マレーシアの総選挙で、92歳のマハティール氏が首相に返り咲いたというニュースには驚きました。 マハティール氏といえば、「ルック・イースト」政策で知られています。西洋文明に倣うよりも、東洋、とりわけ日本を模範として国の発展を図るべきだという主張です。中国・韓国はもとより、東南アジア諸国にも先の戦争でのことでずいぶん恨まれているに違いないと自虐的になっていた当時の日本人が、マハティール氏の言動にどれほど救われたか、いまではむしろ想像がつきづらいかもしれません。そのころの日本の謝罪外交を批判した最初の外国首脳のひとりでもあります。非公式に言う人はそれまでも居たと思いますが、公式な場で 「日本はこれ以上、先の戦争のことについて謝る必要は無い」 とはっきり言ってくれた首脳はそれまでほとんど居ませんでした。 そういう意味では、台湾の李登輝元総統と並んで、日本人の自尊心の回復に非常に寄与してくれた人であったと思います。中国人や韓国人からしてみれば、 ──余計なことをしやがって! と言いたいところだったかもしれませんが。 かつて22年間というもの首相の座にあり続けて、いわゆる「開発独裁」の典型とも言われました。発展途上国が急速な発展を図るときに、ある程度国民の自由を制限しても、強力なリーダーが牽引したほうが良いというのが開発独裁の考えかたです。インドネシアやフィリピンなどでまずこの言葉が使われましたが、マハティール氏はスハルトやマルコスに較べてより開明的であり、また私腹を肥やすことが無く、ややダーティなイメージのあった開発独裁という言葉に、もっと明るくポジティブなイメージを付け加えた人だったと言えましょう。 それはそれとして、マハティール氏は2003年に栄光に包まれて隠退したはずです。何度かの経済危機も危なげなく回避し、政治的に安定したのを見届けて首相を退任し、サイドシラジュディン国王からSNN勲章と「トゥン」の称号を贈られました。SNN勲章はマレーシアの最高位の勲章です。トゥンという称号がどのくらいの意味を持つのかはよくわかりませんが、英語ならロードの尊称、日本で言えば殿上人(従三位以上)という感じでしょうか。 それが、その後も政治からは身を引かず、それもフィクサーみたいな立場で他の人々を動かすならまだわかりますが、みずから新党を結成し、さらに野党連合を糾合し、ついに現ナジブ政権を制して、マレーシア初の政権交代を成し遂げるという、いわば常に第一線での活動を続けて、92歳にして首相に返り咲くとは、開いた口がふさがらないほどの矍鑠(かくしゃく)ぶりです。政敵からすれば、妖怪のようにすら思えるかもしれません。 今年92歳ということは、1926年生まれですから、昭和元年(大正15年)ということになります。同い年の日本の政治家を探してみると、近年まで名前を聞いた人としては梶山静六氏が居ます。もちろん、もう亡くなりました。中曽根康弘氏がもうじき100歳を迎えますので、だいたいのイメージが湧くかと思います。 ナジブ前首相は、相当な親中派で、中国に入れ込みすぎており、マハティール氏から見ると危うい気がしたのかもしれません。それにしても、もっと若い人を立てるということはできなかったのでしょうか。長い政治生活を送ってきた氏からしてみれば、どいつもこいつもクチバシの黄色いひよっこで、頼りなく見えて仕方がなかったのだとも考えられます。あるいは国のために身を捨てるような気概のある者が見あたらず、みんな私利私欲まみれの腐ったヤツばかりだと思えたのか。いずれにしろ、マハティールという政治家は、他人を信じて任せるというタイプではなく、何事も自分でやらないと気が済まないタイプだったのではないでしょうか。 マハティール氏の印象が強すぎて、マレーシアという国のトップは彼だったと思われがちですが、この国は一風変わった立憲君主国です。上にもサイドシラジュディン国王の名前が出ましたが、現在の国王はムハンマド5世といいます。実は、任期制の王様という、世界でも珍しい体制をとっているのでした。 マレーシアは13の州から成っていますが、そのうち9つの州には「藩王」が居ます。原語はスルタンなので、まさに「王様」なのですが、その権限が通じる範囲が狭すぎるので「藩王」という聞き慣れぬ訳語を用いることが多くなっています。単に「首長」と訳すこともありますが、それだと知事などのイメージと重なってしまいます。まあUAE(アラブ首長国連邦)というときの「首長」と似たニュアンスではありましょう。 私は藩王などという訳語ではなく、「大名」で良いのではないかと思っています。戊辰戦争の頃に、東北地方の大名たちが奥羽列藩同盟というのを起ち上げましたが、それが固定化し独立したようなイメージでとらえるのが妥当な気がします。 ともあれ、これら9州の大名たちが、5年に一回、互選で「国王」を決め、それが「マレーシア連邦」の元首ということになります。言うなれば、仙台の伊達の殿様、米沢の上杉の殿様、会津の松平の殿様などが、ときどき集まって盟主を決めるみたいなものです。 大名たちは、それぞれの州の中ではある程度権威と権力を兼ね備えた存在ですが、マレーシア全体についてはあくまで立憲君主であって、国王になっても政治にはあんまり口を挟みません。だから首相の存在感のほうが大きくなります。特にマハティール氏は22年間も首相をやっており、そのあいだに国王は4、5人代わっているわけで、知名度が低くなるのもやむを得ません。 