ニュースのまとめサイトを眺めていたら、面白い記事が出てきました。
作家の五島勉氏がテレビの音声インタビューに応え、 「子供たちには謝りたい。子供が読むとは思っていなかった。まじめな子供たちは考えてご飯も食べられなくなったり、悩んだり。それは謝りたいと思う」 と発言したとのことです。 五島勉と言えば、「ノストラダムスの大予言」で一世を風靡したお騒がせ人です。 ノストラダムス(ノートルダム)は、いまさら言うまでもなく16世紀フランスで活躍した占星術師です。予言詩と呼ばれる四行詩を大量に残し、一部の好事家にはよく知られていました。仕えていた国王アンリ2世の事故死(槍の試合で負傷し、その傷がもとで崩御)を予言したということで、生前から信奉者も多かったようです。アンリ2世の王妃であったカトリーヌ・ド・メディシスにも寵愛されたと言います。本職は医師であったらしいので、薬屋から成り上がったメディチ家ともつながりがあったのかもしれません。 予言は百詩集という形で示されました。四行詩を100首集めて1冊としたもので、当時の詩集としてはありふれた形式でした。ノストラダムスはこの百詩集を何冊も発表しましたが、別にノストラダムスだけが書いた形式というわけでもありません。 その多くは、意味不明のお筆先的な詩なのですが、中にはときどき現実に起こった事件を比定できそうなものもあり、どの詩がどの事件を予言しているのか議論になったりしました。まあ好事家的な議論ではありますが。 よく考えてみれば、そんな風に議論になること自体、予言としてはあやふやであると言えましょう。本当に予知の力を持っていたとしたら、もっとはっきりと具体的に書くことができたはずです。まあ、予言者の言い分としては、あまりはっきりと言ったり書いたりすると、その予言そのものが人々の行動を拘束し、未来が違ったものになってくる危険があるため、わざとあいまいな書きかたをしたのだ、というところでしょうね。 そんなわけでノストラダムスは、欧米では長く語り伝えられ、オカルト好きの人々のヒーローとなっていました。 彼を日本に紹介したのは、黒沼健氏だったかと思います。黒沼氏は推理小説、SF、伝奇小説などの作家として活躍しましたが、超古代文明とか、超能力とか、異次元とか、つまりはいまなら「ムー」に載りそうなさまざまな話題を、海外の雑誌などから翻訳して紹介するという活動を精力的におこなっていました。ノストラダムスの予言もそのひとつでした。 黒沼氏はあくまでネタとして話題を紹介しているだけで、自分で書いたことを信じていたわけではありません。従ってその著作も、いわゆる「トンデモ本」とは一線を画しています。ノストラダムスについても、 ──こんな解釈がおこなわれているが、さてさて読者諸君はどう思われるだろうか? というスタンスに過ぎませんでした。
本来、その程度の扱いがふさわしいと言えるノストラダムスを、不世出にして的中率100%の大予言者に仕立て上げ、一種の終末論と結びつけて一大ムーブメントを捲き起こしたのが、五島勉氏だったのでした。 百詩集のほとんどはあやふやな書きかたをされていましたが、中にはわりにはっきりと年号を記したものもいくつかあります。とりわけ、次の詩はインパクトがありました。百詩集の第10巻、72番に置かれた詩です。 L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois, Du ciel viendra un grand Roy d'effrayeur, Ressusciter le grand Roy d'Angolmois, Avant après Mars régner par bonheur. まず1行目に「1999年(an mil neuf cens nonante neuf)」というはっきりとした年号が現れます。1999という数字のインパクトが強烈で、非常に印象に残ります。この年号については、まず議論の余地は無いでしょう。 ただその次の「sept mois」というのは、明らかに「7ヶ月」でしょう。ところが五島氏はこれを「七の月」と訳しました。