I ちょっと個人的なアクシデントがあり、パソコンを使うのに手間取る状況でした。。 この前の日曜日(2018年10月14日)の午後、買い物をしようと自転車で出かけました。いつも通る道ではあり、何か起こる予感も何もありませんでした。 家を出て2分足らず、何をどうしたのかまったく記憶にないのですが、どうも一瞬意識が飛んだようです。気づくと、うしろのほうから 「あーっ、危ない!」 という金切り声が聞こえ、次の瞬間ひどい衝撃を感じました。 自分が電柱にぶつかったことを理解したのはすぐあとで、すぐに自転車を下りようとしましたが、足がふらついて地面に突っ伏しました。 「大丈夫ですか?」 さっきの金切り声の主らしき主婦が声をかけてきました。口のあたりから血が噴き出してきたのがわかりました。答えようとしましたが、口がうまく動きません。 とにかく傷を押さえようとして、買い物バッグのなかを探りましたが、あいにくとタオルもティッシュペーパーも見当たりません。口まわりの傷は出血量が多いと聞きます。あとからあとから血が流れてきました。 その主婦もティッシュペーパーなどを持っていなかったらしく、おろおろしていると、今度はクルマに乗った主婦が通りかかり、 「どうしました?」 と訊ねました。 ちょうど一角がコインパーキングになっていたので、クルマの主婦はそこにマイカーを一時停止し(その程度のスペースはあった)、ティッシュペーパーをひとつかみ私に寄越してくれました。口元を押さえると、たちまち紙が真っ赤に濡れます。クルマの主婦は追加の紙をくれましたが、それで使いきったようで、あとはひたすら押さえているしかありません。 ふたりの主婦のあいだで会話が交わされ、救急車を呼ぶことになりました。家がすぐ近くだから大丈夫、と私は言いかけましたが、家に帰ってもどうにかなるものではなさそうだし、日曜のこととてどこの医者が開いているのかもわかりません。 クルマの主婦が携帯電話で救急車を呼んでくれました。消防署はすぐ近くにあるはずなのに、けっこう時間がかかりました。あとでわかりましたが、すぐ近くの南消防署ではなく、だいぶ離れた横曽根分署というところから出てきたようです。 救急隊員がひとまず止血を試みてくれました。少し圧迫してガーゼを当てます。 それからが厄介で、まず最近扱いが厳しくなったとかで、自転車で電柱にぶつかっただけといえども交通事故ということになり、警察を呼ぶはめになりました。その現場検証が済まないと出発できないようです。しかも、いちおう物損事故として、東京電力にも通報しないとならないそうな。 幸い警官はすぐ来てくれて、話もすぐ済んだようでした。その間、別の救急隊員が受け入れてくれる病院を探します。 わりに近い総合病院で、何度かお世話にもなったK総合病院は、残念ながら休日待機医が内科の先生だけだったらしく、今回の場合は無理。次に連絡したB病院で受け入れてくれることが決まりました。新郷地区のあたりで、ピアノ教室に自転車やバスで行くときに近くを通ったりしますが、家からは少々遠い病院です。 事故現場から家がごく近いことを言うと、一旦帰宅して、健康保険証やお金を持ってくることになりました。救急搬送の場合、病院の会計はひとまず預かり金を出して後日精算というのが普通なのですが、住所などを証明できたほうが良いので、やはり保険証は必要だとのことです。 救急車に乗って家に寄りました。サイレンは鳴らしているので、あたりに居た人たちが驚いて見ています。その中を下りてゆくのは、なんとなく気はずかしいものがありました。なお、自転車も救急車に乗せて運んでくれました。 ポケットから家の鍵を取り出すとき、左手の人差し指の付け根がひどく痛みました。さっきかた痛んではいたのですが、衝突したときにどこかにぶつけたようです。ひょっとすると骨折しているかもしれない、と不安になりました。 マダムは所用から実家へ帰る予定で、この午後は不在でした。保険証を持ち、財布に紙幣を入れ、それからだいぶ血しぶきを浴びていた服を着替えましたが、そんなことをしているうちにまた出血がはじまり、床にボタボタと血が落ちました。