題材としては何日か遅れてしまいましたが、2018年3月14日のスティーヴン・ホーキング博士の訃報を残念な想いで受け取りました。「車椅子の天才」という冠を別にしても、何かと話題の多い科学者でした。宇宙論とか素粒子論とかの本を読んでいると、たいていどこかに名前が出てきました。
享年76歳ということですので、筋萎縮性側索硬化症という容易ならぬ難病をかかえていたにしては、ずいぶん頑張ったものだと思います。いま調べてみたら、この病気と診断されたのはケンブリッジの大学院在籍中の1963年だそうです。つまり私の生まれる1年前に診断され(発病はもっと前だったかもしれません)、それから55年の長きにわたって、徐々にからだが動かなくなるという恐怖と闘いながら、次々と余人の思いも及ばないような理論を発表し続けた精神力の強さには感服するほかありません。
あるいは、からだが動かなかったからこそ、宇宙のはじまりとか宇宙の涯とかの、いささか浮世離れした世界をありありと思い描くことができたのかもしれません。それにしてもそういう世界をファンタジーとしてではなく、科学という言葉で、言い換えれば数式としてイメージできたというのが、いったい頭の中がどうなっていたのだろうかと不思議に思えてなりません。彼は自分自身で数式を書くことすらできなかったのです。 ホーキング博士の理論はあまりに壮大すぎて、証明も反証も現時点では不可能であり、それゆえノーベル賞は穫れないだろうと思っていました。ノーベル賞というのは原則として生きている人物に与えられる賞です。ホーキング理論が証明あるいは反証されるとしたらおそらく遠い未来のことで、少なくともここ何十年かでなんとかなるというものではなさそうです。だから彼が予言者であったのか大ボラ吹きであったのかも、当分判定できないでしょう。
……と、わかったようなことを言っていますが、もちろん私などにはホーキング理論の詳細はわかりません。ただ、講談社ブルーバックスなんかを読んでいるとホーキングの名前はしばしば登場しますし、ベストセラーになった「ホーキング、宇宙を語る」も読みましたので、数学的な裏付けなんてことは理解できませんけれども、イメージとしてはなんとなく浮かびます。
23歳のときに、ロジャー・ペンローズと一緒に発表したのが「特異点定理」です。特異点という言葉はSFなどでよく使われるので、かえってイメージが散漫になっていますが、数学の用語としては、関数が非連続になる点というような意味合いで使われることが多いようです。ホーキングたちが論じたのは、ブラックホールの中に「重力の特異点」があるかどうか、ということです。ブラックホールをモデルにアインシュタインの一般相対論を解いてみると、特異点が出現する解が得られる、ということだったように記憶しています。
ブラックホールというのは、星の最終形態のひとつで、太陽の20倍以上といった巨大な質量を持つ星が終焉を迎えたあとの姿です。あまりに密度が高くなりすぎて、重力の大きさが原子核内に働いている「強い力」を上回ってしまい、崩壊を起こしてしまった状態です。その星の重力圏にとらわれてしまうと、何も外には出てこられなくなり、光さえも出なくなるために真っ黒になるのでブラックホールと呼ばれるわけです。
地球の重力圏を脱出できる速度(第二宇宙速度)は秒速11.2キロで、これ以上のスピードを出すと地球の重力を振り切って宇宙に飛び出してゆきます。さらに太陽の重力圏を脱出できる第三宇宙速度は秒速16.7キロです。これに対してブラックホールの脱出速度は光速、つまり秒速30万キロより大きい値ということですから、いかにブラックホールの重力が強いかわかるでしょう。
ブラックホールに外から近づいていったときに、脱出速度が光速になる距離のことを「事象の地平線」と言います。引き返し不能点ですね。事象の地平線より奥のことは、外からは決して知ることができません。
で、その奥に「重力の特異点」があるはずだというのだから、当然ながら実証も反証もできるわけがないのでした。 これだけなら、ただの思いつきに過ぎませんが、特異点定理はさらなる拡がりを見せます。つまり、「すべてを呑み込む」ブラックホールの特異点の「符号」を入れ替えると、「すべてを生み出す」特異点になるわけです。この「逆転したブラックホール」は「ホワイトホール」と呼ばれ、一時期はクエイサー(準星。非常に遠くにある非常に明るい天体)がそれではないかと言われたりもしましたが、いまのところわれわれの宇宙の中では見つかっていません。
