マンガ家のモンキー・パンチ氏の訃報が伝えられました。81歳だったということですから、まあまあの齢であったかと思いますが、一世を風靡した人物の訃報を聞くと、やはり一時代が過ぎたという感慨を覚えます。 「ルパン三世」の作者として知らぬ者とてないパンチ氏ですが、アニメが人口に膾炙しすぎて、かえって原作マンガを読んだ人はどのくらい居るのだろうかと疑問を感じてしまうところもあります。週刊漫画アクションという、購読者数がそれほど抜群に多いわけでない掲載誌にずっと連載しつづけ、単行本も青年誌仕様でしたから、少年誌ほどに広範な読者を持っていたということもなかったのではないでしょうか。 青年誌連載だけに、原作にはシモネタもふんだんにちりばめられていましたし、何よりもルパン三世が平気で人を殺します。相棒の次元大介ほどではないにせよ、やたらめったら拳銃をぶっ放しており、あんまり子供に見せられる内容ではなかった気がします。 シモネタ方面では、男女の性器がそれぞれ「♂」と「♀」の形に模式化されているのが笑えました。ルパンは何しろしょっちゅうパンツを脱ぎ捨てるのですが、彼の股間には「♂」の形のものが生えているのです。「♂」の矢印を「♀」の輪っかの中につっこんだ絵でセックスを表現したりもして、なかなか便利な記号化であったと思います。高校時代、その記号を真似して描いてみたりしました。 確か私が小学6年生のとき、クラスメイトが「ルパン三世」の第1巻を学校に持ってきて、大いに盛り上がった記憶があります。このくらいの年齢だと、どこに盛り上がるかと言えばやはりちょっとエッチなところだったりします。初期の画風はいわゆる劇画調で、子供には少々読みづらい雰囲気でした。 のちには、かなり連続した話も多くなりますが、はじめの頃は一話完結で、現れる敵を躊躇無く撃ち殺してゆきます。原作ファンには最大の好敵手として評価されるに至る白乾児(パイカル)も、一話だけで殺されてしまいました。 すでに本家アルセーヌ・リュパンの物語をポプラ社の少年向けシリーズで読みあさっていた私としては、こんなにポンポン人を殺す男がルパンを名乗って良いのだろうかと不思議に思ったほどでした。 ずいぶんあとになって、当初のルパン三世には「アルセーヌ・リュパンの孫」であるという設定は無かったことを知りました。変装の得意な凄腕の怪盗なので、「あだ名として」ルパン三世と呼ばれたということだったようです。なるほど、最初から日本を舞台にして、日本人ばかり出てくるマンガであったわけです。ルパン三世は本来「日本人の怪盗」だったのでした。 しかし、アニメの第一シリーズで、前口上に 「おれの名前はルパン三世。怪盗アルセーヌ・ルパンの、孫だぁ」 というセリフが必ず流れるようになり、それが公式設定になってしまいました。ずっと後年の原作エピソードで、リュパンマニアの女子大生が 「アルセーヌ・ルパンが日本で子供を作った記録はありません」 と言ってルパン三世の化けの皮をはごうとつきまとう話がありました。なお彼女は当然ながら(?)ルパン三世に犯されてしまいます。 アルセーヌ・リュパンの宿敵であったガニマール警部の孫娘「レディ・ガニマール」が因縁のルパン三世逮捕に取り組む話もありましたが、要するに原作のほうが当初の設定を離れ、リュパンの孫ということにしてしまったようです。 いざとなればためらいなく人を殺し女を犯す原作のルパン三世に対し、アニメ版のほうは、だいぶマイルドにキャラを作っていました。なるべく人を殺さず、女好きではあるもののいつもうまくゆかないということになっていたのは、アニメが子供向けだったからと言うよりも、アルセーヌ・リュパンのイメージに近づけたのかもしれません。 「ふ〜じこちゃ〜ん♪」 の名フレーズ(この一言だけで山田康男氏の天才さがわかります)ですっかり有名になったヒロイン峰不二子ですが、本来は、どんな女でも簡単に落としてベッドインにもちこめるルパン三世の攻勢を完全にかわしきることで、そんじょそこらの女とは一段も二段も違う魔性の女ぶりが際立っているのでした。アニメ版では、ルパン三世が妙に紳士的になっている分、峰不二子もやや「普通の悪女」という印象になっています。 とはいえ、ルパン三世を一躍有名にしたのはアニメ版の存在であることに疑いはありません。原作ではどちらかというと暗いイメージであった銭形警部を、いわば狂言廻しのように使ったのも成功しています。歌を伴わないスタイリッシュな主題曲の採用も、時代に先駆けた感がありました。 亡くなった祖父が、なぜかアニメの「ルパン三世」の大ファンで、毎週欠かさず視聴していました。ただ、祖父は最後まで、ルパン三世を「モーリス・ルブラン原作」と信じていたようですが。 ただルブラン原作というのも所以のないことではなく、原作の連載初期には本当に「ルブラン原作」と表記されていたと言います。これもどうかと思いますが、当時としては「盗作」でないことを謳う必要があったのかもしれません。 ルパン三世ばかりが有名ですが、モンキー・パンチ氏にはもちろん他にもいろいろ作品があります。私もいくつか読んだ記憶がありますが、いずれも初期作品だったと思います。「パンドラ」「一宿一飯」あたりが印象あったかな。しかしどんな話であったのかはすっかり忘れました。 漫画アクション誌が子供向けの「少年アクション」という雑誌を作ったことがありました。わりにすぐつぶれたようですが、そちらには「ルパン小僧」というのが連載されていました。