「七の月」では、「第七の月」つまり「7月」のように感じられます。実際、その後も何かが起こるのは「1999年7月」である、という印象で流布されていたと記憶します。誰が付け足したのか、「1999年7月7日」とまで特定しているのも見たことがあります。 2行目は「grand Roy d'effrayeur」が空からやってくるだろう、という意味になります。ではその「grand Roy d'effrayeur」とは何か。普通に訳すと「恐怖の大王」ということになります。この字面がまた強烈でした。五島氏は当初はこれを「異星人の襲来」と見ていたようです。空からやってくるのだから異星人がいちばんふさわしいでしょう。しかしその後、核兵器、大洪水、天体衝突などの説も生まれました。いずれにしろ、「人類を滅亡させるほどの力を持った何者か」という点は揺らぎません。 実は私は、音楽家としての立場から、この「恐怖の大王」はそんな大それたものではなさそうだと思っています。「Roy d'effrayeur」とは、おそらくラテン語では「Rex tremendæ」であり、レクイエムなどに普通に現れる言葉です。「御稜威(みいつ)の大王」などと訳されることもありますが、より簡単にはまさに「恐怖の大王」です。この「恐怖」はむしろ神聖なもので、「最後の審判で裁かれることへの恐れ」なのです。つまり、ここに出てくる「恐怖の大王」とは、キリストのことにほかなりません。 前半の1行目と2行目は、現在のWikipediaに掲載された訳では、 1999年7か月 空から恐怖の大王が来るだろう となっており、五島氏の訳では確か 1999年 七の月 空から恐怖の大王がやってくるだろう とか言うのだったと思いますが、私の解釈では 1999年には7ヶ月間 キリストが天から降臨するだろう ということになり、なんだか全然印象が異なることになります。 次に3行目です。これも全体の意味ははっきりしており、「grand Roy d'Angolmois(アンゴルモワの大王)」をよみがえらせる、ということです。ただこれもまた、そもそも「grand Roy d'Angolmois」とはなんぞや、というところに問題があります。 五島氏以前でいちばん標準的だった解釈は、アンゴルモワの大王とはルイ14世のことである、というものでした。Angolmois(アンゴルモワ)はAngoumois(アングーモワ)の書き間違いもしくは置き換えであるという考えかたです。アングーモワというのはフランスの中西部にある地域で、フランソワ1世がここをもとの領地としていたことから、アングーモワをフランス全体の暗喩と見たのでした。そしてノストラダムス以降のフランス王のうち「大王」の名にふさわしいのは太陽王ルイ14世しか居ないから、というのがこの説の根拠です。さほど面白い解釈ではありません。 五島氏はAngolmoisを、Mongoliasのアナグラムと読み解きました。つまりモンゴルです。モンゴル大帝国の侵略は、16世紀のヨーロッパ人にとっては、「そう遠くない過去の大事件」であったでしょう。チンギス汗、オゴデイ汗といった帝王の名前は、まさしく「恐怖の大王」にほかならなかったのです。そのモンゴルがよみがえるとなると、悪夢だったにちがいありません。 もちろんここでモンゴルと呼ばれているのは実際のモンゴルに限らず、要するに中国をはじめとする東からの脅威を意味しているのでしょう。そうだとすると、1999年よりもむしろ現在の国際情勢に近い気もします。 なお最近、「アンゴルモワ」というマンガが人気で、アニメ化もされました。元寇を扱った作品であり、タイトルはもちろんノストラダムスから採っています。 ルイ14世か、それともモンゴル帝国か。どちらにせよ、2行目とのつながりがよくわかりません。ルイ14世が恐怖の大王によみがえらせられるというのも変な話ですし、五島氏以降の解釈は、なんだか「恐怖の大王」=「アンゴルモワの大王」としているようで、それも納得しがたいものがあります。 4行目は解釈困難です。Wikipediaでは マルスの前後に首尾よく支配するために と訳しています。