せっかく着替えた服が、また血に染まってしまいましたが、それ以上のんびりしてはいられません。 鍵をかけて救急車に戻りました。こういう怪我の場合、横にならないほうが楽だろうと救急隊員に言われ、長椅子に腰をかけて病院への到着を待ちます。 救急車で搬送されるのは生涯2度目です。20年あまり前に、尿管結石ができて朝早く七転八倒し、たまたま居合わせた母に呼んで貰いました。母も動顛し、受話器を手に持ったまま、 「救急車って何番だっけ?」 と愚問を発していたものでした。 ほどなくしてB病院に到着しました。私は別にストレッチャーに乗せられることなく、歩いて外科の診療室に向かいました。 一旦診療室に入りましたが、先にレントゲン撮影をおこなうことになり、放射線科の部屋に移動します。 付き添いが誰も居なかったせいか、救急隊員が一緒に付いてきてくれました。確かに病院での移動途中で倒れたりしたらえらいことです。 指と、打撲した膝のX線写真を撮り、外科の診療室に戻りました。 かなり若い、少々チャラい雰囲気もある休日待機医がやってきて、唇を縫合しました。何針縫ったのかよくわかりませんが、表側が約1センチ、裏側が1センチ半ほどの挫創であった様子です。 いままで触れていませんでしたが、前歯も1本折れています。この前歯は以前から少し欠けていて、いずれなんとかしなければならないところだったので、むしろすっぱり折れてくれて諦めがついたみたいなものです。歯については救急では対処せず、後日歯医者へ行ってください、と救急隊員から言われていました。唇の傷が治らないと、前歯の治療は難しそうです。ともあれ、その折れた歯が、電柱にぶつかったときに唇を突き破ったようなことであったらしいのでした。 左手の人差し指は、やはり折れていたとのことでした。大仰なギプスをつけられました。親指以外は満足に動かせないようなギプスです。 その日はそれだけでした。消毒薬や鎮痛剤を貰い、預かり金を渡して、近くのバス停からバスに乗って帰りました。マダムにいきさつを伝えないわけにもゆかず、バスの中で携帯電話でメールを打ちました。私はいつも、左手で携帯電話のボタンを押す癖になっているため、右手でメールを打つのにやや難儀しました。マダムは用事を終えて実家へ向かうところでしたが、すぐに帰ると返事が来ました。義父母が残念がるだろうからそのまま実家へ行っても良いのに、とそのときは思いましたが、やはり左手がギプスで固められていると何かと不便で、帰ってきてくれて良かったとあとで実感しました。 翌15日(月)、もういちどちゃんとした診察を受けるようにと言われていたので、B病院の別院であるクリニックに出かけました。診療開始は9時、受付は8時からで、バスで川口駅から20分ほどかかります。7時半という、普段の私ならまだ寝ている時刻に家を出ました。この日はゴミ収集があり、私は出る前に家のゴミを集める余裕がなかったのですが、マダムがやっておいてくれました。やはり居てくれて助かります。 クリニックの待合室はすでに人で賑わっています。受付を済まして外科の外で待っていると、問診票を書くように言われました。1枚書いて窓口に渡すと、少し経ってまた呼ばれました。外科用(唇)と整形外科用(指)の2枚記入しなければならなかったのでした。書くことはほとんど同じです。こんなもの共有できないのだろうか、と思いました。 先に整形外科に呼ばれます。わりに男前な感じの女医が、 「ああ、こんな大きなものつけなくて良いんで」 と言い、あっさりギプスを外して、人差し指に沿わせた副木に取り替えました。見た感じもずいぶん軽そうになります。何よりも、人差し指以外の指は動かせるようになったので、いろいろ助かりそうです。 「来週、もういちどレントゲン撮りますんで、来てください」 整形外科の診療はそれだけでした。ナースが包帯を巻いてくれましたが、包帯の巻きかたは昨日のギプスよりも難しそうです。 「家では巻けなさそうですね」 と言ったら、ナースは 「包帯を取り替えるだけでも、気軽にいらしてください」 と笑いました。家から近ければそうするんですけどね。 しばらく待って、外科のほうに呼ばれます。