京都アニメーションのスタジオ放火事件──と言うよりも爆破テロと呼んだほうが正しいかもしれませんが──には驚きました。40リットルのガソリンを撒いたところに火がつけられ、ほぼ一瞬にして大爆発が起こったのでした。テレビでは繰り返し現場の様子が映されていましたが、建物の窓からはいつまでも黒煙が上がり続け、壁も焼け焦げていました。 34人が死亡し、あと30人以上の重軽傷者が居て、あるいはその中からまだあらたな死者が出るかもしれません。火災での死亡者数としてはホテル・ニュージャパン事件を上回り、戦後第何位だかの被害となりました。またひとりの犯人による殺害数としては、戦後最大と言われた先年の相模原の養護施設での事件を軽々と更新し、また戦前の津山事件(横溝正史の「八つ墓村」のモデルになった)をも超え、最悪の結果となってしまいました。 しかも、死傷した人々は、ただの一般人ではありません。いや、人の価値に区別をつけようというのではありませんが、いずれも優秀なアニメーターであり、監督であり、プロデューサーであって、余人をもって代え難いという意味において掛け替えのない人々が、一瞬のうちに散ってしまいました。 京都アニメーション(京アニ)といえば、きわめてハイクオリティな作画で知られています。テレビ用作品でも、まるで映画のような美麗な画面で仕上げられており、京アニ作品であることは私などが見てもすぐわかるほどでした。最近私が視聴していた作品としては、高校の吹奏楽部を舞台にした「響け! ユーフォニウム」とか、社畜OLと人化した龍との交流を描いた「小林さんちのメイドラゴン」とか、地球とはちょっと違った世界で手紙代筆業に携わっている少女を扱った「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」などがあります。 近年のことですから、当然海外でも視聴されています。まあどの程度が合法的に視聴しているかはわかりませんが、ともかく「Kyo-ani」の名は世界的にもよく知られていたようです。今回の事件についてもすぐさまニュースが拡散され、ほとんど全世界から哀悼のメッセージが寄せられました。寄付金もまたたく間に集まり、わずか2日間で1億円を突破したとのことです。 むろん、いくらお金が集まっても、失われた人材はもう戻ってはきませんけれども、生き残った人たちの中にも、心身に深刻な傷を負った人が少なくないわけなので、そのケアなどに有効に活用して貰えればと思います。 ハイクオリティな仕上げなだけに、アニメーターたちの負担も大きく、かなりブラックな職場であったという噂もありますが、たいていのアニメ制作会社が、原画や動画を外注任せにしているのに対し、京アニは社内でアニメーターを育てるという方針を貫いていたようです。また女性社員が多かったことでも有名でした。仕事はきつく給料もそんなに高くはなかったかもしれませんが、やりがいのある職場だったのではないでしょうか。客観的に見ればブラックかもしれませんが、技術職の感覚というのは一般職とはまた違ったものがあります。 しかし、外注が少なかったことが、今回の被害をいっそう深刻なものにしてしまったという気もします。まったく、なんということでしょうか。 建物の見取り図が公表されていたので、私も見てみましたが、四角い建物の真ん中に螺旋階段があり、しかもフロアはほぼそれだけで一室になっていて細かく部屋が分かれていません。こんな形で、1階の螺旋階段下あたりにガソリンを撒かれて点火されたら、建物全体が煙突みたいな状態になり、火と爆風がたちまち隅々まで行き渡るのも無理はないと思われました。 しかも、アニメ制作スタジオですから、当然、大量の紙があります。最近のセル画というのが文字どおりのセルロイド板を使っているのかどうか知りませんが、セルロイドだとしたらこれも可燃物です。絵の具なども引火しやすいでしょう。火と煙から逃れるすべはほとんど無かったはずです。 ガソリンというのは「可燃物」というよりも「爆発物」であり、クルマではエンジンルームの中で制御された小爆発を繰り返すことで動力にしています。