五島氏の訳は正確には憶えていませんが、 幸福の名のもとにマルスは支配する といった感じであったように思います。 マルスというのはローマ神話の戦争の神ですから、それが支配するというのは、戦争状態になることを意味しているのだ……という解釈をよく聞きました。「幸福の名のもと」というのは、戦争はいつも景気の良い大義名分を掲げるものだから、というところでしょうか。 しかし、原文を見ると、どうも違うような気がしてなりません。「avant」は「(時間的に)前に」ということであり、「après」は「(時間的に)後に」ですから、合わせて「前後」、その後にくる「Mars」は人や神様の名前というより、単に「3月」ではないでしょうか。 regnerは「支配する」「統治する」で良いでしょう。そして最後のbonheurは「幸せ」と訳されるので、幸福の名の下に云々としたのでしょうが、parがついてpar bonheurとなると、「幸運にも」という副詞句になります。 少なくとも、「幸福の名のもとにマルスは支配する」というのははっきりと誤訳であると言えましょう。マルスは主語ではないのです。戦神のマルスより、もっと素直に読める「3月」を五島氏が採らなかったのは、1行目の「七の月」と抵触するからでしょうか。 4行目の意味は、 幸運なことに、3月前後に世を治められる とでもするのがいちばん近そうです。誰が治めるのかと言えば、これはもちろん「恐怖の大王」か「アンゴルモワの大王」でしょう。ということは、どう見ても「恐怖の大王」や「アンゴルモワの大王」は、人々にとって「喜ばしい」存在であるとしか思えないのです。人類滅亡とか、そんなことを詠った詩とは考えられません。 しかし、五島氏はこれを人類滅亡の予言と読み解き、それを大々的に宣伝したのでした。 その終末論としてのリアルさを確かなものにするため、五島氏はノストラダムスを無謬の大予言者として描きました。そしてその詩がいかに予言として的中しているかを示すため、ありとあらゆる詭弁やねじ曲げを用いて現実の事件にこじつけました。 さらに意図的か無意識にかはわかりませんが、五島氏は大誤訳をごり押ししています。原典の百詩集(Les Centuries)を、あろうことか「諸世紀」と訳したのでした。この訳題からは、何世紀ものあいだにわたるさまざまな出来事の予言、というイメージが感じられ、ノストラダムスの予言者としての自信のようなものすら漂ってきます。確かにcentrieは「世紀」という意味もありますが、それ以前に「百まとめた」ということであって、この場合は100首の詩を集めたという以上の意味はありません。 あやふやな表現で書かれた予言というのは、「当たっていると言われれば当たっているように見えるが、外れていると言われれば外れているようにも見える」ものです。そのため、五島氏独特の断定口調で当たっていると言われれば、なるほどすごい的中率で当たっている、と思ってしまう人が増えるのも無理はありませんでした。 最初の「ノストラダムスの大予言」が出版されたのは昭和48年。おそらく読者の大半が1999年まで生きられると思われ、また環境汚染や交通麻痺などが深刻だった時期でもあり、終末論が受け容れられやすい条件が揃っていました。特に若い読者たちに、この本は大きな影響力を持ったようです。 五島氏としては、最初は黒岩氏の本と同様、一種のネタ本として読まれると思っていたのかもしれませんが、内容を真に受ける人が続出。 「どうせ今世紀末には人類は滅びるんだから……」 と頽廃的な気分になり、無計画な浪費をする人、将来を悲観する人が一挙に増加しました。結婚しない人が増えたのも、その原因の一端はこの本にあったかもしれません。私の中学のときの卒業文集にも、ノストラダムスの大予言について書いているクラスメイトが居ました。 見かねた推理作家の高木彬光氏が、「ノストラダムス大予言の秘密」という反論本を書くに至ったのを見ても、五島氏の本の影響が絶大であったことが偲ばれます。実は私は、高木氏のこの本こそネタ本というか、「成吉思汗の秘密」と同様、話題のネタを材料に使った推理小説だとばかり思って手に取ったものです。そうしたら、マジものの反駁本であったのでびっくりしました。 