちらかというと男声が分割されることが多く、フォーレのレクイエムの冒頭などは女声が二部と男声が四部の混声六部合唱になっています。 日本でも混声合唱は「混声四部合唱」がベーシックな編成として認識されてきました。同じように「女声三部合唱(ソプラノ・メッツォソプラノ・アルト)」「男声四部合唱(第一テノール・第二テノール・バリトン・バス)」というのが、それぞれの声種における基本編成と考えられました。
女声が三部を基本とするのは日本独特かもしれません。外国の女声合唱曲では、やはり四部ものが多いような気がします。たぶん、日本の女性の歌い手はほとんどが実質ソプラノという事情によるものではないかと思います。日本女性は95パーセントくらいが体格的にソプラノなのであって、メッツォソプラノとかアルトとか称しているのは大半が「比較的低音の出るソプラノ」に過ぎません。そのため、音大などでアルト専攻だったとしても、卒業後にイタリアあたりの先生にレッスンを受けたりすると、ことごとく
「君がメッツォなんぞであるものか」
と言われて、ソプラノに転科してしまうということがよくあります。その結果、ただでさえ少ないわが国のメッツォソプラノ・アルトは、事情をご存じないガイジンによってさらに減らされてしまうのでした。私の知り合いの歌手でも、3、4人がそうやってソプラノ転科してしまい、 ──貴重なメッツォだったのに…… と嘆いたものでした。
しかしまあ、ヨーロッパのメッツォソプラノとかアルトとかの歌手の声を聴けば、それも仕方のないことだと思わざるを得ません。彼女らはそもそも日本女性とは骨組みからして違っており、ドスの利いた低音というか、低くなればなるほど輝きを増すかのような声質を持っています。とても日本人には真似ができないなと感じます。
そういう人たちがメッツォソプラノやアルトを担当するわけですから、海外の女声合唱曲というのは、かなり音域が広く、四声体を作るにも余裕があるのでした。日本の歌い手の場合そこまで低い声を響かせることは困難ですので、三声がせいぜいだったと考えられます。 さて、もうひとつ日本独特と思われる編成に、「混声三部合唱」というのがあります。
これはもともとは、中学生を念頭に置いて作られた編成です。
男性の声変わりというのが、だいたい中学生くらいの時期に起こるので、中学生男子は変声前と変声後が入り交じっています。また変声後にしても、そんなにしっかりした低音を歌えるほど声質が安定していません。
そんなわけで、男女比が半々くらいだったとしても、中学生の場合は「女声+ボーイソプラノ・ボーイアルト」と「変声後の男声」という種別に分かれ、その割合は2対1だったり3対1だったりすることになります。
当然、まとまった混声四部合唱を構成することは困難になります。
そこで考案されたのが、男声パートを一部のみとし、「女声+変声前男声」をソプラノとアルトに分けた、混声三部合唱なのでした。
故岩河三郎氏などが、この編成の合唱曲を精力的に作曲しました。それで混声三部合唱は、中学生向きの標準編成と見なされるに至りました。岩河先生の「木琴」「親知らず子知らず」「十字架の島」等々の作品群が無かったら、混声三部合唱はそんなに一般的にはならなかったことでしょう。
私も中学生用の「秘密の小箱」は混声三部で書いています。 しかし近年、混声三部合唱というのは少し異なった意義を持つようになりました。
それは、アマチュア合唱の少人数化による現象と言えます。
最近の東京都の合唱祭などを見ても明らかなのですが、合唱団の数は年々増え続けています。東京都の合唱祭は近年ついに全日程をこなすのに6日間を要するようになりました。出場合唱団があまりに増えすぎて、6日間くらい無いと全部出すことができなくなってしまったのです。
しかし、その分合唱人口が増え続けているのかというと、実はそうでもありません。合唱団が細分化されているのです。ひとつの団あたりの人数がどんどん減っており、10人に達しないような出場団体がざらになってきました。最初は30人くらい居た合唱団が、方向性の対立とか練習日のかねあいとかのために、3つか4つに分裂してしまうということがちょくちょく起こっています。
合唱団の中には、稀に男声が多いグループもあるのですけれども、たいていの場合は男声が少なく、女声の4分の1以下しか居ないということが珍しくありません。そして、その状況は細分化しても変わりはないのでした。
するとどうなるかというと、テノールあるいはバスのパートがひとりしか居ないなんて事態が発生するのでした。合唱というのはそもそも、ひとつのパートに複数の歌い手が居るというのが前提であって、パートがひとりであればそれは重唱になってしまいます。そのひとりがどんなに頑張って歌っても、ひとりの声と複数人のミックスされた声とは、音質が根本的に異なります。
そんなわけでまともな混声四部合唱を構成しにくくなった合唱団も少なくなく、そこでにわかに、本来中学生対象に考えられていた混声三部合唱という編成が見直されてきているわけです。
私が「TOKYO物語」の混声合唱版を、混声四部ではなく混声三部として作ったのも、男声が少ない合唱団でも歌えることを念頭に置いてのことでした。もちろん中学生にも歌って貰いたいという下心もありましたが……
それに追随したのかどうか、他の人も、編曲ものなどで混声三部合唱版を書くということが増えてきたように思います。昨日も信長貴富くんの混声三部合唱編曲ものを聴く機会がありました。 こういう趨勢になってきたからには、オリジナルものであっても混声三部合唱曲の需要があるのではないかと考えはじめました。