本当は素人が扱って良いシロモノではありません。 そういえば東日本大震災のあと、学校のプールなどにガソリンを備蓄すれば良いなどと言い出した大馬鹿者の政治家が居ましたっけ。ガソリンの危険性を知らない人が多すぎるのは困ったものですが、政治家でもそんなレベルとは、いくら当時の民主党政権が素人政権であったとしてもひどすぎます。 犯人は、40リットルのガソリンを近くのガソリンスタンドで容器に詰めて貰ってきたようですが、そんなに簡単に売るほうも売るほうです。しかしまあ、トラクターやコンバイン、草刈り機、モーターボートなどにもガソリンは必要で、それらに補充するためには容器売りもしなければならないようですので、求められれば売るしかない状態なのでしょう。逆に、この事件ののち容器売りを休止したガソリンスタンドも少なからずあって、農家のかたがたなどが困惑しているという話も聞きました。トラクターで直接行って入れて貰うということは可能ですが、速度が出ないのでガソリンスタンドまでの往復で半日つぶれるというのです。そういう意味でも、まったく大迷惑な犯人でした。 その犯人、ガソリンの火のまわりかたを知らなかったのか、自分も大やけどをした状態で逃げ出しましたが、間もなく捕まりました。 「死ね」 「パクりやがって」 とか叫んでいたのを聞いた人が居たようです。 すぐ捕まり、41歳で埼玉県在住の男といったことがすぐに発表されたのに対し、名前がなかなか公表されないのでずいぶん勘繰られたようです。警察が公表しないとは思えないので、きっと報道機関が「忖度」しているに違いない、ということは「かの国」のヤツなのではないか、などと、ネットではさまざまな憶測が飛び交っていました。 どうやらそういうわけではなく、救急治療がおこなわれて容態が落ち着き、意識が戻ってから正式逮捕の予定で、名前もそのとき公表するはずだったようです。しかし事件の重大性や、飛び交う憶測の様子を見て、予定を繰り上げて名前が明らかになりました。 もっとも、ネットでは憶測とは別に、明らかになっているデータから迅速に同定作業がおこなわれ、警察発表に1日先んじて犯人の正体が突き止められていました。41歳埼玉在住ということの他に、前科があるらしいとわかり、今年41歳になる前科者を過去のニュース記事などからピックアップしたとのことです。 7年前にコンビニ強盗をやらかし、自首してお縄になった「34歳」の男がこの人物なのではないかと特定されたわけです。そのとおりでした。 やはりというか、精神病歴もありました。 ──これだけの大量殺人をやってのけたヤツが、精神病歴のせいで無罪になるってのか? と激昂している人も少なくありませんが、精神病歴だけでは無罪にはなりません。犯行当時、心神喪失、あるいは心神耗弱状態にあったことが証明されなければならないのです。ただ、弁護士が被疑者の心神喪失・耗弱状態を訴えようとした場合に、精神病歴が有力な材料になることは事実でしょう。このあと裁判がどんなことになるかわかりませんが、心神喪失が認められて無罪になったりしたら、やりきれないことこの上ありません。 まあ、犯人はガソリンの他、包丁などの刃物も何本も用意していたらしく、その用意周到ぶりからして、犯行時に心神喪失していたとはまず考えられません。明らかに殺す気まんまんです。刃物は、火災に驚いて逃げ出してきた人を確実に刺し殺すために持っていたとしか思えないのです。実際には、爆発の勢いが想像以上で、自分も巻き込まれて大やけどを負い、誰かを刺し殺すいとまもなく逃げ出さざるを得なかったわけですが。 この男がどういう動機で京アニのスタジオを襲撃したかは、意識が戻って自供するのを待つしかありません。自分の小説を京アニに盗用されたと思い込んでいたらしいという話は聞きましたが、その小説が実在するのか、「脳内小説」であるのかも、まだわかりません。 賞を取った小説とか、ドラマ化・映画化された小説などに対して、自分の作品のパクリだ、などと粘着する手合いは、残念ながら珍しくもないようです。そしてその多くが、「脳内小説」であるそうです。