高木氏は、推理作家になったのも占い師の助言に従ってのことだったそうで、占いには一家言あり、またフランス語も一応原文で読める能力があったということで、世にはびこる「ノストラダムス症候群」を見るに見かねて反駁本を出したとのことでした。 実は、「1999年人類滅亡」への反駁は、高木氏が冒頭に書いているただひとつの事実で充分です。それは、ノストラダムス自身が、「百詩集」の序文に、西暦三千六百何年だかまで続く未来の出来事を記した、と書いていることです。あいまいな筆法の詩とは違い、序文は散文ですから意味もごく明瞭で、多様な解釈の余地はありません。ノストラダムスは、1999年に人類が滅びるなどとは、まったく思っていなかったのです。 しかし、五島氏のご本尊に較べ、高木氏の反駁本は売れ行きにはっきりと差があったものと見えます。五島氏は涼しい顔で、続篇・続々篇と書き続けました。そのうち恐怖の大王の正体が少しずつ変わって行ったり、世情に合わせて新しい詩を扱ったりしてゆきましたが、「1999年人類滅亡」のテーゼだけは不変でした。 ノストラダムスは「1999年」の他にも年号を入れている詩を書いています。ところが、その指定されている年に、どう考えても詩で詠まれていることに比定されるような事件が起こっていないということがちょくちょくあり、これは予言が人為的にねじ曲げられるのをおそれてわざとずらして書いているのだ、というのが信奉者たちのあいだでは常識になっています。何年だったか、確か125年くらい足せばうまく符合するとされているのではなかったかと思います。 それなら「1999年」も、本当にそれが起こるのは2120年代くらいのことになるのであって、20世紀末のことではないということになりそうですが、なぜかこれだけは、操作されていないナマの年号だということになっていたのでした。 このようにツッコミどころはいくらでもあったのですが、「1999年」信仰を揺るがせることはできませんでした。「なんだ、ばかばかしい」と笑う人でも、「いやちょっともしかしたら……」という一抹の不安を払拭することは難しかったのではないでしょうか。 追随して終末論をあおる連中もどんどん増えてゆきました。中でも影響が大きかったのはMMR、すなわちマガジンミステリー研究班でしょう。少年マガジンという大きな部数を誇るマンガ雑誌に、いわばノンフィクションの体裁で連載されたこの作品は、多くの子供たちに「1999年」の不安を植えつけ続けました。いまでもアスキーアートで、MMRの登場人物が 「話は聞かせて貰ったぞ! 人類は滅亡する!」 と叫んでいる絵をときどき眼にします。 現実に1999年を迎え、7月が終わっても何も起こらず、ついに2000年を迎えても人類が滅亡しなかったのを見て、気が抜けてしまった人はけっこう居たのではないでしょうか。 私はその頃から、五島勉氏と少年マガジン編集部はここで何かひとことあってしかるべきだろう、と思っており、日誌にも掲示板などにも何度も書きました。しかしどちらも、まったくノーコメントで逃げてしまいました。MMRなどはその後新シリーズをはじめたりもしています。「1999年」は無かったことにして、またぞろ終末論をあおっているようです。 それが20年も経って、89歳の五島勉氏から謝罪の言葉があったとは驚きでした。さんざん終末論をあおって青少年の不安を助長することで稼ぎまくっていたことについては、やはり多少うしろめたさもあったのかもしれません。この世においとまする前に、そのうしろめたさを消しておきたいとの想いでもあったでしょうか。 しかし「子供が読むとは思わなかった」などというのは何やら白々しいような気がします。最初はその気がなくとも、子供が読んでいることくらいはすぐわかったはずで、それを承知で巻を重ねたのですから、言い訳の余地は無いように思われます。 ニュースへのコメントは、 ──20年も経ってから謝罪って、遅すぎる。でもこれですっきりした。愉しませてくれてありがとう。 というようなものが多かったようでした。何か言ったらどうだ、と思っていた人は少なくなかったようです。
(2019.4.8.) |