いや、需要があるどころの話ではなく、Chorus STもほとんど混声三部合唱ではなくては成立しないような状況に陥っています。最近はテノールがほぼ私だけで、他のパート仲間はほとんど練習に来なくなってしまっています。それはまあ本来の仕事や私事が忙しいのでしょうから仕方がないと言えば仕方がないのであって、アマチュア合唱ですから練習参加を強制はできません。しかし時々の本番にも乗ってくれなくなり、テノールの人数不足はかなり深刻な事態です。こうなると、混声三部合唱を考えるしかないようです。そして、同じような悩みを抱える合唱団は決して少なくないでしょう。
中学生向けではなく、一般合唱団向けの混声三部合唱曲というのを書いても良さそうです。 実は中学生向けの混声三部合唱曲には、ひとつ大きな特徴があります。それは、ほぼ例外なく、ピアノ伴奏付きだということです。
日本では合唱曲はピアノ伴奏付きが普通と考えられていますが、海外ではメンデルスゾーンやブラームスの時代はいざ知らず、近現代では決してピアノ付きが標準型ではありません。無伴奏が基本となっています。伴奏が付くにしても、ピアノよりもオルガンが選ばれることが多い気がします。
何度か書いたことがありますが、日本の合唱団が海外に演奏旅行に行ったりして、現地の合唱団と交流を持つことがあります。親睦会などの場で、向こうの合唱団は次から次へといろんな曲を歌ってくれるのですが、わが国の合唱団は無伴奏のレパートリーをそんなに持っていないことが多く、向こうの歓迎に応えることができなくて口惜しい想いをする、という話をよく聞きます。実際、Chorus STでもグアテマラに行ったときそんな想いをし、私がその場で急遽、適当な曲を無伴奏混声合唱用に編曲する、ということがありました。
日本の合唱曲が、ピアノ伴奏を標準装備するに至った事情はよくわかりません。最初に入ってきたのがメンデルスゾーンやシューマンあたりの合唱曲だったせいかもしれません。ともかく「ピアノが無いと歌えない」合唱団や合唱曲が非常に多いのは否定できません。
歌を歌いたい人の多くが、あまり音感をきちんと鍛えられていないということもあって、ピッチなどを「ピアノに頼ってしまう」という現象もよく見られます。
本当は合唱というのは純正律でハモらせることが可能な形態であり、平均律のピアノとは厳密なところでピッチが合いません。海外の合唱曲が20世紀以降ピアノ離れしたのも、そのあたりが「気持ち悪かった」からではないかと思います。合唱団がうまくなって響きが良くなれば良くなるほど、ピアノの平均律が浮いてきて、邪魔になってしまうのです。
しかし日本のアマチュア合唱団の多くは、そこまで厳しく純正律を追究するわけではないし、音感もある程度のところで妥協してしまうため、ピアノが無いと音がとれないということになりがちです。
中学生などは特にそうで、それまでに児童合唱団などで訓練を受けた子供でもないと、まず自分の思った音を出すだけでもひと苦労します。それで、ピアノに頼るということになります。先生は「ピアノのここの音から自分の出す音をとって」というように指導することが多いのです。
そのため、中学生向けに書かれていた混声三部合唱曲は、ほぼすべてがピアノ伴奏付きということになっているのです。 私があらたな可能性として考えたのは、「無伴奏混声三部合唱曲」というものでした。
Chorus STは、さほど得意ではないにせよ、いちおう無伴奏合唱曲をきっちり仕上げるだけの能力は持っています。それならば、三部合唱にしても無伴奏でできるのではないか、と思いました。そもそも人数不足による発想なので、ピアノなどをつけてはバランスが悪いというか、ピアニストを雇うのもお金がかかって大変というか、とにかく無伴奏でやってみようと考えました。
無伴奏の三部合唱というのは、女声合唱曲にはよくあります。だから混声合唱でもできそうなものですが、はたして音の配分が満足ゆくものになるのかどうか、心許ないところもあります。
ただ、最近Chorus STでは、バードの三声のミサを時々歌っています。これはもともとは男声が二部、カウンターが一部という編成ですが、移調して女声合唱でもよく歌われています。Chorus STで歌うにあたっては、ソプラノ・アルト・男声の3パートにできるキーに移調しました。アルトが少々低すぎ、男声が少々高すぎるきらいはありますが、まあまあよく響きます。これを参考にすれば、無伴奏混声三部合唱曲が書けるのではないかと思いました。
和声法の初歩段階で、三声による課題もありました(いわゆる「藝大和声」の教科書にはありません。私が最初に用いたテオドール・デュボワの教科書に載っていました)。三声で和声を充足することも可能なはずです。
それで試しに1曲(『花と木のことば』第1曲「カンナ」)書いてみたのですが、これがなかなか難しいものでした。いわゆる三和音でさえ、しばしばどれかの音を省略することになります。「7の和音」になると、四声体であれば省略無しに充足できるのですが、三声では必然的に省略が発生します。ましてもっと複雑な和音を使おうとすると、音の選択が非常に難しくなり、ヘタをすると思っていたのと全然別の和音に聞こえてきたりします。バードのように対位法的に扱うのであればまだ良いのですが、ホモフォニックな音楽を作ろうとするとかなり苦労するのでした。
ピアノに頼れないので、各パートの動きも必然的に激しくなり、歌いやすさという点では四部合唱より大変になりそうです。
しかし、この前Chorus STで試演してみたら案外と良く響くようでした。
うまくできれば需要は必ずあると思われ、これから本腰を入れて作ってゆこうと思っています。
(2017.9.2.)
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