「ルパン三世と峰不二子の息子」ということでしたが、ルパン小僧はその後「本編」たる「ルパン三世」にゲスト出演し、ルパン三世とのあいだに子供など作った憶えは無いという峰不二子と対戦することになります。 私の購読していた「中一時代」に「ミスター右門」というのを連載していたはずですが、Wikipediaの作品リストには載っていません。連載も短期だったし、話もほとんど印象に残っていません。 小松左京の連作小説「時間エージェント」のコミカライズを読んだこともあります。もともとがお色気SFなので、パンチ氏の作風に適っていたように思います。特にマリ所長のキャラがパンチ氏の描くヒロイン像にジャストフィットしていました。他のマンガ家ではピンとこなかったかもしれません。もっとも、「時間エージェント」のコンセプトをほとんどそのまま少年向きにリライトしたような藤子・F・不二雄の「T・P(タイムパトロール)ぼん」というのもありますが。 アニメ化作品もいくつかあります。「おまかせスクラッパーズ」というタイトルでテレビアニメ化された「ろぼっと球団ガラクターズ」、それから「緊急発進セイバーキッズ」などは見た記憶があります。また単発のOVAなどになっているものはかなりの数あるようです。ただ子供向けに描くと、いまひとつ切れ味が良くない印象があったのも事実です。やはりパンチ氏の本領は、少しエッチなシモネタマンガにあったようです。 それを思うと、「カリオストロの城」を、 ──あれはそもそもルパン三世ではない。 と斬り捨てるファンが多いのもうなずける気がします。確かに、「カリオストロ」だけ好きだという層もおり、それはルパンファンというよりも宮崎駿ファンと言うべきでしょう。そんな奴らにルパン三世を語って欲しくないという層が一方に居るということは、善し悪しの話ではなく納得できるのです。
ちなみにアルセーヌ・リュパンシリーズに「カリオストロ伯爵夫人」「カリオストロの逆襲」という2冊があり、この映画はそちらに想を得ています。映画のヒロインであるクラリスは、「カリオストロ伯爵夫人」に登場する可憐な娘の名で、リュパンの最初の妻となり、息子を産んだのちに病死します。この息子すなわちリュパンの唯一の実子は生後間もなく誘拐され、彼が成長し青年となって活躍する(もしくは翻弄される)のが「カリオストロの逆襲」です。私はこのほうを先に知っていたので、「カリオストロの城」はやはり妖艶な毒婦が出てくるのかと思っていたら、登場したのはカリオストロ大公なるおっさんでした。造型は「未来少年コナン」のレプカや「天空の城ラピュタ」のムスカと似たような雰囲気で、いかにも宮崎アニメの悪役オヤジといった感じです。 クラリスに対するルパン三世の態度は、ほとんど父親みたいになっています。それも甘々なパパで、ルパン三世のハードボイルドな雰囲気を好んでいたファンにとってはいかにも物足りなかったでしょう。銭形警部の最後のセリフ 「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました……あなたの心です」 などというのも、確かにカッコ良いのですが、原作のイメージからすればどうにも甘ったる過ぎという気もします。やはりこの映画は「宮崎色」が強すぎたと言えそうです。 ちなみにパンチ氏自身は、ルパン三世はいわゆる「義賊」ですらなく、要するに「悪党」なのだという認識であったようで、アニメ放送がはじまった頃にそんな発言をしています。後年も同じ認識であったかどうかはわかりませんが、当初の意識としては、とにかくハチャメチャな悪党を主人公にしてみようというところだったのかもしれません。平然と殺し、犯すという原作初期のルパン三世のぶっ飛びっぷりは、確かに「義賊」などを描こうとしたとは思えないものがありました。 ルパン三世の連載は何度か「最終回」を迎えましたが、しばらくするとまた新シリーズがはじまるのでした。作者がどのように思っていたかは知りませんが、やはりこの猿面の悪党から離れることはできなかったようです。近年になって作者が高齢となりペンを握るのが難しくなっても、作画に他の人を迎えてシリーズが続いたりしていました。永井豪にとってのデビルマンと同様、終わらせたつもりでも何度でもよみがえってしまう、ある意味では厄介なキャラクターであったと言えるかもしれません。 そして結局、真の意味で「終わらせる」ことができずに、作者のほうが先に逝ってしまいました。アルセーヌ・リュパンはいちおう老境に至った姿も描かれており、最期こそ迎えませんでしたがシリーズとしてのしめくくりはついています。立場としては怪人二十面相のほうが近いように思えます。怪人二十面相も消息不明になっては復活するということを繰り返しており、最後の登場となった「電人M」も完結感は全然ありませんでした。江戸川乱歩の死により尻切れトンボで終わってしまったわけです。 しかしまあ、こういうキャラは、それで良いような気もします。今後もアニメは作られ続けそうですし、マンガのほうも誰かが描くのではないでしょうか。ただ、マンガに関しては、モンキー・パンチ氏の原作よりもアニメ設定寄りで描かれそうでもあり、その意味では「ハチャメチャでお下品な悪党」としてのルパン三世はやはり原作者の死と共に終わりを迎えたと言えそうです。 独特な味のある絵柄のマンガ家でした。ご冥福をお祈りいたします。 (2019.4.17.) |