つまりどこかに発表したわけでなく、それどころか原稿の形にもなっておらず、自分の頭の中でプロットを温めていた程度のことで、そんなものを「盗用」しようもないのですが、ちょっとおかしくなっている連中は大まじめに「盗まれた」と思い込むようです。 出版社に送ったりした原稿が没になった人が、それと似た筋書きや設定の本が刊行されたりしたときに ──おれの原稿を没にしておいて、パクりやがった! と逆恨みしたりするのは、それに較べればまだ納得はできますが、筋書きや設定というのは、案外と偶然似てしまうケースもあるものです。そして文芸作品の価値というのは、筋書きや設定だけで決まるものではありません。似たような設定の小説で、片方が没になって片方が出版されるなどというのは、珍しくもなんともないことです。しかしこういう手合いは、編集者と出版作家がグルになって自分の書いたものを盗用したのだと思い込み、筋違いな被害妄想と憎悪を抱いてしまうのでしょう。 さて、京アニがそういった「盗用」を恨まれるようなことをしていたかどうかです。 京アニの作品は、ほとんどが原作付きです。つまり原作の作者が恨まれる筋合いは無いとは言えませんが、アニメ制作会社が恨まれる筋合いはまったく無さそうです。 ただ京アニは、ライトノベルの小さなレーベルをひとつ抱えており、そちらのほうで恨んでいる者がいたかもしれません。しかしそれにしても、本社を狙わずスタジオを狙った理由が不明です。そのほうが会社に与えるダメージが大きいと判断したのでしょうか。そうであればますます心神喪失という可能性は無くなりそうですが、「脳内小説」をパクられたのだと恨んでいたとすれば、それこそが正常な判断力を失っていた証左であると弁護士が主張する論拠になる可能性もあります。 とにかくいろいろ常軌を逸しているのは確かで、その常軌の逸しかたが無罪の根拠にならないことを祈るばかりです。 それにしても、この男が建物の中に入れたのが不思議です。
スタジオには作業中のデータや貴重な資料などもあるので、当然ながらセキュリティが施されていました。カードを通さないと中には入れない仕組みになっていたようです。 ところが、この日、来客があるので、セキュリティを切っていたらしいのでした。 その来客というのが、まだ明確にはなっていませんが、どうもNHKの取材の予約があったようだと言われています。ただしNHKではまだそれを認めていないようです。 ひとりふたりの来客なら、あらかじめカードを渡しておくか、社員の誰かが迎えに出ているかすればそれで済むでしょう。しかしテレビクルーがわんさかやってくるのであれば、いちいちそういう対応をしている余裕はなく、セキュリティをひとまず切っておいたのだろうと考えても筋は通ります。 爆発を最初にスクープしたのがNHKだったのは確かなようで、記者が近くを通ったときに爆発音がしたというのですが、そんな偶然がありうるでしょうか。 これについては、まだ検証の必要がありそうです。しかし、NHKであろうがなかろうが、セキュリティが切られていることを、犯人はどうやって知ったのかという問題もあります。埼玉から京都までやってきたら、「たまたま」セキュリティが切られる日であったなどという偶然は、とても信じることができません。誰か関係者が犯人に内通していたのではないかという疑いは捨てきれないのです。 内通者が居たとなれば、これはひとりの狂人の妄想に起因する個人的犯行とは見なせなくなってしまいます。なんらかの組織的な犯行であって、この犯人はいろいろ吹き込まれて実行犯になっただけなのではないか……と薄気味悪い推測も成り立ちます。アニメ制作は反社会勢力のシノギのひとつになっていて、京アニはそういった勢力の影響を排そうとしていたために狙われたのではないか、などという憶測も出てきています。 もしそうであれば、おそらく犯人が生き延びてしまったのは「黒幕」にとっては予想外で、犯人も一緒に爆発で吹き飛ぶことを想定していたに違いありません。そんなことがあるのかどうかわかりませんが、その辺を明らかにする意味でも、犯人の意識が一刻も早く回復することを願っています。 (2019.7.20.) |