私はマレーシアに1回だけ行ったことがあります。石油の探鉱をおこなっていた父が、クアラルンプールに置かれたプロジェクトカンパニーの社長として赴任していたため、その期間中にいちど、家族で訪ねて行ったのでした。大学を出て間もなくの頃であったと思いますので、1990年前後で、まさにマハティール氏の治世下のことでした。 1週間くらいの旅であったと記憶しています。前半は父の宿舎に滞在して、クアラルンプールの街を歩きました。動物園へ行ったら、そこらへんを体長60センチばかりの大きなトカゲ──日本のトカゲのようなスリムなのではなく、イグアナに似ているずんぐりむっくりしたヤツ──がのそのそと歩いていて、檻から逃げ出したのかと思ったら野生のトカゲだった、なんてのが鮮明な記憶として残っています。 店などでは英語の表示がありましたが、綴りが自由奔放で笑ってしまいました。ブティックの看板には「BUTIK」と発音どおりに書いてあります。バティックbatikという特産の布があるので、それにひっぱられたようでもあります。同様に写真屋には「FOTOGRAF」とありました。会話でもある程度英語は通じますが、向こうのしゃべる文法はこれまた自由奔放でした。 「I go to school yesterday」 というような感じで、何もwentなんて言葉を使わなくとも、yesterdayと言っているのだから過去のことだくらいわかるだろ、という開き直ったみたいな英語なのでした。アジアン・イングリッシュというヤツですね。この程度で良いのなら私にもしゃべれそうだぞ、と思ったものです。 後半はシンガポールに1泊で訪ね、続いてティオマン島というリゾートに2泊しました。マレーシアのリゾートとしてはペナン島が有名ですが、マラッカ海峡に浮かんでいるために若干海が汚れており、その点東海岸側にあるティオマン島のほうが海水はきれいだということでした。 確かに海はきれいでしたが、海底にナマコとウニがやたらと密集しているのに閉口しました。ウニはトゲが長いヤツで、踏んだりすると大怪我をしそうです。足がつくあたりで泳いでいるとかえって怖く、水深3メートルくらいないとウニを踏み抜きそうでした。ちなみに深いことの怖さというのは、底が見えなくなることに由来するところが大きいようで、透明な水にまっすぐ陽光の差し込んでいるティオマン島の海の場合、7メートル程度くらいまでは充分に底が見え、深くて怖いということはありませんでした。 それよりも、私は充分に陽焼け止めを塗らないで泳いでいたせいで、大変な陽焼けとなり、七転八倒の苦しみを味わいました。海から上がってシャワーを浴びると、温水なのに冷たく感じます。汗腺が全部つぶれてしまっているようで、からだが熱を持っているのに汗が全然出ません。熱の放散ができないので、体温が上がっており、寒気すら感じました。親は私がコレラにでもかかったのではないかと心配したようです。数日経って、水ぶくれができてくるまでは死ぬ想いでした。水ぶくれというのは、下層の皮膚の汗腺が復活して汗が出てきたものが、表皮の汗腺がつぶれているために行き所が無く、表皮の下にたまってしまったものですので、これができると体熱を捨てられるようになるため、体温が下がってだいぶ楽になるわけです。 ガイド付きの観光タクシーに乗って、けっこう遠くまで行ったこともありました。マラッカの街を訪ねたのは憶えています。歴史的建造物も多い街ですが、私はそんなものよりも、道ばたにカブトガニが落ちていたのが印象的でした。日本では天然記念物で容易にお目にかかれませんが、石畳の道に本当に無造作に落ちていたので驚きました。当然死骸だろうと思って、あの長い尻尾を持って持ち上げてみると、裏側にあった脚がカシャカシャと音を立てて動いていたので、またまたびっくりです。タイでは食用にもしているようですし、あのあたりではべつだん珍しい生き物ではないのかもしれません。なお、カブトガニの尻尾に毒があるというのは嘘だそうです。ただフグと同じテロドトキシンが含まれている場合があるので、食用にするときには注意が必要だとか。ともあれ持ち帰るわけにもゆかないので、そのまま石畳の上にもういちど置いてきました。 日本に帰るとき、飛行機がダブルブッキングになっていたらしく、ビジネスクラスに乗せられました。そんなことがありうるとは、当時まったく思いもよらなかったので、せっかくのビジネスクラスなのに、ずっと何かの間違いではないかと心配で落ち着かず、成田に着くまで充分にくつろげなかったのが残念至極です。 マレーシアはきれいな街が多いし、治安も比較的良いし、また訪ねてみたい国のひとつです。しかし最近はどうなっているのでしょうか。ナジブ前首相の露骨な親中政策で、中国人がかなり大量に入り込んでいるらしく、だから汚くなったとか治安が悪くなったとかいうわけではありませんが、雰囲気としては良くないようです。中国企業というのは外国に進出した場合、現地人を雇ってその土地の経済に寄与することは少なく、本国から労働者を呼び寄せて働かせるというケースが多いために、もとからの住民には嫌われることが多いのでした。その分、どうしても多少治安が悪化するということはありそうです。
マハティール氏の返り咲きにより、マレーシアの政策はふたたび日本寄りになる可能性も高く、当分目が離せません。 (2018.5.11.) |