しかし、この宇宙そのものがホワイトホールにほかならないのではないかという考えかたも可能です。実際、ビッグバンからものすごい勢いで膨張しているこの宇宙の時間を逆回しにしてみると、ものすごい勢いで収縮した結果、あらゆる質量がただ一点に吸い込まれると考えられ、これはブラックホールのふるまいとよく似ているというわけです。この「ただ一点」がすなわち重力の特異点です。
窺い知ることができないブラックホールの中に仮に想定された特異点が、実はこの宇宙のはじまりを示唆するかもしれないという、えらく壮大なストーリーが綴られはじめたのでした。
この宇宙のすべてを吐き出した大爆発、ビッグバン……その名はよく知られていますが、考えてみると、それだけの大爆発を起こすためには、とてつもない力が必要になりそうです。それが何かと考えたときに、「神の一撃」などではなかったとしたら、そこに特異点があったと考えるのが妥当でしょう。特異点は関数の不連続点で微分のできない点、つまり何が起こっても不思議ではない……というか何が起こっても許される点なのです。
重力特異点(ただしブラックホールとは符号が逆)からビッグバンが発生してこの宇宙が生まれた……というのは、ある時期宇宙創生の標準的な考えかたにまでなったのでした。 ところが、ホーキングはそれだけでは満足しませんでした。
特異点定理を発表した数年後、彼は今度は「ブラックホールの蒸発」という理論を打ち出します。
これは「事象の地平線」に量子力学を応用した理論です。量子力学には不確定性原理というのがあり、物体の位置と速度、あるいは時間とエネルギーを、同時に決定することができず、ある「不確かさ」の範囲内で揺らぎを持っていると考えます。これを敷衍すれば、例えばまったく何もないように見える真空中でも、実は絶え間なく粒子と反粒子が生成され、短時間でお互い打ち消し合って消える、ということが至るところで発生していると見て良いことになります。時間とエネルギーが同時に決定できないということは、時間をうんと短くとれば、ずいぶん大きなエネルギーの揺らぎが許されるということで、それは素粒子が生成されるだけの大きさにもなりうるわけです。ただ生成される場合、全体の電荷は変わりませんので、粒子と、電荷を反転させた反粒子が必ず同時にできます。
普通の空間なら、できた粒子と反粒子はすぐにひきつけ合って衝突し対消滅してしまいますが、これが「事象の地平線」上だったらどうだろうか、とホーキングは考えたのでした。
事象の地平線上だった場合、粒子が地平線の外側に、反粒子が内側に生成されるということもあり得るはずです。そうすると、衝突して対消滅するより前に、内側の反粒子がブラックホールの重力に引かれて吸い込まれてしまうことになります。すると、相方を無くした粒子が外に残ります。しかもその粒子は、反粒子が吸い込まれるのと同じ速度で外へ向かって「打ち出される」ことになります。
生成と対消滅は、空間の至るところで起こっていますので、事象の地平線上でも無数に発生します。そのうち何パーセントかが、上のような次第で対消滅を起こさず残ったとしても、それは厖大な数になります。
さてこれを外から見ると、意外にもブラックホールから(正確には事象の地平線から)数多くの粒子が放出されているかのように見えます。あらゆるものを吸い込み、何も外へ出られないはずのブラックホールですが、その実相当量の粒子を「洩らして」いることになります。
粒子には質量があります。質量保存の法則というのがあって、何かの反応が起こったとしても、全体の質量は変わらないというのが絶対の原則です。質量のある粒子が放出されているからには、その分ブラックホールの質量が減っていると考えなければなりません。
粒子の質量などはごく小さなものですが、塵も積もればなんとやらで、充分な時間をかければ、放出された粒子がブラックホールの質量を全部持ち逃げしてしまいます。なんと、ブラックホールは「無くなる」ことがあるのでした。これをホーキングは「蒸発」と表現しましたが、事象の地平線上で無数に、そして絶え間なく起きている粒子の生成が、沸騰するお湯のようなイメージにとらえられたからかもしれません。