そちらのナースが、いきなりさっき巻いたばかりの左手の包帯をほどきだしたのでびっくりしました。すぐに勘違いとわかり、ナースは照れ隠しなのか 「道理で、ずいぶんきれいに巻いてあると思いました」 などと言っていました。 唇のほうは、特にあらたな処置は無く、注意事項だけ伝えられました。歯が唇を貫通してしまったので案外と傷が深く、表面だけ縫ったに過ぎないので、とにかく消毒殺菌を心がけて感染症などを防ぐようにとのことでした。こまめなイソジンによるうがいと、抗生物質の軟膏を忘れずに塗るのが大切であるようです。 この日はそれで終わりで、会計で救急処置分を合わせた精算をしました。意外と高かったので憮然としました。あとで聞くと、縫った針数で値段が決まってくるそうです。 どちらの科も、1週間後に様子を見るということで、また次の月曜に行かなければなりません。 そんなわけで不自由な生活になりました。人差し指以外は使えるとはいえ、ものを支えたりひっぱったりするときには力が入りません。爪を切ることだけは、かろうじて親指と薬指を使って可能でしたが、店売りのサラダなどについている、調味料の入った小袋を開けることもままならないのでした。
それより難儀なのは、パソコンのキーボードです。指の定位置が使えなくなっているのはもちろんですが、副木の当てられた人差し指がなんとも邪魔なのです。勝手にスペースキーを押してしまっていたりします。 それでもパソコンを使わなければならない、差し迫った仕事がいくつもありましたので、普段よりも時間がかかることを勘案して、より仕事に没頭しました。幸い、マダムが大変協力的で、いつも私の役目になっている家事などをずいぶん肩代わりしてくれ、おかげで仕事に宛てられる時間も増えました。 結果、文章を打つのは依然としてやりにくさがありますが(この日誌もよくここまで書けたものです)、Finaleで楽譜を作る作業は、かなり習熟しました。怪我以来、立て続けに4つくらいの譜面作成をこなしましたから、むしろいつもよりハイペースなほどです。左手でやっていた操作を右手に受け持たせるのは確かに大変でしたが、動きが慎重になった分イージーミスが減ったようでもあります。 非常に幸いなことに、今週は外に出る仕事がほとんどありませんでした。クリニックへ行った月曜日は、午後に予定がありましたが、なんとか繰り合わせのつくことだったのでキャンセルしました。あとは火曜のコーロ・ステラも、金曜のクール・アルエットも今週は行かなくて良い日で、パソコン仕事にはいそしんでいましたが、けっこう静養できたような気がします。来週は忙しくなりますが。 指はどのくらいで治るのか気になります。調べてみましたが、折れかたや本人の体調などによって非常にまちまちで、相場などは無さそうでした。前に足の甲を骨折したときは6週間ほどかかりましたが、常に体重のかかる足とは条件が違うでしょう。むかし手首を折ったこともありますが、骨の太さその他が全然違いますから、これも参考にはならなさそうです。 唇のほうは、表側はほとんど治りかけてきた感じで、かさぶたみたいなのが浮いてきましたが、裏側がまだ心許ないようです。化膿などはしてきていないと思いますが、油断せずにイソジンうがいを繰り返すしかないでしょう。 何しろ誰のせいにもしようのない、全く自分の責任であるマヌケな事故で、その影響による不利益は甘受するほかないのですが、早く良くならないものかと念じています。 (2018.10.19.) |
III 昨日(11月3日)は新宿区の合唱のつどいがあり、今日(4日)は北区の合唱祭に引き続いて、川口第九を歌う会の指揮者合わせの仕事がありました。新宿区ではクール・アルエットの合唱指揮をし、北区ではChorus STの一員として歌い、そして川口第九を歌う会では伴奏ピアニストを務めたわけです。なかなか多忙な週末でした。 それらとからめて、怪我の予後状況をご報告しておきたいと思います。 上に書いたとおり、月曜日(10月29日)には手の副木が外されました。ほぼ2週間で拘束から解放されたわけです。もっとも、その日にレントゲンを撮ってみたら、骨はまだ全然くっついていなかったようです。 ──くっついていてもいなくても、来週には外すから。 とその前の週に言われており、その宣言どおりに外したということです。最近はわりに早めにギプスや副木を外すのが主流になっているようで、固定する期間が長いほど運動機能を回復するのに時間がかかるためでしょう。もちろん、外して動かしても、骨がずれたりすることはないと見定めた上でのことでしょうが、とにかく昔よりはだいぶ早く外れることになっているようです。 毎日10回、手を握ったり開いたりする訓練をするようにと言われました。もし片手だけでは無理なようだったら、もう一方の手で押さえつけてでもしっかり握るようにとのことでした。くっついていないのにそんなことをしては、ずれてしまうのではないかと思いたくなりますが、しかし6日後に「第九」のピアノを弾かなければならない立場としては、指を動かす訓練を早くはじめることに異存はありません。 帰りのバスの中で、早速手を握ろうとしてみました。2週間固定されていた人差し指は、本当にろくろく動かなくなっており、無理に曲げようとすると疼痛が走りました。やれやれ、これで1週間足らずでピアノなど弾けるようになるのだろうか、と思いやられました。 が、右手を指に添えて、徐々に圧力をかけて曲げてみると、痛いのはある角度になったときだけで、それを通り越すとわりにしっかり握ることができるようでした。もちろんまだ力は入りませんが。 とりあえず折れたところが痛むわけではなく、痛いのはもっぱら指の関節のところで、骨折の痛みというよりは筋肉痛とか関節痛とかのたぐいと思われます。それなら、我慢して訓練をおこなうしかないでしょう。 それにしても、2週間固定されていただけで、筋肉というものはこんなに動かなくなるものなのかと驚きました。おりしも、安田純平氏がテロリストの人質から解放されて、何ヶ月もからだものばせず音さえ立てられないような狭い空間に閉じこめられていたと称していたわりには、普通にスタスタと歩いたりしてきわめて元気そうなのをいぶかる意見が頻出していました。私は自分の体験から確信を持って言えますが、そんな状態で何ヶ月も過ごしていたら、全身の筋肉がこわばってほとんど動くこともままならなくなったはずです。おそらく普通に歩けるようになるには、半年とか1年といった長期にわたるリハビリが絶対に必要です。テロリストが解放前にそんなリハビリまでしてくれたとでも言うのでしょうか。 病院から帰ってきて、さっそくピアノに向かってみました。やはりすぐに打鍵は無理なようでした。他の指を使っても、人差し指に響いて、あまり力が入りません。 はじめからあんまり飛ばしすぎると良くないと思ったので、その日はピアノを弾くことは諦め、パソコンのキーを打つにとどめました。マダムの友人にも、副木が外れた途端に無理をしすぎて、肉離れだか筋違えだかを起こしてしまい、4週間で治るところを6週間かかってしまったという人が居ますので、無理は禁物です。 パソコンのキーを打つのは問題なくできました。何よりも、副木が余計なキー(多くはスペースキー)を勝手に押してしまうという、イライラする不都合が生じなくなったのは素晴らしいことでした。とはいえ、やはり多少は痛みがあり、ついつい他の指で代用してしまいます。特に、T、Y、Hといった、少し人差し指を伸ばして押すことになるキーはしんどいようでした。FとかGといった、特に伸ばさなくとも押せるキーは大丈夫です。 最初の数日は、グーとパーを5回連続で繰り返すだけでも脂汗がにじむような状態で、時間をあけて2、3セットやることで10回のノルマを達成していました。処方して貰った消炎剤がけっこう有効で、握りしめたことではっきりと熱を持っている指に塗布すると、じんわりと痛みが和らぐようでした。 そのうち、右手を添えなくとも、両隣の親指や中指で押さえれば曲げられるようになってきました。10回連続もなんとか可能になりました。少しずつは回復しているようです。 木曜になって、ふたたびピアノに向かいました。副木を外して4日目です。 人差し指自体を使うことはまだ充分にはできませんが、それ以外の指で補えないかどうか確かめる必要がありました。