蒸発したブラックホールのあとには何が残るのか。事象の地平線に隠されていない、むき出しの特異点がそこに残っていることになります。これを「はだかの特異点」と呼びます。はだかの特異点が発見されれば、ここまでの理論の正しさが証明されますが、まだ見つかってはいません。 ブラックホールの蒸発理論では、ホーキングは宇宙論に量子力学を持ち込んでみたわけですが、さらに量子力学をつっこんでみた結果、1980年代に至って、彼はかつて自分が提唱した「重力の特異点」が、実は「要らない子」なのではないかという驚くべき考えに到達します。ジェームズ・ハートルと共同で発表した「無境界仮説」です。特異点が無くとも宇宙ははじまりうる、つまり「境界」が無いのだ、という仮説です。自分の過去の成果をまるごと無に帰すような説を平然と唱えてしまうところがホーキングの凄味ですね。ちなみに「ホーキング、宇宙を語る」が出版されたのは、この無境界仮説が出てから5年後で、従ってこの本も無境界仮説の立場に立って執筆されています。
たぶん、ここでイメージされているのは、地球のような球体でしょう。ただし三次元空間での球体ではなく、もっと高次元の球体をイメージしています。例えば巨大なCTスキャナで、北極点から徐々に、緯度に添って地球の断面をスキャンしてみることを考えると、最初は一点に過ぎなかったものが、ある程度まで急激に拡大する円として撮影されることでしょう。この円を、われわれの宇宙と見なすのです。この場合南北方向が時間を表します。
地球上で北極点に立ってみても、別に大きな柱が立っているわけでもなんでもなく、周りと同じ氷原が拡がっているばかりです。つまり北極点というのは、たまたま地球の回転軸という立場にありはするものの、地球の表面の他の場所と質的に違うわけではありません。同じように、宇宙もまた、ある一点が「時間のはじまり」になってはいても、そこには他の時空間と質的に違うものは何もないのではないか、と考えるのが無境界仮説です。
無境界仮説に立てば、もはや特異点を想定する必要はありません。われわれが時空間のある一点を、「はじまりの時」として北極点のように「認識」しているだけで、そこでは現在と同じように物理法則が成立していると考えるのです。
ホーキングはこの事情を、「この宇宙に神は必要ない」という言葉で表現し、そのため宗教関係者からだいぶ睨まれました。
はたしてこの考えが正しいのかどうか、それはいまのところ誰にもわかりません。どうすれば証明できるのか、あるいは反証できるのかさえ、誰も知らないでしょう。タイムマシンで宇宙創生の時まで遡ってみるか、あるいは超光速の宇宙船で宇宙の涯まで行ってみるか、そんなことでもしないと、本当の意味で実証することは無理そうです。せいぜいコンピュータによるシミュレーションで試してみるのがせいぜいでしょう。 晩年のホーキング博士は、ロシアの大富豪と組んで、アルファ・ケンタウリに探査船を飛ばす計画に取り掛かっていたそうです。
アルファ・ケンタウリは太陽系からいちばん近い恒星(実は連星で、相方のプロクシマ・ケンタウリのほうが近くなることがある)ですが、光速でも4年4ヶ月くらいかかる距離です。このまえ冥王星を訪れたニュー・ホライズンズが、いまのところ人類が打ち上げた最速の宇宙船ですが、この船が最高速度に達した木星でのスウィングバイのときでも秒速23キロ程度で、光速の1万分の1にも足りません。
探査船が、ニュー・ホライズンズを上回る、例えば平均秒速30キロで飛んだとしても、アルファ・ケンタウリまでは4万3千年ほどかかります。まさに遠大としか言いようのない計画です。はたしてその頃まで人類は生き延びているでしょうか。
さすがにホーキングも、これはそれほど本気ではなかったのではないかという気もしますが、とにかく動けないからだの中で、彼の頭脳だけはいつも大宇宙を駆け巡っていたに違いありません。肉体が亡びたいまも、もしかしたらホーキング博士の魂は宇宙そのものに拡散し続けているのではないか、などとちょっと想像してしまいます。
(2018.3.17.)
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