月曜にはそれも無理だったわけです。 第九の該当箇所を次々とピックアップして弾いてみました。中指などで代用できる部分がけっこうあり、意外と行けそうな気がしました。もっとも、いつも使っていない筋肉を使うことになったようで、あとで若干筋肉痛になりましたが。 どうしても人差し指を使わざるを得ないところもありましたが、もともとそんなに正確に弾かずごまかしていた箇所が多かったため、さほど問題はないのではないかと思ったのでした。ただ音量はどうしても小さくなります。フォルティッシモで、人差し指の含まれた和音を叩くのは無理でした。 そんな状況で迎えた週末、まず新宿区の合唱のつどいです。 これは指揮なので指は関係ない……かと思ったら案外とそうでもありません。指揮をするときに、自分でも意外なほどに、指先を使った表現をしていることに気がつきました。左手の振りが、妙に心許ない感じなのです。 また、指揮をするときには、指先というのはかなり速い移動をしているということもわかりました。遠心力が働く感じが、怪我した指に特に響くようなのでした。不自由になってはじめて気がつくということも、いろいろあるのですね。 クール・アルエットの演奏は、本番で一箇所パートがフライングしてしまったところがありました。テンポの速い曲で団員がなかなか乗り切れなかった曲ではあるし、練習回数が少なめで自信も持てず、練習のときにもなかなかうまくゆかない箇所だったのは事実ですが、最後のリハーサルのときには問題なかったので油断したかもしれません。しかしそれにしても、私の左手の振りが鈍かったせいかもしれないと反省しています。 Chorus STで出た北区合唱祭は、歌うだけなので特に支障はありません。ただ歌にかこつけて唇の怪我の経過を記しておきます。 唇は1週間で抜糸しましたが、抜糸した外科医が見逃してしまったか、糸の結び目がひとつ唇に残ってしまっていました。そんなに目立たないとはいえ、気になることは気になります。吸収糸なのでいずれ溶けるにしても、それまで糸くずをくっつけたままというのもどうかと思います。自分で抜けないかと思ってひっぱってみましたが、結び目のところだったせいかうまく抜けません。抜いて抜けないこともないのでしょうが、まだ完全に中の組織がくっついたかどうか確信が持てず、下手に引っこ抜くと傷口が開いたりしまいかという危惧があります。 そのうちマダムが気にして、自分の眉毛切りばさみで切ってくれました。結び目を切るとすぐに抜けました。あっけないほどでした。 かくして外側も内側も、すっかりきれいになりましたが、縫い目そのものはまだ残っています。しばらくは消えないでしょう。その部分はまだ神経が戻っていないようで、感覚がありません。唇の一部に感覚が無いので変な感じです。歯医者で前歯の治療をする際に麻酔を打ったときのような感じがずっと続いていると言えばおわかりでしょうか。とりあえず、歌ったり食べたりする分には支障はありません。 その前歯ですが、欠けたところが大穴になっており、ときどきご飯粒がそこからこぼれるので難儀します。また、スパゲティやうどんのような長ものの麺類は、噛み切ろうとすると麺がその穴にはまってしまい、少々食べづらいのでした。麺類を食べるときには、人は思いのほか前歯を使っているようです。 唇が治るまで、歯の治療は無理だろうと思って放っておきましたが、そろそろ歯の治療もしなくてはなりません。 Chorus STの出番が終わってから、他の団員と別れて川口に帰ってきました。少し時間があったので一旦帰宅します。 指揮者合わせは17時半からでした。ずいぶん早い時刻です。今回の指揮者合わせは、時期も異例に早いし時間帯も早くなっていました。例年の、11月末とか12月はじめとかの時期であれば、指も充分治っていたでしょうに。 やってきた講師仲間みんなに 「大丈夫?」 と訊かれました。むろん大丈夫ではありません。どれだけごまかして弾けるかの勝負です。 結論から言えば、わりとうまくごまかしきれたかな、と思いました。 最初の「Freude!」と叫ぶところはまったく問題ありません。次の「Deine Zauber」と歌う部分も、他の指でのカバーが楽にできました。さらに次の「Ja, wer auch nur……」は若干弾きづらさはあったものの、これも楽々クリア。 まず難関は、その先の「Kusse gab sie……」からはじまる部分で、後半に左手の急速な音階が出てきます。この形ばかりは、人差し指を使わずに弾くのは困難で、やろうとするとかなりの練習期間を設けてじっくり馴れなければならないでしょう。ただ、そんなにかっちりと弾かなくともごまかしは利きます。なんとなくうやむやにしてクリア。 次に男声合唱のフレーズが出てきます。ここは左手に力強い和音が連続しますが、人差し指を使わずに弾くことは可能でした。若干音を落とすことになりますが、響きとしてはそう変わりません。ただ、勢いがついているために、いつもと違うことをするとミスタッチをしやすいのは事実です。 そして「歓喜の歌」のフルコーラスとなります。左手が忙しく駆け回る部分です。人差し指を使わないのはほぼ無理です。しかし、駆け回りであるだけに軽快な動きでもあるので、そんなに大音量でしっかり弾くことはありません。騙し騙しであればそれらしく弾くだけの技術はあります。 ゆっくりしたコラールの部分は、人差し指を使わなくとも弾けました。後半の静かなところでは、あえて人差し指を加えて和音を弾いてみたりもしました。弱音の和音であれば、音の配置にもよりますが、そんなに苦労せずに出せるようでした。 二重フーガ。いちばん心配なところでしたが、これも「歓喜の歌」の部分と同じく、ごまかしながらなんとかしのげました。同じ事情はいちばん最後のプレスティッシモのコーダのところにも言えます。 意外にも、いちばん心許なかったのは、「Alle Menschen, alle Menschen……」とたたみかけるところで、ここで登場する急速な「分散和音」については、他の指に咄嗟に差し替えることができず、人差し指を出さざるを得なくて、しかも少しばかり痛みを感じました。 痛みを覚えたのはそこくらいでしたが、1時間合わせをやって休憩に入ると、やはり少し指が熱を持っており、すぐに消炎剤をたっぷりと塗りたくりました。後半の1時間が終わったあとも、もちろん塗布を怠りません。 そんなわけで、心配していた負傷3週間目の「第九」伴奏は、なんとかごまかしきりました。 次なる心配は、今度の土曜日(10日)に控えている世田谷区合唱祭での、コーロ・ステラの伴奏です。
こちらは、「第九」ほどに忙しく左手を駆使する必要はありませんが、また「第九」ほどごまかしの利くピアノではありません。もっと明快で、ミスタッチをすれば非常に目立ちます。 先々週から伴奏付きの練習となっており、2週連続でマダムについてきて貰って連弾で伴奏しました。こういうとき、嫁さんもピアノ弾きであることの幸運を思わざるを得ません。明後日(6日)に3度目の、そして本番前最後の練習があり、これをどうしようかと思っています。様子を見て、またマダムに連弾を頼むかどうか決めなければなりません。 連弾はしないにしても、本番での譜めくりは頼もうかと考えています。「夜の歌」の譜めくりがけっこうタイトで、7月の演奏会のときにも薄氷を踏む想いでした。あわただしくページをめくろうとした途端に痛いところをぶつけでもしたら目も当てられません。あと1週間(正確には6日)で、もう少し回復するでしょうか。 いまのところ、パソコンのキータッチに関しては、副木の外れた当初に較べればだいぶ自在になってきました。ただ、痛みというよりも、感覚が鈍くなっていて、動きが自分で思ったよりも遅いようです。そのため、上に書いたようなT、Y、Hといった文字の打鍵が遅れ、これらはいずれも子音字であるために、それに続く母音字を先に打ってしまう、という支障がまだ残っています。例えば、「余地」と書きたいようなときに、ヨのYよりOが先に出たり、チのTよりIが先に出たりして、気づくと「おいt」となってしまっているような調子です。だんだんと反応速度を上げてゆくしか仕方がないでしょう。 (2018.11.4.) |